第19話 雑草の中で眠る
家には帰れない。
池上はうちのコーポの場所を知っているのだ。
川真田氏の目的は、八頭家に対し自分に有利なことを言わせたいと思ったのか。あるいは別の何かがあるのか。
池上の方の目的は見えないが、彼が門木氏ならば同じなのかもしれない。あの時何かまずいものを私が見ているから口止めをしようとしているのだとしたら、殺されるかもしれない。
友達の家に泊めてもらおうかと思ったが、そこに行くまでに追いつかれたり、万が一友達に迷惑がかかったらどうしようと悩んでしまい、足が竦む。
家からは遠くに行かなければと自らを奮い立たせようとすると、近くで車のヘッドライトが光る。あの車が自分を拐おうとしている川真田氏の車かもしれない。池上がまだ追いかけて来ているかもしれない。捕まったらどんな目に遭うのだろう······。
悪い方向にばかり考えて止まらなくなり、どこに行ったらいいのか分からずに涙が出てくる。
ついに動けなくなった私は、『都有地』という看板の立つ空き地の茂みの中に身を潜めた。
◇ ◇ ◇
「日比野さん、日比野さん、起きて下さい」
肩を揺すられて、はっと目を覚ます。
私は空き地の伸び切った雑草に隠れている内に眠ってしまったらしい。図太さに顔を赤くすると、辻堂刑事が「緊張状態が続くと寝てしまうことがあるんですよ」と言ってくれた。
あの後。どこにも行かれないと思った私は、東原警察署の辻堂刑事に連絡した。理由は分からないが川真田氏が家の近くに来ていて無理やり車に乗せられそうになったと。
それで今は近くの空き地で雑草に埋もれている、と説明すると、笑ってすぐ迎えに行くからと力強く答えた辻堂刑事は、女性警官を伴って現れて私を保護してくれた。
「夕ごはん、まだですか? 何か食べますか?」
「まだですが、そんなに食欲が······」
「ああ、じゃあ辻堂のおやつボックスを持って来ますので、それでも摘んでみて下さい。あの人新作にも詳しいんで、美味しいの入ってますよ」
先程来てくれた優しい女性警官が、やけに大きな籠を持ってまた現れた。現在、東原警察署の一室に居させてもらっている私は、辻堂刑事から話を聞いているのか何だか署内の皆さんにとても親切にしてもらっている。
女性警官さんが差し出した籠には、焼き菓子から煎餅からスナックからお高めのチョコまで色々詰まっている。辻堂刑事のシュークリーム大量購入を思い出して、ようやく少し笑みを浮かべることが出来た。
「ミルクコーヒーにしましたよ」
温かい湯気を漂わせて辻堂刑事が紙コップを二つ持って来てくれた。彼は、沢山あるからクッキーやおかきをポケットに詰めて行ってもいいですよと冗談を言いながら、「落ち着きましたか?」と聞いて来た。
「······はい。すみませんでした、お騒がせして」
「それで何があったかお話してもらえますか?」
男性に恐怖心が出ていたらいけないので、と断りを入れて先程の女性警官さんも同席されて、私は今しがたの報告をする。
「川真田猛さんという人は、あの日八頭さんのところで会うまで面識がなく、その後も会っていないのに、日比野さんの家の近くに突然現れた、と。
それで池上さんとの関係は分からないが、車があったので川真田さんには同伴者がいたらしいということですね? それが池上さんかもしれないと」
「······はい。あの日は私も頭が回っていなかったので、川真田氏と門木氏が八頭女史の部屋に入ってきた時に、何が起きていたのかを正確に覚えてはいないんです。
門木氏は背が高くて猿のマスクを着けていたので顔は分かりませんし、いつも顔を隠して活動しているので素顔を知る人はいないみたいです。
館内の人が『門木氏の正体は池上さんなのでは?』と言ってましたが、そこは分かりません。でもさっきは突然池上さんまで現れたから、川真田氏の仲間かもって思ってしまって······」
佐山氏の一件からずっと、館内の情報が外に漏れているような気がしていた。もしかしたらその相手は同じ資料課の人かもしれない。そんな風に疑う自分も嫌だが、では何故池上が川真田と同じ日同じ時間に我が家の近くに現れたのか説明がつかない。
「そこはまだ分かりませんよね。でも少なくとも川真田さんは日比野さんに用事があったにせよ、手荒な事をしようとした。で、その用事の部分ですが、日比野さんはどう思います? やはりあの日の八頭家のことか佐山氏の寄贈品、ですかね?」
川真田氏のことは本当に知らない人なので、もし先方が私に何かあると言うのならそれしかないだろう。私は頷いておく。
「じゃあまず、それとなく八頭家と西村課長に連絡してみますから、もう少しここに居て下さい。
家に帰るのが怖いようならどこか他の場所に泊まりますか? とにかく今、日比野さんちの周辺は巡回もしてますし、何なら後で川真田氏に話を聞いてみてもいい。いいようにしてあげますからね」
「すみません」
辻堂刑事が離席すると、調書を書き終えた女性警官さんが今日のことを読み上げて齟齬がないか確認してくれる。
「本当にポケットやバッグにお菓子持って行ったらいいですよ。あと玩具って好きですか? 辻堂は本当にお菓子が好きなんですけど、お菓子ってけっこうオマケとか付いてくるじゃないですか? 無駄にくじ運もいいらしくて、コンビニでお菓子買ってはクッションもらったりもしてますよ。もし欲しいのがあったら玩具もどうぞ」
