第10話 第三のコレクター八頭女史

 おかしな事になった。


「ねえ、家に刑事が来たんだけど、あんたのところで情報が漏れたんじゃないの? 個人情報はどうなってるのよ!」


 真っ赤なネイルに黒地に赤い花柄が大胆にあしらわれたサマードレス、それに大ぶりのブレスレットがジャラジャラと音を鳴らしている女性が、一階の受付で騒いでいるとヘルプが入ったのだ。


「仕方ないなあ。他の方にご迷惑になるから、八頭さんをこちらに連れてこよう。日比や野さんは一応出てこないで。」

「······はい」


 比江島氏の訃報はあの後すぐに流れた。だが死亡の詳しい内容までは明かされず、近親者で葬儀を済ませ、後日お別れの会を開くとのことだけをご遺族が伝えたようだ。


 件の赤い花柄の女性――八頭女史はどうして当館にクレームを言いに来たのだろう。私が顔を隠さずに刑事と館内を歩いていたために、辻堂刑事が八頭女史のところに行くだろうと誰かが告げ口したのだろうか。ただ事情を聞くのに同行しただけなのに? それにほとんどの人は殺人事件が起きたことを知らないはずなのに?


 館内にもリークの目があるのかもしれない。理由が分からないので少し怖い。


 八頭女史は会議室に通された。クレーム客対応と同じように、総務課長と守衛さん、西村課長が立ち会われたが、中の様子は分からない。


「日比野ちゃん、気にしなくていいよ。比江島さんとの関係は分かる人には分かってたはずだし、そろそろ公にして警察も動かないと行けないんだろう」

「そう、ですよね。でも考えなしに聞いて回ってしまったかなって」

「気にしなくていい。今夜はリメイクカレーだ。俺は目玉焼きを追加するつもりだが、日比野ちゃんは?」

「······焼きトマトとチーズ」

「最高! 焼きトマトはトッピングしたことないわ。おいしそうだね」


 池上とのほのぼのとした会話で気持ちがほぐれていく。焼きチーズはモッツァレラでもいいかもね。温泉卵も捨てがたい。だの話していると、会議室のドアが開き、続いてエレベーターの閉まる音がしたのでお帰りになったのだろう。


 気になって会議室を見に行こうとすると、池上に止められた。


「レッドLのことが気になるんだろうけど、多分後で呼ばれるから待ってよう。動いたら、日比野ちゃんが関係あると思われるよ」

「······はい」


 そうか、そういう点も気を配らないといけないのか。というか、『レッドL』って何?


「あー。いわゆるあだ名? 赤い服ばかり着るから」

「レディのLですか?」

「いや······、内緒だよ? レッド・ロブスターの略」

 

 思わず吹いてしまった。ロブスターってあの?


「伊勢海老でも何でもいいんだけどさ、大型の赤い歩行型のエビ。赤くて両手に何か沢山付けてるし。若い時は両手首にリボンを付けてるときもあったんだって。それで誰かが呼び出したっぽいよ」

「ああ······。エビ······!」

「一応もし聞かれたとしても、日比野ちゃんみたいにレディの方って言えるからね。駄目だよ、そんなに笑っちゃ」


 そんなきついあだ名、一体どこまで広がっているのだろう。映画業界は狭いから、想像以上に浸透していそうで怖い。

 

「でも映画好きな方で、あんなに音が出るものを身に着けるのは珍しいですね」

「彼女はいつもストールを持ってて、それを畳んで膝に乗せてるから、そこに手を置くと思ったほど音が出ないらしいよ。近くに座った人情報だけど」

「資料課ー。明日の件で打ち合わせするよー」


 田代主任の大きな声がする。


「はーい! ほら行こう、日比野ちゃん」

「はい!」






「辻堂刑事に確認してみたけどね、やはり当館で話を聞いたなんて八頭さんには話していないらしい。ただ警察だって色々と他所でも聞き込みをしているだろうから、どこかから噂が出たのかもね」

