第23話 告白

 ずっと探していたビリーズ版の富樫甲児デスマスクが見つかった。それから富樫の創作ノート。その二つが納骨堂のロッカーの中で静かに祀られていた。ひとまずその二つを辻堂刑事が預かって警察署に戻って行った。


「見つかりましたね」

「うん。これが11点のうち紛失していた2点だったんだね。牧田さんにも報告しないと」

「······大丈夫ですか?」

「まあ彼は大したことないから。それにこれを聞いたらホッとすると思う。ずっと盗まれていないか気にしてたから」


 私達は池上が借りて来た車で帰路に着く。どこかでごはんでも食べたいけれど、さっさと新居に連れて行かれて別れた。

 まだ用心がいるのだろう。お互いに。





 次の日に出勤すると、また西村課長からチャットが入る。


西村:昨日、デスマスク見つけたって?


日比野:そうなんです。池上さんの協力もあって、八頭女史の部屋に隠されていた8ミリフィルムに答えが映ってました。


西村:その時に一緒に発見されたノート。これが富樫甲児の創作ノートだったんだが、ところどころドイツ語で書かれていて難解ではあったが、田代が語学得意だから解読したんだ。

 そこには『夜を殺めた姉妹』についての創作の悩みと言うにはおかしな事がかかれていたらしい。

 これから館長に報告に行ってくるんで、私は落ちる。尾崎と田代をチャットに入れるから、詳しくはあいつらに聞いてくれ。そして、おそらくまた秘密裏に動くことになりそうだ。


――尾崎さん、田代さんを招待しました――


田代:お疲れ様。昨日のことは聞いたよ。それで早速だけど、これを読んでくれる?《text添付》


尾崎:読んだらまたチャットに入って来てくれ。それで次の動きを説明する。


日比野:はい。分かりました。





――――――――――


富樫の日記(抜粋)


 いつかはもう覚えていないが、アメリカで白岩監督の日米合同作品を撮るというのに付き合って渡米した時だっただろうか、とにかく、オレの手元には露店で惹かれて衝動買いした石がある。赤くゴテゴテと塗料が塗られた人の頭蓋骨くらいの大きさの石で、どこかの民族の紋様のような図柄で心臓の絵が彫刻されている。


 これを見ていると、何度も同じ夢を見る。繰り返し繰り返し、大悪魔を呼び出して強大な力を得よとオレに告げるのだ。


 オレはよく分からぬ勢いに乗せられて、『夜を殺めた姉妹』を書き上げた。会社から求められていた『黄昏を纏いし姉妹』の続編だというのに、前作とは似ても似つかぬ恐ろしい話になった。こんな話は撮りたくない。

 オレはこの準備稿を破棄し、一から続編を書こうとするが、少しその残虐さを薄める程度にしか変化させられない。そして悪夢も続く。眠れない。

 オレは悪魔を呼び出さなければこの悪夢から逃れられないのだろうか。


 オレは沢本に相談した。続編を撮るということはもう決まっている。あいつがセットの準備が出来なくて困っていることも。オレは今まで全ての映画の脚本は自分が担当していたが、どうしても書けないので思い切って本作に協力してくれる脚本家を招こうと。

 沢本は訝しそうにしていたが、ツテを辿って何人かの脚本家に声をかけてくれた。だが、何故か頼むと相手が謎の体調不良を起こし、引き受けてもらうことが出来ない。脚本締切の期限は迫っているというのに。


 沢本はもうこのまま撮ろうと言う。オレは何かに操られているかのように、それに頷いた。


――――――――




日比野:読みました。こんな事が書いてあったんですか?


田代:そうだよ。この前まではもっと普通の、創作の悩みとかそういうことが書かれていたんだけど、この石を手に入れてからかな、何だか強迫観念に囚われているような言葉が増えていった。


尾崎:そして、映画は撮られた。ここに出て来る石というのは映画で祭壇に飾られていたやつらしい。モノクロだから赤く塗られていたかは分からないがな。


田代:最後に、『後のことは沢本に任せてしまった。不幸がないといいが』と書き殴っているよ。結果、冨樫はこれが遺作になってしまった。いくつか脚本は書いていたのに撮ることがなかったのは、精神的な問題があったのかもしれないね。


尾崎:田代がこれを翻訳してみたところ、沢本清彦が相当関わっていることが分かる。そもそもビリーズ美術館に売却したのも、富樫の死後に行ったのだから、彼のご遺族がもしかしたら何かしらご存知かもしれない。

 そこで我々が調査名目で沢本家にお邪魔させていただくのだが、日比野さんも参加でいい?


