第9話 ヨシイ古書店の噂

「こういうケースって犯人を捕まえて賠償してもらうのは難しいんですか?」

「そもそも、その趣旨に賛同してお金を送っているんでしょう? 出す理由が映画製作費であるなら、作らないのは詐欺だと思います。ただまだ作り終えてないだけだ、とかいくらでも言い訳出来るように注意表記がされているかもしれませんし。

 万が一映画が完成出来ない時はお別れ会を開催するとか、違うことが条約で書かれてたりしたら、そっちをするつもりでした、いつまでと期限を設けてませんでした、と逃げられるかもしれません。

 私は生憎詳しくないんですが、色々抜け道が作りやすいからこの手の詐欺が増えてるんでしょうしね」


 クラウドファンディングには購入型と寄付型というものに分かれるらしい。購入型というのがリターンがあるもの。今回でいうと、購入額に応じて『エンドクレジットに載せる』『DVDをプレゼント』『監督のオリジナル脚本を製本化してプレゼント』『映画キャストとして出演』『映画スタッフとして参加』というのがリターンだった。

 だからいずれ被害者で結託して訴えて、捕まるのではと思っていたが、お金を支払った人の中でも見解が分かれているのだという。あの映画監督の晩節を汚すような真似をしたくない、と訴えることに反対の人も中には居て、遺作が観たい、騙されたと思いたくないファン心理の複雑さが如実に現れているんだという。


「とにかく、この詐欺の件は、当該事件に関係あるのかどうかは調べて判断したいと思います。あと、いくら政治家さんの圧力があったとしても、佐山さんの件もいつまでも隠しておけるものでもないでしょう。そうしましたら貴館の総務課さんや映画普及課さんにもお話を聞いてみようかなと思いますが、こんなに日比野さんが優秀ならまたお付き合い頂きたいですね」

「いや、そんな······」


 必要箇所をスマートフォンで撮影し終えた辻堂刑事とともに立ち上がったところで、突然声がかかった。


「日比野ちゃん、おつかれー。結構時間かかってるみたいだから、大変そうなら交代しようかと思って来たよー」

「あ、池上さん」

「すみません、長々と付き合わせてしまって。さっき日比野さんが機転を利かせて私をここの研修員としてくれたので、また追加でお伺いしたいことが出てきましたら、その体でお邪魔することに致します。では失礼します」


 帰って行く辻堂刑事を見送り、ほっと息を吐く。それを見咎めた池上が、あからさまに眉を顰めて文句を言って来た。


「ずるい」

「え、ずるいってどういうことですか?」

「日比野ちゃんが来て話しかけてくれたって、原さんと馬場さんに自慢された」

「それは頼まれたからですよ」

「俺のところにも来てほしかったな」

「そんな事言われましても、聞くことないじゃないですか、池上さんには」

「そう? 俺何でも答えるよ」

「とにかく、事務室に戻りましょう」




     ◇     ◇     ◇




 西村課長に報告をした後。報告漏れがないか気になったので、私は今日のことを備忘録としてメモに残しておこうと思った。


 井ノ口と牧田は友人、比江島が親しくしていたというヨシイ古書店店主、映画獣と言われる人々、比江島と八頭が恋人疑惑、クラファン詐欺のトラブル。他に何かあっただろうか。

 ぼんやりしていると終業時刻になってしまった。


「けいちゃん、何か考えごと?」

「あ、お疲れ様です。山森さん、今日は時短勤務じゃなかったんですね」


 山森は小さな子がいるため、いつもは早上がり制度を使っているのだ。だからこうして定刻まで一緒なのは珍しい。


「うん、今日は母の家にお泊まりの日だから、お迎えも頼んだの」

「そうでしたか。おばあちゃん家にお泊まりいいですね!」

「まあね。それでさ、こんな事あんまりないから夜ごはんとかどうかなって思って」

「えっと」


 しまった。今夜の上映作観たいんだよなあ。でもめったにないことだから断るのも申し訳ないし。

 一瞬迷いが出てしまったところで西村課長から声がかかる。


「日比野さん、ちょっといい?」

「あ、はい。······すみません、山森さん。呼ばれてしまって」

「ああ、気にしないで! 色々大変そうだし、手伝えることあったら言ってね! じゃあお疲れ様」

「はい。またの機会に。お疲れ様でした」


 若干後味悪い気持ちになりつつも、西村課長のデスクに向かう。


「ごめんね、山森さんの話に割り込んで。館長がちょっと聞きたいことがあるって」



 



「悪いね、終業時間後に」


 館長室に西村課長と入り、改めて今日のことを報告する。先程メモを作っていたのでスムーズに話すことができたと思う。


「その、比江島氏と八頭女史のことは我々も知らなかったな。あとヨシイ古書店のことね。なるほど」


 館長がわずかに困ったような顔を見せた気がしたので、少しばかりじっと見てしまっただろうか。あはは、と笑いながら話をしてくれた。


「そもそも今回のことは、秘密裏に佐山邸のお宝ゲット、みたいな話じゃない? それというのがね、実はあまり評判のよろしくなかった新興古書店で、最近やけに珍品レア物が多く出てくると話題になってるの、知ってる? 店主が変わったとも聞かないから、何か裏の手を使ってるんじゃないかって気になっていて。それもあったから佐山邸に早くに保全しに行かなきゃって思ったんだよね」

「もしかしてそれって」

「そう、ヨシイ古書店。映画関連ではすでに有名な伊織堂があるじゃない? 新興のわりにと言っては語弊があるけど、珍品レア物なんていうのはね、なかなか手に出来るものじゃないんだよ。長年の信頼と実績。培ったネットワーク。大口の買い取りなら尚の事、まずは有名どころに話が行くんだから」


