第11話 カルト映画と殺人

 涙で顔を歪めた八頭女史に詰問される。


「殺されたってどうして? あの人は少しだらしないところもあったけど、悪い人ではなかったわ」

「······私は平然となんて出来ませんでした。血を流している比江島さんが、亡くなっているなんて思いませんでしたし」


 そう、平然となんてしていない。今でも夢に見るのだ。地下室の下で倒れる比江島氏のあの姿を。


 彼女がどこまで知っているのか分からないが、比江島氏が殺された情報は確実に漏れている。そして私達がその場にいたことも。


「なんで佐山のところに居たのかしら? あなた何か知っていて?」

「私は本当に何も知らないんです。理由も全く思い付きません」

「······まあ、あなたは入ったばかりの人だし、比江島とも佐山とも交流がなかったのなら、知らないか。

 私、過去に少しだけ佐山とも付き合ったことがあるの」


 意外な過去だった。佐山氏とでは親子ほどは歳の差があるだろうに。


「もちろん道ならぬ何とやらよ。お互い伴侶がいたし、ただの交接だったのかもしれないわね。その頃は家に反発して夫のことも煩わしく感じていたし。ただの遅れた反抗期に巻き込んで、痛い目にも遭ってしまって。夫には悪いことをしたわ」

「······そうでしたか」


 八頭女史は何かを思い出すように複製の台本を取りに行き、私に見せてくれる。たしかに冨樫甲児のものだ。それから白岩暁のもの、鳴子遊雲、汐路鷹一までもある。どうしてこんなに沢山?


 それからアメリカのビリーズ美術館内に展示された『夜を殺めた姉妹』を観に行った時のものだろうか、ミニアルバムを貸してくれた。

 今ここにある祭壇と同じ物が展示されている。その前で、あちらのお偉いさんと思しき人と握手する八頭女史の写真。ガラス越しではない冨樫甲児のデスマスクの写真。次の写真は、富樫のデスマスクを自身の顔に当てている男性のはしゃいだ風が映し出されている。


 富樫のデスマスクは八頭女史の元に一時期はあったと言っていた。だが、そのデスマスクで遊ぶ男性には不快感を持った。良い歳だろうに、そんなもので遊ぶだなんて。


 これは生きていた人が亡くなり、その死とともに消えてしまう生の痕跡を写し取ったもの。目尻のシワも鼻の通りも、唇も写し取られたそれは、もし人のように着色したら眠るその人にしか見えないのではないだろうか。

 故人を知らずともそう思えるような精巧な物。だけれどブロンズになっていることで、これは故人とは別の物である、生なるものではない、と断定できる。自分が死後もデスマスクのブロンズや、マダム・タッソーのような蝋人形になったら、と想像すると少し怖い。ミイラや氷漬けで発見された子供のマンモスを見る度に感じる漠然とした恐怖、体だけ生きた時代から置いていかれた不安のようなものを感じてしまうのだ。


 そんなことを思っていたら、八頭女史がまたポツリと話し出した。


「比江島は飄々としているようで、どこか佐山に嫉妬しているようなところがあったのよ。コレクター同士、それにかけられる時間と余裕。佐山が決して優れていたというわけでもないのに、憧れの歪みだったのかしら」

「比江島氏が佐山氏を、ですか?」


 八頭女史は頷きながら、決して私が過去に付き合ったことがあるから嫉妬して、とかではないのよ。と悲しそうに言った。八頭女史は本当に比江島氏のことが好きだったのかもしれない。


「だからって比江島が誠実だったとは思ってないわ。他に女がいたかもしれないけど、それを私に知られないようにしてくれている。そういう礼儀はあったの。でも······この頃少しおかしかったのよね」