「うちはあくまで捜査に協力してるだけなんだから、刑事が来たら話すに決まってるよ」

「そうそう、仕方ない仕方ない」


 西村課長の言葉に尾崎係長と田代主任も勢い込んで同意する。私が気にしてるのが丸わかりだからだろうか。まだまだ内面が隠せなくて恥ずかしい。


「悪いことしたわけでもないですし、気にしないことにします」


 そうだ、気持ちを切り替えよう。人の死に面食らっていたが、私には直接関わりのない人々なのだし、引き摺られるのは良くない。


 散会してマグカップを洗っていると、池上が肩を突いてきた。


「今日はさ、お互いのカレーをLINEで送り合うってのはどう? 二人でオンラインカレー会してもいいよ」

「そこまでは遠慮しておきます。でも写真は撮りますよ」

「じゃあ、俺も目玉焼き以外に何か映えるものトッピングしようかな。出来たら送るから判定してね!」

「私、そんなに料理得意じゃないんですけど」

「日比野ちゃんが食べたい度数で評価してくれればいいよ。決まりね!」




     ◇     ◇     ◇




 トマトをどこで買って帰ろうかなどと呑気なことを考えていたからだろうか。

 資料館の通用口を出てすぐのところで、何かを探しているような八頭女史と出くわしてしまった。しまったと思ったが目が合ってしまったので逃げられない。


「あっ、あなた! 申し訳ないのだけど鍵を無くしてしまって······。この辺りだったと思うのだけど手伝ってくれない?」

「え、ええ······、はい」

「悪いわね、じゃああなたはそっち側ね!」


 仕方がないので落とし物探しに付き合う。鍵なんて目立つものならばすぐ見つかるだろうと高を括っていたが、全然出てこない。ここに落としたのではないんじゃないかと言おうとしたら、


「あら、バッグの中にあったわ。私、よく物を落とすのよ。お騒がせしてごめんなさい。お礼にご馳走するから」


 捲し立てられ強引に連れ出そうとする八頭女史に、きちんと断ろうとした時にはすでにタクシーが横につけられてしまった。


「あなた、ここの職員さんなんでしょ? なら聞きたいこともあるから付き合いなさいな」

「今お答えしますから、お夕食を免除出来ますか?」

「いいじゃない! 帰りのタクシー代は出すから行きましょう」

「でも······」

「あなた、比江島さんの最期見たんでしょう? とにかくここでは話せないわ。乗って! すぐお返しするから!」

「分かりました。本当にすぐお暇しますから」



 



 車中では何故か八頭女史はびたりと口を閉じ、私は八頭女史の自宅に連れて行かれてしまった。

 資料館からそう遠くない場所なので都内だが、おそらく近くに某映画会社の撮影所のある高級住宅街だろう。坂の上に建つそこは、個人の住まいにしてはとても大きな敷地の邸宅だ。外側をぐるりと高い壁が覆い、敷地の中に入ると手前が洋館、奥に瓦造りの平屋が付いた和洋折衷の変わった邸が見える。同じ敷地内に小ぢんまりとした一軒家もある。


「親から譲り受けた土地に、和も洋も入れて建てちゃったのよ。ちょっと変わってるでしょ?」

「珍しい造りですね」

「そうよ、中も面白いわよ? あなた映画好きなんでしょ?」

「はい」

「それなら後で面白い部屋を見せてあげるわ」


 もうここまで来たら腹を括ろう。逃げても職場バレしているので、早く話をして帰らせてもらおう。






 「ここで食事をしましょう」と言って通された部屋は、外観どおりに洋風の造りでところどころに赤がアクセントにあしらわれたモダンなものだった。

 それなのに何故か屏風が置かれていたり、中華風なダイニングテーブルがあったり、虎の敷物が敷かれていたりと外国人の謎アジアン趣味といった風情だが、どこかで見たことがあるものだ。


「気付いた? 白岩暁監督がアメリカで撮った作品『猛獣たちの家』に出て来るボスのダイニングを真似してみたのよ」

「ああ、本当ですね。ボスが部下達と無言で骨付きチキンを手づかみで食べるシーンのところ。その後、あの屏風が日本刀で切り裂かれて敵がなだれ込んで乱闘が起きましたね」


 指差す屏風の模様までは覚えていないけど、たしかそんなようなシーンだったと思う。


「そう! ふふふ。あれはうちの店の個室から着想を得て作られたセットだったのよ。だからつい真似しちゃった」

「八頭さんのお店の内装のオマージュから、さらにオマージュした部屋なんですね」

「そういうこと! 日比野さんだったかしら? 若いのに観てるわね」

「たまたまです」


 着席を促され、八頭女史の正面の椅子に座る。

 すると狙いすましたように料理が出されていく。骨付きチキンではなくとても美味しそうなイタリアンだ。ワインもあわせて供される。私はまだお酒に慣れていないので断ろうとしたが、八頭女史の話を遮るのが怖くて舐めるように減らす。赤ワインは胃に重たい。