 それは納得の行く話だ。私だってもし映画本を売ろうとしたら、よく知らないところより伊織堂に相談に行くと思う。あそこは有名店だけあって重複も多いのだろうが、近年もまた新たに倉庫を借りて、映画書籍が不当に価値を貶められないように、買い叩いたりしないのだ。

 その代わり、当館と同じで保管場所にいつも困っているから、売りに来る人に『なるべく長く綺麗に持っててね。売るのは一瞬だけどまた手に入るかは分からないんだからね』と上手いこと言って、それぞれの家を保管庫にしようとするところがあるが。


「私も聞いたことがあります。定期的に古書店パトロールをしている司書達が、あのヨシイ古書店が飛躍的に蔵書を増やしていると。どこかの映画ファンの蔵でも見つけたのか、と話題になっていましたね」


 西村課長も顎を擦りながらヨシイ古書店の噂を口にする。急速な躍進に不信感を持つ人も居るといえことか。


「まあ当然ではあるけど、向こうさんだってどこから仕入れたものかなんて言わないからね。これが続くとも思えないけど、もし相当量隠し持っているなら値崩れを起こす可能性があるし、来年度の図書購入予算額を見直す必要があるか様子をうかがっているところなんだ。良いものならうちも欲しいけど後ろ暗いものならちょっとね」

「そんなお店なんですか······。じゃあ田代さんはヨシイ古書店店主さんが佐山邸に来るかもしれないと思って巡回してたんですか?」

「怖がらせるかと思って全部話さないでごめんね。クラファン詐欺のことも」


 映画資料を手に入れるために犯罪行為までするものだろうか。だが二人とも真剣に話しているので、佐山邸ならばお金になると踏んで犯罪に走る人間がいてもおかしくないと思っているのか。

 クラファンの方は当館公認の振りをして騙す手口だったのか。解決に向けてはまだほとんど進んでいないらしい。


「比江島氏との関係はご存知でしたか?」

「ヨシイ古書店のことも八頭女史のことも知らなかったよ。ヨシイ古書店の方はともかく、あの『神の位置』から何度も見たのなら本当なのだろうね。映画館の暗闇でいちゃいちゃするのはよくあることだし」

「『神の位置』って何ですか?」

「映写室さ。下々の我々を見下ろして、外界に娯楽をもたらしてるんだと。······あそこもなかなかハードな環境だから、そんな冗談を言って笑ってるのさ。あのおじさんチームは」


 『神の位置』ねえ。




     ◇     ◇     ◇




 結局上映時間には間に合わなかったので、仕方なくスーパーに寄って買い物を済ませてから帰ろうとすると、池上からLINEが来ていた。


〈今日はお疲れ様。質問すること出来たら言ってね!〉


 質問することなどないのに、と思いつつ、ふと気になったことを返信してみることにした。


〈八頭早苗さんってどんな方ですか?〉


 ――八頭早苗。お嬢様映画ライターとして一頃人気だった方だ。今は50代に差し掛かっているはずなので、流石にお嬢様という年齢でもないのだろうが、お金持ちのお嬢様がゴージャスな格好で映画を見まくって毒舌や美辞麗句をお構い無しにぶちまけるというスタイルで、ある時期の映画パンフレットによく彼女の文が載っていた。

 明るく社交的な性格らしく、男性には人気があったが、その分同性には辛辣な口調が出ることが多い印象だ。以前、図書室の複写サービスが混んでいて私も司書さんからのSOSを受けてコピーを手伝ったことがあるのだが、彼女にお客様を待たせ過ぎだとヒステリックに嫌味を言われたことがある。彼女の依頼ではなかったのに。もしかしたら依頼者の男性と食事でもする約束があったのかもしれないが。それならそんな時に書籍の半分もコピーを頼んだその男性に文句を言ってほしい。

 そんなわけですっかり苦手意識が出来ていたが、映画ライターの彼女が何のコレクターなのだろう。


〈八頭さん? 俺のことじゃないのか······〉

〈今日館内で聞いて回ったらあの人も映画コレクターだって。ライターさんとしか知らないから、何かご存知かなと思って〉

〈俺もよくは知らないよ。あの人は家がお金持ちだから海外で評価を得た日本作品に関するものを集めてるらしいよ。撮影で使われたものとか〉

〈海外だと白岩とか冨樫とかってことですか? 撮影の小道具?〉

〈そう。噂ではその当時流行してた監督のデスマスクも持ってるらしい〉


 デスマスク。言わずとしれた死者の顔に蝋や石膏で死に顔の型を取って、故人を偲ぶためのものだ。一時期著名人のデスマスクを作る風潮があったらしく、日本でも夏目漱石や森鴎外などのものか作られたが、そのブームはひと頃の映画監督にも起こり、今も何名かのものが残っている。

 ただ大抵はご遺族や映画会社、記念館などに収蔵されているはずで、当館にも冨樫甲児のものが存在する。それをいちコレクターが持っている?


〈え、ほんとですか?〉

〈噂だからどこまで本当かは分からないよ。ねえ、もっと違うこと聞いてよ〉

〈じゃあ、今日の夕ごはんは何ですか? スーパーで買い物しようと思って〉

〈俺のを真似するつもり?〉

〈参考にしようかなと思っただけですよ〉

〈······肉じゃが。翌日は流行りの出汁カレーにリメイクするつもり〉

〈あ、それいい! 採用します!〉

〈やっぱり真似された······〉


 夕ごはん真似するくらいで怒らなくてもいいのに。

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