「どういう風におかしかったのですか?」


 それには答えず、八頭女史は腕のブレスレットから一つを取って私の手首に付ける。赤系の中でこれだけはメダルがいくつか連なった形のあっさりとしたシルバーのものだった。


「預かってて。良かったらまた来てよ。一人で居るのに耐えられなさそうだから」


 ワインを更に勧められる。もう飲めないですと断ろうとするが、これだけ乾杯ねと言われて、ボトルの残りを分け合いグッと飲み干す。


「ありがとう。このワイン、比江島が何かあった時に開けようなんて言ってたやつなの。······お祝いすることもないままになっちゃったけどね」


 シーシャの煙と慣れない酒精、気づくとだんだん目が開けられなくなってくる。


「八頭さん、申し訳ないですがそろそろ······」

「そうね、タクシーを呼ぶから少し待っててね」


 ソファにもたれ掛かって休ませてもらう。何故こんなに眠いのだろう。

 八頭女史が配車の電話をかけてくれ、シーシャを燻らす。そうこうしているうちに玄関のインターフォンが鳴ったので立ち上がろうとするが、うまく動けない。スマートフォン連動のインターフォンなのか、八頭女史はスマートフォンを見ながら「来ちゃったものはしょうがないわ」と言って席を立った。

 しばらくするとドヤドヤとこちらに向かって来る足音がするが、もう体が動かせない。

 八頭が止めているが、コレクションルームに来客が入ってくる。


「来客があるから、別の部屋で待っててって言ったでしょう?」

「お前さんはいつも嘘をつくから今回もコレクションルームに入れたくないからだと思ったんだ。すまないね、お嬢さん」

「あれ、資料館の新人さん。どうしてここに?」

「あ、じゃあ、『ひびの・けい』ってこの子?」


 自分のことを言われていると思い、何とか目を開けて挨拶をする。

 二人の男達だ。太った男と背の高い猿マスクの男。

 マスク? ずいぶん精巧な、本物の猿みたいなものを着けている。


「そうよ、親しくなったの! 女の子同士の会に乱入して来ないでほしいわ! でも彼女はもう帰るから、話なら後にして。そして招かれざる客のあなた達も早く帰ってよ!」

「言うなあ。せっかく来てやったっていうのに」


 太った男がニヤニヤと八頭女史のワンピースを眺めている。何となく不躾な目線に嫌悪感を覚える。


「おい、君、具合が悪いのか?」


 かと思えば、猿マスクの男が心配そうな声で話しかけてくる。


「······ち、がいます。少し酔ってしまって、ごめんなさい、眠たくなってしまって······」

「それなら早く帰ることだな。こんなオバさんのところじゃあよく眠れないだろう」

「うるさいわね! 今は配車してもらってるんだから」


 太った男と八頭女史の言い争いを聞きながら、普通ではないほどの眠気に襲われる。


 ああ、また瞼が開けていられない。

 グラグラと頭が揺れる。 

 酩酊しなから倒れ込み、意識が遠のいてゆく。





 気がつくと見知らぬ部屋で寝ていた。布団の上に寝ているので、誰かがここまで運んでくれたのだろうか。


 私のカバンはどこだろう?

 八頭女史達は?