田代:もし気が進まないならお休みでもいいよって課長が。


尾崎:そうだね。日比野さんが一番の功労者だけど、体調とかも心配だし。そこは本人の判断でと言ってたんだけど、どうする?


日比野:もちろん行きます。最後まで知りたいので。




     ◇     ◇     ◇




 神奈川に以前存在した撮影所のすぐ近く、閑静な住宅街に沢本清彦の住んでいた自宅があった。

 庭木に覆われているが、ひとたび敷地内に入ると昭和モダンといった風情の洋館風の造りでとても可愛らしい。洋風な中にも鎖樋があったり、丸い飛び石には少し苔が生えている。

 家のガラスも古いものをそのまま大切に使用されているのか、透明なものであってもレンズのように屈折して見えるが、厚みも光の反射も柔らかくて美しいなと思った。

 

「遠いところへようこそ。······資料館さんからはいつか連絡が来るのではないかと祖父も申しておりましたので」

「ご多用のところお時間を作っていただき恐縮です。······祖父とおっしゃいますのは」

「ええ、沢本清彦のことです。私は孫の弓香と申します。当主の兄がおるのですが、体を悪くして入院しておりますので、代わりに私が」

「そのような時に申し訳ございません。先にお手紙でお伺いしましたとおり、沢本清彦氏が作成した富樫甲児監督のデスマスクのことについて、再調査をしておりまして······」

「もしも、資料館さんがここに来ることがあれば手渡すように言われているものがありますの。まずはそれを」


 弓香さんは簡素な茶封筒を取り出して、西村課長に渡した。


「これ、は」

「沢本の、なんと言いますか謝罪文のようなものですわね。祖父はあのデスマスクと言われるものを作るのにとても苦労したようです。製作の苦労、というより、そこに至った事情に悩み抜いた、と。

 これをお読みになれば調査は済むと思いますし、またこちらで保管していた富樫監督のデスマスクもそちらに寄贈したく思います。

 もっと早くにそうしたかったのですが、祖父の考えでこれらは離して保管しておいた方がいい、と思っていたらしいのですが、このような貴重な物は我が家でも年々保管が難しく感じるのです。ですのでどうぞお持ち下さい」

「······はい、ではそのようにさせていただきます。お手間ですが、寄贈にかかる書類は追って郵送させていただきますので、引き続きよろしくお願いいたします」

「分かりましたわ。ああ、肩の荷が降りました。

 私も子がいない身ですので、沢本の姓を継ぐ兄と今後のことを考えなければいけない時期と思っていたのです。これも神の思し召しですわね」


 弓香さんの晴れ晴れとした笑顔に暇を告げて、私達はミニバンに乗り込む。ブロンズの富樫監督と彼の親友・沢本清彦の謝罪文を載せて。



 

     ◇     ◇     ◇




 待ち切れない、という皆の気持ちを汲んで、私達は途中で見つけた全然人の気配のないカラオケボックスに入った。隣接するコンビニのコピー機で人数分印刷を終えた田代主任と尾崎係長が戻り、まずはめいめいでそれを読むことにした。




――――――――――


国立映画資料館 御中



 ここに書き残すことだけで、手渡しもしなかった小生の不明をまずはお詫びする。

 これを手に取っているということは、ビリーズ美術館に引き取らせた資料からでも気付かれたのだろうか。それともあの忌まわしい映画のせいか?


