第25話 翠の背中

少年が次に眼を開けた時、辺りはどんよりしていた。

日中だとは悟ったが、陽は無く山の中は霧雨が降り、靄に覆われていた。

スイの姿も無かった。


少年は起きあがろうとすると、身体の異変に気が付いた。

全身に力が入らず、否力を入れても動かなかった。

動くのは眼と脳だけだった。

自分が高熱を発している事を悟った。


少年は焦っていた。

こんな山奥の見知らぬ地で、病にかかってしまったと思った。

起きあがろうとも、ほんの少ししか身体は動かず、再び同じ様に体制が戻ってしまった。



暫くするとスイが戻って来た。

少年は自分の事を話そうとするや否や、スイは相変わらずの冷たい手で、少年の顔を撫でて

体温を確認し、濡れた布を額の上に置いた。

スイは既に、少年の異変に気付いていた。

自分の着物の袖の一部を破り、川に行きそれを濡らして来ていた。

少年は自分の情けない姿を謝ろうとすると、彼女は仰向けになっている少年の首の後ろに手を回し

体制を優しく起こして、葉を粉末した様な粉を、細い手でゆっくりと注いだ。

それはとても苦く、飲み込むのが大変だった。

恐らく、山の中の薬草の類いなのだろうと少年は必死に飲み込んだ。


その後、スイはずっと少年の隣に寄り添い、額の布を取っては水で濡らし

少年に薬の様な物を飲ませた。




少年は魘されていた。

先程の夢とはかけ離れた、重苦しい夢を何度も見ていた。

そんな中も、スイが隣で自分の世話をしてくれているのを時より感じていた。




どれほど時間が経ったのか、少年は分からなかった。

薄らと自分が揺れている感覚を悟った。


朦朧とする記憶の中、少年は誰か否「何か」に背負われている事が分かった。

揺れている感覚を覚えつつも、長く柔らかい毛と心地の良い暖かさの上で特別な優越感を感じていた。

それは、四本脚の動物の背中の上に居る気がした。




有り得ない感覚から、少年はこれもきっと夢だと思った。



少年は再び揺れに気が付いて眼を開けた。



すると驚く事に、自分を背負ってスイが歩いていた。

あれだけ細く、軽いスイにそんな力がある事にも驚いたが

背負われている自分が恥ずかしく、申し訳なかった。


少年は、あり得ない現実とやり場の無い羞恥心から、悪夢だと言い聞かせていた。

情け無い自分の姿を晒しているこんな夢は、早く終わってほしいと思っていた。

しかし、少年はその後も揺れを感じていた。

朦朧とする意識の中でも、時より自分の身体の揺れと、スイの温もりを感じていた。


そして、そんな状況の中で分かる事があった。


スイは「歩く」では無く「走って」いた。

否、まるで飛んでいるかの様だった。


地面を跳ねるかの如く、スイの軽やかな身のこなしを彼女の背中で感じていた。

そしてその、走っている両脇には光の点が連なって居る様に見えた。

スイは自分を背負い、狐火に誘導されながら、山を迅速に降りている気がしていた。

少年は衰退し、もはや申し訳無さや恥ずかしさと言う概念は無くなり、スイに自分の全てを委ねるしか

無かった。




少年が次に眼を開けると、近くに小さな川が流れる音がする辺りで横になっていた。

相変わらず霧雨が降っていたが、空は若干明るかった。


大分身体が軽くなった気がした。

少し顔を上げて周りを確認すると、初日に一夜を過ごした場所にも似ていたが、そこは違う場所だった。

靄はまだ辺りを幻想的な風景に染めていた。

そして、先程の悪夢が現実だった事に気付き、スイへの驚きを再確認した後は

申し訳なさで一杯だった。



スイが戻って来ると、食料を取って来てくれていた。

何とか起き上がり、スイにお礼を言って食料の少しを食べた。

まだ身体は思う様に動かなかったが、回復した少年にスイは喜んでいた。


ふと、周りを見ると無数の狐がこちらを見ている事が、靄掛かる中でも分かった。

霧雨は優しく降り続き、辺りは相変わらず幻想的な風景だった。



やがて、辺りは暗くなった。

流れる星は見えなかった。

少年は大分話も出来る様になり、明日には自分の足で帰れるだろうと言った。

スイも安心していた。



少年は夢に魘される中で、死も覚悟していた。

人が踏み入れては行けない山に入り、狐火を潜り、更には頂で無数の流れ星を浴びて

きっと自分は人間が入り込めない世界を覗き、開けてはいけない禁断の箱を開けてしまったと思っていた。

そんな恐怖や苦しみの中も、スイがずっと看病をしてくれた事も幸せだった。

今日迄の事を、スイに何度もお礼を言った。



暫くして、少年は再び横になろうと身体を崩した刹那

再び遠くに、無数の灯りが灯っているのが分かった。

その灯りは徐々に大きくなり、少年達に近づいて来ていた。






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