第30話 幻と現

老人は黙って酒を呑んでいた。

否、呑んでいる様でそれは「嗜む」様に見えていた。

視線を何にも合わせず、ただただゆっくりと酒を口に注いでは

ほんの数滴を喉に流し込んでいる仕草にも思えた。

少年はそんな老人を横目で見つつ、それを真似るかの如く酒を呑んだ。


あまりに静かな時間が過ぎたので、少年は些か退屈だった。

酒の味は、以前より美味しさが薄れていたし、老人が何かを話してくれる事を期待していたが

どうやら中々、口を割りそうに無い事を悟っていた。


それでも少年は、老人と一緒に居る時間を心地良く感じていた。

前途多難な人生を歩むと心に決めて、手探りな中でも確実な「何か」を掴み始め

更には、自分に宿る「血筋」を知れたと同時に、こうして老人と出逢えた「力」にも感謝していた。



沈黙の時間が流れる中、少年はある程度張り詰めた糸を切ったかの如く、話し出した。

待っていても仕方無いし、自分から誘った酒の席でもあったし、元々腹の探り合いは嫌いだった。

自分から踏み込んだ一歩から、更に前進する勇気を出そうと思った。


少年は、祖母以外の人物に今までの事を赤裸々に話すのは初めてだった。


小鳥の埋葬

スイとの出逢い

祖母の忠告

山での経験


隣でゆっくりと酒を呑む老人に、なるべく分かりやすく、なるべく伝わりやすく

簡素化して、今までの自分の経緯を話した。



老人は相槌も打たず、ただ黙っていた。

少年は、恐らくそんな事だろうとは察しはついていたが

その後も老人が何も言葉を発しないものだから、若干の苛立ちを覚えた。

自分の身の内を曝け出して、損をしたと感じ始めていた。


その後少年は、苛立ちを抑えた。

老人を憎む事を辞めた。

自分のペースに引き込もうとしていた己を叱り、他人に何かを求めていた事に反省した。




暫くして、老人がようやく酒を呑み終えるタイミングで、店を出た。

老人は店を出ると、幸せそうな顔をして少年にお辞儀をした。


老人は初めて見た時から、寂しい顔をしていた。

否、とても悲しい匂いがしていた。


それは、「何かを捨てた様」な「何かを諦めた様」な、心が完全に冷え切ってしまった

或いは、そうなるしか無かった「悲しい人生の定め」を背負っているかの様にも見えた。



少年は老人との帰り路で、彼に気を遣った。

老人の歩くペースに合わせ、横に並びながらも少し後ろを歩き

たまに老人の腰に手を添えた。


老人は、自分の手が腰に触れている事を嫌がらず、むしろ心地良さを覚えているかの様な

気がしていて嬉しかった。

そして、祖母が年老いて亡くなる前にも、こうして優しく祖母を気遣い歩いていた事を思い出していた。

そして隣の老人が、祖母と「同じ匂い」がしていた事に、少年はとても嬉しかった。



やがて二人は繁華街を抜けて、街の少し外れの路を歩いていた。

老人の家まで送り届けようと、少年は老人の向かう方へ付き添っていた。

だいぶ歩いたし、民家も減って来たので少年は若干心配になっていた。


「老人はもしかしたら浮浪者なのでは」


そんな不安が過り、自分の部屋に連れて行って泊めようか考えて歩いていた。


すると

老人がここで大丈夫だと言った。


少年は生まれ育った街の、知らない場所に立っていた。


当然ながら路地には灯りは無く、一人で歩き出した老人を見守ろうとする刹那だった。

老人は、暗闇に煙の如く消えて行った。

匂いも同じ様に消えて行った。


少年は、それ以上は踏み入れてはいけない気がして

暗闇に消えて行く老人に一礼をし、自分の家に戻った。


祖母と居た様な心地良さと、不思議な老人の事を考えながら歩いていた。

そしてふと、店に居た時のおかしな事も同時に考えていた。


それは、店での店員の対応だった。

店員は始めに、不思議そうに酒を二つ運び、会計時に再び不思議そうな顔をしていた。


何となくではあったが、少年は察した。

老人は、自分以外には見えて居なかったという事。

そして、老人が呑んでいた酒はそのまま手を付けずに置かれて居た事。


「夢と幻」


「夢と現」


少年が体験したここ最近での出来事は、夢の様でもあり、幻の様でもあった。

しかし、寝て起きても覚めない「現実」だと言う事が真実であり

あり得ない現実と向き合いながらも、それが自分の定めなのだと自負していた。


そう思っていたからこそ、また老人に逢いたかった。

老人は何かしら知っている筈だし、何かを教えてくれる気がしていた。


少年には刹那の迷いも無かった。

自分の背中には、祖母とスイの存在が大きく力になっていた。














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