第24話 寄贈感謝会の日に
山森は、今は入居者なしとはいえ住居侵入罪になった。あの家の鍵を持っていたことも、私から盗んで合鍵を作ったのではないかと疑われているらしい。私は貴重品をロッカーに仕舞わず、デスクの一番下にカバンごと放り込んでいたので、山森だけではなく誰でも盗めたといえば盗めたのが情けない。
「山森さんは概ね認めましたよ。鍵のことは言わないんですけどね」
飄々とした語り口は相変わらずだ。このところ辻堂刑事はちょくちょくと連絡をくれる。
「辻堂さん、もうとっくに色々分かってるんじゃないんですか? 全部教えてくれないですから」
「人間関係のあれこれっていうのは、ちょっとつついてみて、どう動くのかを眺めてると見えて来るんですよね」
「蟻の観察みたいな言い方ですね」
「でもまだ注意してくださいね。安易に人から物もらって飲み食いしないようにね。署にあるお菓子は安全ですから、また食べにいらっしゃい」
完全に子供だと思われているのだろうか。それももお菓子に群がる蟻の方?
「······また今度巾着に詰めて帰ります。沢山!」
辻堂刑事との電話を切って、池上にも報告を入れておく。もうしばらくの辛抱です、と。
結局、山森は資料館を辞めることになった。私の前住居の管理会社とは示談が成立しているので、公には罪を犯したと認識されていないけれど、けじめをつけるのだそうだ。荷物の整理と挨拶に来た山森は、少し前までの暗い顔から比べるとすっきりとしていて、本人曰く『目が覚めた』と言っていた。
「けいちゃん、本当にごめんなさい。私、どうしてもあのブレスレットを見つけなきゃってことで頭がいっぱいになって······。見つけてあげたら喜ばれるし、使わないならもらってもいいかな、なんて」
「そんなに気に入ってたんですか、あのブレスレット」
「違うの! そうじゃないんだけど······、ある人に探して欲しいって言われて」
「誰かに頼まれたんですか? 八頭女史のブレスレットを手に入れろって」
この期に及んでも誰かは言いたくないのだろうか。少しの間を置き、躊躇いつつも、ぽつぽつと山森が話し出した。
「······うん。あのね、私本当は子供二人いるの。学生の時に産んでさ。子供が出来た時、その人と結婚しようって思って。でも何か上手く行かなくて。結局一人で産んだの。
その人とはそのまま会わないでさ、今の夫と出会って結婚して。でもその時の子供はもうハタチ超えてて、けいちゃんよりも上かな? 歳の離れた弟ですなんて言ってても、やっぱり気づかれるじゃない?
そのことでは親にも迷惑かけたし、夫と別れる気なんてなかったよ。今の夫との子供はまだ小さいし、なのに彼は長距離ドライバーでいつも家に居なくて、姑は口うるさい。
何でこんな人生なのかなって思ってたら、最初の息子の父親が金持ちのとこで婿養子になってるって言うじゃない? それで舅は死んだ。遺産は妻と子供に行くけど、婿にだって恩恵あるじゃない? それで今度姑が死んだり、嫁が死んだら、倍々ゲームなの? 逃げたあいつだけ裕福に暮らして、認知もされない私との息子は?って思っちゃったの。······そしたら、当然の権利が欲しくなってね」
「権利っていうのは」
「最低限、認知して、今までの養育費払ってもらう。それと、彼が亡くなった時は息子にも遺産が行くようにして欲しいって、そう言いに行ったの。そしたら、『今はそれどころじゃない。八頭女史の大切にしていたシルバーメダルのブレスレットが見つからないと破滅だ』って泣き出したのよ。今でも私を愛してるけど、あの時は仕方無かった。義父に逆らえなくて、意の沿まぬ結婚をした。全てが間違えてた、やり直したいって······」
目を伏せて鼻を啜っている。同僚が悲しんでいるのを見るのは嫌なものだし、気の毒ではあるが、だからといって同情はしない。彼女の言動から他害にまで発展しているのだ。
