第17話 『夜を殺めた姉妹』特別観覧
「山森さん、すみません。今言いかけていたこと······」
「あ、えっと、そうそう。良かったらさ、明日外でランチしない?」
「いいですね。暑さも和らいで来たし、外に出る気になりますね」
「本当? じゃあそうしようよ。今日は映画観られないからさ、後で話教えてね」
「承知です。お店あんまり分からないんで決めてもらっていいですか?」
「うんうん、もちろん。明日弁当なしねー」
「はい明日ー。お疲れ様です」
いそいそと帰宅して行く山森を見送ると、今度は尾崎係長に声をかけられた。
「日比野さん、悪い! 今日の特観用にペットボトルのお茶を20本買って来てくれない? 冷えてるやつね」
「あ、はい。全部同じのでいいですか?」
「10本は先方に出すから必ず同じの。他は足りなければ適当でいいよ」
「分かりました。今から行って来ます」
「一人じゃ重たいから誰か連れてって」
「あ、えと」
こういう時、いつも付き合ってくれるのは歳も近い池上だ。だけどこの頃どうも考え過ぎてしまって、気安く声をかけにくい。どうしようかと思っていると、ちょうど本を抱えて戻って来た田代主任と目が合った。
「日比野ちゃ······」
「あの、田代主任。すみませんが、そこのコンビニまでご一緒してもらえませんか? 特観用にドリンク買うんですけど持てそうもないので」
「へ? ああ、いいけど。······今から行くの?」
「長めに冷やしたいので、お願いします」
どこかの映画祭でもらった館のお使い用トートバッグを二つ用意して戻ると、何故か大笑いをしている田代主任の横を池上が大股で去っていった。
閉館後。守衛さんに確認をお願いしておいた方々が大ホールに参集したとのことで、私達もお客様と館長のお話を邪魔しないように目礼だけして席に着いた。館内向け特観なので、資料課以外の人もちらほら来ているようだ。『神の位置』を見上げると、映写技師のおじさん達が嬉しそうに手を振って来る。お客様にバレますよ。
「これから1936年に公開された冨樫甲児監督の『夜を殺めた姉妹』を上映いたします。この作品は同監督の『黄昏を纏いし姉妹』の続編と言われておりますが、その様相はまるで違うものです。『黄昏』では裕福な家に生まれた姉妹の柔らかな日々に迫りくる斜陽、そして世の荒波に立ち向かおうとする姿を描き、続く『夜』では結局荒波に飲まれてしまう姉妹が、ふとした事で怒りを知り、その怒りが様々な感情を芽生えさせていく······。いや、話し過ぎるのはやめておきましょう。
『映画はどのように見ても感じても自由なものです』。――それでは始めさせていただきます」
田代主任の口上終わりにあわせて緩やかにホールが消灯し、カタカタと映写機が動き出す。
スクリーンに白い光が灯り、その中にモノクロのタイトルが映し出される。カルト映画と呼ばれた『夜を殺めた姉妹』が始まった。
◇ ◇ ◇
階段で一足先に戻ってきた私は、会議室の明かりをつけ、軽くテーブルを拭いてからグラスと冷やしておいたドリンクを置いていく。そして各席には沢本清彦著『わが映画美術理論』別冊から、本作のことが書かれた箇所を抜き出したコピーを配布した。
ふう、と一息つくとエレベーターの開く音がしたので、さり気なく会議室の前に立ち、本日のお客様方を誘導していく。
佐山家の由紀子夫人、美千代さん、華子さん、牧田氏、江藤弁護士。比江島和志氏。八頭家の龍司氏、景子夫人、龍正氏。それから東原警察署の辻堂刑事。この10名をなるべく上座側に迎え、館長と西村課長、尾崎係長、田代主任は反対側に着席。陪席に館長秘書と池上、私が座った。
「本日は観覧のご調整ありがとうございました。いやあ前作も観ていないので何と言ったらいいのか······ですが、なかなか興味深く拝見いたしました」
「捜査の足がかりとなりましたでしょうかな、辻堂刑事」
「ご遺族の前で申し上げるのも恐縮ですが、八頭早苗さんの部屋にあったあの祭壇は、やはりこの映画のものと同じですね?」
にこやかに感想を言い合うだけでは終わらないだろうとは思っていたが、初っ端からもう事件の方に引っ張られてしまった。
