第15話 比江島氏の遺言状

 佐山氏の家からあらかたの資料を搬出した。慌てて準備したスペースに棚を組み、なるべく文書保存箱に振った番号通りに仮置き出来るようにしたが、肝心のパソコンは警察の確認が入ったのでまだ戻って来ていない。

 ただ、同じデータベースを使用しているのだから、このデータを統合出来るのではないかという話になっているので、それなら大幅に作業が減るので期待している。例えば摘要欄に『佐山コレクション』と追記しておけば区別も出来るし、登録作業者としてはありがたい話だが、上の人達は勝手にデータベースを売ったYAGI社に文句を言っているらしい。こちらの要望を入れて構築したものを断りなく売ったのだから、統合に関してもよろしく対応してくれるだろう。

 もしかしてここまで見越して佐山氏がYAGI社のデータベースを使用したのなら少し怖いものを感じるが、私達がすることには変わりはない。寄贈品をチェックして遺族に報告し、今後の振り分けをどうするかを話し合うところまで進めるだけだ。


「けいちゃーん! さっき課長がね、佐山さんのノートパソコンもうすぐ戻って来るって言ってたよ」


 黙々と仕分け作業をこなしているところに山森がやって来て、そんな報告をしてくれる。


「本当ですか? わりに早かったですね」

「うん、なんかパソコン自体は警察も一応確認はしていたらしいんだけど、他のこともあったからもう一度見ておこうということだったみたい。それでご遺族に返すから、そちらに許可取って必要なデータを他のパソコンに入れて使用すればどうですかって言われたって」

「まあ何でもいいですよね。データが使えるのなら。あちらもメンテにYAGI社が入ってるならバックアップも都度していたんでしょうし」

「佐山家にはサーバー用のパソコンが別の部屋に置いてあったらしいよ。私そういうの詳しくないんだけど、作業用のデータさえあれば私らとしては問題ないよね?」


 長く紙資料の側にいるとどうしても喉がいがらっぽくなる。 一度うがいでもしようと、山森と一緒に事務室に戻ると、西村課長に手招きをされた。


「比江島さんの遺言状が開示された。その事で資料館に相談したいことがあるらしい。······日比野さんも同席してもらえる?」

「はい、分かりました」






 暑さは大分柔らいで来たとはいえ、歩いて来るとまだ蒸しているのか、辻堂刑事は額をハンカチで拭いながらにこやかに会議室に入って来た。


「すみませんね、何度も。実は比江島氏の弟さんから遺言状のことで連絡が入りまして、その件で私と資料館の方、出来たら八頭さんと付き合いのあった方に来てほしいそうなんです。資料館さんの方で日比野さんの他に適切な方がおられるならその方でもいいと思うのですが、いかがでしょうか?」


 あいにく資料課には八頭女史と親しかった人はいない。他の課や図書室に頼むのも憚られるのだろう。困ったように西村課長がこちらを見たので、私は「自分でよければ伺います」とだけ告げた。




     ◇     ◇     ◇




 それから数日後。比江島氏の弟さんの依頼に応じて、西村課長と私、それから辻堂刑事とともに比江島氏のマンションにお伺いした。山手線内側にあるそこは分譲のみらしい高級感のあるマンションだ。そして彼の住まいは男性の一人暮らしにしては随分広い。おそらく映画パンフレットの収蔵のためにこのくらいのスペースが入り用なのかもしれない。

 出迎えてくれた喪服姿の比江島氏の弟さんは彼より4歳ほど歳下らしいが、勤め人らしく比江島氏よりもしっかりして見える。


 私達が焼香を済ませると、弟さんは早速用件を切り出してきた。


「お呼び立てして申し訳ない。私は比江島直哉の弟で比江島和志と申します。まずはこれを読んでいただきたい」


 そう言って比江島氏の遺言状を手渡される。まず辻堂刑事が受け取り、それから西村課長に回る。


 そこには弟和志氏へ簡潔に今までのお礼と、相続についてのことが記されていて、映画コレクションは八頭早苗氏へ、それ以外の資産は和志氏へとなっていた。


「お恥ずかしい話、私は両親が亡くなってからというもの仕事にかまけて兄とは疎遠にしていまして、他に身よりもないんです。ですからこんな手の込んだ遺言状なんて用意されてるとは思わなかったんですね。しかも受遺者に指定されている八頭早苗さんは兄の死からすぐ後に亡くなられたという。

