Tale.3『聖女陥落』

「え……?」


 夜、唐突に目覚めたルチアの瞳から涙がこぼれ落ちてゆく。涙脆くて弱い自分が嫌になる。しかし、自力ではどうにもできないほどに、不思議と胸が痛くて涙が止まらなかった。


「どうだった〜? いい夢見れたかな♡ くふふっ」


「だ、誰!?」


 どこからか部屋に響き渡った可愛らしい女の声。その一瞬後、宙に巨大な魔力の渦が生まれたかと思うと、漆黒の翼のサキュバスがロゼ色の髪を揺らしながら現れた。


「あなた——魔王!?」


 すかさず飛び起きて、愛用の杖を握る。


「こ、ここで討ちます!」


「さっすが勇者パーティ。反応が速いね」


「”ウィンド——“」


 杖の先に風の刃が形成されていく。


「でもダーメ♡」


「あぁっ……」


 魔王が翼を軽くはためかせただけで、ルチアの放とうとした風魔法は打ち消されてしまった。


「てゆーか、魔王に対して使う魔法が低級風魔法ってw 聖女ちゃんたら相変わらず弱すぎ〜w そんなんだから勇者くんにも捨てられるんだよw」


「なっ……ゆ、勇者様は私を捨てたりなんて……!!」


「え〜? そうかな? さっきの夢見たでしょ? もぉ、勇者くんったらさ〜w」


 リリスはケラケラと心の底から楽しそうに笑う。


「夢……? な、なんの話ですか!? 勇者様がどうかしたのですか!?」


「あーそっか。覚えてないんだったねw とっても楽しい夢だったのにね。そっか〜、覚えてないんだ。まぁ、私がそうしたんだけど♡」


「いいから答えてください! 勇者様に何かあったのですか!?」


「んー教えてもいいんだけど〜。そうだなぁ〜、うーん……えっと、ねぇ?」


 ニヤニヤ。ニヤニヤ。


「やっぱやーめた」

「や、やめたって……どうしてそんなイジワルを……」


 ルチアが失望感を露わにすると、リリスはより一層笑みを深める。まるでそれが極上の肴だとでも言うように。


「え〜、だって〜、勇者くんに愛されていると信じたまま、ゆ〜っくりと心の奥底から寝取られる方がエッチだし、楽しいもん♡」


「なにを、言っているんですか……? ゆ、勇者様は私を愛して、愛し、て……? うぅっ」


 リリスの発言の意味はまったく分からない。

 それなのになぜか、起床した直後と同じように胸がズキズキと痛んだ。


 胸を押さえて、その場に塞ぎ込んでしまう。


(なんなのですか……この不安で不安で仕方がなくなる気持ち……。勇者様は私を捨てたりなんてしないのに……)


「ふふっ♡ いい顔だね♡ 素敵だよ聖女ちゃん♡」


 上機嫌のリリスは煽るようにふわふわとルチアの周囲を飛び回る。


「いいねいいね。本当にいい。でーも、これだと物語は停滞したままだよね〜。もうっ、2人とも奥手すぎだよ! さっさとしちゃえばいいのに! まぁヒスイくんもヒスイくんなんだけど……まずはこっちかな♡」


「え……」


 ルチアの前で静止したリリスは、その顔にピッと人指し指を向ける。それから指はルチアを弄ぶようにゆっくりと下へ流れて、その下腹部を捉えた。


「じゃあ、始めるね」


 指からどことなく淫魔な気配のするピンク色の光線が湧き立ち、ネグリジェの上からルチアの身体へ触れる。


「え……? あっ……♡、っ!?!?」


 ルチアの身体がピクリと震え、口から甘く痺れるような声が漏れる。驚いた彼女は慌てて両手で口を閉じた。


「もうちょっと我慢してね〜♡ はい、完成♡」


「はぁ……はぁ、な、なにを、はぁ、ん♡ なにをしたの、ですか……んんッ!?♡?!?♡」


 困惑を露わにし息を荒げながらも必死で問いかける。不思議と身体は急速に熱を持ってきて、思考が回らなくなってきた。


「淫紋だよ♡」


 リリスがつんと下腹部を突くと、怪しげなピンク色の紋様が浮かび上がる。それはまるで、その奥に存在する子宮を想起させるかのようで、インモラルな雰囲気を漂わせていた。


「い、いん、もん……?」


 ルチアの語彙には存在しない言葉。しかしそれが良くないものだと言うことだけは伝わる。


「そ、淫紋。まぁ、聖女ちゃんに分かりやすく言うのなら、呪いと同じようなものかな?」


「呪い……」


「聖女ちゃんは、1日1回エッチしないと発情が止まらない身体になっちゃったの♡」


 それは優れたサキュバスだけが操ることができるという強制発情の魔法。

 力でもって今の地位にまで上り詰めたリリスだが、彼女ののためには淫魔としての能力の方が役にたつ。その事を少しばかり皮肉に思いながらも、話を進めた。


「良かったね聖女ちゃん♡ これで勇者くんの役に立てるよ♡ 感謝してほしいくらいだなぁ」


「そんな……あ、あぁ……わ、私、わたしはこんな魔法には負けッ、なっ、あっ♡、ひッ……♡」


 言いながらも、身体の芯から疼いて堪らない。


 ヒスイとはいつか夜を共にする必要がある。それが1日でも速いほどいい。それはわかっているが、それでもその瞬間を最終的に決めるのは自分自身の意志でありたかった。そのために時間をもらったはずだったのに。

 どうしようもなく、淫紋によって掻き立てられた本能が異性を求めている。


「くふふっ」


「くっ、うぅ〜〜っ……」


 ルチアは侵食され溶けてゆく理性の中、どうにか手持ちの皮袋へと手を伸ばし、旅に出るとき教会の司祭からもらった聖水を身体に振りかけた。


 ルチアの身体が聖なる光に包まれる。


「これで……!」


 束の間の安堵。


「あ、ぁぁ……なんで……?」


 光はすぐに霧散してしまい、疼きは止まず、希望は一瞬にして打ち砕かれた。


「くふふ、むりむりw そんな安物で魔王のチカラを打ち消せると思わないでほしいな〜w ねぇいい加減わかって? 聖女ちゃんはもう、ヒスイくんとエッチするしかないんだよ♡ わかるよね? って……あれ? 聖女ちゃん? 聞いてる?」


「〜〜〜〜っ♡ ハッ♡ ハッ♡ ハッ♡」


 魔王であるリリスの淫紋は、通常のサキュバスが使うそれとは効力の桁が違う。

 自慰だけで自分を鎮めるなんて逃げも許されない。繋がることでしか、その渇きが満たされることはないだろう。


「なーんだ、もう私の声も聞こえてないみたいだね」


 当然のごとく、リリスもそれを理解していた。


「エ、エッチ、しなきゃ……勇者様のため、魔王を倒すための、エッチ……だから、悪くない。私悪くないの……♡♡♡」


 よろよろと立ち上がったルチアの瞳に理性の色はなく、部屋の外へと向かって歩き出す。


「いってらっしゃ〜い。よい夜を、聖女様♡」


 リリスは皮肉たっぷりに手を振りながら見送った。

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