Tale.17『彼女の物語』
「それじゃあ行こうか」
たまの休業日。と言ってもヒスイ亭を訪れるのはレンたち3人組だけなので彼らにはあらかじめ伝えてある。
半引きこもりの老人生活なヒスイにしては珍しい外出だ。本人の希望もあって、ルチアも同伴である。
目指すはヒスイ亭から北——
「ここだよ」
ひっそりと存在する、村の墓地だった。
ヒスイたち以外にはひとっこひとりいない。ただ、数百の墓石が並んでいた。
その中の1つの前までやって来ると、ヒスイは持ってきた荷物を解いて墓石の掃除を始める。
ヒスイの父・アオイ、そしてヒスイの母・エレノアが眠る場所だ。
ルチアは何を聞くこともなく察して、ヒスイをサポートするように手伝いをした。
お互いに無言のまま作業を進めていく。
掃除が終わったら墓石に水をかけ、花を供えた。
「……………………」
亡き両親に向けて祈る。
今まではカラッポの義務的な祈りだったが、今日は違う。父と母がしてきたことが少しだけ理解できた。2人の遺してくれたもので食い扶持を繋ぐだけの無気力だった自分が、今は活力のある日々を送れつつある気がする。
それもこれも、ルチアと出会ってからのことだ。
祈りを終えて、隣の修道服の少女を見る。
肉親であるヒスイよりも、ずっと長く、ずっと深く、彼女は祈りを捧げていた。
その姿は、まさに聖女と言って差し支えない。神聖な儀式のようだった。
(ルチアは本当にこんなところにいていい人間なんだろうか……でも、俺は……)
ヒスイには何をどうすることもできない。ヒスイはチカラのない、ただの村人だった。
ルチアの祈りが終わるのを待ってから、ヒスイは場所を移動する。
両親の墓石からいくつ分か離れた、一番端の墓石の前で立ち止まった。
「こちらは……?」
数歩後ろを付いてきたルチアが初めて口を開く。
「友だち、かな」
「そうですか……」
もう一度同じ作業を繰り返し、同じように祈りを捧げた。
これで今日の目的は終了だ。ルチアがいたおかげでスムーズに進むと共に、質の良い墓参りになったように思う。
しかしヒスイは、墓の前でしゃがみ込んだまま動かない。
その姿はまるで、墓石にいる死者と会話しているかのようだった。瞳は優しく、そして悲しい色を灯している。
「……先に、帰っていますね」
1人にしてあげるべきだと判断して、ルチアは荷物をまとめて先に家路についた。
その後もヒスイは一人、墓石を見つめていた。
◇◆◇
「あ〜あ。まったく、ヒスイくんは優しいなぁ〜」
魔王リリスは魔法で生み出したスクリーンでソクボ村の様子を見守っていた。
珍しく魔王城の豪奢な玉座に腰を下ろした彼女は、片手にワイングラスを揺らしている。
自らの手のひらの上で踊る彼ら彼女らを見ることが、リリスにとって最高の肴だった。
「……ありがとね」
その瞳に慈しみの色が見えたのは一瞬のこと。
「でも、私は魔王だから。こういうことしかできないんだよ」
リリスは魔力を用いて遠隔で意思を飛ばし、ソクボ村近くに棲む彼らへと命令を下す。
「さてさて、どうなるかな〜♡ くふふっ」
この物語は魔王リリスによって開幕し、魔王リリスによって転がり、魔王リリスによって幕を閉じる——どこまでも彼女のための、物語。
◇◆◇
一足先に帰ってきたルチアは所在ない時間を過ごしていた。
すでに何度も読み返したヒスイの小説を飽きもせずまた読もうかと思ったが、どうにも落ち着かない。
「……お料理をしましょう」
いつもはヒスイに作ってもらっていて、ルチアの腕を披露する機会はまったくない。
しかしルチアだって勇者パーティとして冒険し、野営したことも少なくなく、その時は調理を担当したりもした。
ヒスイほどではなくとも、それなりのモノは作れるはずだ。
そうと決まれば即行動に移すべく厨房へ移動した。
「さて、何を作りましょうか」
まずは材料の確認をする。
野菜や米、卵などは常用するのでけっこうな蓄えがあった。
どうせならヒスイを元気付けられるようなものがいい。
「お野菜をたっぷり使ったスープなんてどうでしょうか。心も体もあったまるはずです」
きっと喜んでもらえるはずだ。
ヒスイの笑っている姿を思い浮かべると俄然やる気が出てきて、ルチアは張り切って野菜を切り始めた。
水と野菜を入れて、残るは肝心な味付け。
ヒスイの作る料理の特徴として、セラトネル地方に広く伝わる調理法よりとても繊細な味をしている。そしてそのような味がヒスイの好みであることは間違いなかった。
ルチアとてこの数ヶ月食べて、舌に馴染んだ味だ。再現とは言わないまでも近づける努力をしよう。
「うん、いい感じです」
そうして、ようやく納得のいくスープが出来上がった頃のことだった。
キィと扉の開く鈍い音が背後で聞こえた。
ヒスイが帰ってきたのだろうと思って、ルチアは厨房を出て入り口の方へと駆け出す。
「おかえりなさい、ヒスイさ————え?」
そこにいたのは、ヒスイではなかった。
「……ゴブ、リン?」
緑色の皮膚に覆われた小さな身体。大きな耳と鼻、醜い顔。股間だけを隠したみすぼらしいボロ布。片手には、石を研いだ鋭い短剣。
誰もが知っている低級魔物——
「ぐぎゃぁ!!」
ルチアの存在に気づいたゴブリンは威嚇するように呻くと、ニタニタとヨダレを垂らしながら醜い笑みを浮かべた。
ゴブリンにとって、若い女は最高の獲物だ。捕まえて巣穴に持ち帰り、犯し尽くして子を産ませ、最後には食料とすることができる。
短剣を構えながら、ゴブリンはゆっくりとルチアに近づいてゆく。
しかし、ゴブリンは知らない。
目の前にいる美しい女が勇者パーティの一員であったことを。
いくら戦闘を得意としないといっても人類の最前線で生き抜いてきた彼女にとって、低級魔物など敵ではない——はずだった。
「あ、あぁ……や、やめて……来ないでッ……」
ルチアはあろうことかゴブリンに恐怖し、その場に膝を折り、崩れ落ちる。
足がガクガクと震えて、立ち上がることができない。喉が急速に乾いて、まともに声が出せなかった。
「ぐぎぎぎぎっ」
そのひ弱な少女でしかない姿を見て、ゴブリンはさらに笑みを深める。
(ダメ……怖い。怖くて……私、もう……)
ゴブリンはルチアにとって、トラウマの象徴だった。
2度と思い出したくない過去が脳裏に甦ってくる。何もできなかった。怯えることしかできなかった。ルチアには、誰一人救えない。絶望の記憶は彼女から抵抗心を奪い取ってゆく。
ゴブリンだけは、ダメだ。
今まで必死に頑張ってきたけれど。ゴブリンよりずっと強い魔物と何度だって対峙してきたけれど。最悪のトラウマは拭えない。
身体が、記憶が知っている。
いかに低級魔物であろうとも、ゴブリンはちっぽけな人間より上位の存在であることを。
(助けて……)
ルチアは心の中で唱える。
(だれか、助けて——)
どうしてだろう。
ギュッと瞑られた瞼の裏に描いた彼女の救世主は、なんの力も持たない平凡な青年だった。
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