第2話 佐山氏のコレクションハウス
池上のナイスアシストのお陰で、このあたりで人気がある焼肉店の弁当が会議室に運ばれて来ることになった。
「館長、これでやる気出ました! ご馳走様です!」
「うん、まあそれくらいはね······。皆お宝探しで興奮せずにね。白手袋と新しい靴下用意して、あまり長居もしないように。先方様はまがいなりにも大切な方を亡くされたばかりなのだしね」
福峰館長の言葉に、急に胸が詰まってしまった。佐山氏との思い出の消えないまま、我々が土足で立ち入るのはたしかにご家族様からすると辛いものがあるだろう。そう考えていると、西村課長が早々に弁当を食べ終えて、ペットボトルのお茶を回してくれる。
「そうは言っても、佐山氏はご家族とは離れてお一人で暮らしていたんだよ。都心から少し離れた場所にね。だからこれから伺うのは佐山氏個人の邸で、奥様方もあまり来たことがないらしい」
「えっ、そうなんですか?」
「元々は所蔵資料が増えたからそれ用に家を建てたとお聞きしたが、佐山氏は元旧家のお坊ちゃんだからね。そうでないと都内在住の戦争経験者があんなに――言い方は悪いけど、お金に物を言わせてコレクションなんて出来ていないと思うよ?」
佐山義之。享年87歳。戦中は防空壕の中でも、当時雑誌の付録に付いていた映画フィルムの栞や、手回しの映写機で壁に投映出来る玩具映画フィルムと呼ばれるものなどをクッキー缶に入れて大事に抱えていたという。
玩具映画は娯楽として一般家庭にも浸透していっていたとは聞くが、それを何本も所有している少年を想像すると、やはり豊かな御宅だったのだろうと思える。
「とにかく、先方様にはくれぐれも粗相のないように。御香典は西村に渡しておくから。
あと、変な輩には気を付けて。よろしくね」
◇ ◇ ◇
日が落ちた夜八時。私達の車は東京都下の閑静な住宅地を少し抜けた先の一軒家に到着した。
著名な映画コレクター佐山義之氏の邸は、玄関ポーチの灯りをともしてひっそりとそこにあった。
「一気に降りると目立つかもしれないから、まずは課長だけ挨拶に行ってきてもらえますか? 僕らはバス停の近くのパーキングにとりあえず行ってますから」
「分かった。後で連絡するから、その後二人ずつ時間を空けて来てくれるか?」
田代主任の提案で、西村課長だけが先に佐山邸に伺うことになった。私達は行きしなに見つけておいたパーキングに停める。コンビニとかでいいのでは? と聞いたら、我々の顔を知っている者が張っているかもしれないから念のため避けたとのこと。
そうか、懸念すべき相手が映画コレクターさんの場合、こちらの顔を知っていることは大いにある。特に田代主任は映画上映前のトークショーにもたまに出ることがあるし、映画評論も積極的に書かれているので、当館に通う映画ファンであれば知っている人も多いかもしれない。
「あの、佐山さんは具体的に誰かに収集品を狙われているかもしれないと、思ってたりしたんですか?」
もしある程度見当がついていたのなら、その方を注意して避けるということではいけないのだろうか。そういう単純な気持ちで聞いてみたが、全員に首を横に振られてしまった。
「日比野ちゃん、そういうことなら簡単なんだけどね。現在の著名なコレクターさん達は皆ジャンルは違うけれど、それはプライドの問題もあってね」
「プライド、ですか?」
意味が分からなくて戸惑っていると、尾崎係長が補足してくれる。
「あのね、コレクターさんが皆初めからジャンル被りしなかったわけじゃないんだ。それぞれに収集を始めて、たとえば当館に映画を見に来た縁で知り合い、お互いのコレクションの話をして、誰かが負けたと感じる。そうすると、その人はもうそのジャンルでは勝ち目はないから他のものを収集するようになる。だけど、その元々のジャンルに執着がないわけではない。かもしれないんだ」
「ここが難しいところで、当館でも常設展示を行っているだろう? その時に展示されているものを見て、他の誰かが同じものを持っていると言う。自分は手に入れられなかったものを持っている。そういう気持ちって、どう変わっていくか分からないだろう?」
「そりゃ僕達には彼らは皆善人さ。ただの映画好きの人だとしか思わない。だけど、生半可ではないコレクター同士のいざこざや内面はね」
「それほど危惧するということは過去に何かあったんですね」
全員が微笑むのできっとそういうことなのだろう。常識のありそうな人に限って変な場合もある。図書室にも映画好きを拗らせてるのか、特別上映作に合わせてものすごく難しい映画クイズを毎回自作で持って来られる方がいたり、館内案内の受付嬢にロマンポルノ特集の時だけ何度もタイトルを聞いてくるおじさんもいたし。
そうだ、映画好きがインドアで大人しいだけなんて幻想だ。特に当館のように上映回数が少なく、決められた席数以上に観客を入れないところは、そのチケットを手に入れるために早くから長蛇の列が出来ることもある。その行列での客同士のトラブルはもはや日常茶飯事だ。
