第8話 映画獣? クラファン詐欺?
それはごく自然に出た質問だったので、井ノ口も自然に答えていた。
「牧田くんという佐山氏の義息子さんに一報もらったのですよ。彼も私家本校正の時にはよくここに来ていましたしね」
「ああ、彼ですか。前にここでアルバイトもしていたとか?」
「そうなんです。彼はまだ大学生でしたが、仕事もとても熱心で、映画もよく観ていました。そんな彼だから佐山さんともここで知り合って意気投合したんですよ」
少し口が軽くなってきた井ノ口が当時を思い出すように目を細めている。井ノ口の方が牧田より年上かと思うが、青春時代の思い出とリンクするところがあるのかもしれない。
「佐山さんとだとずいぶん歳が離れていますが、映画という共通項があるから親しくなったと?」
「そうだと思いますよ。あんまり映画ファンって年齢のこととか気にしないんです。面白い映画が観たいっていう情熱で、結構なお歳の方でも夜行バスに乗って来る人もいますし、祖父と孫くらいの年齢差でも西部劇が好きってことで友達になる人だって。そういうのは何人も見ています。
『映画獣』と呼ばれる人々は別ですけど」
たしかに映画の話なら、好みの違いがあっても年齢性差関係なく話は出来るかもしれない。私にそこまで年上の方の友人はいないが、そんなこともありそうだと、うんうんと頷いて聞いていた。
「『映画獣』とは何です?」
「ああ、我々の中での隠語です。年間1000本以上観る人のことを、隠れてそう呼んでます。それだけ観ているとまともな人間らしい生活が出来なくなるので、もうケモノだね、と。まあシネフィル――映画狂の一種ですかね。眼精疲労対策の頭痛薬を噛み砕きながら、中には本数を重ねることだけに情熱を注ぐ人もいるのですよ。人が観たことのない作品を自分だけが知っていると悦に入る人なんかもね」
私は学生時代、多くても年間700本くらいだったので、まだ人間だっただろうか。なかなかの駄目人間っぷりだったかもしれないが、そういう人は半獣と呼ばれていたらしい。シネフィルの世界は恐ろしい。
「そうでしたか! いやあ面白いものですね。井ノ口さんは佐山さん牧田さんともに親しい関係を築いていらっしゃったと。仕事で出会う人に信頼を寄せられるとは流石なものですね。
それでしたらもしご存知なら教えてほしいのですが、佐山さんが他に親しくしていた方ってご存知ないですか? 比江島さんの方でもいいですが、もしかして他の映画コレクターさん達は二人と親しかったでしょうかね?」
ここでようやく確信めいた質問が出た。
「うーん。比江島さんはよくここにも作品を観に来られる古書店の店主さんと親しくされていたように思いますよ。あと、他のコレクターさんは、上映会場ではよく挨拶を交わしているようでしたが、その後食事に行くほど親しかったのかまでは分りませんね」
「充分なお話をありがとうございます。あと、もう一つ。その古書店さんって何ていうところですか?」
「映画関連専門のヨシイ古書店さんです」
◇ ◇ ◇
「すみませんね、ずっと案内して頂いて。あとは上映会場の方ですね」
「はい。それと映写室ですかね」
私達は二階の上映会場に移動した。ここは約300名が収容出来る座席数があり、縦にも横にも大きいと驚かれる大型のスクリーンが据えられている。映画によっては縦横比――画面アスペクト比が違うものも上映することになるためだ。
例えばシネスコ――シネマスコープサイズというのをよく聞くと思うが、それは通常の画面アスペクト比であるスタンダードサイズと比べて2倍近く横長のサイズのものを言う。昔のアナログテレビがスタンダードサイズ、デジタルハイビジョンのテレビのサイズはその後に出来たビスタビジョンサイズといえば分かりやすいだろうか。
それなのでテレビでシネスコ映画を観ると、ワイドサイズに変更して上下に黒枠が入って小さく収まることになる。テレビ放送局によっては左右を切られて放送されてしまう。
