Tale.11『誘いと嫉妬』
ここのところ読書に溺れ切っていたルチアは唐突に思い出した。
果たさなければならない、本来の使命を——。
「本当に行くの……?」
「異世界に行くためには、異世界を知ることから。お店を繁盛させるためには、お店を知ることから、です」
ヒスイのお世話になっている以上、ヒスイの、そしてお店の役に立つことはルチアの至上命題である。
「つまり、今の私たちに必要なのは”ライバル店の調査”というわけなのです!」
テーブルに両手を突き、提言するルチア。
ルチアはソクボ村に来てから、ほとんど外に出ていない。村人との交流もない。お店も知らない。流行や趣向にも疎い。そんな状態で実りのある行動を取れるはずがなかったのである。
「ライバル店、かぁ」
「ありますよね? この村で人気のお店とか」
「まぁ、あるにはあるけど」
「ではさっそくそこに参りましょう! 敵情視察です!」
ライバル、敵情視察などと、とても収支ゼロの自分達が言えたことではないのだが、ルチアのやる気だけは本物だ。
「ダメだよ」
「ヒスイさんっ」
ルチアは駄々をこねるようにヒスイの手を取るが……。
「今はね」
感情的になっているルチアの分まで、冷静に考えをまとめる。
「今は?」
「まずはその修道服を着替えようか」
「え……? ひ、ヒスイさんはその、おでかけするならその方がお好みでしたか……?」
何か勘違いを起こしたルチアは途端に頬を沸騰させて、チラチラと期待の視線を避けながら身をよじらせる。
「あーいや、その、修道服だと聖女ルチア様だって一瞬でバレるからね……?」
勇者パーティの聖女様がこんな田舎の村で呪いの対処をしていると知られるのは決して良いことじゃないだろう。
「……っ!? そ、そうですね! そうですよね! わかっていました! もちろん!」
「あとで買ってくるよ。ちょうど時間もあるし」
「はい…………え? 時間?」
「うん、その店は夜からなんだ。だから、今は行けないってことを言いたかったんだ」
ヒスイとて、ルチアのやる気を無碍にしたいわけではない。
それどころか、むしろこれは、一緒に食事に行けるということなわけで。男としては嬉しい気持ちが大きかった。
「どうですか? ヒスイさん?」
ヒスイの買って来た村人の服に身を包んだルチアは、嬉しそうに金髪を揺らしながらその場でクルッと回ってみせる。
「いいと思うよ。それなら疑われることもない」
飾り気のない素朴なワンピースタイプの布の服は、ごく一般的な村人の装いだ。
聖女の顔まで鮮明に知っている人などいないだろうし、これで十分に誤魔化せる。
「むぅ……」
しかし、ルチアは不服そうにほおを膨らませてしまった。
「どうかした?」
「いえ……べつに……」
「ええ……?」
「もういいです。準備ができたらはやく行きましょう?」
「っ、と、そうだね。行こうか」
すでに日が沈み始め、店の開店時間が迫っていた。
ルチアと揃って家を出る。
「なんというお店なのですか?」
「”ペルシア亭”だったかな。酒場だけど村で1番人気といえばここで間違いないと思うよ」
昔は家族で交流もあったりした店だ。
ヒスイ1人残されてからは、完全なる疎遠となっているが。
小さな村なので、10分ほど歩けばたどり着く。夜にも関わらずペルシア亭のあたりだけは明かりが強く、賑わっているのがわかった。
「いらっしゃいませにゃ〜♪」
店に入るとさっそく看板娘で昔馴染みの獣人、アイシャが眩いような笑顔で迎える。
「って、にゃぁ? へっぽこヒスイ? おまえ、何しに来たんだにゃあ?」
「ふつうにお客だよ」
「お客ぅ? …………ふーん?」
アイシャは自慢の猫耳をピコピコと揺らしながら、値踏みするかのようにヒスイのようすを窺う。