それからこれは別の映画館スタッフから聞いた話だが、某人気SF映画のパンフレットを館名入りで作った時には、その表紙が指紋の付きやすい黒の光沢紙印刷であったこともあり、少しの指紋も許さず綺麗なものを手に入れたいと客の暴動が起こったとも聞く。人気のアニメ映画の原画を手に入れようと、その会社が契約している掃除業者になって侵入するなど、枚挙にいとまがないほどだ。
行き過ぎた映画ファンの問題行動は、今までどこか笑い話のように聞いていたが、そういうことがコレクターの世界でも起きているのかもしれない。
あの紳士な佐山氏からは想像がつかないが、そう思うと彼の世界でも熾烈な争いが起きていたのだろう。
「人の欲望に際限はない。だから念のために用心だけはしておこう」
「分かりました」
私が頷いたちょうどその時、西村課長から連絡が入った。すでに奥様がいらしてて、呼び鈴無しで自由に入ってもらって構わないとのこと。
「じゃあ初めは池上と日比野さんがカップル風にして歩いて行って入ってくれ。中に入るまで手袋等はしないように。私は少し離れた場所で辺りを窺っているから、何かあったら携帯を鳴らすので、マナーモードにして振動を感じられるようにしておいて。その場合は入らないように」
「了解です! 行こう、日比野ちゃん」
街灯の少ない道は、この少し先に畑が広がっているからかシンとしている。秋になれば都内でも蛙の合唱が聞こえたりするのだろうか。
「日比野ちゃん、ノーパソ入れたリュック重たくない? カップルらしく持ってあげようか?」
「大丈夫ですよ。それより他のコレクターさん達ってどういう方々なんですか?」
「うーん、それを今話すと声が響きそうだからあれだけど、全員当館のヘビーユーザーだよ。図書室にも常設展にも、もちろん上映にもよく来て下さる。だから日比野ちゃんも知らず知らずに会っているかもね」
「そうなんですね。全員男性ですか?」
「ううん、一人は女性だね。······あ、着いたみたい。田代さんからも連絡ないから入ろうか」
先程のパーキングから十分程歩いた先に佐山邸はあった。築30年程は経っていそうな造りだが、シンプルであまり目立った装飾もない家だ。その四方には庭木が植えられており、後ろには小山がある。都心とは違い、両隣ともゆとりがあって羨ましい。
玄関から中に入ると、携帯用のスリッパを履いてますは玄関からすぐの応接間へ。
「失礼いたします。国立映画資料館の者です。この度は御愁傷様で······」
珍しく真面目な口調の池上に合わせて私も頭を下げるが、奥様と思しき方は、いい、いい、と手を振って止めさせた。
「西村さんから話は聞いているわ。私は佐山の妻で
「······承知しました」
少し棘のある言い方をする方だ。佐山氏とは歳の離れた結婚だったのだろうか、60代半ばくらいのほっそりとした方で、身のこなしにもゆとりのありそうな御婦人特有の貫禄がある。着ているものもシックだが光沢のある高級レース生地のセットアップ。私なら汗染みを気にして夏服なのに夏に着られない気がする。
佐山氏とあまり上手く行っていなかったのだろうか。我々の名刺だけ受け取り、後はよろしくとばかりに奥様は席を立ってしまった。
「······一度帰られるそうだ。退屈だからとおっしゃられて」
疲れたような顔の西村課長にギョッとするが、この短期間に奥様からの愚痴を聞いて疲弊したようだ。一体どんな話をしたのだろう。
「来る時に何もなかったな? じゃあ十分後に尾崎も呼ぼう。田代は見回り後に来てもらおうかな」
「あ、じゃあ俺、尾崎さんに連絡しておきます」
「よろしくな」
池上が尾崎係長に連絡をしている間、私は西村課長とともに一階奥の階段近くにあるリビングに移動し、ノートパソコンを立ち上げておく。応接間の高級テーブルでは傷をつけそうで怖かったし、何となく部屋全体が立派すぎて落ち着かないからだ。
ここで館と同様にデータベースが使えればいいのだが、館外での利用は難しいので、必要になりそうな邦画の紙関係のデータの簡略版をcsvに落としておいたのだ。あっさり目録のデータがあればUSBメモリに入れてしまえるのだが。
初めにお邪魔した応接室はいかにも洋風だったが、ここのリビングは一転して昭和風というか純和風になっている。残暑厳しい時期だが何故コタツが出しっぱなしなのだろう。テレビやレコード、茶箪笥も置かれているので、ここでよくお茶を飲みながら寛がれていたらしい形跡が見える。リビングというか茶の間なのか。
「日比野さんはここにパソコンを置いておいて、まずは蔵書コーナーに行って佐山氏の所蔵目録があるか調べてくれる? 佐山氏がパソコンで管理していたら楽なのだけど、あの御歳だからPCの類を使っていたのか知らないんだ。USBメモリとかそういうものもあれば集めて」
「はい」
私は白手袋をはめてマスクを付けた。紙資料を扱う時の基本装備だ。アレルギー体質な訳では無いが紙に住む虫達を見ていると痒くなりそうで辛いのだ。