「それでどうしたんですか?」
「けいちゃん、八頭女史の家に行った後からあのブレスレットを着け出したから、きっとこれだと思って。『うちの、ひびの・けいちゃんが着けてるやつかも』って話して、二人の未来のために譲ってもらえないか、けいちゃんに聞こうと思って」
「初めに私のところに来たのは川真田さんでした。その時一緒にいたんですか?」
急に顔を上げてすがるような顔を見せる山森。その目に涙は無かった。良かった。
「いないよ! 道佳くんも行ってない! 私達はけいちゃんを害そうなんて思ってなかった!」
「それなら川真田氏の車に誰が乗車していたか分かりますか? 空き巣に入った人は?」
山森の必死な形相に心が少しずつ冷めていく。ちょっと前まで楽しくランチもしていたのに、この人は自分のために私を売ったんだな、とそんなことまで思ってしまった。
「分からない! 分からないけど、井ノ口さんは池上だろうって。八頭女史を殺したのも門木だから、その正体の池上には気をつけた方がいいよ!」
「······ありがとうございます。気をつけますね」
◇ ◇ ◇
「沢本清彦は、この黄金のデスマスクを当館に寄贈しようとしていた。なのに何かがあって、それを止めて、なるべくこの2体は離しておくべきと考え直したようだ。それはもしかしたら何者かに盗難される恐れがあって、リスク回避のためにまとめて置いておかない方がいいと思ったのかもしれないな」
沢本家への寄贈手続きの書類を作りながら、西村課長がそんなことを口にした。
別の作業をしていた田代主任もすぐに反応する。
「独自に作ったからくり箪笥に保管していたものな。さすが沢本! とつい、その箪笥に目がいってしまって恥ずかしくなったよ」
これをしまうだけに祖父が作ったものです、と言いながら、弓香さんは貝細工が仕込まれた美しい木製箪笥の引き出しを流れるようにいくつか開けていく。と、カチリと音がして一番下の飾り台輪部分が動いた。そしてそこに入った桐箱の中に沢本が隠したかったマスクがあった。
「美しいものだったし、マスク保管に向いているので、一緒に寄贈してもいいとおっしゃって下さったが、映画に関係ないものをご寄贈いただくのも違うからねえ」
まだ少し未練はありつつも、尾崎係長が正論を言う。そう、欲しいものを手に入れ続けていたら資料館はパンクする。先の未来を考えて取捨選択しないといけないのだ。
「······池上はまだ出勤できないのか?」
「そうだな、館内でのデスマスクお披露目報告を済ませてから、だな」
この後、寄贈者と館内向けに佐山義之氏の映画資料の寄贈品報告会を行う。佐山家もご招待して、この度の御礼と寄贈品の目録のお渡し、確認いただきサインをもらったのち、簡単な会を催して一部の資料の公開をするのだ。
もちろん寄贈者ご家族以外は館内職員しか参加しない。これはあくまでも寄贈者への感謝と報告をするためのものだからだ。
寄贈感謝会当日。私はロッカーに入れっぱなしのジャケットを羽織って、大会議室にドリンクと軽食を用意した。尾崎係長と田代主任の手も借りて、その奥に長テーブルを3台横長に設置して白いテーブルクロスをかけ、その上にビニールに包まれた寄贈品の一部を並べていく。
「準備ありがとう、日比野さん」
館長がゆったりと会場に入って来て、寄贈品を眺める。とても状態のいい書籍やスチル、納骨堂に収まっていた富樫のデスマスクもある。
「立派なものだね。さすが佐山氏だ」
「はい、本当に。佐山家の方々はまもなくでしょうか?」
「そう思うよ。じゃあ諸々よろしくね」
「······はい、承知しました」
佐山家のご家族がいらっしゃった。由紀子夫人、美千代さん、華子さん、牧田さん、江藤弁護士の他に、もう一人。
「あの方は?」
「ああ、華子さんの旦那さんで、政治家の丹羽喜市郎氏だね。佐山氏のあの別邸の一帯の地主一家で、何らかの繋がりがあって結ばれたものだろうね。歳も離れてるしさ」
