第14話 4体のデスマスク

 デスマスク。文字通り死んだ後に型を取り、故人を偲ぶためや銅像にするために作られるというムーブメントが一時期あったらしい。


 その中でも、冨樫甲児監督のものは格別だ。

 彼の専属とも言える腹心の部下・沢本清彦美術監督が手ずから作成したもので、四体しかないものとされている。そして映画監督のデスマスクブームは彼から始まったといっても過言ではない。


 沢本作のその4体の行方は公にされている。冨樫監督の遺族、沢本自身、アメリカのビリーズ美術館、当館だ。当館では5階の常設展示室にてガラスケースの中に収まっている目玉展示の一つとなっている。


 私は他のデスマスクと見比べたことがないので分からないが、このブロンズの輝く青銅色は本当に美しい。肌の色が違っても、その眠る顔は生きているような艶かしさを感じる。皺の入り方やまつ毛の感じも、本当にリアルなのだ。

 この少し痩せた気難しそうな男性が冨樫甲児なのか、と初めて見た時に思ったものだ。平面の写真とは違って眼球の盛り上がりや薄い唇の膨らみ、頬の肉の少なさも、後世に名を残す名監督が現実に生きていたことを有無を言わさず理解させられたように感じた。何なら暴力的に。

 

「とにかく、所蔵目録とこのデータベースがあるなら、今日は持ち帰られるだけ持ち帰ることにして、明日以降はもう少し大きい車に変えよう。人数も増やせるか、外注のスタッフも入れられるのかなど館長に報告しておく」

「はい」


 私達は黙々と文書保存箱に佐山氏のコレクションを入れていく。その間に西村課長は書斎や他の部屋も見に行き、おおよその箱数を算出していた。

 地下室はさほど大きくないので、今日のうちにここの箱詰めは終わりそうだ。


「やはり、冨樫のデスマスクはないな」

「そうですねー。ガセってこともないでしょうけど、ここにあるとしたら、どこのが失くなっているんでしょうねー」

「今日はもう乗せられるだけ乗せて帰ろう」

「日比野さんは、運ぶのあんまり無理しなくていいよ! この佐山氏のパソコンだけ分かるように持ってて」

「分かりました」


 主を失った城はあっという間に崩壊していく。何となくそんなことを思ってしまった。

 私達の手で様変わりしていく地下室を見ないようにして、私はただ資料を詰めた。







「あの、思い出したんですけど、八頭女史の邸にお邪魔した際に『富樫のデスマスクを持っていたことがある』って言ってました。でもすぐ手放すことになったとかって······」

「えっ? 本当に?」


 帰りの車中。私だけまた家まで送ってくれることになり、もうすっかり甘えていたところ、急にそのことを思い出した。防衛本能なのか、八頭女史の

とのことは記憶が飛び飛びになっていたのだ。


「その時はまだ意識はちゃんとしていたと思うんですが、慣れないお酒でボヤッとはしてましたけど」

「ポヤポヤしてる日比野ちゃんはレアだね!」

「池上、そういう話じゃないぞ。他には何か言ってた?」


 運転手の田代主任まで振り返って池上に突っ込んでいる中で、私は必死にあの日の会話を思い出していく。


「ええと······、あと『白岩監督や鳴子監督の赤入り撮影台本のコピー品を比江島さんにもらった』とかって。そんなのそもそも複製なんて勝手に作っていいものなんですかね? コピー機で取ったのじゃなくて、ちゃんと製本されてるやつですよ? なんか表紙の折れ癖とかもそのまま再現されているんです」

「それは明らかにおかしいな。比江島氏はどこで手に入れたんだろう?」

「私もそれを聞いたんですけど、『次に会ったら話す』って言ってそのままになっちゃったらしいです」


 そのまま彼女は泣いてしまって話どころではなくなったので、詳しく聞けなかったことが悔やまれる。どこかの出版社がそんな事を計画してるなんて、噂でも聞いたことがない。もしこれが販売されるのなら大いに問題だと思うのだが。


「正確なことは明日調べるが、富樫のデスマスクは、冨樫家も沢本家も売りに出してはいないはずだ。後は当館のとアメリカのビリーズ美術館にあるものだけだが、当館のはもちろんあるし。可能性としてはビリーズが売却したかだな」


 難しい顔で西村課長が言う。これほど有名な美術品なら何らかの情報が当館に届いて然るべきなのに、それがなかったことを苦々しく思っているようだ。


「でもビリーズが売却していたら、日本でニュースになりませんか?」

「どの時期に売却したかにもよるな。ネットが普及したのは1990年代。それ以前だと情報が遮断されていたのかもしれない」


 車内に沈黙が落ちると、尾崎係長が追い打ちをかけるようなことを口にする。


「そもそも『夜を殺めた姉妹』の祭壇が本物なら、それが八頭女史のところにあるのもおかしな話なんだ。だってそれもアメリカに行っていたはずなのだから」


 しばらく誰も言葉を発しなかった。私にあの部屋の祭壇が本物かどうかを見分ける力はない。だが、沢本清彦の本から推測することは出来るかもしれない。


「何かしらの理由でビリーズ美術館が手放すことになった時に、八頭女史がまとめて購入したのかもしれないな。富樫のデスマスクも」


 




 ドライヤーを使う前に、ベランダにしゃがんでぼんやりと風を受けながら冷たい水を飲んだ。明日からはあのパソコンの所蔵目録とデータベースを使って、寄贈品のチェックが始まるのだろう。先に警察に報告するなら、あのパソコンは使えなくなるのかな。目録だけでもUSBメモリに入れたら駄目だろうか。


 そういえば、八頭女史がデスマスクを持ってるって話、池上さんに聞いたんだった。

 ――彼は何で知ってたの? 他の研究員は知らないようだったのに。


 さあっと風が強く吹き込んだ。肌の火照りが引いたので、私は掃き出し窓を閉めた。

 



     ◇     ◇     ◇


 


 横井章の新作をまだ観ていなかったので、気分転換に有楽町まで出て鑑賞することにした。

 休日はこうして映画を観に行くか、友人と会ったりするのだが、何となく人に会うのも躊躇われたので映画の方を取った。面白い映画であればその間は現実から隔離される。


「あれ、日比野さん。これ観てたの?」


 鑑賞後にフライヤーを眺めていたら、井ノ口に声をかけられた。単館上映を避けてわざわざ大きな劇場に来たのだが、人に会ってしまった。


「お疲れ様です。そうなんです。まだ観てなかったので」

「結構変わった作品だったね。横井のはハードボイルドから人情系まで幅広いけど、今回のは······何だろう?」

「最終的には不条理コメディ? でも基本はヒューマンドラマっぽかったですよね?」

「うん、分からない! さすが横井だ」


 豪快に笑うと、井ノ口はパンフレットを三部買い、一部を渡してくれた。


「いいんですか?」

「いいよ! こっちのは自分のと館用。いつも二部買うことにしてるんだ」

「仕事熱心ですね」

「職業病かも。そうだ、良かったらお茶しない? 休日の銀座は一人席の方が見つからないし」

「はい、そんなに長くならなければ」





 どこも混んでいたので結局商業ビルの屋上に来て、ドリンクを買って座った。ここの屋上は都会とは思えないほど緑も多く、買い物疲れの人々の憩いの場になっている。そして隅の方に神社。不思議そうに眺めていたら、


「色んな建て替えの中で、元からあった神社を屋上に移転させたのかなあ? 結構デパートの屋上に神社ってあるよね」


 と、先回りして答えられてしまった。


「そうなんですね。屋上ってあまり来たことなかったです。今は遊具とかないんですね」

「僕らの幼少期はミニ遊園地っていうかそれが屋上の定番だったけど。日比野さんの地元にはあったのかな?」

「はい、古い十円の乗り物とか置いてありましたよ。昭和の映画で観るようなのが」

「23歳だもんね。もしかしてミレニアム生まれ?」

「そうです。よく言われますよ、ウィンドウズの2000年問題の時の子だ、とか」

「あー、僕も言いそうになった。危ないわ」


 お互いに笑い合いながら、薄曇りの空を見る。秋晴れの時なら都会でも綺麗に青空が楽しめそうだ。 

 自分達以外にどんな人が来ているのかと周りを見てみると、体力のあり余る子供達が駆け回ったり、かと思えばデパ地下でおやつを買って来て、ここで食べている人も居る。日差しの強いところで寝ている猛者まで。


「日比野さん、お疲れモード? 何か悩んでることでもあるの?」


 ぼうっとし過ぎただろうか。顔を上げると井ノ口が心配そうにこちらを見ている。


「いえ、そんなことは」

「連日の佐山氏のコレクション整理のことだけでも大変なのに、比江島氏や八頭女史のことにまで巻き込まれているもんね」

「······ええ」

「おじさんに相談出来ることだったら乗るからね」

「ありがとうございます、でも大丈夫ですよ」

「そう? あ、そういえばニッコー門木のこと見たんでしょう。どうだった?」

「えっ?」


 突然の方向転換に驚いてしまい、素で声を上げてしまった。何故ここで門木氏?


