第6話 第二のコレクター比江島氏のこと

 帰りの車の中では皆が一様に疲れていた。


 退出時にちらり見てみたら、あの茶の間リビングは鑑識だとかが立ち入っていてずいぶん様変わりしていた。比江島氏はどうしたのか、そしてあの地下室がどうなっているのかは窺い知れなかった。


 パトカーの停まる佐山邸を出て、パーキングまで歩き、車に乗り込んで発車するまで、誰も言葉を発しない。座席に沈み込むように体が重たく感じるので、緊張がようやく解けたようだ。


「今日は皆大変だったね。俺は申し訳ないけど一度館に戻らないと行けないんだ。君達はもう適宜解散でいいけど、どうしようか?」


 街道沿いの猫じゃらしがヘッドライトに照らされて幻のように淡く光る様をぼんやりと眺めていたら、西村課長がそう告げた。


「あ、じゃあ日比野ちゃんは大変だからこのまま送ってもらえば? 俺はもう少し都心まで行ったところで近くの駅に降ろしてもらえれば」

「そうだね、いいよ! 日比野さん、どこら辺かな?」

「えっと」


 池上と田代主任にも賛同してもらったが、少し気が引ける。でも大分疲れたからなあ。


「自宅を教えたくなければ自宅の最寄駅にしようか? パソコンはここに置いていっていいよ」

「······はい、助かります。ありがとうございます」


 尾崎係長の誘いで陥落してしまった。

 私の家はギリギリ23区といった場所で、佐山邸からそう遠くないことが分かっているので、申し訳ないが運転の田代主任にお願いして、いつも通勤に利用している駅に着けてもらった。


「日比野さん、こんな事になるとは思わなかったのだけど、本当にお疲れ様。明日はもし辛いようなら出勤しなくてもいいからね。連絡だけ頂戴ね」


 慰められるように西村課長に声をかけられ、お礼を言う。暑い時期は風呂に漬かっていなかったのだけど、今日は湯船にゆっくり入りたいなと思った。


「日比野ちゃん、これ」


 車を降りる際に、池尻からメモを渡された。電話番号の書かれたそれを見て驚いていると、


「LINEのIDもそれだから。もし何かあったら連絡してよ。何もなくてもいいけどね」


 そうおどけて言われたが、一人暮らしの自分を心強くするためだと分かったのでありがたく頂いた。


「池上、抜け駆けか?」

「そうですかね? 正攻法ですけど」

「おい、あまり長くわちゃわちゃするな! 駅前にそんなに停められないからな」

「あ、すみません。お先に失礼します! 今日はお疲れ様でした」


 ぺこりと頭を下げて下車する。バンを見送ってから、私はお風呂の後のアイスでも買おうかとコンビニへと向かった。




     ◇     ◇     ◇




 結局昨夜はお風呂に入ったらあっという間に眠ってしまった。その分、朝になるといつもより早くパチリと目が覚め、何故か心臓がどくどくと動いていることを確認してしまう。

 あまりに激動の流れだったので、あんな風に人が倒れているところも、ましてやその人が亡くなっていることや、その人ともしかしたらどこかですれ違っていたかもしれないと考えると、心が重く淀むのが止められない。


 今朝はもうお弁当を作るのは諦めよう。生きていると何かを食べ続け、排泄をし、いつか空気が吸えなくなって死ぬ。生きているのだから私はご飯を食べるのだ。だが身内以外の死に触れたのが初めてだったからか、思いの外ダメージを受けたみたいで、トーストが殆ど喉を通らなかった。






