第26話 過ぎた季節
少年は横になろうとしていた体制を再び起こした。
薄らと霧雨が降り、靄が掛かる中を狐火は近づいていた。
更に気が付くと、狐火はあらゆる方向から自分とスイの居る場所に集まろうとしていた。
少年はスイに背負われいた時に薄ら見えた光の誘導も、やはり夢では無かったのだと悟った。
やがて狐火は二人の周りを円で囲んだ。
前回と同じく、松明を持つ男性の横に女性が居た。
辺りを覆い尽くす靄と、狐火の距離が少し遠かったせいで、薄らとしか分からなかったが
やはり皆が狐の面を被っていた。
少年は些か怖くなり、スイの手を握った。
その横でスイは落ち着いていた。
少年は狐火を見ながら二つの事を考えていた。
この人間達は、先程まで周りにいた無数の狐である事は分かっていたが、もしかしたら
病で弱った自分を生贄にしようとしているのではないか。
スイがそれを守ってくれているのではないか。
或いは、先日の祝福の余興の様な物なのか。
少年は恐る恐る、スイにそれを聞いた。
スイは少し笑って言った。
「大丈夫です。あの者達は、ああしているだけです。」
そう言われて、少年は安心した。
安心と同時に、自分とスイを崇めている様な気もしていた。
暗い山中の靄の中で、自分達を円で囲こんでいる狐火は、若干の恐怖もあったが
やはり美しく幻想的だった。
少年は与太付きながらも何とか立ち上がり、狐火に向かいお辞儀をした。
四方、八方に群がる方向へ、体制を小刻みに変えながら、まるで自分も円を描くかの如く
丁寧に深々とお辞儀を繰り返していた。
その行為を何度も繰り返す少年を、スイは横で支えていてくれた。
その後少年は横になり眠った。
翌朝少年が眼を覚ますと、身体は驚く程に回復していた。
立ち上がると、少しフラついたが自分で歩けると実感していた。
スイは相変わらず居なかったので、辺りをゆっくり歩いた。
昨日自分が見ていた狐火が、恐らく居たであろう場所に立った。
その辺りには、足跡や形跡等は全く残っておらず、昨日の狐火が夢かの様な気もしていた。
暫くその場所に立っていると、離れた所に何かが落ちている事に気付いた。
少年が近づくと、それは狐の面だった。
落ちていると言うより、丁寧に置かれている様にも見えた。
少年は昨日、人に化けた狐の一匹が落として行ったか、或いは土産として置いて行ったのだろうかと
想像して、一人で嬉しくも幸せな感覚に浸っていた。
その後、少し躊躇したがその面を持ち帰る事にした。
何と無く、置いて行った狐は自分に持っていて欲しいと思っている様な気もしていた。
やがてスイが食料を持って帰って来た。
狐の面の話をすると、スイは少し驚いていた様だったが、その後は微笑んでいた。
そんなスイの微笑みが、少年にはとても美しく見えたし幸せだと思えた。
二人は村へ戻った。
登った分、帰りは下り道が多かったので、行きよりは楽だとは思っていたが
少年は病み上がりも去る事ながら、自分の身体が驚く程軽い事に驚いていた。
先を軽やかに歩くスイにも、全く遅れを取らなかった。
まるで歩くと言うよりも、飛んでいる感覚が気持ち良かった。
そして今までよりも、見える景色や風の音、木々や土の香りが敏感に伝わる視覚と聴覚の変化に
気が付いていた。
それはまるで、自分が狐になった様だと思った。
もしかしたら、自分は山頂で狐になる力を持ったのかも知れないと想像すると
何故か笑ってしまった。
スイは自分に近づき、自分もスイに近づけた事が嬉しかったし、二人の距離が近くなったのだとしたら
それだけで幸せだった。
その後も二人は、驚く速さで山を降りた。
気が付くと、道の先に鳥居が見えて来た。
何時もの神社だった。
少年は無事に帰れた事がとても嬉しかった。
スイの手を握り、鳥居を潜った。
神社は誰も居なかった。
そして、参道に立つ刹那、少年は悟った。
村の季節は冬を迎えていた。
乾いた風と虫の鳴き声の無い境内、そして体温が異常なまでに下がっていく感覚で
それを実感した。
自分はどれ程、山に居たのか。
スイはどれ程の時間を費やして自分に看病してくれていたのか。
そしてスイは、どれ程の山路を背負っていたのか。
少年は時系列で考えていた。
一週間の休日を取り、スイの里帰りに向かい、自分が病にかかり
そこから二日経って、六日目辺りに帰村したと自負していた概念が、この何時もの神社の景観で
見事に壊れ落ち、そして現実を知ると共に新たな焦りを感じていた。
少年は落ち着いてスイの手を握り、宝物庫の脇に行き、お辞儀をした。
そして帰る前に、一つだけ神社で確認しておく事を思い出した。
拝殿に続く階段を登った。
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