 忌まわしい映画、というのは『夜を殺めた姉妹』のことだ。これを撮ってから富樫っちゃんは気鬱になってしまった。何か新しいものを作ろうとしても、途中で萎えてしまうのだ。腑抜けになってしまった富樫っちゃんの耳には、今も耳障りなあの声が聞こえて来るんだそうだ。

「俺を手元に置け、そしてまた悪魔を呼ぶのだ」


 富樫っちゃんが『夜を殺めた姉妹』を撮る前から、何かに取り憑かれたようにおかしくなっていたことには気づいていた。あのおかしな石が原因かもしれないことも。

 だが、あれを捨てようとすると富樫っちゃんは狂い出す。何度も台本を書き直そうとしても、大悪魔を召喚して周りを切り刻むシーンを削除することが出来ない。


 病んでいく富樫っちゃんを見ていられず、周りのスタッフにも重々言い含めて、さっさと撮り終えてしまうことにした。


 主演の女優二人は前作と同じだが、悪魔となる男の選考には難儀した。既存の役者ではどうしても諾と口に出せないのだと言う。どうにも困っていると、飲み屋で隣り合った男を見て、富樫っちゃんが驚愕して立ち上がり『君、映画に出る気はないか?』と突然言い出した。

 ちょっと優男風の顔立ちのいい男ではあったが、ただの工場勤務の男。そんな男を主演に? と思ったが、男は断りもせずに快諾しやがった。


 男は小生達の心配を他所に、見事に演じきった。見事過ぎたような気もするが、富樫っちゃんが興奮して撮っていたので、周りの雰囲気も良くなり、女優もノッた。

 男の意見を聞いて富樫っちゃんが発注してきた祭壇デザインも、思ったよりもずっと良かった。だが、町工場の男に美術デザインのことをあれこれ言われるのは我慢ならなかった。

 小生は富樫っちゃんに文句を言った。他のスタッフだって、映画はうまく行ってても、あの男にあれこれ言われるのが気に食わないと感じてるやつは沢山いた。その代わり、信望しているようについて行くやつも出て来るのだ。町工場男なのに。


 大悪魔を呼ぶシーンを撮る日になった。順撮りではなかったものの、このシーンが撮影順でも偶然最後になった。終わったら打ち上げだと助監督は酒の準備まで酒屋に頼んでいた。

 そんな浮ついた気持ちが出ていたのか、あのシーンで男は迫真の演技を見せ、女優達も恐怖と安らぎを綯い交ぜにしたような表情を作ってすごい空気を作り上げたのに、何故かあの石が発火した。


 蝋燭の炎が移ったのか、と思ったが、石が強い光を放って燃えているのだ。すぐにおかしいと思った。役者を離して水をかけるが、光は弱まって来たものの炎は消えない。よく見ると燃えているのではなく、陽炎のような揺らめきが炎のように見えているのだ。なんの超常現象だ。


 富樫っちゃんはキャメラを回せと叫ぶ。あの石が燃えるところを映すんだと狂ったように怒鳴るので、キャメラマンはカットの声がかかるまではと回し続けた。だが、その声をかける前に富樫っちゃんは倒れ、撮影所は騒然となった。


 気づくと石は元通り。男は消えていて、富樫っちゃんも意識を取り戻した。


 映画は無事に公開となったが、富樫っちゃんはまだ悪夢を見ているようだった。

 そんなある日、美術セットや小道具を仕舞っている倉庫に行くと、おかしな事に気付いた。あの石が倒れていて、底が僅かに抉れているのだ。

 これは富樫っちゃんの私物なので、壊してしまったかと思って底をよく拭いてみた。すると、赤い変な塗料が剥げた部分が黄金に輝いているのだ。びっくりしてベンジンを付けてさらに拭いてみた。

 この石は金塊にしか見えないような黄金の輝きを取り戻した。


 小生は富樫っちゃんのところに行った。この石は金塊かもしれんと。しかもこの怪しい紋様からして、どこかの部族の呪術的な祭祀品なのではないか、と。

 富樫っちゃんは震えていた。アメリカの露天で買ったと言うが、そんなもの売っていい訳がない。本当に金塊なのだとしたら、組織的な犯罪に関与する品なのかもしれない。うっかり密輸の足にされたのだとしたら家族に何をされるか分からない。


 富樫っちゃん、これ、今のうちに形を変えてしまおうよ。と小生は言った。

 ちょうどこの頃は国内外でデスマスクを作るムーブメントが起きていた。生きているうちに富樫っちゃんのデスマスクの型を作り、地金をこの石を溶かしたものにする。

 小生はこれでも美術監督なのだ。その上から薄くブロンズの膜を貼ってバレないように作ってやるよと。


 生きているうちに富樫っちゃんの顔に油粘土と石膏を塗り、マスクの型を作る。それをさらに加工して出来た黄金マスクはブロンズに見せるように塗装をして小生が隠し持っておく。