 部屋を出て少し大きな声を出してみるが誰もいない。ここは和室の造りだ。おそらく奥の平屋ゾーンなのだろう。それなら先程の洋館ゾーンに戻らなければ。

 ウロウロしているうちに長い廊下を通っていると、ようやく使用人らしき女性を見つけた。いつの間にか別棟の彼らの家まで入ってしまったことを恐縮する。


「電車もないですし、このままお泊まりになったらよろしいですよ」


 年配の彼女は、先程案内をしていた男の妻だという。夫婦で八頭女史のお世話をしているんだとか。


「すみませんが帰ります。私が持ってきたカバンはどこでしょうか?」

「お嬢様はもうお休みですが、先程まで日比野様がおられたコレクションルームだと思いますわ」


 一人では到底辿り着けないので、無理を言ってあの怪しげな祭壇のあるコレクションルームに送ってもらう。

 そこでは――八頭女史が亡くなっていた。




     ◇     ◇     ◇




「どうしたんですか、日比野さん」

「辻堂さん······」


 そう言って私の肩を辻堂刑事が軽く叩く。なんと言ったらいいか分からないが、とにかく涙が出てしまうのが止められない。死んでいる八頭女史は何とも無惨な姿だったのだ。


 八頭女史の使用人達が警察に連絡すると言った時、私はまず辻堂刑事に連絡したのだ。


「今日こちらにお見えになったのは、日比野様と、だいぶ遅れて川真田様と門木様。川真田様と門木様はすぐにお帰りになりました。

 日比野様は酔ってしまわれたのか、こちらにお泊まりになるからと奥の部屋にお通しし、私どもは別棟で休んでおりました。

 ここは私ども夫婦でお嬢様のお世話をしておりまして、夜はお風呂のお支度を終えますと下がらせていただきます。何かあればお嬢様から内線が入りますが、お嬢様は基本的にご自身で対応することが多いので、来客がある時もお嬢様が出迎えることが大半です。私達が老齢だから気を遣って下さっていたのかもしれません」


 それだから住み込みだけど、実はさほど仕事をしているわけでもないため、あの時何が起こっていたか知らないのです。そう八頭女史の使用人――清水夫妻の妻・依子は話した。

 彼女の夫・清水将義も同様の答えだったので、次は私が聴取を受けた。


 私はここに半ば強制的に連れて来られたこと、ご飯を食べたあとから尋常ではなく眠たくなり、意識をなくしたこと。

 その前に太った男と猿のマスクをつけた男が来たので、姿は見たこと。二人の名前が川真田と門木だというのは知らないこと。

 気付いたら洋館のコレクションルームから和風平屋に移されていて、帰るために依子とカバンを取りに戻ったらその部屋で八頭女史が殺されていたこと。


 言えることはそのくらいしかない。


 私が見た八頭女史の姿は異様なものだった。クーラーが驚くほど低く設定されており、あの黒ミサのような祭壇にはレンガのような大きさの氷がピラミッド状に積み上げられて、その一番上の氷レンガの中に何かが凍って入っている。


 このコレクションルームの天井からは金属の太い梁が何本も走り、上からはピクチャーレールらしきループワイヤーが垂れ下がっている。

 美術館によくある吊り下げ式の展示形態がここには出来ているのだが、八頭女史の死体はまるで操り人形のようにピクチャーレールによって今まさに悪魔が降り立つのを待ちわびるように祭壇の前で両手を広げているのだ。

 そしてその前にある氷の中、大きな赤いザリガニ――レッド・ロブスターが比江島の性器を襲っているようにハサミで掴んでいる。まるで八頭女史が比江島氏を切ったとでもいうように。吐き気のするような弄びぶりだ。


 八頭女史の死因は首を絞められたことによる窒息死。凶器となったものはピクチャーレールのようだ。比江島氏の切り取られた性器は見つかったが、切除したナイフは見つからない。




 

 鑑識と管轄の警察に現場を任せて、辻堂刑事は私を東原警察署に連れて行き、さらに事情を聞かれていた。私のショックが大きすぎたので、現場から離れた方がいいと判断されたからだ。


「日比野さん、先程の尿検査の結果、睡眠薬が検出されていますね。比江島氏の時と同じものです」

「······えっ?」

「これから八頭さんの方は遺体解剖に回しますが、彼女からも出るようなら食事かワインに入っていたのかもしれませんね。舌が青かったので、まず間違いなく入っていたと思いますが。あとはシーシャですか?」

「摂取したのはそれだけです。舌が青いって何ですか? 私も青いんですか?」


 舌が青いってブルーハワイのかき氷を食べた時くらいしかならない気がするけど、睡眠薬を飲むとそうなるものなのだろうか?