その他にも映画会社によって細かなサイズ設定で作品が作られていたので、当館では70ミリの大画面映画でも観られるようになっている。その代わりブローアップされていない8ミリや16ミリフィルムでの映画上映にはこのスクリーンは大きすぎるため、そういう作品の時は地下の小ホールで上映することもあるが、こちらは通常は閉じていて、研究者の特別観覧の時などに使用している。
「今日の上映はちょうど一回目が終わったところですので、話を聞きに行ってみましょう」
エレベーターで二階に降りると、もぎりのお姉さん達がチケットの半券を数え、入場者のカウントをしている。会場の方では守衛さんが座席のチェックやトイレに人が残っていないか、忘れ物の確認などを行っている。
「すみませんお疲れ様です。資料課なんですけど、館内でトラブルが起きていたというクレームが入りまして、ここ最近で何かなかったか聞いて回ってるんですけど」
辻堂を刑事と言ってしまうと事件のことと関連付けられてしまうので、私は前にやったことがあるようなクレームをでっち上げて適当に質問をしていくことにした。
辻堂刑事は心得たように笑顔でメモを持っている。
「お疲れ様です。ええと今日は特にないですよ。守衛さん呼びに行くようなことはなかったですよね?」
お姉さん方で確認をし合ってくれている。そうすると、守衛さんの一人が「ああ、それなら」と声をかけてくれる。
「今日は何もないけど、申し送りをしている業務日報があるから、そっちで確認してみてくれる? お客さんトラブルとかは結構な率で同じ人が繰り返すから、見た目の特徴とかも書いてあるから。控室で読んでいいよ」
「ありがとうございます! もし他に何かあったら内線で資料課に一報入れて下さいね」
「りょーかい」
映写室に向かって移動している時に、辻堂刑事は堪えられないといった風にくくくと笑い出した。
「日比野さんは聞き込みに向いてるんじゃない? 8階であんまりだったから趣向を変えたんでしょう?」
「聞き込みなんて出来ませんけど、何となく変えてみたんです。お客様トラブルでのクレーム電話は、時々総務の電話が塞がっている時に取ることがあるので、その時の感じを使ってみようかなと。あと図書室でも利用者トラブルに困って応援呼ばれることもありますし」
「まだ若いのに色々なことしてるんだねえ」
「いや、そんなこともないですけどね。では後で控室にお邪魔させてもらうことにして、まずは映写室に行きましょう」
◇ ◇ ◇
映写室は上映会場の少し上、中二階といえる場所にある。ここの会場はスクリーンが大きく、座席も傾斜をつけているため、会場の天井も二階ぶち抜きになっている。大きな映写機の横で、二人の映写技師が今上映したフィルムを巻き戻しつつ、次の回で流すフィルムの切れや音飛びなどを確認している。
「馬場さん、原さんお疲れ様です。ちょっと聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「おー、お疲れ様。さっき終わったばかりだからいいよ。何かあったの?」
二人とも長く勤める男性だが、仕事柄常に映写室か地下のフィルム収蔵庫に籠もり、あまり他の人と話すことがないからなのか、たまにこうして他の人間が来ると珍しくて饒舌になる面白いおじさん達だ。
「ええ。実は当館によく来ているお客さん同士でトラブルがあったらしくて。でも私は事務室から出ないんで実際どんなトラブルがあったか分からないんです。西村課長に誰か話知ってる人がいたら聞いてきてって言われまして」
「そうなんだ? この人は?」
後ろでじっとしている辻堂刑事を見て聞いてくるが、私はしれっと嘘をついた。
「この人は辻堂さん。他館から研修に来たんですけど、こういうことも見えておけって······課長が」
「まあ映画ファン同士のトラブルなんて日常茶飯事だけどね。どんな件なの?」
「映画コレクターさん達の揉め事とかそういう系なんです。何かご存知だったりしますか?」
「あの有名な五人のこと? あ、あの女のコレクターさんいるじゃない、八頭さんだっけ? あの人さあ、比江島さんと付き合ってるよね」
「······えっ?」
先日殺された比江島氏の恋人? 映画コレクターの八頭さんが?
