第21話 沈黙の池上と暴走の山森

「あらぁ、また来て下さってごめんなさいね」

「お袋、早苗のところからアルバム持ってきてるか?」

「あるわよー。どれのことかしら?」


 また八頭家の本邸にお邪魔させていただき、景子夫人の元へ伺う。

 明るくされているが、目は赤くなっているし、肌もカサついて見える。ご自身のことに構う気がしないのかもしれない。地味なお色目の服が、この方の本来の魅力を塞いでしまっている。そしてその元凶は娘を亡くした悲しみなのだろう。


 『娘のアルバム』というキーワードだけで、あれこれ持って来てくれる。子供の頃の写真まであるので、確実に別邸で借りたものとは違うのだが、本腰を入れてひとつずつ拝見させてもらう。

 そこに、八頭女史があのシルバーのメダルが8つ付いたブレスレットを着けて嬉しそうな顔でこちらに向けている写真があった。


「これ······」

「早苗が佐山さんからもらったものなのよ。アメリカから戻って来た後だったかしら? その後別れちゃったんだけどね」


 そんなに思い出深いものだったのか。自身の腕を見てこの頃の二人に思いを馳せるが、何故別れることになったのかは分からない。


「スマホとこのブレスレットがないのよね。あの子ったら沢山のブレスレットの中に紛れさせるように着けていて、服もどんどん派手になって行って。何だかこれを隠すためにジプシーみたいになってたのよね」

「ジプシー、ですか?」

「ほら女性の一人暮らしってやっぱり何があるか分からないじゃない? こっちに戻って来たらって何度か勧めたんだけれど、『大切なものはいつも身に着けておくから平気よ』って言ってて。でも、戻って来てたら······あんな事にはならなかったかもしれないのにね」


 大切なものってなんだろう?

 現代の女性がジプシーのように全財産を身に着けて移動するなんて至難の業だ。そして何を大切に思うかでも、身に着けたいものは違うかもしれない。

 佐山氏も比江島氏もいなくなり、あの日彼女は不安があったからあんな風に私を連れて来たんだろうか。

 ほぼ初対面だったのに? 

 私と二人で会う必要があった?


「スマホ、ないんですか?」

「そうなの、犯人が盗って行ったのかもね」


 娘さんの思い出の写真が詰まったであろうスマホ。事件解決の糸口になったかもしれないスマホ。彼らがやって来た時にはインターホンとして使っていたのだから、たしかに部屋にあったのだ。見つけてあげられたらいいのに。


「景子夫人。あの、言い出せずに申し訳なかったのですが、これお返しします」


 手首から八頭女史のブレスレットを外してお見せした。


「何かしら? ······あら? これって」

「あの日、早苗さんが私に着けてくれたんです。そんなに大切なものだと思わず、持ったままでした。私には少し大きかったので、レース糸で編み包んでしまったんですけど、この写真のブレスレットです」

「······ありがとう。戻って来たのね」


 瞳を潤ませながら笑顔を見せる景子夫人に、また胸が詰まる。


「あの、糸を解きますね」


 差し込んでいた糸の端を取り出し、ピーッと引っ張ると編んだカバーは面白いように解けて行く。

 

「日比野さん、編み物とかするんですね」

「暇つぶし程度の簡単なものしか出来ないですけど」


 辻堂刑事の面白そうな視線の中で、あっという間に解けてシルバーメダルのブレスレットが現れる。


「ああ、これだわ!」


 景子夫人が嬉しそうに握り締めると、カチンと音がして一つのメダルが半分に割れた。


「え!」


 それは精巧に細工されたロケットだったのだ。その中にマイクロSDカードや古い護符などが見つかった。



     ◇     ◇     ◇




 申し訳ないがこの中身を預からせて欲しい、と辻堂刑事に頼まれて、景子夫人は渋々了承した。

 私が川真田氏に誘拐されそうになり、その後自宅に空き巣が入ったことを告げ、もしかしたらこのブレスレットを探していたのかもしれないと理解していただく事が出来た。


「私も気になるので、よければ何だったのか教えて下さいね」

「うーん、もしこれが日比野さんの誘拐とか空き巣に関係してるなら、知らない方がいいのかもしれませんよ?」

「そうですね。すみません。部外者が詮索して。でもこれが原因かは分からないですものね。まだちょっと怖いですが、もう川真田氏はいないし」

「それでも用心はして下さいね」

「はい」


 明日からは久々に出勤だ。早めに帰るべしと頭では思うのだが、どうしても聞きたくなって辻堂刑事に質問してしまう。


「池上さんのことですが、まだ何も話さないんですか?」

「そうですね、今のところは。でも警察としては、先に川真田さんの遺書の内容確認と、彼の家や車、それからヨシイ古書店とやろうとしていたミュージアムのことを調べています」

「池上さんのことを犯人と断定はしてないのですね」

「そりゃそうです。まだ一人の告発があっただけで、裏取りも済んでいませんし、本人も認めていない。

 その他にもおかしなことがありますよ。ニッコー門木さんはいくつかの雑誌社と仕事をしていますが、編集者とのやりとりは基本的にフリーメールのみで電話はなし。覆面ライターとして売っているから編集者も特に詮索しないらしいですけどね。そして成果物や明細書などの発送先は私設私書箱宛になっている。

 また口座はネット銀行なのですが、入金されたものは全て送金されているようなんです」

「送金?」

「牧田道佳さんに、です。おかしいでしょう?」


 牧田氏と池上の接点は何だろう?

