第20話 第四のコレクター川真田の告白

 久しぶりに体の疲れがすっきり取れて、肩も軽いくなった。残暑の厳しい時期に連日の荷物整理は20 代でもキツイのだ。


 ここのビジネスホテルは簡単なものだけどモーニングが付いているので、いつものトーストとコーヒーとゆで卵にオプションでヨーグルトも頼もうかと考えていたら、夜中に何度か着信があったことに気が付いた。

 慌ててメッセージを再生する。


「日比野さん、夜分に申し訳ない。部屋もノックさせて頂いたが反応がないので、女性警官に室内を見てもらった。無事で良かった。これを聞いたらすぐに辻堂宛に連絡が欲しい」


 知らない内に寝ているところを確認されたらしい。余程のことが起きたのかと慄いて、辻堂刑事に連絡を入れる。


「日比野さんだね? 良かった。昨夜は何もなかったですか?」

「はい。すみません。ぐっすり眠ってしまいまして。あの、何かあったんですか?」

「落ち着いて聞いてほしい。先日の川真田さんの乗っていた乗用車が見つかったんだが、彼はその中で亡くなっていた。車内の状況からリシンを致死量まで服用した自殺と見られている」






 再び東原警察署に行き、辻堂刑事に面会を求める。辻堂刑事が私の顔を見て安心したような表情を浮かべられてしまった。


「あの、詳しいことを教えてもらえますか?」



 私の一件で川真田氏に話を聞こうとしたところ、警察の来訪に驚いたのか車で逃走されたのだという。車の捜索と並行して川真田氏を調べていて分かったことといえば、彼はヨシイ古書店と共同で新たな私設ミュージアムを作ろうとしていたらしい。

 閉館したライブハウスを利用し、事前予約制で酒も飲める新しいミュージアムという触れ込みで、彼らはもう大分準備を進めていた。そこでは川真田氏の集めた特撮コレクションを見せて、なおかつ古書店ではおいそれと売れない超珍品を展示しながら販売するという形でタッグを組んで、開館に向けて鋭意準備中だった。そんな人が自殺するだろうか、と思うのだが、車内に遺書があったのだという。


 『私、川真田猛は、佐山義之氏、比江島直哉氏、八頭早苗氏の殺害に加担しました。彼らのコレクションを元手に一儲けするつもりが、信頼していた男に裏切られました。外村晴輝監督のクラウドファンディング詐欺も、この度の殺人も全てその男の差し金です。――その男は国立映画資料館に所属する池上聡太、またの名をニッコー門木です』






 現在池上は、任意の事情聴取を受けているのだが、黙秘を続けているとのこと。警察署に連れて来られた時は、「日比野恵の安否を確認して下さい」と必死の形相で話したので、ホテルまで様子を見に行ったこと。無事が分かると、今度は何も喋らなくなってしまったこと。


「池上さんが······。そんな訳ないと思いますが、まさかそんな」

「そのクラファン詐欺のことなんだけどね、たしかに川真田さんの知り合いの役者の卵が、『プロデューサーが急遽入院して来られなくなってしまったから、今日だけその役をやってくれないか?』と言われて演じたんだそうだ。関わったのはその日限りで、彼は詐欺に加担した意識もないから、普通に劇団の稽古に励んでいたよ。後から成功報酬として10万円を背の高い猿マスクの男から受け取ったと」

「······その猿マスクが池上さん、かは」

「ええ、素顔は見てないから何も分からないみたいですよ」


 それなら池上と門木氏を結びつけるものなんてないじゃないか。そう思っていると、残酷な言葉が降ってくる。


「ニッコー門木氏さんの振込先口座がね、池上聡太さんになっているそうだ」


 息が詰まる。


「で、遺書の続きだけど······川真田さんは当初外村監督の映画は本当に作られるものと思っていたようでね。なので彼は詐欺を行う気はなかったが、池上さんに紹介されたプロデューサーが突如入院したために、辻褄合わせをしてほしいと頼まれたから役者を手配したと。

 そして、そのクラファンのお金がどこに行ったかというと、池上さんの海外の仮想通貨にされてるらしいんだ」

「本当ですか?」

「そこの裏付けはこれからになるね。

 そして彼の告白文には、その他にも三人の殺し方もきちんと説明されている。辻褄は合っている。

 でもあの日何故日比野さんを捕まえようとしていたのか。八頭早苗さんとの婚姻が整っていたとしたら、彼女の遺産も手に入るところだった。それが目前だったのに、今直ぐに死ななければいけない理由が分からないんです。勘ですけど、自殺の理由が弱いと言うかね」






 私の引っ越しは滞りなく終わった。三駅ほど都心に近くなったし、おそらく今の方が家賃が高そうな造りだ。良かったといえばそうなのかもしれない。だが、急な引っ越しに伴い、役所への届け出やら演ることが多くて、疲れがどっと出てしまった。