 慌てて弁護士の30分相談というのに行ってみたのですが、受遺者死亡の場合は相続無効となるので正式な相続人は自分だけになるようなんです。でもねえ、兄がわざわざ指定した方です。映画に関心のない私よりその方に贈りたかったのだと思うと、せめてご挨拶にだけでも伺いたいという気持ちなのですが、先方様もまだ大切な方を亡くされたばかり。

 そういうわけでこちらの都合ばかりを押し付ける気は毛頭ないのですが、兄の大切にされていた方のことを少しでも知っている方に話を伺って、可能であればいずれ先方様へご挨拶ができればと思ったわけなんです。

 兄も八頭さんも映画がお好きで、よくそちらの資料館にも通われていたと。それでしたら懇意にしている職員さんもおられたのではと考えた次第なのです」


 丁寧な物腰だが、わりに押しが強い。和志氏としてはきっちりと兄の弔いをして、相続の件も遺恨なく進めて行きたいのだろう。


「お気持ちはよく分かりました。ですが我々はあくまでもお兄様方によくご利用いただいた施設の職員であり、お客様とそれほど懇意にしていたわけではありませんが······」

「それでも、兄の交友関係など分かる範囲でお聞かせいただけると嬉しいのですが。こうしてみると、疎遠にしていたことが悔やまれて······、八頭さんのお身内の連絡先も分かりませんし。

 刑事さん、犯人の目処はまだ立っていないのですか? 独身の兄が清廉な生活をしていたとはよもや思っておりませんが、それでも周りを明るくするような兄でした。······あんな風に殺されるような恨みを買うなど信じたくもないのです」


 そう言われても困ってしまう。辻堂刑事に顔を向けると、仕方ないとばかりに少しだけ回答してくれた。


「お兄様は、たしかに八頭早苗さんとお付き合いをされていたようです。それがどこまでのものだったかはまだ調査中ですが、よくこちらの資料館で映画を見たり、彼女の家にも行っていたようです。お兄様はリウマチを患っておられましたね? その薬――注射器が八頭早苗さんの家の冷蔵庫にも入っていましたので、それだけ信頼を寄せていたのかもしれません。

 それから、お兄様は有名な映画コレクターでしたので、八頭さんの他にもコレクターの方々と交流があったようです。お兄様がお亡くなりになっていた家の佐山義之さんだとか川真田猛さん、ニッコー門木さん、他に映画古書専門店のヨシイ古書店にも足繁く通っておられたと。映画資料館さんの他にも多くの映画館にも行かれていたでしょうし、お付き合いは色々とあったでしょうが、自宅に人は入れたがらず、深く付き合う人は限られていたようですよ」


 佐山氏の名前が出た途端、和志氏の顔色が変わる。


「ちょっと待って下さい。兄が佐山さんという方の家で亡くなっていたとは聞いていましたが、佐山義之さん、ですか? 記憶違いでなければその方はもっと都心に住んでおられたのでは?」