 そもそも接点なんてあるのか?

 年齢も大きく違うし、牧田氏が当館でアルバイトしていたのも20年程前にだろうから、20歳離れた池上と交流など考えにくい。

 そこでふと思った。山森は牧田氏と一緒に働いた時期があると言っていたことを。山森経由で池上も関わりがあるのか?


「どうします、会ってみます? 池上さんに」




     ◇     ◇     ◇


 


 通用口から館内に入る。数日休んだだけなのだが、何だか随分と時間が流れたような気がする。


「おはようございます」


 事務室に入って行くと、私に起きたことを知っている人は知っているらしく、労しそうに見てくる人や、淡々と転居届を書くように言ってくる人、何故かバームクーヘンをくれる人など反応は様々だった。


「けいちゃん······」


 声をかけてきた山森を見てギョッとした。隈が出来て顔色が悪い。


「山森さん、まだ具合悪かったんですか? ごめんなさい、私が休んでたから有給取れなかったんでしょうか」

「ううん、家の方でちょっとあって······。けいちゃんの方こそ大丈夫なの?」

「無事に引っ越しまして、腕はちょっと痣になってて痛いんですけど、何とか平気です」

「そう······。あれ、この頃着けてた可愛いの外しちゃったの? レース編みで凝ってたのに」


 手首を指さして不思議そうに聞いてくる。しばらく着けていたから、なくなるとあの重みが恋しいというか少し寂しい気もする。


「ブレスレットのことですか? 引っ越してから見つからなくて。もしかしたら空き巣に盗られたのかもしれません。がっかりです」

「そうなの? 前の家で失くしたの?」

「ええ。あれ、実は八頭早苗さんからプレゼントされた物だったので、ご遺族に返したかったんです。

 前の家っていくつか備え付けの家具になってるんですけど、お風呂とか顔洗う時に外すようにしてたので、洗面台の横の棚にいつも置いてたんです。あの日はつけ忘れちゃったから、その辺りにあるんじゃないかと思うんですけど、今回引っ越しは全て業者任せでよく見てなくて。

 無いの気づいてから探しに行けばよかったんですけど、空き巣を思い出して怖くって······。あれって池上さんだったんですかね? 何か知ってますか?」


 俯く私を励ますように、山森が背中を撫でてくれる。


「池上、は、まだ認めてないけど、けいちゃんの家を知ってたものね。······あの時も近くに来てたんでしょう?」

「はい。だからまさかって気持ちの方が大きいんですけど、なんか情報が外に漏れてる気もしてたし」

「とにかく起こってしまったことはもう諦めよう! ブレスレットも、故意に失くしたんじゃないなら仕方ないわよね」

「失くしちゃったの気にしてるので、他の人に言わないで下さいね。

 あーあ、落ち着いたらレース編みとボタンで似たようなの作ってみようかな」

「元気出して!」





 しばらくデータから離れていると、前にしていたことが何だったのか咄嗟に思い出せない。パソコンを立ち上げて、以前やったものの確認作業をしたり、デスクに溜まった仕事をこなしていると、内線が入った。


「······はい。今行きます」




 館長室に入ると、館長の他に西村課長も座っていた。


「今、辻堂刑事から連絡が入った。山森さんが日比野さんの前の家に侵入してるそうだ」

「······やっぱり。分かりました」

「君は知らぬふりをして、このまま定時まで働きなさい。その後は館長車で送るから、必ず一人にならないように」

「はい、助かります」




     ◇     ◇     ◇



 

 久々の出勤となったこの日、私は館内チャットを使って、恐れ多くも館長と西村課長とやり取りをしていた。どうしても部屋に籠もって話し合うのだと人目も気になるし、動向がバレるからだ。前々から館内の情報が盛れていることを気にしていたのを知っているので、西村課長にチャットで相談してもいいか、昨日の内に伝えておいたのだ。


 私が休んでいる間に、皆でもう一度佐山資料を漁ってみたがデスマスクは無かった。それで佐山氏の弁護士と牧田氏が、YAGI社の担当者を伴って来館されたのだという。



福峰:YAGI社はね、当時副社長だった馬鹿息子が小金稼ぎに佐山家にうちと開発したデータベースを売った、って白状したらしい。でも実際に手足となって動いたのは下の者だからね。その人は辞めさせたらしいけど、今まで黙っていたのだから会社としても今後どうなのかな?