「あの人、絶対うちの図書室も使ってると思うんだ。でも顔出さないじゃない? だからもしかして館内の誰かなんじゃないかって噂なんだよ。日比野さんが会ったんなら分かったかなって思って」


 門木氏は豊富な知識をもってここ10年程で活躍の場を広げて行った批評家だ。だが、館内の研究員なら館発行のニューズレターや図録に原稿を書く機会も多いので、文章の癖なんかでおのずと察せられる気がする。読むのはマニアばかりなのだから。


「······姿は見たんですが、猿のマスクをしていましたし、ちょっとその時具合悪くしてたので」

「そうか、残念。僕、内心で門木氏って池上かなって思ってたんだけど、いつも近くにいる日比野さんが気づかないなら違うのかもね。外れたかなぁ」


 笑っている井ノ口に相槌を打とうとして、遠くから聞こえる雷鳴に阻まれた。雨がこちらに迫って来ているように、真上の雲もみるみる間に黒くなっている。


「あ、一雨来るね。じゃあ帰ろうか」

「はい、今日はありがとうございました」


 




 地下コンコースで井ノ口と別れ、地下鉄に乗った。車窓を通り過ぎる蛍光灯を眺めていて、ふとヨシイ古書店に行ってみようと思い立ち、乗換駅より前で降りた。


 まだ雨は降っていない。少し急ぎ足で店に向かう。


 ヨシイ古書店は古書店街として有名な街の外れにある。映画古書専門店の老舗・伊織堂は街の中心通りに位置するが、そこから隠れるように二つほど路地を隔てた先にひっそりと佇んでいる。元々普通の住居だった建物を居抜きのように使っているため、中に入るとすぐの玄関スペースにスロープが出来ているという変わった造りだ。

 店内はさほど広いわけでは無いが、本、雑誌、パンフレット、スチル写真、フライヤー、映画のサントラまで置いてある。さらっと眺めながらシナリオのコーナーで足を止める。


 ――あれ、コピー品の撮影台本はないな。


 ここに売っているのかと思ったが、まだ発売前なのかそれともあれを作ったのはこの店ではなかったのだろうか。あてが外れてしまった。

 ちらりとレジを見てみると、店主と思しき男性が眼鏡をかけて座っている。歳は40代といったところか、思ったより大柄でがっしりした体型だ。古書店さんは勝手なイメージで文系の華奢な人が多いのかと想像していたが、本を運ぶことが多い仕事なので意外と筋肉質になるのかもしれない。


 たしかにレアな映画雑誌なども揃ってて、値段もそう悪くない。それでも何となく並べ方にいい加減なところがあるというか、統一感がない。単に種類別に並べてるという感じで、邦画洋画の区別もないし、雑誌に至っては一応同じ映画雑誌ごとにまとまってはいるものの、年号の並びはバラバラ、重複号があっちにもこっちにも入っているという始末。そういう配慮がないと、希望する号を探すのに時間がかかってしまうだろう。


 奥から誰かが来ることもないので、店主一人で回している店なのかもしれない。それならそこまでの事を求めるのは酷かな。


 そんな事を思っていると、外で雨の音が聞こえて来た。慌てて店を出て折りたたみ傘を準備していると、中から店主が来て入口に出していた特価品にビニールをかけている。

 不思議なのは特価品コーナーの文庫などは映画にまるで関係のない本だ。客寄せでそういうものも出しているのかもしれない。

 傘を広げて急いで立ち去ろうと二、三歩進んだところで、店主が「あ、池上さん」と声を発した。

 びっくりして傘越しに見てみると、たしかに雨を避けながら小走りにやって来る池上がそこに居た。


「ごめん、急に降られてしまったから、少し雨宿りさせてもらえる?」

「もちろんですよ、どうぞどうぞ」

「助かる!」


 親しげに言葉を交わす二人を尻目に、そのまま歩を進める。雨はあっという間に強く降るようになっていたので、駅に着くまでに足元は大分濡れてしまった。


――「僕、内心で門木氏って池上かなって思ってたんだけど」


 家に着いても、先程の井ノ口の言葉を何度も思い出していた。

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