 少し眠ってしまい、気がついたら日がだいぶ傾いていてる。カーテンは少しサイズが合わないのでこれだけは買い替えなければいけないのだけど、大体隠れればいいやと割り切り、辻堂刑事と西村課長に新住所の報告をした。


 辻堂刑事の方は、空き巣の件がまだ分かっていないため、しばらくは自宅周辺の巡回を行うようにしていること、職場への出勤も平気そうなら止めないがもし気になることがあれば連絡してくるようにと心強い言葉をくれた。


 西村課長には、諸々片付いたので明後日から出勤したい旨報告すると、無理しないなら良しと言われた。また池上のことは、現段階では任意で調査を受けているだけなので、容疑者でもないのだけど、溜まった有給を使って休んでいるそうだ。

 「私は信じていないしな」という言葉を聞いて、込み上げてくるものがあったが、とにかくまたよろしくお願いしますと言って電話を切った。



 簡単にそうめんを茹でて食べ終えると、チャイムが鳴った。恐る恐る見に行くと、先程挨拶をした隣の住人だった。騒がせるのでとお菓子を渡したのを気にしてくれたのか、ぶどうを沢山買ったからと言ってお裾分けしてもらう。まだ冷蔵庫が冷えていないので冷たいものは嬉しかった。


 無心になってぶどうを食べていると、つらつらと色々なことを思い出してくる。


 『夜を殺めた姉妹』のことが知りたくて図書室に調べに行った時、井ノ口がこの作品のことを親切に色々と教えてくれた。観た後の今にして思うと、彼の言っていた内容はちょっと穿ち過ぎという気がしないでもない。映画では悪魔の伴侶の選び方にしても、悪魔が性別を超えた存在だとか姉妹が悪魔の力を得て利用しようとしたなどという明確な説明シーンはなかった。

 もしかしたらどこかの論文にそういう考察があったのかもしれないし、井ノ口自身に記憶の改ざんがあったのかもしれない。映画は不思議なもので、私もたまに全く違うシーンやラストを観たような気になっている時がある。

 映画を観た時に感じたものや思い出した記憶が綯い交ぜになってしまうのだろうか。存在しないシーンをまた観たいと思ってしまうこともあって、脳とは厄介なものだと笑ったものだ。······池上と。


 でも――富樫甲児自身は自作の説明をほとんどしないと聞いたことがある。上映前に田代主任が言っていた「映画はどのように見ても感じても自由なものです」というのは、富樫がよく言っていたインタビュー泣かせの言葉として有名だ。たとえ的外れな批評でも感想でも、冨樫は一切反論することはなく、「撮り終えたものは観客のもの」と言い切り、次作のことばかり考えていると。

 それなら、井ノ口のあの詳細な大悪魔の説明は、何を根拠にしていたのだろう。


 


     ◇     ◇     ◇




「やあ、よく来て下さった。あなたなら歓迎しますよ」

「すみません。突然お邪魔したいと申しまして」


 私は辻堂刑事にお願いをして、八頭家に連絡を取ってもらった。

 八頭女史が雇っていた清水夫妻は本邸の方で働くことになったようだが、今のところは思い入れのある離れで変わらずに暮らしているという。


「すでにご報告していますが、川真田猛さんは亡くなりました。お嬢様との婚姻については結局どうなりましたか?」


 付いてきてくれた辻堂刑事が水を向けると、龍司氏がすぐに受けてくれる。


「それは当然無効でしたよ。知ってのとおり、あいつらは娘が離婚していることを知らなかった。それと近くのコンビニで勝手に娘の戸籍謄本を出力しているところもカメラに記録されている。だがね、川真田がもたもたとボタンを押すのにじれたのか、門木とかいう猿頭が途中から代わって作業したのだが、――猿は左利きでしたな」

「ええ、左で押してましたね」

「それから役所の戸籍課には弁護士に確認させまして、当然のごとく婚姻届に『婚姻歴なし』という虚偽記載があって差し戻しになっていたので引き取りました。すると面白いことに証人欄のところが『牧田道佳』と『池上聡太』になっていたのですよ」

「牧田、ですか? 佐山ではなく?」

「そうなんです。この間おたくへ映画を観に行った時にいた、佐山義之の婿でしょう? それなら『佐山道佳』となるはずだ。それで、気になって帰りに池上聡太さんを呼び止めて聞いてみたんですよ。『今もお住まいは西尾区ですか?』ってね」

「証人欄の住所ですか?」


 辻堂刑事が興味深そうに重ねて聞くと、龍司氏はにやりと悪い顔で笑った。


「そうしたら彼は驚いた顔をしていましたが、『以前はそこに住んでいましたけど、今は別のところですよ。その時にお会いしてましたか?』って!」

「それじゃあ······」

「十中八九、証人欄も偽造でしたな。せっかく追い詰めてやろうとしてたのが無駄になりましたが、······あいつ自殺なんてするタマですかね?」


 