予想外の話で驚いていると、映写技師達はいたずらが成功したような笑顔でくすくす笑いながら教えてくれた。
「隠してるのかなぁ。でも彼らっていつもほとんど決まったところに座るのよ。佐山さんはセンターの前の方、それで比江島さんは左の後ろの方。八頭さんは前まで右端の真ん中ら辺だったんだけど。ここ数ヶ月前からかな、比江島さんの隣に座ることが多いよ。なんか肩寄せたりしてるし。後ろの方の席だと映写の光でちょっと見えちゃったりするんだよね」
「何度か見てるから、そうなんじゃないかなあって。でも二人が結婚している人なのかも知らないし、フリーなら別に止めるものでもないしね」
その辺りは私も分からない。というか個人的に八頭さんは苦手な部類の女性なので彼女の話を積極的に入れてこなかったのだ。映画コレクターということも知らなかったくらいなので、単純に情報不足なのかもしれないが。
「そうなんですか。じゃあ私が後ろの方に座ってる時ってお二人に見られてることもあるんですね。泣いたり鼻かんだりすることもあるのに······」
「まあ仕方ないよね。でも日比野さんが定時で上がって急いで観に来たなあ、くらいしか思ってないから平気だよ。
時々映画を盗撮しようとする人がいるからさ、こうしてたまに下を覗いちゃうのは許して!」
チャーミングなおじさん二人は、手を合わせたごめんねポーズを揃って向けてきた。
「収穫あったねえ。日比野さん、すごいですよ。案内役にしてくれた西村課長にお礼を言わないと」
「いやいや、たまたまだと思いますけどね。
最後に守衛さん達の控室にお邪魔しますか?」
「お願いできますか?」
◇ ◇ ◇
すでに話が通っていたようで、通用口で守衛さんに挨拶をすると、私達はすぐに控室に入れてもらえた。
「ここですか。じゃあ日報を拝見してみましょう」
ここには流石に入ったことはなかったが、さほど広くない休憩スペースだ。それでも流しとレンジと冷蔵庫など、簡易的に休むのには十分なのかもしれない。奥にはロッカーがあるのかな?
辻堂刑事は控室の内装には目もくれず、さっさと椅子に座って日報のページをめくっていく。私もその前の日報を見ていくことにした。
業務日報は大体の日が通常の申し送りだ。入館者数と、拾得物の有無、特別上映が始まったとか、映画監督の来訪があったので応接室に誘導したとか。
代わり映えのしない内容に飛ばし読みをしていると、ふと長文の報告の後にさらに紙が足されているページがあった。
そこにはお客様同士の金銭トラブルというか悪質な詐欺が起きているという件だった。
とある高名な映画監督が闘病の末に亡くなった。その監督を偲び当館で監督の追悼上映を行った際に、わざわざお孫さんが来館して下さったので上映前に挨拶をしていただいた。だが問題はその後に起きた。お孫さんに付いてきた自称プロデューサーがクラウドファンディングの案内チラシを勝手に配布し、監督の未完成の遺作を完成させてほしいと観客に頼んで回ったのだ。
その監督は、闘病のために体力に自信がなかったので自主映画の形で最期に一本撮ろうとしていた。だが志半ばで中途になってしまったその作品を、監督のお孫さんが遺志を継いで完成させようと動いている。だが、なにぶん監督の医療費がかさんでお金が心許ない。映画ファンの皆様のお力添えを、ということで何名かの観客が協力したらしい。
しかし、その件にお孫さんは何も関わっていなかったようなのだ。挨拶をされた後は事務室にお立ち寄りになり、監督の思い出話をしてお帰りになっただけで、未完成の遺作だとか映画を作る予定だとかもおっしゃっていなかった。
もちろんお金は集められたが実際には映画など作られなかった。
トラブルの後でお孫さんに伺ってみると、その自称プロデューサーはただずっと近くに居ただけの無関係の人だったらしく、熱心な祖父のファンなのだと思ったから無下にしなかったと。
ただ自主映画で監督が最期に映画を撮ろうとしていたのは事実らしく、病室で見舞客に『退院したら撮る作品のシナリオを書いている』と話していたのだという。
それを鑑みると内情をある程度知っている関係者なのかと勘繰りたくもなるが、お孫さんは悲痛な表情で被害に遭われた方は訴えを起こして下さいとおっしゃっているようだ。
その金銭トラブルの元のチラシが、当館内で配布されたものだというので、当館の管理責任はどうなっているんだと会場で怒る人が何人か現れたと。
幸いにというべきか、実際には多くの方はサイトまでは見たけれど、クラウドファンディングのリターン――御礼品がショボかったというか旨味があまりないものだったし、何となく怪しいなと思われたようで被害に遭う人はそこまで多くはなかったようだ。
「辻堂さん、これ······」
「ああ、こっちにもいくつかあるね。ここの館としてはロビーで公然と行われた詐欺で、直接館に責任はないが、顧問弁護士に相談して名誉毀損で訴える準備はしているけれど、犯人が雲隠れしているのでどうにもならない、ということらしいね」
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