「おはようございます」


 今朝は館長が出勤されてから調査資料課メンバーが館長室に呼ばれて、昨日の報告会となった。


「昨日のことは簡単には聞いていますが、皆さん大変でしたね。精神的に辛くなったりすることがあれば、産業医の先生を呼びますから、一人で抱え込まずにいて下さい。

 山森さんは佐山邸に行っていませんが、同じ課として今後対応が必要になるかもしれませんので、ここでの話は他言無用ということで参加して下さいね」


 珍しく館長秘書がお茶を入れてくれてから下がる。――話が長くなるということか。


「さて。今朝から東原署の辻堂さんという刑事から連絡があり、少し分かったことがあるので午後にこちらに来ると言っています。差し当たっては私と西村課長で対応しますが、昨日訪問した人達は何か聞かれるかもしれない。こちらとしては特に隠すこともないので適宜答えてもらって構いませんが、情報に齟齬があると困るので、あくまでも自分が見たもの聞いたものだけを答えるように留意して下さい」


 全員で神妙に頷く。


「それから、佐山氏の顧問弁護士の江藤さんからも連絡が来ています。当面は捜査で身内以外邸宅に入れなくなるので、そちらが終わり次第また改めてお願いしたいということで。······何か必ず当館に保全して欲しいものがあるのかもしれないね」


 江藤弁護士、昨日は何も言わなかったけど、やはりあの地下室に何かあったのだろうか。


「奥様と娘さん方は、落ち着いたら一度ご挨拶に見えられるそうですよ。御主人の寄贈品をどのように収蔵するのかということも気にされていたようです。そこはお見せ出来るようになるまでに時間がかかりそうですが、出来る限りオープンに誠実に対応していきたいと思っているからね」

「ご要望がありましたらいつでも対応いたします。ただ佐山邸の資料を全て引き取るとなると、相当なものですよ」

 

 口では肯定の意を見せている西村課長だが、あの広さの邸のほとんど全てが映画資料だったことを思い返してしたのだろう、心なしか眉間にしわが出来ている。


「まあ、向こうとしては一度全て引き取るということにして欲しいらしいね。それが寄贈の条件だ、と江藤さんに言われたよ。重複品はいらないのだけど欲しいものだけ選って貰うというのじゃ駄目らしい。それなら全てをここに引き上げてから調査してもいいかな?

 そういったわけで、今後この件で調査資料課の方には通常とは違う対応を求められる電話も入るかもしれません。基本的には館長室で対応しますが、実際のことになるとそちらに確認しないと行けないし、私も不在にすることが多いからね。その手間が増えるけど、よろしく頼みます。

 あと大まかに見た感じで、どのくらい収納棚を増設しないと行けないのかも考えておいてくれますか? 量によっては一時的に分館の方の収蔵庫に入れた方がいいかもね、セキュリティ的に」

「分かりました」

「あとは佐山邸で倒れていた男性ですが」


 分かっていても胸がキュッと締め付けられる。他の人もそうなのだろう、皆一様に顔を強張らせた。


 ここからが本題とばかりに、館長が一度言葉を区切ってから話し続ける。


「あの方の身元は比江島直哉氏で確認が取れたそうです。当館にもよくいらしていた方だから知っている人もいるかもしれませんが、とにかくそういうことです。

 うちとしては、依頼されて訪問した先で倒れている人を発見して救急車要請をしたという、極めて真っ当な対応を取ったのですから、あまり気に病まないように」





 いつも弁当持参の私に昼ごはんがないことを山森には驚かれたが、私だって作れない日もある。すぐに買ってきますから先に食べててください、と伝えて私は近くのコンビニに走った。

 あまり匂いのするものは気分的に食べたくない。塩むすびとお味噌汁にしようかなと選んでいると、池上に出くわした。


「昨日はあれから大丈夫だった?」

「はい。あ、教わったのに連絡しなくてすみません。疲れてすぐ寝てしまって」

「いいよいいよ。その代わり今LINE交換しよう」


 そう言ってスマートフォンを出してきたので交換した。企画普及課とかだと広報としての情報共有が必要だからか課でグループLINEを作っているらしいが、調査資料課は西村課長の雰囲気もあるのか、そういったものはない。個人的に教え合わないと課の人の連絡先は知らない。別に知らなくても館内メールやチャットで済んでいたので何となく不思議な感じだ。


