映画をむさぼり、しゃぶる獣達――カルト映画と幻のコレクション

来住野つかさ

第1話 映画コレクター佐山氏亡くなる

 どんなジャンルでもそうなのかもしれないが、映画コレクターとして名を馳せる幾人かには、おいそれと人に言えないようなルートで物を収集している方がいる。らしい。


 そんな噂を聞いたのは、私――日比野恵ひびのめぐみがここ国立映画資料館で勤め出してからだ。


「えっと、それはこの本に載っている方もそうだと言いたいのですか?」


 私はこの頃、多くのダンボールに囲まれながら仕事をしている。1920〜30年代頃の映画館で配布されていたチラシ『館プロ』と呼ばれる映画館が独自に作っていたパンフレットの前身のようなプログラムを地域ごとに分類し、さらに劇場ごとに分類、その後ここに掲載されている作品が本当に公開されていたのかを当時の映画雑誌を当たって調べているところだった。

 最後に作品タイトルに変更がなかったかを確認してから中性紙に挟んで保存。併せてデータベースに入力していくという作業の中で、ふとこの間調べても分からなかった女優さんのブロマイドと類似した写真がチラシに載っていたため、他の資料からも確認が取れないか年代を頼りに図書室まで探しに来ていた。


 そんな私に、当館図書室の司書・井ノ口豊いのくちゆたかが、他にも参考になりそうな資料を探してくれながら、最前のような雑談を仕掛けてきたのだ。


「うーんどうだろう。彼は有名な映画資料コレクターの方だ。私家本でこの資料本を出されたけど、実際に価値の高いレア物はここには掲載しなかった、という話だからね」

「それは何故ですか?」

「決まってるじゃない、それを持っていることがバレたら何されるか分からないからだよ」


 何されるか分からない、というのを聞いて、私は口を噤んでしまった。


「色々とね、表立って口に出来ないルートで手に入れてるんじゃないかな」

「······犯罪行為とか?」

「いや、あくまで噂だよ。今、日本には五名の有名なコレクターの方々がいるけど、それぞれ収集ジャンルは違えど、お互いに本当のお宝は家族にも口にしていないらしいよ」


 私は高名コレクターさんの一人――佐山義之さやまよしゆき氏の映画資料本をパラパラと眺めた。佐山氏は当館の図書室にもよく来館されるが、大変穏やかな紳士だ。また佐山氏は紙資料をメインに収集されていて、私が現在調べている映画館チラシも館名ごとに注釈を入れながらいくつか掲載しておられ、この本にはいつも大変お世話になっている。

 チラシに記載された映画館はすでに無いものも多く、また調べる足がかりとなる地名もすでに統廃合で変更されていたりもするので、ようやく判明したものをデータベースに入力しながら、どの地域に何年頃映画館が多く存在したという参考資料を作ろうと思ったのだが軽く考えてはいけなかった。その道のりはなかなかに険しそうで、手を出したことを後悔しそうだ。

 

 それでも始めてしまったのだ。私は紙魚やチャタテムシ、シバンムシと戦いながら白い手袋を汚して作業を続けていた。


 




 国立映画資料館は、その名の通り国が運営する映画資料を収集、保存、復元、研究、公開する館だ。他の館と大きく違うのは、来館するお客様に公開するものが全て映画に関わるもので、メインは映画上映というところだろう。


 国内外の映画資料の中には当然映画フィルムも含まれる。別の場所に分館と呼ばれる広大な敷地面積のフィルムの収蔵庫があるのだが、そこに隣接した形で大きい資料――たとえば撮影用の映画カメラや映写機なども各種置いてあり、館に常設されている資料展示室の展示品入れ替えや、他館に貸し出しする際に私も立ち会いに行くことがある。

 フィルムの方は、ここの収蔵庫では室温5℃、湿度35℃前後に統一して一定の室温を保って保管されている。映画上映が決まったフィルムをここから運ぶ場合には、水滴がつないように段階的に室温を上げた保管場所に移しつつとなる。


 何となく学生時代から映画が好きでよく見ていた私は、ここでの資料整理の仕事が募集されているのを見て呑気な気持ちで入ったクチだ。思った以上に多種多様の資料が未整理のまま倉庫に溜まっている現状を見て、初日に呆然としたことを覚えている。