「金はあるにゃあ?」
「もちろん」
皮袋に入れた硬貨を見せる。
するとアイシャは訝しんだ瞳を瞬時に解いて、満面の営業スマイルを浮かべた。
「それなら歓迎するにゃあ♪ ささ、こっちに来るにゃ♪ 今夜はアイシャがた〜くさんカモって——じゃなくて、誠心誠意、お相手してあげるにゃん♡」
流れるように腕を組まれて、誘惑するかのようにあからさまに胸を押しつけられる。
「1名様お入りですにゃ〜♪」
「え、あ、ちょ?」
ガッチリとホールドされた腕を引っ張られて、そのままカウンター席へと連れていかれそうになる。
「お待ちくださいな」
その直前、逆の腕が一気に重くなる。
見れば、にっこりと笑顔を浮かべたルチアがヒスイの腕にしがみついていた。
アイシャよりもずっとボリュームのある柔らかなものが腕を包み込んでいる。
「新しいお客さんかにゃ? 少々お待ちくださいにゃあ〜」
「そうですが、違います」
「にゃ?」
グググッとルチアがヒスイの腕にかけるチカラが強くなる。
「ヒスイさんと私は、2人で、来たんです」
「うわっ?」
瞬間、アイシャの拘束からすっぽ抜けて、ヒスイは半ばルチアに抱きしめられるような状態になる。
「2人で、ゆっくりできる席にご案内いただけますか?」
「にゃあ〜? あのヒスイが、女連れ、にゃあ〜? 信じられないにゃあ! へっぽこヒスイのくせに生意気にゃあ!」
「ご案内、いただけますか?」
「にゃ、にゃあ…………わ、わかったにゃあ……わかったからそんなに睨まないでほしいにゃあ……に、2名様お入りですにゃ〜!」
ルチアの圧に怯んだアイシャはヤケクソ気味に叫んで、改めて2人用のテーブル席へと2人を連れて行った。
ルチアと並んで席に座る。
「うぅ……ヒスイからならガッポリ巻き上げられると思ったのににゃぁ……」
「なにか、言いましたか?」
「な、なんでもないですにゃ! それより、ご注文はどうなさいますかにゃ……!?」
すっかり怯えてしまったアイシャは可愛らしい耳と尻尾を萎れせながらオーダーをとる。
ルチアの顔に張り付いている笑顔はヒスイからしても少々、寒気のする冷たいものだった。
「そうですね……このお店のオススメを2人分。それから、卵料理を一品お願いします」
「ドリンクはどうしますかにゃ?」
「あ、えっと……」
返事を想定していなかったのか、ルチアはヒスイへと視線を送る。
「ひ、ヒスイさんってお酒は飲まれるのですか?」
「まぁ、ほどほどかな。でもルチアが飲まないなら——」
家では神官であるルチアに遠慮して、まったく飲んでいない。
「では、エールを2つ。お願いします」
「ご注文承りにゃあ〜♪」
そそくさと逃げるようにアイシャが席を後にした。
「……よかったの? お酒」
「私はもう、ただのルチアですから。教会の教えも破る悪い子なのです」
「そんな極端な」
「過度な摂取でなければ問題ありません」
淡々としたようすでルチアは語った。彼女が言うのなら、本当に問題ないのだろう。
そう結論付けて、ヒスイはそれ以上の追及を控えた。
「そんなことより、ヒスイさん?」
会話が途切れたのも束の間、ルチアはススっとイスを擦り、隣のヒスイとの距離を縮める。
そして先程と同じように腕を取り、身体を密着させた。
「……ダメですよ?」
「え……?」
それはなんとも曖昧に念を押す、彼女なりの精一杯の言葉。
「ど、どういうこと?」
「ダメ、です……ダメなんですから……」
組まれた腕にかかるチカラはギュッと、ヒスイを決して離さないよう抱えるかのごとく強まるばかりで——肌から伝わる心の温度は、ヤケドしそうなほどに熱く感じた。
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