「怖がらせるわけじゃないけど、日比野ちゃんは実家もこっちじゃないでしょ? もしもの時は声かけてね。俺、ゴキブリなら倒せるよ!」

「お気遣いすみません。Gは私も倒せますので平気です」

「······ゴキのことGって呼ぶタイプ?」


 まあとにかく、早く買って戻ろうか、ということでめいめいにレジに並んだ。






「ごめーん。もうあらかた食べちゃった」


 山森が謝るけど、別に構わないですよと答えて休憩スペースに腰を下ろす。


「今日は俺も入れてー」


 遅れて弁当とドリンクを持ってきた池上も参加し、三人でのランチとなった。


「けいちゃん達、昨日は大変だったね。大分遅くなったんじゃないの?」

「いえ、そこまで遅くはならなかったですよ。でもびっくりしちゃって······」

「そうだよねー。俺もびっくりしちゃったよ、山森さん」

「刑事さんってどんな人だった? 鋭い感じの探偵風なの?」

「いや、どうだろ? でもああいう職業の人ってさすがだよね。俺達の名前とか事件の経緯とかスラスラ記憶して答えてるしさ」

「池上だって映画のこと詳しいじゃん。あんなに多く観てて、ストーリーとか忘れないものなの?」

「うーん、それは人によるだろうけど。俺は結構メモ魔なのよね。観た後になるべく自分の言葉で書いておくと覚えてるかなあ。忘れるものは忘れるけどね」

「課長達とか異常だよね。資料の記憶の仕方とか。図書室の司書さん達もね」


 山森の言葉にうんうんと同意する。研究員の記憶力はお化けだ。私はあんまり記憶力に自信がないのでスチルの仕分けも時間がかかる。モノクロの俳優さんの顔って似て見えてしまうのだ。


「そういえば、佐山さんに娘さんがいるんですけど、その人『牧田道佳』さんと結婚してるんですって! スチルのデータでよく見る名前! と思って不謹慎にも興奮しちゃいました」

「······えっ? 牧田さんに、会ったの?」

「そうなんです。課長は記憶あるっぽくて、前にうちでバイトしてましたって言ってたから、あのデータの人ですよ。もしかして山森さん知ってるんですか?」

「······あ、彼がバイトしてた時、私も一緒だったの」

「それなら山森さんに会いたかったかもしれませんね」


 雑談をしながらおにぎりを食べ終えると、昼休み終了の時間になった。休憩スペースのテーブルを軽く拭いてから席に戻り、午前中に仕分けた映プロの映画館名を入力していく。

 この当時は浅草だけではなくて東京全体の色んな街に映画館があったのだな、と映画興隆期の活気を想像してしまう。映画の街だった浅草六区ですら2012年には全ての映画館が消えてしまった。シネコンが悪いとも思わないが、街を歩いていて身近にあった映画館がどんどんと消えていく様を実感していた佐山氏や比江島氏とシネコン世代の私とでは、映画への憧れとか根本的な何かが違うのだろうか。


 ともに昨日故人となった映画コレクターの二人に思いを馳せていると、隣の席から「けいちゃん、ちょっと」と声をかけられた。


「何かありましたか、山森さん」

「ううん、そうじゃないんだけどさ」


「あの······、佐山邸にはさ、また行くのかな?」

「そうなんじゃないですか? でも帰り際に立入禁止にして鑑識の人とか来てましたから、どのくらい経ったら調査再開になるんでしょうね。

 ······もしかして時間外になるなら行かれないからってことですか? 気にしなくても平気ですよ。人手がいるのは資料を持ち帰ってからだと思いますから」


 家の事情があるのだから気を遣わなくても、と先回りして言ってみたのだが、山森は何だか複雑そうな顔をしている。


「いや、何と言うか」


 山森が何かを言いかけたその時。


「あ、ねえ、刑事さん来たんだって!」


 受付からの電話を受けながら、池上が皆に伝えた。

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