 大学を出てここに務めるようになって一年半ほどだが、まだまだ分からない事だらけだ。


「いやあ、紙って重いよね。ポスターが一枚なら楽なんだけど、それを何万枚も保管するとなると、いくらデータベースに入力してナンバリングしておいても、それを取り出すのが恐ろしい重労働だよね」

「本当ですね! 明日筋肉痛になりそう」

「日比野さんはまだ若いでしょ! でも歌舞伎の若様が映画ポスターと一緒にコラムを書くって言ってるんだもん。希望するものは全て出しておかないとね!」


 今日は館地下収蔵庫のポスターゾーンに来て、調査資料課の同僚・山森美香やまもりみかとともにポスターを持ち上げながら、歌舞伎の若様が求める作品のポスターを取り出していた。若様の希望するポスターの映画で美術監督を務めていた沢本清彦は、それのみならず紙関係のデザインも手掛けていた方で、同世代のポスターと比べてもちょっと洗練されていて人気がある。


沢本清彦さわもときよひこのポスター作品は、この独特の書体と写真を使わずにイラストで作るのがおしゃれだよね」

「サワモト書体、私も好きです。こういうデザインノートがあったら買いたいくらい」

「売れそう! でもうちってミュージアムショップとかやらないもんね。図録とニュースレターくらいで」

「そこまで大風呂敷広げられないし、著作権の問題とかあるんじゃないですか?」


 結局、大汗をかきながら歌舞伎の若様のコラム一年間分のポスターを取り出して、私達は席に戻った。全てのポスターを専用の収納棚に入れるには分類とナンバリングを終えてからでないと難しい。重複がありすぎるのなら、それも含めて保管すべきか等考えなければならない。しかもポスターも二番館、三番館での上映のものと、初公開されたものでやはり違うし、そもそも収納棚の設置場所にも限りがあるのだ。そして怖ろしいことに未整理のダンボールの山を減らさないと、これ以上収納棚すら置くことが出来ない。保存し続けていくというのは増え続ける資料との格闘だなとつくづく思う。


 ヘトヘトになっている私達を見かねた他部署の上司にお茶をご馳走してもらい、しばし二人で休憩スペースを陣取って休んでいると、館長室から同じ調査資料課の面々がドヤドヤと出て来た。


「お疲れ様です! ······なんかありました?」


 早速山森が声をかけると、いつもより少し険しい顔の西村一朗にしむらいちろう課長が声を落として答えてくれる。


「ああ。君らは佐山コレクションって知ってるか?」

「ええ、もちろん。著名な映画コレクターさんですよね? うちにも多く寄贈してくれている」

「その佐山義之さんが亡くなった」


 休憩スペースの皆が息を呑む。


「それで、急ぎ今夜に佐山邸にお邪魔するのだ。佐山氏は、自身にもしものことがあった場合は当館に連絡し、友人知人はもちろん新聞等にも死去の一報は載せるなということを奥様や弁護士に言っていたらしい」

「それって」

「おそらく他のコレクターに家探しをされないうちに、秘密裏に国に保管してほしいということだ」


 私達は思わず息を呑んでいた。この間冗談混じりに話していたことは噂ではなく本当のことだったのか。


「だから、喪服も着ずに、夜人目を避けて来てほしいんだって。でも何があるか分からないから大型車で乗り付けたいけど、トラックで行ったらバレるかもだよねえ」


 調査資料課イチのおちゃらけ者、池上聡太いけがみそうたが彼のキャラクター通りに話してくれるが、いつもと違って目は笑っていない。


「ふーん、何か大変なのですね」


 それでは彼らは日が落ちたら佐山氏の邸に伺うのか。そんな風に思っていたら、西村課長がこちらを見やって申し訳無さそうに頭を下げる。


「すまないのだけど、館長からこれは調査資料課で内密に動いてほしいと言われているんだ。だからまずこの話は他言無用ということ。それから、現地で物品を運び出す際に仮に目録を作ることになりそうだから、どちらかに来てもらいたいのだけど」