「ええ。刑事さんのおっしゃるように、妹の部屋のものと違わぬものに見えました。そして西村課長方がいらした後に確認をしたのですが、やはり1989年にアメリカのビリーズ美術館と売買契約を結びまして、沢本清彦氏が譲渡した冨樫甲児監督関連美術品を当家が購入しております」
八頭龍正氏が手持ちのファイルに目を通しながらすぐに応じる。
「1989年。日本はバブル崩壊前ですな。アメリカはまだ登り調子だったはずですが、何故そのような売買が成立したのでしょう? いやなに、一個人として取りまとめるのは大変だったのではと思いましたもので」
館長が穏やかにではあるが、鋭い質問を重ねて行く。暗に『何故当館を通さずに?』との不満が感じられる。それに気付く風も見せずに飄々とした調子で父・八頭龍司氏が話を続ける。
「ええ。でも切っ掛けはひょんな事からだったのですよ。ビリーズ美術館のすぐ近くにある地域にハリケーンが来た、というね。
当時はまだ日本は好景気で浮かれていまして、当家も海外出店を目論んで市場調査をしていたのですが、その際に知り合った方からビリーズが自国の収蔵品だけに縮小しようとしているという噂を聞きまして。要はハリケーンで収蔵庫が一部損壊し、やむなく優先順位の低いものから移譲しようと」
「······そんな話は伺ったことがなかったですね」
「そうでしたか? とにかくその時のビリーズの館長は自国の文化財を守ることを第一に考えた。沢本さんが売却した時のビリーズ館長は日本贔屓だった。しかし80年代後半時は違った。とにかく当家はそのように聞きまして。
当家も映画業界の皆様にお世話になっている身、冨樫監督ゆかりの作品がバラバラに散逸するなんてあってはならない、とこのように娘が言いますもんですから、冨樫関連品を全てまとめてお譲りいただけるなら、という条件付きで手元に来たというわけなんです」
龍司氏が一度言葉を切ってお茶を口に運ぶ。それを見て西村課長が鷹揚に頷いて、八頭家の売買契約書に目を通す。まだ他の家の方は話の流れに困惑しているのか何も口を挟まない。
「こちらの売買契約書に拠りますと、沢本が用意した冨樫ゆかりの品は全部で11点ありましたよね? それら全てを現在もお持ちということですか?」
「いいえ。もちろん売買契約書にはその全てを購入したと記録がありますし、その点は事実です。ただ、その後に仲介者へ一部が渡ったと妹から聞いております」
「ゆかりの品の中には冨樫甲児のデスマスクも含まれていたかと思いますが、それは?」
「それは、当家よりも······あちら様がよくご存知のことではないのですか?」
龍正氏が急に佐山家の方に水を向ける。佐山家の女性陣は全く分かっていなさそうだが、江藤弁護士と牧田氏は心得ているようで、ご自身の持ち込まれた資料をめくりながら江藤弁護士が手を挙げて発言を求めた。
「ええ。八頭家の皆様のおっしゃるように、本件は当職の依頼人であった佐山義之氏が望まれたことです」
「どういうことでしょうか?」
「当職の理解しているところでは、この映画資料11点は佐山義之氏が伝手をお持ちの八頭早苗様にご依頼をして、アメリカより買い付けていただいた。ただし本件は八頭早苗様の同意の元で行われたものであり、なんら強要したものではなく、互いの利益を鑑みた結果であるものだと······」
「つまり、娘を利用していいように使い、自分の名前は出さずに欲しいものだけ手に入れて、足がつかない形で転売でもしたということですか?」
冷たい龍司氏の回答に、突如として牧田氏が大声で捲し立てる。
「とんでもない! あなた方はあの冨樫と沢本の傑作映画の美術道具類にどれほどの価値があるかご存知ないのです! 本来であればあの祭壇も義父は望んだものでした。しかし当時の義父には収蔵する場所がなかった。それで諸々用意が整ったら譲っていただきたいということで話が付いていたはずですよ!」
牧田氏の話を聞いて、八頭家の方もいきり立つような姿勢を見せた。
「何を言う。散々利用し尽くしたくせに。
――所詮佐山氏は娘に気持ちなどなかったのでしょう? 娘のあの家だって佐山氏の意向がふんだんに盛り込まれた造りだと聞いています。和室の方が休まるからとか言って、あんな変な造りの家を建てさせたのでしょう? 祭壇を倒壊させないよう、天井にレールを付けて上から吊れるようにまでして! いいですか、うちの娘はその造りのせいで亡くなったんだぞ! 祭壇を引き取らせ、それ用の家まで造らされ、あげくに殺されただと? あんな祭壇があるから、こんな目に遭ったんじゃ······ないか······!」