60歳は越えているだろうか、押し出しの強い感じの男性だ。50歳そこそこの華子さんとだと一回り近くは離れているように見える。
館長が佐山家に挨拶に向かい、和やかに談笑を続けている中、館内の職員達も続々と集まってくる。外部委託の職員さんは今日はご遠慮頂いているので、純粋な当館職員だけだと40 名程だろうか。研究員は毎年採用を行うわけではないので、少数精鋭の職場と言えるだろう。
ほぼほぼ集まったところで、西村課長がマイクを取る。
「佐山家の皆様、本日はご来館下さり誠にありがとうこざいます。故・佐山義之氏のこれまでのご功績には快挙に暇がないものでございますが、当館への学術的貢献の御遺志において職員一同大変感謝しております。本日はご寄贈品の整理を終えたご報告と、ご遺族様への感謝の気持ちを表したくささやかではありますが会を催したく思います。
会場には佐山氏よりご寄贈いただいた貴重な映画資料を一部置かせていただきました。本日は皆様とこちらを拝見しながら故人の功績を今一度称えてまいりたいと思います」
慇懃に口上を述べてから、マイクを一つ館長にお渡しする。
「皆様、お手元にグラスをご用意下さい。佐山義之氏の映画界への寄与とご家族様のご健康、当館への感謝を持ちまして······乾杯!」
めいめいが会を楽しむ中、私はゆっくりと寄贈品を眺めていった。その近くには佐山家の皆さんもいて、政治家の丹羽氏の声がよく聞こえる。その側で牧田さんは蒼白な顔で付き従っている。義理の弟になるのに、丹羽さん相手は年上だし緊張するのだろうか。奥様の華子さんは関心なさそうにミニケーキを摘んでいる。由紀子夫人はこれまた牧田さんに負けず劣らず蒼白だ。美千代さんと丹羽氏だけが闊達に話す声が響く。
「日比野さん、自分で準備したのに食べないの?」
井ノ口がおかしそうに笑いながら近寄ってきた。
「用意で匂い嗅いでたら、お腹いっぱいになっちゃって」
「勿体ない! じゃあドリンクは? 取ってあげようか?」
そう言って、さっと瓶ビールを取り上げて栓を抜く。――左手で。
「さっきいただいたばかりなので、後にします。井ノ口さんこそどんどん飲んで下さいよ」
「こんなに素晴らしいものを見てるだけで酔いそうだよ。『夜を殺めた姉妹』の関連品は全て見つかったのかな?」
「そうだと思いますよ。佐山氏所有のものについては」
井ノ口はじっとビニール越しのデスマスクを眺めながら、ため息を付いた。
「資料課はいいね。こんなお宝と間近で接することが出来て」
「そう、ですね」
「日比野さん」
突然、井ノ口が顔をぐっと近づけて、耳元で囁いた。
「八頭さんのブレスレットには何が入ってたの?」
「井ノ口さん······」
「分かってるんでしょう? 色々。ニッコー門木氏が待ってるから、この後ちょっと抜けようか?」
すごくいい笑顔を向けて井ノ口がそう言った。
◇ ◇ ◇
腕を拘束された状態でヨシイ古書店に連れて行かれた。以前に立ち寄った店舗側ではなく、その奥のスペースだ。前に見たことのある店主がにこやかに出迎えてくれるが、完全にミスマッチだ。
「お嬢さんにこんなことしてごめんね? いらっしゃいませ。門木氏なら先に来てるよ」
店主はそう言うと、奥の壁にもたれ掛かっている猿マスクの男を指さした。こちらもガムテープでぐるぐるに巻かれて、口も塞がれている。
「ひびの・けいさんは、池上くんと恋人なの? 違うとしてもそういうことにしようか? それでさ、噂の覆面男ニッコー門木氏が殺人者だって告白してきて、一緒に心中するってことにしよう!」
男から荒っぽく猿マスクを剥ぎ取ると、そこにはグッタリした池上の顔があった。
「池上さん!」
「大丈夫だよ、日比野さん。彼には日比野さんが危ないよって言って、急いで来てもらったから、ちょっと疲れてるんじゃないかな」
優しい声で言いながらも、井ノ口の動きは荒い。そのままベリッと口のガムテープを剥がす。池上の息が浅い。
