第28話 幺の涙と狐たち
部屋から出た妹が再び戻る前に、少年とスイは分かっていた。
妹は今年も岩魚の燻製を作っていた。
スイが帰って来たら食べさせようと、今年も近所の老人に教わり用意していた。
スイは前回の失態を学習していたので、我慢出来ていたが
驚く事に少年が、その一匹を直様手に取り頭から食べた。
昔から父の燻製が嫌いだった少年がそんな姿を晒すので、母と妹は驚いた。
余程食べ物に飢えていたのだろうと、少年の食べ様を見ながら大笑いしていた。
少年はそんな笑いに耳も傾けず、二匹目も頭から食べた。
その横で、スイも大人しく燻製を食べていた。
少年は二匹目を食べ終えると、とても幸せな気持ちになった。
何故今まで、こんなに美味しい物が嫌いだったのか。
今までの自分が損をしていたと思った。
その後少年は一人で仏間に行った。
山に居る時に夢に見た二人、病に苦しみながらもここに帰って来れたのはスイは勿論
二人のお陰だと思っていた。
祖母と父の位牌の前に座ると、祖母の位牌のヒビが、少しだけ大きくなっているのが分かった。
少年はそれを見て、祖母は警告では無く自分を守ってくれている気がした。
あの夢の時も、祖母は終始笑って自分の話を聞いていてくれた事を思い出していた。
蝋燭に火を灯し、線香を近づける刹那、少年はふと感じた。
ほんの微か、微かに、僅かに、感じる匂いだった。
この部屋からも、山頂で見て、本殿で確認した「狐の石」と同じ匂いがした。
何処からあの匂いがするのか探ると、それは祖母の位牌からだった。
少年は目を大きく見開き、線香を持つ手は感覚を無くし、それを落とした。
心の奥底の「点」が、遠く別の「点」と結ばれ、考えてもいなかった「線」が引かれた気がした。
その後、母の元へ行った。
自分が知らない、祖母の生前の話を聞きたかった。
残念ながら、母はあまり知らなかった。
祖母は、不思議な事はあまり多くを語らなかった様だった。
ただ祖母は、母に良く言っていた言葉があった。
「幺は私に似て、少し特別な力を持っているかも知れない。あの子は優しい子だから
多種多様に引き寄せる。今は幼いから心配だけど、大人になればきっと、それを見極めて
皆を幸せにしてくれる。」
それを聞いた刹那、少年は跪き大粒の涙を流した。
涙は、まるで滝の如く頬を流れ落ちて、床を濡らしていた。
山で見た夢の中の祖母が、あの時もそう言っていた気がした。
子供の頃に祖母から受けた警告は、少年の先々を案ずる彼女の優しさでありながらも
大人になった今は、自分へ託された未来への希望だと自負した。
遠い昔に、山の頂で人間になった狐たち。
この村へ降りて人と交わり、石になった者たちの中で、人として生き続けた者たち。
その中の末裔が祖母であり、その血を受け継ぐ自分がいる事をはっきりと実感した。
そして自分の中の狐の血が、山の頂で受けた力で濃くなったのだと思った。
少年は少し時間を置いて、今までの経緯を全て母に打ち明けた。
母は驚かなかった。
むしろ、こうなる事を祖母から聞いていたかの様だった。
その後少年はスイと久しぶりに部屋の布団で寝た。
少年がスイに、自分はどれ位の間眠って居たのかを聞いた。
スイも詳しくは分からなかったが、少年はやはり思っていた以上に長い時間眠り続けていた。
長い眠りと、時空の歪みが三ヶ月と言う月日を二人に与えたのだと思った。
そして、スイは初めから自分の中の「狐の血」を匂いで察知していたのだと分かった。
少年はそれも嬉しかった。
幼い頃から人と交わるよりも、一人が好きだったり自然や動物を愛する自分にも納得が出来た。
スイと出逢い、スイを愛し、スイと共に生きる「未来への鍵」を見つける中で
少年は自分自身の真実を知れた。
まだ重要な「点」は幾つも存在し、抱えている問題はあったが今はただただ幸せだった。
その日も、部屋から見える月灯りが懐かしくも美しかった。
少年はこの村で三ヶ月開けた時間が、実際に山で過ごした二年程だった事に
早々と気付く日が来ていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます