第16話 八頭家に起きたトラブル

 比江島氏のマンション訪問から数日。思ったより早くに八頭家に行くことになった。


 比江島和志氏も同伴し、伺ったのは彼女が暮らしていた邸ではなくご実家の方。八頭女史の邸からさほど離れていない場所だが邸の広さが桁違いだ。この高級住宅地にこんなに広い敷地を有しているなんて本当にお嬢様だったんだなと改めて思ってしまった。


 使用人の方に中へ通していただくと、明るくモダンな応接室では八頭女史のご両親とお兄様が揃っていた。


「この度は誠にご愁傷様でございます。私どもは······」


 と西村課長が口上を述べようとしたところ、


「だから、そんな訳はないんだ!」


 バン、とテーブルを叩いてお父様が怒鳴った。


「あり得ない、あの子は面食いだぞ! そんな訳あるもんか!」

「分かってますよ。あいつら、うちを嵌めようとしてるってことでしょう。全く舐め腐りやがって」


 お父様の激昂にあわせるようにお兄様が舌打ちをして応じる。何やら家族間で揉めているようだ。


「あの、お客様ですけど······」


 使用人さんが一際通る声を出してくれ、ようやく私達はご家族と挨拶をすることが出来た。





「いや、申し訳ない。つい腹が立ってしまって······」


 頭を掻くこの人は八頭龍司。八頭女史のお父様だ。大きな瞳を持ち、恰幅のいいお腹がいかにも美味しいものを作り出し、またその中に収めてきたのだろうと思わせる。説得力のあるお腹が不思議と格好良く見える。


「こちらは家内の景子。それとこっちは息子の龍正です」


 ふくよかだが優しげで美しいお母様と、隙のない端正な顔つきのお兄様。その華やかな目鼻立ちが八頭女史にとてもよく似ている。


「我々は国立映画資料館の西村と日比野です。早苗様には以前よりよくご来館いただいておりました。こちらは早苗様と同じ映画コレクターであった比江島直哉氏の弟さんの和志氏です」


 西村課長の挨拶にあわせて私も頭を下げる。


「ご心痛のところお邪魔して恐縮です。ところでどうなさいましたか? お差し支えなければ······」


 和志氏が水を向けると、お母様が間延びした声で答えた。


「聞いて下さる? 娘がね、結婚したって言うのよ。すごい不細工と!」

「······はい?」


 驚いて続きを伺うと、あの日八頭女史が結婚したことになっているのだという。

 あの、川真田猛と。


 亡くなったあの日。川真田氏と門木氏を呼び寄せたのは、川真田氏と婚姻届を出すためで、門木氏は立会人として来たのだという。

 八頭女史がサインをした後、本当は一緒に出しに行くつもりが急な来客があったために、川真田氏と門木氏で夜間の役所へ出しに行ったそうだ。

 役所にはその記録がある。不備はないので受理されていると彼らは主張。それも川真田氏が八頭家に婿入りして、あの邸で暮らす事になっていたと言って押し入ろうとしていると。彼女はあの邸で亡くなったばかりなのに。


「変な話だが、うちの娘は男運はちょっとアレだが審美眼はあったのだ」

「要するにイケメン好きってことね」

「だから、あんなにだらしなく太っていて綺麗さの欠片もない男に惚れるわけはないのだ。若い頃から国内外の美形スターを間近で見続けて来た娘だぞ。

 そちらの比江島直哉さんの写真も見せてもらったことがあるが、格好良い人だった。亡くなる直前まで別れたなどと聞いていないし、仮に別れたとしてもあんな不細工とすぐに付き合うわけがない!」


 ふん、と鼻を鳴らしてお父様は言い切った。和志氏は呆気にとられていたが、自身の兄が褒められて一瞬嬉しそうな表彰を浮かべた。


「そうです。妹は奔放なところもありましたが、いつまでも若い娘のように初なやつでした。意外と過去を引きずる面もあったので、付き合った人数もそんなに多くないのです。······あいつは何でも話してしまう奴なので、我々は妹の恋の移り変わりもある程度知っています。比江島さんとは結婚までには至りませんでしたが、大人同士良いお付き合いだったのではないかと勝手に思っておりました」


 お兄様の言葉に、ついといった感じで和志氏も口を挟んだ。


「兄は······、今日ここに伺ったのは、兄の遺言状に自身の集めた映画コレクションは八頭早苗さんに譲りたいと書いていたからなのです」

「そうでしたか。お気持ちは大変嬉しく思います。では良かったら形見を交換しませんか。······もう当人はいないのです。比江島さんの思い出の品を娘の墓に入れてやることで終いにしたいと思います」

「はい······、はい分かりました」


 和志氏はそれっきり押し黙ってしまった。胸が一杯になってしまったのだろう。


「八頭さん。こちらの日比野さんが最後に娘さんと食事をされた方です」


 話が途切れたところで辻堂刑事が話の舵取りを始めたので、私は慌てて皆さんにご挨拶をする。


「初めまして。今まで親しいお付き合いをしていたわけではないのですが、あの日お誘いいただいて早苗さんのご自宅で食事をご一緒しました」

「そうでしたか。あなたが······。可愛らしい人とでよかったわ。きっと華やかな食事会になったのでしょうね。

 すみません、こんなお若い方に思い出させるのも酷だと思うけれど、何でもいいので当日のことを教えて下さらないかしら? あの男との結婚の話なんて出ていませんよね?」


 悲しみをぐっと堪えたお母様が、私が話しやすいように場を和らげてくれる。


「はい。というより、彼らは突然来た様子でした。その前に早苗さんと比江島さんが前に用意していたというワインをいただきましたが、ほとんど一本丸々を早苗さんが空けましたし。何よりゆったりとした部屋着に途中で着替えたんです。あの服で役所に行こうとしていたとは思えません」

「日比野さん、よく思い出してくれたわ。着道楽のあの子が記念日に部屋着で行くなんてあり得ないわ。他にはないかしら?」

「······それに『来ちゃったものはしょうがない。女子会してるんだから招かれざる客のあなた達は早く帰って』とも」


 そうだ、たしかにそう言っていた。その日に結婚する約束をしていた男に言う冗談とも思えない。


「私は比江島さんとはお話したことがないので何とも言えませんが、少なくとも早苗さんは比江島さんを愛していたのだと思います。あの日、そう言って泣いていましたから」




     ◇     ◇     ◇




 私の証言もあって、八頭女史のご家族は川真田氏に対して、まずは婚姻届書受理証明書を持って来いと言っているらしい。当人の意思で結婚に同意した訳がないと踏んでいるのだ。それなのに川真田氏は、彼女の遺品は何も売るなと今から偉そうに命令して来るんだとか。「これからが見ものね」とお母様が高笑いをし、お父様とお兄様は弁護士に全面的に戦う準備をと指示するそうだ。


 八頭女史は離婚して旧姓に戻る際に、分籍しており、新戸籍になっている。だから八頭女史の戸籍謄本を見ても離婚歴は記載されていないが、実際には離婚歴がある。若い頃の短期間の結婚だったため、世間的には彼女が結婚していたことをほとんどの人は知らない。ならば絶対に彼らの偽造した婚姻届には離婚歴なしになっているはずだ。

 マイナカードを盗み出してコンビニで戸籍謄本を印刷し、夜間の役所に出したのかもしれないが、近いうちに戸籍課から受理できない旨連絡が来るだろう。


 気になるのは、比江島氏が用意していたあのワインのことだ。サイレースは比江島氏が入れたのか、他の誰かが入れたのかはまだ分からない。比江島氏が何かを危惧して、もしも危ない相手が来たら、これを飲ませろと言うつもりでサイレース入りのものを用意していたのだったら、「何かあった時に開けよう」はそういう意味だったのかもしれない。

 八頭女史はお兄様が言うように素直ですぐ顔に出るタイプだったようだから、詳しく言わずにいたことが仇になったのかなと思うが、亡くなった人が何を考えて用意したのかを突き止めるのは警察の仕事だろう。


 それから、ご家族のご厚意でまた日を改めて八頭女史のあの邸に入れていただけることになった。あの祭壇は八頭女史がアメリカから輸入したのは間違いないそうで、額がすごかったのでその時の売買契約書も会社の金庫にあるかもしれないとのこと。弁護士と税理士にも確認してくれるらしい。

 曰く付きとなってしまった『夜を殺めた姉妹』の祭壇も、諸々解決したら寄贈してもいいと言ってくれた。神妙な顔で西村課長が聞いていたけど、どうするつもりなのだろう。

 まずは比江島氏、八頭女史ともども、早く犯人が捕まって事件が解決してほしい。そうでないとご遺族のお気持ちはいつまでも晴れないだろう。


 




「皆、ちょっといいかい? 映画普及課に頼んで『夜を殺めた姉妹』の特観を行うよ。館長が許可してくれたから、終業後だけど時間のある人は観ようか」


 西村課長の号令で通常上映のない今日、大ホールの方で『夜を殺めた姉妹』の特観――特別観覧を行うことになった。特別観覧とは研究機関に所属している方の申請に限り、当館に所蔵している作品を学術的乃至は研究目的のために特別に上映することを指している。閉架式図書資料の閲覧申請と要は同じなのだが、フィルムの上映には収蔵庫からの持ち出しに際し数日かけての温度調整から運搬と、色々な手順が必要なので、たとえ館内の人間であっても観たいから程度ではそう安々と受け入れてくれないのだ。


 今回はこの映画が事件に大きな意味があるかもしれないということで、辻堂刑事も観覧を希望していたので、課長はそのおこぼれで我々も便乗させてもらおうと思ったのだそう。


「日比野ちゃんは時間平気そう?」

「······はい、観るつもりてす」

「この頃何かおかしくない? 俺変なことした?」

「いえそんな」

「ちぇー。もうちょっと前もって言ってくれたら母にお迎え頼んだのになあ」


 池上との会話にギクシャクしているところに、山森が割り込んで来て空気を変えてくれた。


「ねえ、けいちゃん。あの、今日ってさ······」


 今度は山森が躊躇うように何かを言いかける。「どうしましたか?」と返そうとした時に、西村課長の言葉が続く。


「それから。今日は辻堂刑事と、八頭家、それから比江島和志氏、······佐山家も来るらしい。タイミングがいいのか悪いのか、佐山氏の弁護士から館長に話があったようなんだよね。だから正直何が起こるか分からないけど、よろしく」


 最後は少し課長の目が泳いでいた気がするけれど、私にもその三家が集まったところが想像出来ないし、何より『夜を殺めた姉妹』を観ることで動くものがあればいい。そう思っていた。

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