「平気だよ、日比野ちゃん」
苦しげな池上の腹を井ノ口が強く蹴る。
「ううっ······」
「勝手に喋らないでね」
私は池上の隣に座らされた。
「じゃあ、二人の心中のシナリオを書いたから説明するね。『曽根崎心中』みたいには作れなかったけど、許して」
笑顔で少し高揚したような井ノ口が話し出す。
「まずは、池上はニッコー門木だった。学生の頃から無記名で書いてた映画評論が人気となり、顔出しNGで活動を開始。国立映画資料館の研究員になってからも、こっそり続けていたんだ。
それで新しく入って来た日比野さんと恋人になる。でも池上は門木であることだけでなく、他にも秘密があった。
たまたま知り合った牧田君から『夜を殺めた姉妹』の資料のことを聞いて、どうしても欲しくなったんだ。それでヨシイ古書店さんに相談して、川真田とともに古紙回収者に扮して、いい資料があると佐山さんを唆してトラックの荷台にあがらせて、突き落として殺した」
「私は池上君がそんなことをするなんて知らなかったから驚きましたよ」
私達が黙りこくっているのを見て、彼らは笑みを深めた。
「そしたらちょうど比江島さんが由紀子夫人とあの家で不倫してたんだ。それで比江島に見られちゃったから、池上は比江島を殺した。
不倫してたから痴情のもつれってことにしようとして、あそこをちょん切ったんだけど、比江島さんが八頭さんとも付き合ってたから、そっちに疑いがかかっちゃったんだよね。
そしたら、知らなかったんだけど、八頭さんは昔佐山さんと不倫してたんだって。不倫だらけだね! で、『夜を殺めた姉妹』の資料は一部八頭さんが持ってる、と。寄越すように話しても断られたから、彼女のことも殺しちゃったみたいだね。なのに川真田が欲かいて、彼女と結婚したことに偽造してあの家もコレクションも独り占めしようとしたから、悔しくてまた殺しちゃった。殺してばっかりだね。
佐山さん家の裏山にトウゴマっていうのが育ってて、それを精製するとリシンっていう毒物が出来るんだ。牧田さんは佐山さんに頼まれてひまし油を作ってたからね。その時の残りでリシンを作ることを覚えてた。牧田さんと仲良しの池上は、リシンを手に入れて睡眠薬と合わせて使って殺しまくった。
牧田さんは池上の片棒を掴まされるのは嫌になった。なのに逆に脅されて、リシンで殺されそうになった。でももう牧田さんは死を持って告発することに決めてしまったらしいんだよね。それで恋人に全て話して人生を悲嘆した日比野さんと自殺した。
――というのでどうかな?」
カチンコのようにパンと手を叩いて、『悲恋だねえ』とのんびり言っている。狂っている。
「どうかなって言われても······。でも牧田さんは、自殺するんですか? さっき会場にいたじゃないですか!」
「牧田君は警察に手紙を書いてから、今日死ぬらしいよ。様子は見に行こうと思うけど、止められなくてねえ」
「そんな······」
押し黙る私に、井ノ口が顔を近づけてくる。
「日比野さん、あのブレスレットから何が分かったの? 『素晴らしき石』の在処とか?」
「······そうです。あの赤い心臓のマークが書かれた石のことでしょう? それなら知ってます」
「どこにある? 資料館に持ち帰ったのか!」
「いえ、でも場所は分かります。あれは八頭家の持っているキリスト教の納骨堂に収められています」
「ふふふ、大悪魔の石がキリスト教に? 映画みたいな話だ。その場所はどこだ?」
「どうせここで殺されるなら、教えてもいいですが」
「日比野ちゃん! そんな!!」
池上が悲鳴のような声を上げたが、私は彼らを睨みつけて質問する。
「その代わり教えてもらえませんか。井ノ口さんとヨシイ古書店さん、お二人があの人達を殺したんですか?」
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