 富樫っちゃんは明らかにホッとした顔をしていた。あの心臓の紋様に何故あんなに囚われていたのか不思議だと言って、ようやく笑顔も向けられるようになった。


 良かった。とそう思ったのだが、違ったのだ。


 富樫っちゃんは批評家連中とは付き合わない。映画など好きに見ればいいという考えだから、媚売って雑誌や新聞屋によい記事を書いてもらおうなんてせせこましい、と取材なんかも役者にやらせるクチだ。それなのに、富樫っちゃんの熱狂的な信望者が、思いあまって撮影所に忍び込んで『夜を殺めた姉妹』の台本や小道具を盗んだというのだ。

 それからその批評家は仕事を辞めたようで、映画の関連するものを気が触れたように収集し出したらしい。


「すっかり気味が悪くなっちまったらしいですよ、あの人。泥棒なんかに同情はしませんが、何か悪い病気でも拾ったのかねえ。げっそり窶れちゃって、いつも小瓶を握ってブツブツ言ってるんだとか」


 撮影所の出入りの新聞屋がそう言ってるのを聞き、小生は「あいつ、あの石を持ってるんじゃないか?」と怖くなった。


 あの変な塗料を剥がして形を変えたら、ひとまず呪いのような状況は落ち着いたというのに、あいつは赤い塗料のままの石を持っているのかもしれん。


 だが、その批評家は知り合いでもないし、えぐれだあの石を持っているのかとも判斷できぬ。


 『夜を殺めた姉妹』を撮った後、結局のところどうしても次の作品が撮れないまま、富樫っちゃんは亡くなった。53歳とまだまだこれからだったのに。


 小生は「富樫っちゃんのデスマスクを作る約束をしていた」とご家族に話し、実際にマスクを作った。生前に黄金マスク1体、死後にデスマスク3体。計4体だ。


 他の『夜を殺めた姉妹』関連のものと併せてアメリカの美術館に売却して、いかにもそれが初めに作った本体で、他は複製だと匂わせておく。


 アメリカのビリーズ美術館の館長は、日本映画かぶれだ。富樫っちゃんのことが大好きらしく、かき集めた11点の『夜を殺めた姉妹』関連品を大変評価して買ってくれた。富樫っちゃんの制作ノートを渡すのは悩んだか、もしも何かが起きた時のためにすべてを破棄するのは良くないと思ってうった。公開する時は指定したページ以外は展示不可としたが、果たしていつまで守ってくれるか。

 金塊があったらもっとお金持ちになるかもしれなかったご家族には申し訳ないが、あれは忌まわしいものだ。アメリカに売り飛ばした分のお金をお渡しして、これが富樫っちゃんの気持ちだと言い切ろう。


 1体は富樫っちゃんのご家族、1体はアメリカ、1体は資料館、1体は小生の手元。資料館には本来のデスマスクを先に寄贈しておいて、時間を置いて小生の持つ黄金マスクも寄贈する。こちらは出来が良くないので予備として外に出さないように話しておいて展示は必ず先に渡した方にするよう厳命させてもらおう。重さでバレるかな。富樫っちゃんの顔の老け方でバレたら面白いがな。


 黄金マスクには『これは制作過程に難がある複製である』というシールを裏に貼っておいた。

 アメリカのは『これは一番初めに作ったオリジナルである』と書き、遺族のと資料館に先に渡した方には『2つ目の複製』『3つ目の複製 』というシール。特に嘘ではないが、実際は黄金マスクが一番良く出来たと思う。


 あの石が人を惑わすのは何故なのか、惑わされない人がいるのは何故なのか。そこは結局分からなかった。現にあの石が近くにあった時も、黄金マスクが横にあっても、小生には何もない。


 泥棒の批評家のやつはどうしただろう。名前が分からず恐縮だが、きっとやつは惑わされたのだろう。あの石の周りには血がついた爪が辺りに転がっていたのだ。そう確信している。


 月を見ていると思い出す。もやのように暈がかかった様を人々は雨が降るのかと話すが、小生にはあの石の炎のようにゆらりと悪魔の影が現れたのじゃないかと思って身震いがする。いつか強く発光し、今度こそ小生を悪夢に引きずり込むのでははないか、と。

 


沢本清彦 拝


――――――――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る