準備を済ませてから失礼して書斎へとお邪魔することにした。
佐山邸は外からでは分からなかったが、建物の中心に中庭が据えられたロの字型の造りになっている。庭を回廊が取り囲み、各部屋への光はここから採られていて、建物の外側に窓は殆ど無い。そして自宅では珍しいと思うのが、全ての部屋に鍵が付いていて、来た時にはどこも施錠がされていたらしい。玄関からだと回廊を進み、突き当りの先に階段があり、書斎はその二階に据えられているようだ。その不思議な造りに、玄関から階段を隠すように作られているのかなと思ってしまった。
書斎は二階に上がってすぐにあった。茶の間リビングと同じ場所だ。中に入ると本棚に覆われた窓のない部屋になっていて驚く。光で資料が劣化するのを懸念してそのような設計にしたのかもしれないが、自宅でこれは本当に徹底している。電気はどこもLEDにしているのだろうし、全室しっかりと温度と湿度の調整もなされているようだ。コレクションハウスとしてよく計算されている。
この書斎の広さは20畳程だろうか、本棚を外して考えたらもう少し広いのかもしれない。四方が作り付けの本棚に囲まれ、ドアから入って右側には仕切りのように天井までの本棚がある。左奥に作業スペースのような形でデスクがあり、何かしらの書き物をした跡が見える。
私は一度手を合わせて拝んでから、本棚を見せてもらう。
私家本でもそうだったが、佐山氏は邦画の紙資料コレクションをメインにしていらしたようで、洋画に関するものはとても少ない。
1936年のコーナーが出来ているので一瞬不思議に感じたが、生まれ年なのか。その年に起きた国内外の事件や出来事がまとめられた本なども置いてある。もしかしたら生まれ年の物を集めるとかそういうところから収集が始まったのかもしれない。東京生まれ東京育ちであれば、映画館も多かったから映画チラシなら子供でも集めやすかったかもしれない。
昭和11年というと2・26事件が起きた年――ふと歴史を感じてしまう。そして怖ろしいことにこの年に公開された558作品の邦画チラシを全てコンプリートしているらしい。日本映画が華やかだった時代を想起させる資料ばかりで、それだけでも時を忘れて眺めてしまいそうだ。いけないいけない。
チラシ集を戻して、目録を探す。あれこれと眺めてみるが、本棚には置かれていないように思う。本棚は諦めてデスクに向かう。まずデスク上にはそのようなものはない。目録なら相当の厚みになるだろうから、一番大きな厚みのキャビネットファイルでも数冊分になるだろう。
もう一度拝んで、躊躇いつつもデスクの引き出しに手をかける。案の定というか鍵がかかっており、少しホッとする。それ以外には目ぼしいものは見つからなかった。
ひとまず確認を済ませたので茶の間リビングに戻ると、西村課長と池上、後からやって来た尾崎係長と田代主任までもが何やらうんうんと唸っている。
「課長、すみません。所在には目録らしきものがありませんでした」
「日比野ちゃんおかえりー。ちょっとパソコン使ってたよ。書斎は他にどうだった?」
「ええと、紙資料が綺麗に収納されていましたが、さほど珍しいものはない感じですかね? もちろん量はすごいものでしたが」
「そうか。そっちには私家本に載っていたものってあった?」
そういえば、本に載っていた映画館チラシはあったけれど、書斎は主に映画雑誌系でまとめられており、そこまでレア物という感じではなかった。上手く言えないが本気感が薄いというか。
その事を伝えてみると、四人も頷いていた。
「そうなんだよ。我々も他の部屋をざっと見て回ったんだけどね。資料は中性紙にビニールで覆い、光を遮り、温度と湿度も調整されている。部屋も綺麗に保たれ、一見貴重品を管理している風だけど、わざわざあのような手紙を残して内密に我々を寄越す程の物がないというかさ」
「あそこまで厳重にする程の何か、しなければならない程の何か、が見当たらないということですか?」
「うん。荒らされた形跡はないが、すでに運び出されているのだろうか?」
「でもそれならその物があった場所がガランとするのではないですか? それとも何か他の物で空きスペースを補填しているとか?」
「俺達もさ、初めて来る場所だから、何が消えて何が増えているのか分からないんだよね。困った困った」
最後に池上はおどけたように言うが、これは本格的に困っているのだろう。彼はこういう人だから、空気を和ますために軽く言うところがあるが、他の人達の反応がないので、そのまま黙り込んでしまった。
「あの、課長。その佐山氏からの手紙には、具体的にどういう事が書かれていたんですか? 先程はここに隠れて来る事くらいしか伺わなかったので」
「ああ、そうだね。じゃあこれ読んでみるかい?」
西村課長がそう言って、懐から封筒を出して、中の手紙を渡してくれた。
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