 それでもワインの効果は絶大で、八頭女史の口はどんどん滑らかになっていった。


「小さい時からうちの店に映画関係の人が来ていて、それで撮影所に遊びに行ったりしているうちに映画が好きになったのよね」


 そこここに有名人の家があるような土地柄だが、撮影所に通うのに便利だからと映画人の住まいも多いのだとか。八頭女史の家は元々土地持ちで、祖父の代からこの近くにある高級中華料理店を経営しており、他にも高級な店が多く立ち並ぶ場所にも系列店を出店しているらしい。それでも撮影所には要望に応じてお弁当を届けたり、と映画会社からの信頼は篤く、ハリウッドのトップスター達がよく泊まるホテルに出店している店などは海外の俳優や映画監督にとても愛されているらしい。

 

「家業は兄が継いでいて、私はバブルの時期に女子大生だったからね、映画人達とは相当遊ばせてもらったのよ」


 映画がまだ華やかな時代。この後映画界は徐々に勢いをなくし冬の時代を迎えるが、『映画俳優』という肩書が成立していた時に、それを垣間見ていたのならその輝きに惹かれてしまうのも無理はないだろうと思う。


「使い終わったシナリオをもらったり、映画撮影隊の非売品のスタッフジャンパーをもらったり。そういう事が当たり前になって行ったら、ある時雑誌にコラムを書いてみないかって」


 当時女子大生は商品だったそうだ。八頭女史が言うには、面白がられるうちにアホでもなんでもいいから変わったことをさせてみよう、というノリがあって、どこかの編集者に唆されて映画コラムを始めて現在に至るということらしい。


「女子大生の時期が過ぎると、就職でしょう? 籍だけ父の会社でOLという風にして、女子大生ライターからOLライターとして活動したの。人と違うものをコレクションすることにもハマり出していたから海外に行って面白い映画で使われたものを買い付けたり、色んな人をインタビューしたりね。その間に父に言われて結婚もしたけどうまく行かなくて」


 お父様の店は支店が増えだいぶ大きくなっていたので、併せて従業員を取りまとめる会社も大きくなっていた。お兄様が社長になることは既定路線だったけれど、保険として副社長候補の青年と結婚をしたが、外に出かけてばかりの八頭女史とは最後まで気が合わずに別れたらしい。


「秘めなければいけない恋もしたわ。でも不自然な形のものは長く続かないのよね。それだから最近は比江島と穏やかに付き合っていたのよ。

 知ってるんでしょう、私が彼と愛し合っていたことは」

「本当に付き合っていらっしゃったというのは今初めて知りました。大切な方を亡くされて御愁傷様です」


 そこで八頭女史はジャラジャラと音を鳴らしながら手で顔を覆った。涙は見えないが嗚咽が聞こえる。穏やかに続いていたものが突如断ち切られて悲しいのだということがよく分かる嗚咽だった。






「さっき話していた面白い部屋を見せるわ」


 部屋着風のゆったりした赤いワンピースに着替えた八頭女史が、顔を直して戻ってきた。


「『猛獣たちの家』だけじゃないんですか?」

「私、コレクターもしてるって言ったでしょう? 日比野さんに少しだけ見せてあげる」

「ありがとうございます」


 そうして勧められたそこは、おしゃれな展示室のようになったコレクションルームだった。先程の『猛獣たちの家』に出て来た日本刀、鳴子遊雲監督の『レディはいつも赤いリボンで』のヒロインが被っていた赤いリボン付きストローハットなどなど貴重なものが多く飾られている。

 天井にはところどころにスポットライトや鉄の梁が走っていて、本格的な展示室の様相だ。

 そして一際目立つのが黒ミサのようなおどろおどろしい祭壇。沢山の蝋燭が並び、逆さに掛けられた十字架、禍々しい魔法陣のようなものがある。


「すごいですが、この祭壇みたいなのって」

「これは、『夜を殺めた姉妹』の祭壇なの」


 そう言って、室内に置かれた大型のソファにもたれ掛かった八頭女史が、どこかからシーシャを出して来て一つを吸い始めた。

 私にもソファに掛けてもう1つのシーシャとワインをテーブルにセットされる。ただのフレーバーを楽しむものだから、フルーツ系にしといてあげる、とまるでスィーツのような扱いだ。仕方なく一口吸ってみる。思ったより口当たりは爽やかだ。でも······もういいかな。