そう言って持って来られた別の籠には、本当に多種多様なオマケ玩具みたいなものが押し込められている。彼に似合いそうもない女児好みの可愛いものや見たことのないキャラグッズやらに、ちょっと心が綻ぶ。
「えっと、じゃあこの知らないキャラの巾着もらっていいですか?」
「いいですよ! これにお菓子詰めましょう!!」
クリスマスの靴下状態になった謎のキャラクターの巾着袋を手にしながら待っていると、先程とは打って変わって難しい顔をした辻堂刑事が戻って来られた。
「日比野さん、申し訳ない」
いきなり頭を下げられて仰天してしまう。
「······え? 何がですか?」
「あなたの家に空き巣が入ったらしい。
先程のこともあるから、安全のためにも今夜はホテルに泊まって下さい。
すみませんが、すでに日比野さんちの最寄りの交番に通報が入っていて、今ご自宅には警察が行っています。
西村課長にはこちらから伝えておきますが、これまでのことと関連性があるかもしれないので、川真田さんに所在のバレている資料館に行くのは危険かもしれません。
空き巣のことと誘拐未遂のことが解決するまで、しばらく仕事もお休みした方がいいかもしれませんね」
◇ ◇ ◇
西村課長には私からも電話をし、空き巣に入られたため落ち着くまで休ませて欲しい旨報告をした。気の毒がって課長の家に泊まるように勧められたが、そうは言っても何日かかるか分からないし、小さいお子さんの居るそちらに犯罪の手が伸びてしまったら困る。なので、親にも相談して引っ越そうかと思っていると言うと、何かあれば手伝うけど少し休みなさいと労ってくれた。
忙しいところなのに申し訳ないが、池上に会わなくて済むのはホッとする。
そして辻堂刑事に教わりつつ、空き巣に入られたことをコーポの管理会社へ連絡してから通帳とクレジットカードを止めた。そして今夜はもう遅いので、朝になったら自宅で何が盗まれたかを確認しに行くこととなった。
連絡を受けた親は心配して上京すると言ったが、管理会社の方ですぐに入れるところを用意してくれることになったので、差し当たっては大丈夫と言って落ち着かせた。
辻堂刑事が近くのビジネスホテルを紹介してくれ、巡回を増やすから安心して休むように言ってくれた。掴まれた腕は痣になってて痛いし、感情が高ぶって眠れないかと思ったが、シャワーで土や草の匂いを取るとすぐに寝てしまった。
翌日。実際の部屋を見てその惨憺たる様にショックを受けたが、何故か何も盗まれていないようだった。犯人のものと思われる指紋は一切出て来ないなど一見繊細なやり口なのに、過剰に色んな物がひっくり返され、引き倒されたり、ぶち撒けられていたり、ドアを開けっ放しにするところなどが、辻堂刑事曰く『何かが見つからなくてその苛立ちが感じられる』そうだ。
空き巣の実況見分は夜の内にある程度は終わっていたらしい。不思議なのは無理にこじ開けた形跡がないこと。合鍵を持っていたか初めから開いていたと思われること。雑に室内を荒らされているが、出て行く時はドアが開け放たれたままだったこと。
通報者は池上。あの後コンビニからいなくなった私を心配して家まで見に来たところ、全開のドアに不審に思った池上が通報したということ。彼の自作自演の可能性も考えたが、手荷物にも怪しいところはないし、私の家の両隣の人に朝からドアが開いていたかまで確認して安否を心配していたので、容疑者からは外れているということ。
今朝はたしかに鍵をかけて出たし、両隣の人も出勤前におかしなところはなく、帰宅した際もドアなど開いていなかったが、池上が来る一時間ほど前に隣が騒がしいなとは思ったらしい。だから私が空き地で寝ている時に侵入されたのかもしれなかった。
もう一度指紋を提出して調書を取ってもらい、何か盗まれた物があれば、後からでも被害届を出すように言われて終わった。
誰かに触られた寝具や食器は使いたくないが、全て買い替えるお金なんてない。幸いにもノートパソコンやテレビなどは全く手を付けられていなくて助かった。諦めて洗えるものは全て洗って、新居に持っていくことにした。
日々黙々と荷物を段ボールに詰めて、夜はビジネスホテルに泊まる。管理会社からはすぐに連絡が来て、駅は変わるが似たような部屋を同じ値段で用意してもらえ、また保険適用なのか引越し費用も管理会社持ちでということで、明後日に引っ越すことになった。ホテル代も辛かったので、このスピード対応は本当にありがたい。
池上にはLINEで報告とお礼を言った。あの時、川真田氏に誘拐されかけていたこと。タイミング的に池上さんも仲間なのかと疑ってしまったこと。空き巣の通報をしてもらって助かったこと。引っ越すのでしばらく休むこと。それだけを簡潔に書いた。
池上からは、
〈俺は好きな子を怖がらせることはしないよ〉
とだけ返事が来た。
どう返事をしていいか分からなくなり、〈了解〉のスタンプだけ押してしまったが、おちゃらけていても池上は頼りになる人だったことを改めて思い出し、惑わされてばかりの自分を恥じた。
色々なことが起こり過ぎて、疲れているのかもしれない。
あらかた食べ終えてしまった辻堂刑事のお菓子巾着を眺めながら、ビジネスホテルのベッドに寝転がったら、そのまま深く眠ってしまったようだ。
夜更けに着信があったことにも気づかず、深く深く。
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