 本邸を辞した後。八頭女史の住んでいた邸を開けてもらい、今度は清水夫妻と龍正氏が私達に付き添ってくれた。


「気になるところがあるとのことでしたが」

「ええ」


 私は八頭女史が亡くなっていたコレクションルームにやって来ていた。中心に置かれた祭壇がビニールに覆われている以外はあまり違いはないように見える。だが、主がいない部屋は貴重な品に溢れているというのに、どこか物悲しい。


 あの日。私はここで酩酊し、気づいたら奥の平屋の和室で休ませてもらっていた。だが自力で歩いた記憶がない。


「清水ご夫妻。私がここで寝てしまった後、どうやってあの奥の部屋まで行ったのですか?」

「わたくしが布団を敷きに行きまして、それから夫婦でご誘導しようとしたのですが、あなた様は意識を失われていまして。主人では力不足でしたので、見かねたお嬢様のご友人の方が手助けをして下さいました」

「その方とは?」

「門木様です。猿のお面の。あの方が日比野様を抱き上げて部屋までお連れしたのです」

「その間日比野さんは全く目を覚まさなかった?」

「そうですね。寝ているというより意識を失っているように見えました」


 実際にワインと睡眠薬で昏睡していたのだから、酔って寝ているのとは様子が違ったのだろう。


「その時の門木氏のことでお気づきのことはありましたか?」

「特には······。あ、そういえば左手首に湿布をしていたんですよ。怪我をしているのに手伝って頂いたのかと恐縮してますと、『腱鞘炎がひどくなったから貼っただけだ』とおっしゃってました。スマートフォンの使い過ぎだとかって」

「腱鞘炎······」

「今時の人はスマートフォンで何でもこなしますものね。

 それでお嬢様のところに戻りましたら、お嬢様も珍しくほとんど寝ているような状態で。『彼らを帰したら戸締まりして寝るから、あなた達は引き取っていいわ』とおっしゃったので、彼らが立ち上がって玄関に向かうところまでを見てから、わたくしは簡単にお部屋を片して自室に戻ったのです」


 それを聞いて龍正氏が不思議そうに首をひねる。


「妹は私に似て酒に強いタイプだが、そんなに潰れていたのか」

「はい。私もあのようなお嬢様を初めて見ました。お嬢様は『あの子のことをよろしくね』と言って、もうご自身もお休みになるのだなという口ぶりでした。私も妻もそれで引き上げてしまったのですが、お嬢様はお客様をお見送りしてすぐに、一度ドアを開けたようでした」


 誰か戻って来た? それとも新たな客でもあったの?


「ドアを開けたというのは?」

「鍵を締めて廊下を歩く音がしたと思ったら、すぐにまた戻って鍵を開けてドアを開けた音がした、ということです。妻は流しにいたので聞いていないでしょうが、夜は音が響きますので」

「なるほど。その後は何かありましたか?」

「音がしたため、どなたか忘れ物でもして戻ってこられたのか、と思ってしばらく控えていましたが、お嬢様の私を呼ぶ声もありませんでしたので、そのまま戻ってしまいました」

「その後は妹の姿は見ていないんだな?」

「さようです。申し訳ございません」


 清水夫妻が頭を下げて退出した。


「他に見たいところは?」

「すみません、この部屋をもう少し見てもいいですか? あの日見せてもらったものがあったのです」


 そう言って、私は八頭女史が出してくれたミニアルバムやコピー品の撮影台本を探した。でもそれらが見当たらない。


「辻堂さん、ここのものを警察で保管してますか?」

「祭壇に飾られていた比江島さんの一部や、ザリガニ、ワインボトル、天井から吊られていたワイヤーは物証として持ち帰りました。それと冷蔵庫のリウマチの薬ですね。あらかた確認しましたが、サイレースもリシンもこの家からは見つかっていません。

 ですが、リウマチの薬を打つための注射器は、使用後には必ず病院に返却するものなのですが、一本紛失しているようなのです。比江島さんにリシンを投与した時に使用されて破棄されたのでしょう。

 その注射器がここにあったものなのかは分かっておりませんが、比江島さんは自宅に決して人を入れず、薬は要冷蔵なので、ここに保管していたものが盗まれた可能性は高いです」


 比江島氏を愛していた八頭女史のところから盗んだ注射器で比江島氏を殺したのなら、犯人はこの邸に何度も足を運んでいたということか。あの気安いというより図々しい感じの川真田氏を思い出すと、八頭女史は厭々ながらも招き入れるしかない理由があったのだろうか。


「私が探しているのはアメリカで富樫の品を買い付けた時の写真が載っているアルバムと台本······シナリオなんですけど」

「シナリオは分からないが、アルバムは母が持って行ったかもしれない」


 龍正氏は少し考えるようにして言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る