最終話 狐の涙

昔、一匹の狐が居た。

狐は神社が大好きだった。

その神社に、しばしば訪れては何かをしている少年の姿を見た。


狐は少年に興味があった。

少年の気配を感じては、遠くから見ていた。

少年の優しそうな顔と、一人で楽しそうに遊んでいる様子が好きだった。


ある日、狐は勇気を出して少年の前に姿を現した。

まだ恐怖心があったが、少年はそれを見越して距離を取りながら岩魚の燻製を

狐の座る少し前に置いた。


少年が帰った後、狐は燻製を食べた。

とても美味しかった。


そして、少年に恋をした


その後も狐は少年を待った。

行き違いの日も沢山あった。

少年にお礼がしたくて、自分の事に気付いて欲しくて

土竜や鼠を取っては参道に置いた。


狐は毎日毎日、神社で少年を待っていた。


年が経つにつれ、少年は神社に来なくなった。

暫くぶりに少年に逢えた日は、見た事の無い女性と一緒だった。


狐はその後、神社には現れなかった。





少年は我に返ったが、何とも言えぬ自身の感情に動揺していた。

今までも気付く機会は多々あった筈なのに、これからの事

スイとの未来を考える中で忘れてしまっていた。


大人になるにつれて置き去りにしてしまっていた心


あの時の狐の気持ちを考えると、少年は深い憎悪に囚われ涙を流した。


その後「狐に摘まれたとは、正にこの事だな」と何故か笑ってしまった。


スイの顔を見ると彼女は満面の笑みで少年を見ていた。


少年はスイを抱き寄せ


「ゴメンね、そしてありがとう」


そう言うと、ゆっくりと参道に向かった。


彼女の手はとても固く、既に歩く様子もおかしかった




リミットが迫っていた。




スイは幸せだった

もう何も要らなかった




ゆっくりと少年がスイの手を握り、彼女の腰に優しく手を添えながら階段を登ろうとすると

再び心の声が聞こえて来た。



私はそれからずっと、人になりたいと願いました

人になって、貴方と出逢いたかった

悲しくて泣きながら歩いていると、あの女性が現れて私にあの場所を教えてくれました



そして


「貴方の願いは私の夢」




階段の中断付近でスイが止まった。

少年は抱えるスイの横で、長の隣の女性を見て一礼した。


未来を託されていたのは、少年だけでは無かった。

スイと出逢えた奇跡に、感謝の意を伝えた。


その場に居る全ての人たちが二人を見守っていた。



スイがゆっくりと静かに「か細い声」で発した



貴方と出逢えて、、、



スイの涙が、握り合った二人の手に落ちると同時に

妹の抱いていた祖母の位牌が音を立てて、二つに割れた



それが合図かの如く、遠くで燻っていた雷が突如神社に向けて落ちたかのように

巨大な音が鳴り響いた。



誰一人動かなかった


その後


夕立の如く、大粒の雨が降った。





まるで人の時間だけが止まっているかの様な時空の狭間で

少年はスイの濡れていた頬に優しく手を添えて、ゆっくりと語った




既に皆の定めは解いた

これからは二人で生きていこう

そして私は、翠を愛し足りないから

また来世でも、君を愛する事を約束する





雷鳴と共に降り出した雨に、皆が気付く頃は

スイと少年の姿は無かった。



村人達は慌てて帰る準備をしていた。



母や妹、そして村長と恋人そして、青年とその隣の女性も

二人を探した。


二人が居た階段の中段には

装束だけが残っていた。


いつからか夕立は小雨となり、霧雨になって神社を靄で覆っていた。




すると突然、割れた祖母の位牌を持った妹が、鳥居の方を見て走り出した。



靄で覆われた参道は、灯籠の灯りで鳥居を微かに映し出していた。

妹が手水舎辺りまで行く頃には、皆が鳥居を見ていた。




やがて、先程迄の夕立が嘘かの様に、空には晴れ間が広がり

瞬く間に神社を覆う靄も消えかかっていた。



鳥居の少し先には、今まで見たことも無い美しい白狐と

黄金色の毛を纏った狐が寄り添いながら立っていた。


先程の雨で濡れた毛が、陽の光で反射して

皆の眼にとても美しく写っていた。



妹は泣きながら、2匹の狐に手を振っていた。

村長は女性の手を握りながら、鳥居に向かい深くお辞儀をした。















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