「比江島さんが亡くなられた時、睡眠薬が検出されたと言いましたでしょう? あの時に使用されたサイレースという薬の特徴が、服用すると舌が青くなるというものなんです。強い薬だから何度も飲まないように、という意味と、一時期はデートレイプドラッグとしても使われていたことがあって、飲まされた女性が自分で異変に気がつくように、という意味もあるんです」

「そんな強いものが······」

「サイレースはアルコールと合わせると効果が上がるらしいんですよね。今は処方箋がないと手に入れられませんが、裏で出回っているのかもしれません」


 恐る恐る舌を出してみると、辻堂刑事はあっさりと「青いですね」と答える。八頭女史が睡眠薬を? 私にそんな事してどうするつもりだったのだろう。


「まあ私が八頭さんのところに事情聴取に行ったせいで巻き込まれてしまったようですから、少し責任は感じますが。······本当に事件とは何も関係ないのですよね?」

「ないです! 本当に何も······」


 またボロボロと涙が溢れてしまう。頭がうまく回らないが事件現場に置かれていたカバンは持ち帰ることが許されず、私は今ハンカチ一枚持っていないのだ。


「すみません。念のための確認ですから。じゃあ資料課の西村課長に連絡入れましょうか? それともご実家、は遠かったんでしたっけ?」

「実家は東北なので遠いです。誰か必要なら西村課長にお願いします」

「コーヒー持ってきますから、少し休んでいて下さい。もう少ししたらカバンも返せますし、西村課長にはこちらから連絡してみますよ」


 個室に取り残され、涙を止めるようにしながらじっと握りしめた手を見つめる。


 比江島氏と私には睡眠薬とアルコールを併用して使われている。もしかしたら八頭女史も。

 八頭女史の邸にいたのは清水夫婦と私、それから後からやって来た川真田氏と門木氏。もし私が寝てしまった後に誰かが来客を引き入れていたなら、他にも容疑者はいることになる。

 清水夫妻は高齢だし、八頭女史の住む本邸の出入りは夜間に関してはほとんど知らないだろう。

 ただこの邸は壁もすごく高いしセキュリティもしっかりしているだろう。中からの誘導なくどうやって入って来られる?

 

 それとあの悪魔崇拝みたいな儀式を八頭女史の体を使ってやらせたのは、何の意味があるのだろう。凍らせた比江島氏の一部を持ち込んでいることから、比江島氏の犯人と八頭女史の犯人は同一人物? そして氷の準備が出来ていたことから、この日に八頭女史を殺すことは既定路線だった?


 映画『夜を殺めた姉妹』の見立て?


 比江島の死は明らかに阿部定のオマージュだが、地下室もしくは密室で亡くなるという映画があるならそれの見立て?


 佐山氏の死は何の見立てもない。

 

 それはそうだ。彼は事故死で殺人ではなかったのだから。でもそうではなかったら?


 頭がぐらぐらして来た時、辻堂刑事がコーヒーとカバンを持ってきてくれた。


「中身を確認して下さい。何か不足しているものとかありますか?」


 ノロノロとカバンの中身を確認する。特に何も変わりはないように思える。


「すみませんが、お返しする前に検分をさせていただいています。申し訳ない」

「いえ、分かりました」

「西村課長が迎えに来てくださるそうですよ。それまでここでお待ち下さいね」

 

 再びドアが閉まり、ぼんやりとスマートフォンの電源を立ち上げた。何となく音が鳴ったら八頭女史の気に障るかもしれないと思って電源を落としていたのだった。

 起動すると、LINEが数件入っていることに気付く。池上からのがダントツに多い。

 

〈日比野ちゃん、帰宅したよー〉

〈この肉じゃがに、ルーをドーン!〉

〈日比野ちゃんのも見せてねー。おしゃれ焼きトマチーズカレー〉

〈でけた! 俺の渾身の作を見よ!!〉

〈問題です! これは誰でしょう??〉


 添付された池上のリメイクカレーは、アボカドを左右に二つ並べて、その空いた種の窪みの中に卵の黄身を入れ、余った白身をスクランブルにして髪の毛に見立て、口に当たる部分には半分に切ったちくわが几帳面に上下に置かれていた。


「誰だ、これ······」


 子供の福笑いみたいな写真に涙が出た。馬鹿馬鹿しいことに笑える余裕がなかったのだ。

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