第18話 待ち伏せ
「ねえ、それでどうだったの? 映画とか話し合いとかさ」
「ええとですね、映画の方はこれを読んでもらえますか? 話すより早いんで」
注文を済ませると、山森が待ちかねていたというように昨日の事を聞いてくる。
表通りから少し中に入ったところにあるカフェに入った私達は、いつもならランチが届くまでに他愛のない雑談をするところだが、山森は朝からこの件が聞きたかったのだという。
実は映画のあらすじを説明をするのは苦手だ。あれこそ脳の差が出てしまうというコンプレックスがある私は、用意しておいたメモを渡す。これは主観が入る感想や批評的な書き方ではなく、覚えている限りをプロット風に書いた『夜を殺めた姉妹』のストーリーだ。
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冨樫甲児監督作『夜を殺めた姉妹』
●精一杯の装いをした姉妹が、夜の街に向かう。姉は着物、妹はワンピース。とある郭に行くが、「痩せぎすじゃ話にならん。だがよい相手を紹介してやろう」と成り上がりの女衒に二人まとめて売られそうになる。と、そこに郭の一番の姐さんが現れ、「こいつに付いて行くと死ぬよ」と耳打ちされ、隙を見て逃がしてもらう。途方に暮れた姉妹は、母の薬代のために髪を売ろうとした床屋で、「本当に困ったら信仰を捨ててそこに行けば食べさせてもらえる場所」として隠れキリシタンの住処を教わる。
●時が流れ、母の弔いを済ませた姉妹は、髪も短くして家も何もかも売り払っていた。姉美千代の婚約者だった男が「姉妹で妾になるか?」と嘲りに来るが、毅然と断る。妹華子は最後まで琴だけは手元に置きたいと駄々を捏ねたが、手に持てる荷物だけを抱えて家を後にする。そして、隠れキリシタンの潜伏先へ。下働きをしつつ、見知らぬ信仰には関わらないようにする姉妹を彼らは何も言わなかった。その事で姉妹の心は徐々に解れていく。
●ある日華子が買い出しに行った先で一人の男と知り合う。穏やかで優しい、中性的な美貌を持つ男。妹の荷物を落としてしまったお詫びに甘味をご馳走してくれたという。表向きは隠れキリシタンとは分からぬように共同生活をしているが、信仰の違いからか姉妹は常に疎外感を感じていた。それが元いた場所の空気を纏う男との出会いにより、華子は浮つくようになる。そんな中男が二人の演奏が見たいと手放したはずの琴と三味線を贈ってくれる。勧められるまま演奏し、喝采を受ける姉妹。礼を言うため姉妹が男を呼び止めようと後を追うと、男の前を塞ぐように男の父が現れて、見合いをするようにせっつくのを見る。嫌がる男だが、父と共に消えて行ったそこは、かつての姉妹の家だった。
●隠れキリシタンの一人が男の素性を調べた。あの男の父は姉妹の家の事業を意図的に潰したらしい。それがなければ両親も生きていたかもしれない。復讐に燃える姉妹に隠れキリシタンは言う。君達が幸福になる術を知っている。次の満月の夜に男を連れて来い。男を誘うために化粧を覚えさせると、姉妹はどちらも妖艶な女になった。優しいだけの男はそれでも姉妹の擦れた心を癒やす。会っていると笑い、離れると泣き、思い返すと怒る。感情を揺り動かされる姉妹は男を愛し始め、またそれに二人とも気付いた。男の向ける笑顔が愛かは分からない。どちらかの思いが成就してもどちらかの思いは潰える。終わりにしようと満月の夜に男を呼び出すと、礼拝堂はいつもと様相を変え、禍々しい心臓の文様が掘られた石や、逆さの十字架、怪しげな魔法陣に、気味の悪い供え物といった、おどろおどろしい祭壇を設えた邪教集団の黒ミサとなっていた。
●姉妹が勧めた酒で男は酩酊した。男を祭壇に上げ大鋏で男を二つに切り、大悪魔を呼び出そうとする邪教集団。殺すまでは望んでいないと儀式を止めようとする姉妹。満月の夜に瑞々しい心臓を捧げるとそれが黄金に輝き、大悪魔が伴侶を選びに来る。心臓はお前達のでもいいのだから予備として見ていろ、と高笑いする邪教徒。「大悪魔様、古の儀式に則り申し上げる。闇にあっても輝く伴侶を選び給え!!」。彼らに捕縛される前に、美千代は祭壇の炎に薬を入れる。母を苦しませずに送るために髪と引き換えに手に入れたものだ。もうもうと煙が立つ中、炎が強くなったと思ったらあちこちで悲鳴が起こる。祭壇を見ると悪魔となった男が邪教集団の体を切り刻み、黒い翼を靡かせて立っていた。