西村:館長、でもうちの中のデータが流出したわけではなく、佐山家のデータベースと統合は問題ないってことなんですよね?


福峰:まあ、ちょこちょことうちがメンテしてバージョンアップしたタイミングで、あっちも同じようにしてたらしいから、統合は間違いなく出来るってさ。それをしてもらって、今後の話し合いでどこまで誠意を見せてくるかでYAGI社をどうするかは決めようかな。ま、うちも他社に変えると使えなくなる時間が出来ると困るからね。


西村:そこで、牧田君は激昂したことを謝罪して来てね、あの日データ改ざんをしたのは自分であることも話していたよ。八頭さんと買った富樫資料は存在を隠すように言われていたのに、貴重なもののデータを入れるという行為に興奮していたので、佐山氏に隠れて少し分からないように登録していたらしい。


日比野:分からないようにですか? 暗号的に?


西村:ああ。登録名には『BKT No.1』とか分かるっちゃ分かる通し名で入れて、所蔵番号を振らないことで検索から除外されるようにしていたらしいんだ。佐山氏はそんなにデータベースに詳しくなく、いつも牧田君に登録から抽出まで頼んでたから、本当に一人でお宝データがあるのを見てニヤニヤしてたらしい。八頭さんの家にある祭壇までこっそり入れていたっていうんだから、異常だね。でも佐山氏が亡くなり、亡くなったら間髪入れずに当館に寄贈するなんて聞いていなかったらしいんで、焦って消したんだと。


福峰:ちょっと怪しいけどね。調べるのは警察に任せよう。で、実は佐山氏の遺言状は当館だけじゃなかったんだ。家族の他に、八頭さんのもあった。


西村:八頭さんには、『あの時の場所に君との思い出があるから取りに行って欲しい』と書かれていたそうだ。八頭さんもああいうことになって、しかも不倫だったし、向こうは佐山さんが八頭さんを裏切ったと思っていたので、ご遺族も遺言状なんか見たくもないと腹を立てていたんだ。でも比江島さんがあんな不幸な殺され方をしただろう? その後に娘さんまで。何となく佐山氏から始まっている気がして、やはり受け取ることにしたんだそうだ。


福峰:でも『あの時の場所』とか『思い出を取りに』とか抽象的なことしか書いてないから、これが何なのかを知りたくて寄贈品の中にそれらしいキーワードはないか聞きに来たんだ。


西村:我々も力になりたかったから探してみた。そたら書斎の1936年コーナーのところに隠すようにMOディスクが出て来たんだ。私家本ファイルのところにもMOディスクがあっただろう? そこで中を見てみると隠されていた方には数々の写真と佐山氏の日記が入っていたんだ。


日比野:写真······日記······。見られたくないですね。


西村:そうだがやむを得ないので、資料として確認した。それは佐山氏と八頭さんの······要は不倫の証拠だな。その中に、とある資料からアメリカのビリーズ美術館にある富樫関連品が欲しくなった佐山氏は、ツテを持っていた八頭さんに頼んで買ったんだ。その時、向こうの担当者は売却する11点のうち富樫の創作ノートとデスマスクだけは人に見せずに大切にしろと口を酸っぱくして言ってきた。沢本にそう言われていたそうなんだね。

 そうして手に入れた富樫の創作ノートには驚愕のことが書いてあったらしい。その後、『いつもの場所』で八頭さんと会って最後の贈り物をしてから別れた、と。未練がすごく書かれていたので、冨樫資料が別れの原因になってるみたいなんだ。


福峰:そこまで掴んだところで、私と資料課で話し合いを設けた。行方不明の『富樫の創作ノート』に何かしらの秘密が書かれていたらしいこと、デスマスクについても不明、そして八頭さんに贈り物をしてから突然別れたことから、彼女が何らかの事件に巻き込まれないための配慮がされたのかもしれないということ。『いつもの場所』に彼女に渡したいものを置いているのかもしれないが分からなかったので、何かに気づいたら報告してほしいと言ってたんだよね。

 そしたら懐かしがった牧田君が事務室に挨拶に来たり、図書室に顔を出したりしてたんだ。その後からね、山森さんと池上君の様子が変になったんだよ。いくら鈍感な私でも気づいたんだから、ねえ。


日比野:それは、やっぱり······。


西村:ああ。牧田君と、山森、池上はなにか繋がりがあるんじゃないかってね。我々の知らない何かを知っているのかもしれない。日比野さんも何かおかしいと思ったから、山森にカマをかけたんだろう?


日比野:ええ。そうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る