「本邸はそうですが、お兄様が倒れていたのは彼の別邸です。失礼ですが佐山さんとお付き合いがあったのですか?」


 辻堂刑事の問いに、和志氏は少しだけ逡巡した後に口を開いた。


「······実は、佐山義之氏には死別した妻がいるのです。佐山真奈美。彼女は我々の亡母の妹で、佐山氏との間に娘を二人もうけたのち精神を病んで亡くなりました」




     ◇     ◇     ◇




 比江島氏のマンションを出た後。少しお時間をもらいたいと言われ、西村課長と私は辻堂刑事に連れられて駅前のフルーツパーラーに入った。


「実は甘いものが好きなんです。日比野さんみたいな若い人がいれば入りやすいですからね」


 照れたように笑う辻堂刑事につられて、私達も甘いものを頼んでしまった。

 大きなパフェが届いて喜ぶ辻堂刑事とともにしばらく甘味を楽しみ、コーヒーで口直しをしたところで辻堂刑事が話を切り出した。


「あの遺言状ですが、少しおかしい気がしませんか?」

「どういうことです?」

「いや私は映画に関して門外漢ですから逆に教えていただきたいのですが、比江島さんの遺言状には遺産相続のことについて、注釈があったじゃないですか。『もし八頭早苗氏が遺贈を求めない場合、古書店の伊織堂に委託して売却を行い現金資産とすること』と。ヨシイ古書店と懇意だったというのに、伊織堂という他の古書店を指定している。

 これはどういうことだと思いますか?」


 西村課長が理由は分かりませんが、と前置きしてから答える。


「単純に老舗の伊織堂の方が売却手続きに慣れているので、スムーズに適正価格で処理してくれると思われたのかもしれませんよ」

「それでも一言添えておけば、友人の古書店の利益にもなるし融通も聞かせてくれるかもしれない。それなのにわざわざ違う店を指定している。二つの店の差は何でしょう? 何かあると思いませんか?」

「······それは分かりません。比江島氏がヨシイ古書店店主と付き合いがあったにせよ、友人と呼べるほどの関係ではなかったのかもしれません」


 それ以外言えることはない。西村課長の返答に私も頷いた。辻堂刑事もコーヒーを口にしながら納得した顔を見せる。


「まあ順当な考えですとそうなりますよね。

 それからもう一点。実は八頭さんのご遺族からも日比野さんに会いたいとの話があるんです」

「それは館宛にも来ています。あちらで何かトラブルが起きているようで、当夜の話を確認したいということらしいのですが」


 そんな話が来ていたのか。西村課長もため息をついているので、私に気を遣って情報をせき止めてくれていたのだろう。


「日比野さん、無理ならお断りしてもいいんだよ」

「課長、お気遣いすみません。······可能であれば、比江島氏の弟さんとお伺いして、先に弟さんにお話を済ませていただいてから私達もご挨拶させていただくのはどうでしょうか。差し障りがあるようでしたら後からお邪魔するようにしますが」


 私が答えると、辻堂刑事はあからさまに喜んだ。


「そうしてもらえると本職としてもありがたいですな。何か新しい情報が出て来てくれれば早くの解決が見込めますし。

 比江島和志さんも、こんなに膨大な映画資料をどうしたらいいのか、ただただ困惑しているようですしね。コレクション用にもう一部屋借りている場所があったそうですよ。なので同じコレクターの八頭家がどうするのかも気になっているようでした」


 あのマンションでは足りない量なのか。さすが有名コレクター。それはたしかに引き払うにしても途方に暮れるかもしれない。


「私としては、八頭女史のあの祭壇や見せてもらったアルバムをもう一度確認したいのです。『夜を殺めた姉妹』について、どうしても気になってしまって。

 それと私がうかつに眠っている間に八頭女史が殺されていたなんて······。あの二人は疑わしいところはないのですか?」


 そう。あの夜来訪した川真田氏と門木氏。八頭女史は約束していないような口ぶりだったが、あの二人は明らかに私が急に居たことにいら立っているような感じを受けた。――それならば前もって来る約束だったということ?


「あの二人にはアリバイがあってですねえ······」

 

 あごを掻きながら、辻堂刑事は何とも困った表情を浮かべた。


「その辺の事情もあって八頭家が日比野さんとお話したいそうなんですよね。すみませんがご了承いただいたということで、八頭家に伝えてもいいですか?」

「······日比野が辛くないのなら捜査に協力することを止めたりはしません。でも彼女はまだ若い女性なのですよ? 精神的に追い詰めるような事になるのならお断りしますからね」


 何度もこちらを見てから答える西村課長。優しいな。私は心配御無用というように課長を見やった。


「充分留意いたします。では西村さん、日比野さん。よろしくお願いします」


 笑顔で頭を下げた辻堂刑事は、お土産にシュークリームを10個も買って帰って行った。

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