●「花嫁はどちらだ?」愛しい男の顔のままの悪魔は聞く。姉妹はそれぞれ相手を助けるために、「あなたの花嫁は自分ではない」と答える。悪魔は笑って二人を抱き寄せ、それぞれに口づける。すると二人の体が業火に焼かれ、続けて悪魔の口から吹き付ける風が止むと、そこには姉妹によく似た一人の女が現れる。「花嫁はお前だ。初めから決まっていたことだ」と言って悪魔は女を抱いて闇夜を飛んで行く。姉妹が合体して一人になったのか、別の人間なのか、あの男が悪魔になったのか、初めから悪魔だったのかは何も説明されない。夜空を飛びながら悪魔も女も笑っていた。
そこで映画は終わる。
――――――――――
メモを読み終えた山森が、何とも言えない顔で返して来る。
「観てないからっていうのもあるけど、難解。最後ってどういうこと?」
「カルト映画を舐めてました。私にもさっぱりです」
「そうかあ、冨樫ヤバいね。でもこの映画······よくアメリカで一度は受け入れられたね」
それは本当にそう思う。宗教の知識がないけれど、隠れキリシタンが邪教集団で、悪魔呼び出して皆殺しにされるとか、キリスト教のお国柄で文句が出なかったのだろうか?
それとも白岩監督を皮切りに国際的な映画賞をいくつか日本映画が獲ったことで、海外で日本映画ブームが起きた1950年代当時は、そういう事もあまり気にせず評価してくれていたのだろうか。
「セットとか映像とか、役者の演技も音楽もすごい良いんですよ。『黄昏』の方はどっちかと言うと終始ローアングル気味じゃないですか。『夜』は徐々に浮上していくような撮り方してたんですよね。髪を切ってカメラ位置が上がって、キリシタンのところに行って上がって、みたいな感じで。それで最後は月の夜空にカメラがパンするんですよ」
「そういう仕掛け? 女のしがらみを捨てる度に心が軽くなるみたいな?」
「あ、そう! そういう感じかもです」
「でもちょっと怖いね」
それぞれのランチが来たので、お喋りは一時中断して食事を楽しんだ。ここはパスタが本当に美味しいが、添えられてくるバケットと手作りバターがとにかく最高で、カリカリさと軽い口当たりのハーモニーがこっちをメインにしたくなるほど好みだ。
嬉しくてもぐもぐと食べていると、珍しく食が進まない風の山森がサラダをいじっている。
「あれ、どうしましたか?」
「うん。思ったより昨日ご飯食べ過ぎたかなぁって。ごめんね、残して」
お腹をさすりながら申し訳無さそうな表情を見せて山森はカトラリーを置いてしまった、食べるのを諦めてしまったらしい。
山森が手を付けなかったバケットをくれたので、ちょっと恥ずかしくなりながらも美味しく食べてしまった。アオリイカのパスタもすごく良かった。午後眠くならないように気をつけなければ。
「あの······さ、昨日の話し合いの方はどうだったの?」
「そうですね。ここでは少し言いにくいんですけど、三家が集まって······、実はけっこうお互いに色々あるおうちだったんですよ。合縁奇縁っていうか、悪縁っていうか」
「悪縁?」
「映画好きな人同士ですから、どうしてもよく劇場で会うでしょうし、なおかつコレクター同士ですから、より接触の機会が多かったんでしょうね」
「よく分からないけど」
「えと、この三家の中でも付き合ったり別れたりとか色々あったみたい、ってことです」
殺人だとか不倫だとか精神病だとかの話はここでは避ける。聞こえた人がギョッとしてしまう。
「ああ······。狭い世界だからそういう事もあるだろうね」
「みたいですよ」
「牧田さんは元気だった?」
「はい。そうだ、今回もお会い出来なくて残念でしたね。でも昨日の話し合いはギスギスしてたから、逆に良かったのかもしれないですよ。またいらっしゃるかもしれないですし」
「そ、そうなの? なんで?」
「あのデータベースのこととか、削除された所蔵目録のこととかも直接聞きたいですけど、どうも佐山氏の寄贈品が各日に少なくなってるっぽいんですよね。それを牧田さんはうちのチェック漏れだって指摘して来たんですけど、でも西村課長はそんな訳ないって怒っちゃって」
西村課長が怒るなんて珍しいので、少し怖かった。このところ席にもつかず立ちっぱなしで佐山氏の遺品整理に取り組んでいる私達を侮辱しているように思って反論してくれたんだろう。そんな私を見て、山森は心配そうにしている。
「無いものってそんなにあるの?」