「えっ、今夜ですか? 私無理です。子供のお迎えありますもん」


 山森が速攻で断り、当然全員の目は私に向かう。


「日比野さん、いい? 残業代は出すからさ」

「······はい。喪服なしでいいんですものね。それなら行きますよ」


 私が返答すると、「よろしくねー」と言いながらさっさと山森が立ち上がり、自席の片付けに行ってしまった。


「さすが『淡々系』の日比野さんだね」

「それ、前も言いましたけど分からないんですが」

「······僕は、おじさんなのか? 若者と話が合わない」


 落ち込む尾崎隆弘おざきたかひろ係長を宥めるように、池上が補足してくれる。


「昔、90年代〜2000年始めくらいかな? 淡々と日常を描く映画とか漫画が流行って、『淡々系』とか『日常系』とか言ったんだよ。日比野ちゃんなんて下の名前もそう読めるし、今なら『ヒビノ系』ってことかな? 時代は巡るねえ」

「ああ、バブルの時の服を『渋カジ系』とか言うのと同じですか?」

「大雑把には同じだけど、ちょっと違うし傷ついた」

「俺も」


 何故か尾崎係長だけでなく田代剛史たしろつよし主任まで落ち込んでいる。どうしてだろう?

 

「えー、似合ってていいね! じゃあ私、これから日比野さんのこと『けいちゃん』って呼ぼう!」


 山森がまた戻って来て謎のあだ名まで決定してしまったところで、西村課長が手を叩いた。


「皆、悪いね。じゃあこの後会議室に集合しよう。詳細を話すから。ではまた後で」

 




 その後の仕事は正直手に付かなかった。そうこうしてる間に就業時間が終わり、他の人に気づかれないようにひっそり集合した調査資料課のメンバーと会議室に入り、西村課長が来るのを待つ。


「でもさ、日比野ちゃんって一人暮らしでしょう? 夜遅くなって帰り大丈夫?」

「どのくらい遅くなるんでしょう? 今日は洗濯してないので、まあ平気かと思いますが」


 池上の問いかけに、これからのことを思って少し緊張して答えていると、尾崎係長が吹き出した。


「日比野さん、緊張し過ぎだよ。遺品整理には前にも行ったことがあるから、君は読み上げるものを書き留めてくれればいいからね」

「そうそう、俺は恐らく外の見回りになるのかな? ガタイ的に」


 と田代主任も笑って会話に入ってくる。


「だからそんなに考えなくても平気だよ。きっと」

「きっと、が怖いですね。でもあんまり考えるのは止めときます」

「日比野ちゃんらしくなってきたね! 淡々とこなそう、今夜は」

「はい、よろしくお願いします」


 ちょうど話が一息ついたところで西村課長と福峰ふくみね館長が入ってきた。


「皆さん。急なことで申し訳ないが、先に話した通り、この後佐山邸に向かってもらい、奥様の遺品整理を手伝ってきてほしい。佐山氏は高名な映画紙資料のコレクターだが、奥様やご家族は関心がないようで、無闇に処理してしまうよりかは遺言にあった我々のところに一番に入ってもらって出来るだけ寄贈したいということらしい」


 館長がいかにも申し訳ないという顔で頭を下げてくれた。こういうところが腰が低くて人当たり良さそうに見えて、······実は相当切れ者の館長の技だ。


「承知しました。向かうのはこのメンバーですか?」


 尾崎係長の声に西村課長が応えて、説明を始める。


「そうだね。ミニバンでも借りて、田代が運転。私と尾崎と池上、日比野で現地入り。現地では、細心の注意を払って行動する必要があるので、田代は佐山邸に車をベタ付けせず、車を適当に走らせて周辺の様子もチェックしてみて問題なさそうなら合流で。

 そして実働部隊として残りのメンバー。私達は映画資料の確認。うちのデータベースにあるものは基本的に貰わない。だが、希少価値のあるもの、状態の良いものは譲っていただきたいという気もするので、そのあたりは臨機応変に。

 日比野さんにはノートパソコンを貸すから、データベースからうちの紙資料簡易リストを抽出しておいてもらって、現地ではそれと照合して持ち出す資料の一覧を作ってくれ。

 最終的にお持ちの資料を全て目録状にしてお渡しして差し上げたいが、もしかしたら几帳面な佐山氏のことだから、すでにそういうものが存在するかもしれん。というか、その所蔵目録を先に見つければ作業は大分楽になる。

 動きはそういう感じだ。いいな?」


 皆が頷き、了承の意を示す。

 その時に、池上が間延びした声で質問する。


「あのー。残業代の他に夕飯出ますか? 焼肉弁当とか」

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