激昂しながら話していた龍司氏の勢いが止まる。手で顔を覆って何も話さなくなった。景子夫人が夫を慰めている横で、龍正氏が吐き捨てるように佐山家側に告げる。
「真っ当な人間ならな、不倫相手の小娘にこんなことさせないさ。奥さんだって知ってたんでしょう? 弁護士さんも婿さんも庇うしかない立場でしょうけどね、うちの娘は素直だからすぐ人の影響を受けてしまう。······おおかた佐山氏の映画狂が移って娘の人生が狂ってしまったんだ!」
会議室内が静寂に包まれる。由紀子夫人も娘さん二人も口を噤んだままだ。
「ですから娘の物は佐山家には絶対に差し上げません。資料館さん、日比野さん、落ち着いたら娘のところへ遊びに来てください。そして当家も必要なものは資料館さんに差し上げますよ。祭壇は警察が許可を出したらすぐにでも」
ようやく落ち着きを取り戻したように見える龍司氏が、そう言ってまた沈黙に浸った。
しばらく後、淡々とした調子で辻堂刑事が話を向けた。
「牧田さん。佐山義之さんが八頭早苗さんから購入した冨樫資料にはビリーズ版デスマスクも含まれていたと思います。しかし今回資料館へなされた寄贈品の中にはないようです。データも故意に削除された形跡がありますが、一体どこにあるのでしょう。何かご存知ですか?」
「デスマスクはたしかにありました。見落としでは?」
憮然とした様子で答える牧田氏に西村課長が落ち着いて言い返す。
「それはありません。我々が一つずつ検品しながら梱包したのですから」
「······そうですか」
「それと当館と同じYAGIシステムでのデータベースが佐山家で使用されていました。こちらの件は?」
「······私がこの資料館に在籍していた頃、新しいデータベースシステムを稼働させるということで、YAGI社の方がよく見えられて、実際に入力をする我々学生にも色んな意見が求められました。
それをどこからか聞きつけた佐山氏に『卒業後、自分の秘書にならないか』と声をかけていただき、······その手を取った際にYAGI社の人を紹介するように、と」
「資料館の情報と引き換えに、お婿さんの地位と仕事を手に入れたのですか。それはそれは。義理とはいえさすが親子ですね」
相当な棘を含んで、比江島和志氏が佐山家の皆さんを睨みつけた。
「······失礼ですが、何をおっしゃるのです?」
さすがに腹に据えかねたのだろう。黙りこくってしまった牧田氏の横から美千代さんが詰問した。
「お久しぶりです。と言ってもお目にかかったのは幼い頃ですがね。あなたの従兄、従弟かな? 佐山義之氏の前妻・佐山真奈美の甥の比江島和志です。そちらでは叔母が狂い死にさせられただけかと思いきや、なんの因果が今度は兄がそちらの邸で殺されたそうで」
「比江島さん······真奈美さんの······」
由紀子夫人が目に見えて震え出し、また卒倒しそうなほど血の気が失せている。江藤弁護士が険しい顔つきで、こめかみを押さえた。
「皆さん、少し落ち着きましょう。一度休憩を挟みますか?」
結局、話し合いが出来るような状態ではなくなってしまったため、辻堂刑事がまた個別にお話を伺うとして、こちらとしては何とも消化不良なところで終了となった。
江藤弁護士に至っては、大層怒って「近々改めますからお時間を!」と館長に語気荒く言いおいてお帰りになった。
思わず誰もがため息をつきたくなるような疲れる時間だったためか、珍しく優しい館長秘書さんが、「グラス洗っておくから帰っていいよ」と言って飴までくれた。こういうときの糖分はありがたい。何となく辻堂刑事が甘いものを欲する気持ちが分かったような気がした。
帰りしなの電車中で、私は今日観た『夜を殺めた姉妹』のことを出来るだけ書き留めておこうと、スマートフォンを立ち上げていた。
なるべく時系列通りに、話していたこと、視えたものを正確に。
途中、池上からのLINE通知が見えたが、惑わされる前に書き終えてしまおうとしていたら、返事をしそびれてしまった。
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