「主にアメリカのピリーズ美術館にあった冨樫映画の関連品で、いくつか行方不明のものがあるんですって。89年に八頭女史が購入して日本に持ち帰ったんですけど、そのうちの何点かは佐山氏が譲り受けて。でも佐山氏のものは先日全部館に持ってきたはずなのに見当たらないそうですよ」
「ふーん······」
この辺は私達には何も分からないし何も出来ない。大きな音を立てて山森がオレンジジュースを飲み切り、こちらをチラリと見た。
「けいちゃん」
「分からないですよね。······そういえば『夜を殺めた姉妹』の準備稿って佐山氏の寄贈品の中にありました?」
「え? 私がチェックしてるとこにはないけど、それがそうなの?」
「どこかで準備稿があるって話を聞いた気がするんですけど······勘違いかもしれません。決定稿とどう違うのかなって観終わった後で気になって。うちにはないですよね?」
「ないんじゃないかな。ねえ、けいちゃん。じゃあ牧田さんは来るかもしれないんだ?」
「はい。佐山氏の弁護士さんも館長に話があるって言ってましたし、残りの二家ともまだ色々あるかもですね」
ふと時計を見ると、だいぶ時間が経っていた。慌てて会計を済ませて小走りで館に戻って、また佐山氏の寄贈品のチェックを続ける。
その後、山森はやはり体調が悪かったのか早退した。気を遣って早くに戻れば良かった。具合の悪い人の前で大喰いしてしまい、食い意地が張っているのは良くないなと思っていたら、再び事件が起こる。
◇ ◇ ◇
「『ひびの・けい』さん」
「あの······」
最寄り駅から家路に向かっているところで、太った男――川真田猛氏に呼び止められた。ここは繁華街でもない、東京郊外の各駅停車しか停まらない小さな私鉄駅だ。余程のことでもなければ知人になど出くわさない。今まで駅で見たことのない川真田氏がここに住んでいるのも考えにくい。大学沿線なので学生さんとファミリー層が主流の街なのだ。
わざわざ私に用があって来たのか? そう思うと身震いが起きた。
「これ以上あれこれ首突っ込むのは止めてもらえませんか?」
「あの、おっしゃる事が分かりませんが······」
「思いつきであれこれ話してかき回して、あなたは俺と八頭女史の婚姻にケチをつけているんだろう?」
「なに、を」
言ってるんですか、と続けようとしたら、川真田氏に腕を掴まれた。強めの力でギリッと痛みが走る。
「ちょっと話をした方がいいと思うんだ。こっちに来てくれるか?」
「いや、痛いです、やめてください!」
「そこに車が停めてある。それなら騒がず来てくれ」
「腕を離して下さい。痛いです、痛い!」
怖いのと痛いので涙目になって叫ぶと、周りを気にして川真田氏の拘束が少し緩んだ。
無我夢中で腕を振り払い、後ろを振り返らず走って逃げる。
「っ、おい待て!」
川真田氏が追いかけようとするが、走るのは苦手なのだろう。すぐに車に戻ったようで、車がこちらに向かって来る音がする。
車が侵入出来ないような狭い商店街に入り込み、周りをよく見ながら交番の方向に進もうとするが、怖くてなかなか動けない。スマートフォンを持ちながら、手近のコンビニに入って助けを呼んでもらおうかと思い立つと、「日比野ちゃん」と背後から声をかけられる。
「あの、どうしたの? 顔色が······」
「池上さんこそどうして······」
少し照れたように一瞬目を逸らしてから、また目が合う。
「ごめん! 気持ち悪いかなと思ったんだけど、最近話せないし、LINEの返事も来ないし、何か怒らせたんなら謝ろうと思って······」
「あ、返事······。ごめんなさい。えと、お一人ですか?」
「うん、そうだよ」
「そうですか······」
池上はどう話を進めようか決めかねているように見える。井ノ口の言葉が気になって避けてしまっていたからLINEも読んでいなかった。一瞬気が抜けるが、コンビニの前から動こうとすると、その先で川真田氏の巨体が見えた。
――池上さんは川真田氏とグルなの? やはり池上さんが門木氏なの?
「池上さん、ちょっと買うものあるんで、ここで待ってて下さい」
そう言いおいて、自分だけ店内に入った。ここのコンビニは反対側にも出入り口がある。気づかれないようそちらからひっそりと出てまた駆け出した。
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