Tale.10『約束のシルシ』
朝の日課をルチアが手伝ってくれるようになった。
「ヒスイさん、こちらは終わりましたよ」
「ありがとう。こっちももう終わるよ」
毎晩眠るのが遅いこともあって大変ではあるが、2人で取り掛かれば肉体的にも精神的にもなんてことはない。1人じゃないことの大切さを実感させられた。
今日の収穫物を持って家に戻り、朝食の準備をする。朝はもっぱら、ルチアもすっかり気に入ってしまった卵かけごはんだ。栄養も考えて、そのほかの付け合わせはヒスイがその都度作っていた。
「ん、今日も美味しいですね」
毎食欠かすことなく、ルチアはそう言って微笑んでくれる。作った側としてはそれだけで最高の満足感を得られた。
「箸もすっかりお手のモノだね」
「最初は難しいと思いましたが、慣れればとても便利ですね。ほら、こうやって」
ルチアは箸を使って根菜の煮物をひとつ取り、小さな口へ運んだ。
「ふふ。なんだか嬉しいですね」
「どうして?」
「だって最初の頃はヒスイさんがお箸で、私はスプーンだったでしょう? でも、今はこうしておんなじお箸で、家族みたいだなって」
「え、それって……」
「ああっ、あの、その、家族というのは、その、えっと、……〜〜っ」
ルチアは自分が口走ってしまった言葉の危うさに気づいて、頬を染めながら縮こまってしまう。
「え、えへへ……」
そして最後には、はにかむように笑って、上目遣いを寄せるのだった。
「……お、おかわりいる?」
「ぜひ! あ……でも私、こんな生活をしていたら太ってしまうのではないでしょうか……」
「大丈夫、ルチアは変わらず綺麗だよ」
「綺麗って、そんな……ヒスイさんったら、だんだん口が上手くなっていませんか?」
「綺麗だから綺麗と言っているだけだよ」
「……もうっ、ほんとに太ったらヒスイさんのせいですからね?」
ぷりぷりと頬を膨らませながらも、ルチアはお椀を差し出す。
(太っても、それはそれで……)
新しく盛られたライスは、大盛りだった。
という感じで、すっかり穏やかなスローライフを送っている。
アランたち勇者パーティが戦っている裏でなんとも呑気なようだが、ヒスイとルチアは呪いの件でこれ以上ない貢献をしていた。
その成果が別の意味で、日常生活に表れてしまっていることも否めないが……。
同時にひとつ、2人の距離が縮まろうとなくならない問題がある。
「お客さん、来ませんねぇ……」
昼下がり、ルチアは退屈そうに呟く。
食にはすかさず適応したものの、働き者であり常に働いてきた人生の彼女にとって、このスローライフは手持ち無沙汰にすぎるらしい。
今のルチアにできるのは、隣にいるヒスイを眺めることくらいだ。
そのヒスイはといえば、暇な時間はいつも冊子に何かを書き綴っている。
「ヒスイさんは何をしてるんですか?」
「え? ああ、これは……」
ヒスイは顔をあげると、少し躊躇いながらもそれを手渡した。綴られた文章に目を通す。
「これって……物語り、ですか?」
それは会話文と地の文で構成された小説だった。
小説はセラトネル大陸でも広く知られ、大衆娯楽として親しまれている。
「うん、まぁ、そうかな」
「すごいです! ヒスイさんは料理人様なのに、文筆家様でもあったのですね!」
「い、いや、べつに、すごいということは……どっちも中途半端だし、小説の方は完全に趣味で……」
「それでもすごいですよ。素晴らしい趣味だと思います」
「……そう、かな」
小説を書いていることを明かしたのはルチアが初めてだったが、ここまで素直に褒めてもらえると悪い気はしなかった。
「読んでもよろしいですか?」
「…………どうぞ」
内容には自信がないし、羞恥も感じる。
しかし、退屈そうなルチアの様子はヒスイとしても気にかかっていたし、ヒスイの拙い小説でそれが少しでも取り払えるならいい。
「それは途中だから、一巻を持ってくるよ」
「よろしくお願いします」
待ち遠しそうなルチアを尻目に、自室の本棚から昔書いた物を持ってきた。
(あぁ……緊張する……)
両手で冊子を持ち、背筋をピンと伸ばしながら読み始めたルチアの一挙手一投足が気になり、自分の作業は全く手がつかなかった。
ろくな会話もないまま、2時間程が経過して、夕方を迎える。
ルチアはパタンと冊子を閉じた。読み終わったのだろう。ヒスイはそれに気づいていたが、彼女の言葉を固唾を飲んで待った。
「これは、異世界のお話なのですね」
「うん、そうだよ」
そう、ヒスイが書いていたのは、実際には見たことのない異世界ニホンを舞台にした物語。
「学校、電車、バス、スマホ、テレビ、映画、遊園地、……異世界には、私の知らないモノがたくさんあるんですね」
昔からアオイはよく、ニホンのことを語ってくれた。それだけでなく死後に見つけた日記には、アオイがニホンにいた頃の出来事、思い出が文章とイラストを駆使して鮮明に語られていたのだ。
そのどれもが、ヒスイには輝いて見えた。
ヒスイが異世界という妄想を繰り返し、筆を取るまでに至ったのは致し方のないことだったのかもしれない。
「とっても面白かったです」
「そっか」
「続きも読ませていただけますか?」
「もちろん」
今日のところはもう遅いので、明日から続きを読んでもらうことにした。
「私、やっぱり異世界に行ってみたいです」
それはいつかの自己紹介の時にも覗かせていた、異世界への興味。
「こちらへ来れた人がいるのですから、こちらから行けない理由など、ないと思いませんか?」
「……そうかもしれないね」
「いつか一緒に行きましょう。お父様の故郷に」
アオイの故郷——ニホン。
そこはヒスイにとっても何度も思いを馳せた、憧れの世界。そこにはきっと、ここよりもっと美味しい食べ物があって、優れた技術が街を便利にしていて——そして、なにより、魔族との争いのない平和な世界が広がっている。
「約束です」
「……うん、約束だ」
本当に行けるかどうかなんてわからない。異世界に行く方法があるとしたら、魔法が関係する可能性が高いが、残念ながらヒスイにはそれを探るための才がない。
それでも、ルチアと夢を共有したいと思った。
「異世界では約束のシルシとして、指きりをするんだってさ」
「指きり?」
「そう。こうやって、お互いの小指を掛け合うんだ」
「小指を……こうですか?」
ルチアはおそるおそる、ヒスイを真似て小指を差し出す。
「指きりげんまん、嘘ついたら針千本のーます。指切った」
子供の頃、アオイにしてもらったように、ヒスイは指をふる。
その時は何の約束をしたのだっただろうか。もう思い出せなかった。
「はい、これで約束完了」
「針千本ですか。怖いですね」
「怖い方が約束を守ろうとするんじゃない?」
「たしかにそうかもしれませんね」
意味なんてヒスイも知らないが、そういうモノなのだろうと笑い合う。
「では、私も約束を反故にしないよう頑張ります」
「頑張るって、具体的には?」
「まずは、ヒスイさんの物語をたくさん読んで、異世界への理解を深めます!」
力一杯そう言ったルチアは、瞳を煌めかせながら少々お茶目な笑顔を浮かべた。
「それ、読みたいだけじゃない?」
「だって、面白いんですもん。ダメですか?」
「……読まれる側は、けっこう恥ずかしいんだけどね」
翌日から、ルチアはのめり込むような勢いで、読書に耽るのだった。
———————
すっかり馴染んできたルチアさんでした。
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