Tale.7『聖女の献身』
「私もここにいていいですか?」
食事を終えた後、ここ数日部屋に引きこもってばかりだったルチアはそう言ってヒスイと共に一階の食堂ホールに留まった。
「こんなに美味しいお料理が食べられるんですから、きっとお客さんがたくさん来るんでしょうね」
「そ、そうだね」
「楽しみです、ふふっ」
特に会話が多かったわけでもないが、気まずい空気は明らかに減っているように感じた。
——深夜。
丁寧に身体を拭いてネグリジェ姿になったルチアはヒスイの部屋を訪れる。
「そ、それで、何か用かな」
「……わかってるくせに」
そわそわした様子のヒスイに笑いかけるルチア。
その微笑みには昨夜と違ってたしかな理性が宿っていたが、どこか男を誘うような妖艶さを纏っているようにも見えた。
「私たちはもう、歩みを止めるわけにいかないのです」
昨夜の事実が消えることは永遠にない。
ヒスイは親友に恋する女性と繋がったのだ。
そして、胸の奥に生まれた気持ちとも向き合わなければならない。
「わかった」
「あっ——」
衝動的にルチアを抱き寄せる。小さくて華奢な身体はすっぽりとヒスイの両手に収まった。
「しばらく、こうしていてもいいかな」
「…………」
「……イヤ?」
「……イヤじゃ、ないです」
ルチアの甘い香りで身体が満たされる。柔らかな身体を全身で感じる。
それはルチアとて同じことだった。
(……なぜでしょう。勇者様よりずっと、温かくて、心地いい)
昼間は頼りないと感じた身体も、こうしてみると自分なんかよりはずっと大きくてゴツゴツしていて逞しいのがわかる。
(……もっと、ぎゅってしてほしい)
心と呼応するように、ルチアの両腕が自然と上がってヒスイの腰へと回される。
言葉ではなく行動で、さらなる密着を求めてしまっていた。
昨夜、魔王によって訳がわからなくなっていた2人は今度こそ、お互いを堪能し合う。
「ねぇ、ルチア」
「……なんでしょう」
ヒスイは耳元で優しく囁く。
「キスしてもいい?」
「——っ、!?」
ポッと耳が赤くなっていくのを感じた。
そこで初めて気づく。
ヒスイのやや中性的で鈴の音のように澄んだ声色は、ルチアの脳をトロトロに蕩けさせる麻薬に違いない——。
「だ、……ダメ、です…………」
「本当に?」
「……〜〜っ、う、うん、ダメ。まだ、だめぇ……♡」
ルチアは崩れかけの理性を振り絞って、イヤイヤと首を振って拒む。
「……そっか。ムリ言ってごめん」
「ぇ……」
ヒスイが悲しそうに瞳を伏せると、心臓がキュッと締め付けられた。
「キ、キス、は——だめ、ですけど……」
ルチアはその場で両ひざをつく。それからヒスイの衣服へと手をかけた。
(わ、私、どうしてこんなこと……こんな、はしたない……〜〜っ♡ これ、すごっ♡)
香るほどの眼前に屹立したそれを目にしただけで、身も心も堕ちてゆくのを感じた。
「ご奉仕、いたします……♡」
・
・
・
——テレレレテッテテー♪
勇者アランのレベルが1上がった!
勇者アランのレベルが1上がった!
勇者アランのレベルが1上がった!
◇◆◇
ヒスイの朝は飼育しているコケコッコーという鳥の鳴き声で始まる。
「すぅ……すぅ」
ベッドではルチアが可愛らしい寝息を立てていた。疲れ果ててそのまま寝てしまったのだ。今はそっとしておこう。
安らかな寝顔を見ると、それだけで心が満たされるような気がした。
その後は家の裏手に出てコケコッコーに餌をやり新鮮な卵を回収、小さな田んぼと畑で農作業をする。
一見重労働に思えるかもしれないが、アオイが人生を賭けて作ってくれた魔法道具のおかげで楽なものだ。全ての作物は半自動的にニホンのそれへと限りなく近づけた状態で育成される。
日が高くなる前には日課の作業を終えて、家に戻った。
「あ、あの、ヒスイさん?」
それはヒスイとルチアが行動を共にするようになってから3日ほどが経った、ある日のこと。
「どうしたの?」
「いえ、その……なんと言いますか……」
ルチアはおずおずと口を開き、告げるべき言葉を探すが……。
「あの——」
最後には、感情の方が先に爆発した。
「お客さん、ひとりも来ないんですが!?」
この数日、ルチアはずっと客が来るのを待っていた。ヒスイの仕事ぶりを見るのを楽しみにしていた。それなのに、誰1人訪れない。収入は完全なるゼロだ。
「……そうだねぇ」
「どうしてそんなに冷静なのですか!?」
「どうしても言われても……うん、これが平常運転だからねぇ」
「それでいいのですか!?」
ヒスイは依然としてほのぼのとした態度を崩さない。
それもそのはず、ヒスイにとってこの店は両親が遺したモノというだけに過ぎない。
両親への義理はあるし他にやることもないから店を続けているものの、これまた両親の遺産のおかげで食い扶持に困っているわけでもない。
無理して店を繁盛させるような理由がないのだ。
そして、そもそもの話——
「まぁ、ウチの異世界料理は村人にめちゃくちゃウケが悪いからね。仕方ないよ」
「え、そうなのですか?」
「ソクボ村みたいに小さな村ってのは基本的に保守的で閉塞的なんだよ。彼らには平和な今があればいいのさ。新しいものなんていらない。ましてや、得体の知れない異世界料理なんて、とてもとても……食べてくれるわけがないよね」
「そんな……」
それでも、アオイが経営していた頃は好んで訪れてくれる常連が何人かいた。しかし今となってはその人たちも離れていってしまった。
ヒスイが店主になったのだから当然だ。
勇者アランを信仰する村人たちにとって、ヒスイは軟弱者の代表みたいな存在。端的に言って、嫌われているのだから。
よって、村人にとっては気味の悪いことこの上ない料理を提供するこの店の存在を許容してもらえているだけでも、温情と言えた。
「ヒスイさんの料理、美味しいのに……」
ルチアはしゅんと肩を下ろした。
まっすぐで心の清らかな彼女にとって、自分が好きだと感じたものを共有できないのは辛い。
ヒスイが今までずっと、このような孤独な時間を過ごしてきたであろうことにも思い当たると、さらに悲しい気持ちになった。
「ルチアが食べてくれるだけで嬉しいよ」
「そうでしょうか……」
「うん、本当に嬉しい。ありがとう」
「それなら、良いのですが……」
ひとまずは納得したようすのルチアだったが、それからどれだけ時間が流れても、客が訪れることはなかった。
「……やはり、このままではいけません」
静かに、ルチアは心を決める。
「もっと出来ることがあるはずです。お客さんに来てもらうために……! なにか……!」
「なにか?」
「そう、なにか……! えと、まずは、えっと、えっと…………」
ルチアは一階のホールを隅々まで見渡して、ついに妙案を思いついたとばかりに胸を張って、瞳を爛漫と煌めかせる。
「お、お掃除とか! このお店は汚いです! とてもとても汚いと思います!」
それはようやく2人が打ち解けてきた証と受け取るべきなのか。だんだんと遠慮のない物言いが目立ち始めている聖女様だった。
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