 もうもうとしてきた室内で、彼女はシーシャとワインでさらに口が滑っていく。


「『夜を殺めた姉妹』?」

「知らない? そうかあ。冨樫甲児『黄昏を纏いし姉妹』の続編なのよ」

「続編ですか?」

「そう。そこで出て来る悪魔を呼び出す祭壇」


 観たことがない作品だったので、八頭女史があらすじを教えてくれた。

 前作で生活に困り、裕福な生活から転落した姉妹は、隠れキリシタンに拾われ穏やかに過ごし始めたある日、父の事業を潰した相手を知る。怒りに震える姉妹に隠れキリシタンが本当の姿を見せる。実は悪魔崇拝の異教徒だったのだ。姉妹は美貌を活かして復讐相手の息子をおびき寄せ、彼を生贄にして復讐相手の破滅を祈ろうとするが途中で立ち止まる。それを異教徒達は許さずに三人もろとも生贄にした祭壇で大悪魔を呼び出そうとする······という明治の混乱期をおどろおどろしく描いた問題作だったらしい。

 ただ時代的にキリシタンの弾圧について描かれたものだということで、世間的にも大っぴらに公開もしにくく、海外へも見せられない。そんなわけで名監督の作品でありながらカルト作となっているのだという。


「私はね、復讐相手の息子を誘惑しながらいつの間にか愛してしまった姉妹の悲恋に見えるのよ。だけど彼は復讐のために殺す相手で、姉妹それぞれが彼を愛し始めていることもお互いに気づいている。姉は妹の幸せを願っている。妹も同じ。でも彼女達が愛してしまったのは同じ人で、殺す相手。その愛憎がラストに活きるんだけどね」

「ラスト、どうなるんですか?」

「それは映画を観てみなよ。前作ではお互いのために自己犠牲に走る姉妹だったけど、この作品ではどうなったのか。そして男はどう思っていたのか」


 聞いているだけでも面白そうだ。特に女性の情念のようなものを撮るのに長けた冨樫作品ならば、すごい話なのかもしれない。


「そうですね、そうしてみます。でもこんなに貴重な物ばかりコレクション出来るなんてすごいですね」

「うーん、『夜を殺めた姉妹』関連の小道具やなんかはアメリカに行ってたものを事情があって買い戻したんだけどね。まあ大体は祖父、父の御縁で譲ってもらえることになった物が多いからね。撮影所にも全てのセットや小道具を置いておくわけにもいかないから、時々放出していたらしいのよね」


 そういえば別の撮影所の近くに住んでいたというお客さんから聞いたことがある。そこでは子どもまつりと称して年に一度撮影所の一部を開放し、不要な撮影小道具などをバザーとして売っていたと。


「この中で一番のレア物ってどんな物ですか?」

「それ聞いちゃう? あのね、内緒だけどデスマスクよ」

「デスマスク?」


 ギョッとした顔をしたのだろう、私を見て八頭女史が大口を開けて笑っている。


「そう、資料館にもあるじゃない? 冨樫甲児のが。実はうちにもあったのよ」

「えっ、本当ですか? あれって作成数決まってるんじゃ······」

「そうなの! でも今は、さっきの事情ってやつで手元に無いんだけどね。

 他だとサミュエル・ロウとかリリアン・グリーンとか、ハリウッドのスターや監督さんは来日すると大抵うちの店に来てたからサインはもらってるわねえ。

 最近はねえ、······白岩とか鳴子とかの手直し入りの撮影台本かな! 『夜を殺めた姉妹』の準備稿も。コピー品だけど戦前の作品の台本はレア物でしょう? とは言っても比江島がくれたんだけどね」


 そう言って、八頭女史は快活に話しながら手近にあったコピー品を見せてくれた。半分に折ってお尻のポケットにでも入れていたのか、表紙の折れた線もそのまま再現された製本済み台本だ。こんなもの、図書室の貸出にも出るわけがない。貴重品扱いで劣化を防ぐために最小限の展示か、研究者が特別観覧を申請して初めて見せるような代物。どうやって複製を作れたのだろう。やはりヨシイ古書店絡みか。


「そうでしたか······。比江島さんが。どこで手に入れてくれたんでしょうね?」

「それをね、次に教えてもらえるはずだったのよ。なのにどうして亡くなったりなんか······」


 また八頭女史の瞳に涙が溜まって来てしまった。まだ思い出すのが辛いのだろう。


「ねえ、知ってる? 比江島が殺されたって。すごく無惨な殺され方したって。知ってて平然としているの?」

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