Tale.20『過去と救い』

「はぁぁぁぁああああ…………」


 家に戻って来て掃除を済ませると、一気に力が抜けて体が重たくなった。

 どっしりと椅子に腰掛け、大きなため息をつく。


「お疲れ様です、ヒスイさん」

「ルチアこそお疲れ様。ルチアがいなかったら、本当に大変なことになってた。ありがとう」

「そんな……それを言うならヒスイさんこそ……」


 2人の間になんとも言えないこそばゆい雰囲気が流れる。

 出会ってすぐの頃のように言葉少なではあるが緊張感とも少し異なる、不思議とイヤじゃなくて、心地よい感覚だった。


「そ、そうだヒスイさん。私、お料理をしてみたんです」


 本当に今ようやく思い出したのだろう。

 ルチアはハッと瞳を煌めかせて、両手を合わせる。


「料理?」

「はい、簡単なお野菜のスープなんですが……よかったら召し上がりますか……?」


「ぜひ。今すぐ食べたい」


 遠慮がちに尋ねてきたルチアに対して、ヒスイは少々食い気味に答えた。


「そ、そんなにお腹が空いていたんですか?」


「うん。ペコペコ」


 今日のヒスイの消費カロリーは過去1と言っていいだろう。

 それもあって自分で料理する気力すらなかったから、本当に助かる。


「ルチアの料理、めちゃくちゃ楽しみだ」

「そんなに期待されても困ってしまいますが……すぐ温めます。待っていてくださいね」


 ルチアは自信なさげにソワソワしつつも嬉しそうに厨房へ駆けて行った。


 ルチアの作ってくれたスープはまるで彼女の心根を表すかのように優しい味わいで、疲れた身体の芯まで染み渡るかのようだった。 

 

 食事を終え、後片付けまで済ませる。


 その後、2人の間に言葉はなかった。


 ルチアはただ、ヒスイの後について彼の部屋へと足を踏み入れる。


 そして——


「ちゅ…………」


 


「んん、ヒスイさん……もっと……」

 

 以前は拒んでいたはずだというのに、ルチアは自然と自分から、心の赴くままに薄紅の唇を差し出した。甘えるかのように何度も繰り返し、ヒスイの唇をついばむ。

 初めてのキスは決して上手くできているわけではない。拙く不慣れなものだった。不器用に歯が当たり、ツーと涎が垂れてしまう。それでも不思議と胸が満たされて気持ちよがよく、夢中になっていた。


「ルチア……」


 積極的なルチアに驚きつつも、ヒスイに拒む理由などあるはずがない。

 小さな身体が壊れないように優しく抱きしめて、唇がふやけるまでキスに応えた。


「ヒスイさん……スキぃ……」


 自分の口から漏れた言葉に、ルチアは気づかない。


 しかし……


「スキ、スキ……好き、です……」

 

 その夜の行為がこれまでのモノとは決定的に異なるということを、2人は肌と心で感じ取っていた。




 ・


 ・


 ・



 深夜。

 2人は裸のまま、小さなベッドに並んで横たわっている。


「ヒスイさん、少しだけ私の話を聞いていただけますか?」


「話?」


「話と言いますか、過去と言いますか……もしかしたら、懺悔なのかもしれません」


「……その、懺悔をどうして俺に?」


 聖女である彼女がヒスイに懺悔を漏らすというのは、実におかしな話だった。


「聞いてほしいと思ったからです」


 ルチアは柔らかく微笑む。


「わかった。聞くよ。聞かせてほしい」

「ありがとうございます」


 ゆっくりと、ルチアは話始めた。


 過去に別れを、そして、新たな道を歩むために——。



 ◇◆◇



 私は、このソクボ村と同じくらい小さな村で産まれました。

 名をボッカ村と言います。とても長閑で、優しい人たちの集まる素晴らしい村でした。


 家族は3人。

 お父さん、お母さん、そして私です。

 家は小さかったけど家族3人仲が良く、幸せな家庭でした。


 そんな日々がずっと続くのだと、幼い私は疑うこともなく信じていたのです。


 でも、この世界はそんなに生易しい場所ではありませんでした。

 人間と敵対する魔族たち——彼らはときに酷く残酷に、冷酷に、理不尽に、不条理に、私たちから大切なモノを奪っていきます。


 だからこそ、私はヒスイさんの見せてくれるこことは違う世界に憧れてしまうのかもしれません。

 

 遠い異世界に、夢を見てしまうのです。


 いつか本当に行くことができたらって——っと、話が逸れてしまいましたね。


 ある日のことです。


 家族で夜ご飯を食べようとしていたときのことでした。


 けたたましい鐘の音が響き渡ります。


 それは村に危機が訪れた時の合図。


「ゴブリンだー!」


 ボッカ村はゴブリンに襲われました。


 お父さんは慌てて、家に一本だけ備えていた銅の剣を持ち出します。


 そして逃げ出すか、家に引きこもるべきか迷っていたところです。


 出入り扉がズンっと軋みました。


 スキマからゴブリンにしては大きすぎる体躯の魔物——ホブゴブリンが顔を覗かせます。


 瞬間、お父さんはホブゴブリンに斬りかかりました。


 それと同時、お母さんは私をクローゼットの中に押し込めました。


 絶対に出てきてはいけませんと、そう言って。


 その直後……でした。


 お父さんの頭が潰れていました。

 ホブゴブリンの棍棒で殴られたのです。


 そのときのお母さんの悲鳴が、脳裏に焼き付いて今も離れてくれません。


 その後は……その後のことはもう、話す必要もありませんよね。


 ゴブリンに捕まった女の辿る道なんて、ひとつしかありません。


 隠れていた私は、見つかりませんでした。


 だから、ずっと見ていたんです。


 お父さんが殺されて、目の前で、お母さんが、お母さんが、あぁぁ゛……お母さんさんッ、お母さん!


 ……ごめんなさい、取り乱してしまいました。いいえ、話します。話させてください。


 一夜が明けた頃、大きな町から救助隊が派遣されて来ました。


 助かったのは、村でただひとり。私だけでした。

 私は孤児として修道院に預けられることになりました。


 私に残っていたのは、果てしない孤独と、無力感、そして絶望でした。

 私は家族が殺され、辱められる中、恐怖に震えて、泣いていることしかできなかった。


 弱い私には、誰一人救えない。


 だから私は、強くなりたかったんです。


 その結果が、聖女。


 私には、回復魔法の才能しかなかったようです。


 勇者パーティには入ったけれど、私はいつだって強いみなさんの足を引っ張ってばかりで、お荷物でしかなくて……。


 聖女という名に誇りは持っています。とても有難いことです。その名に相応しく、私はあろうとしました。


 ですが、私が本当に求めていたことはなんだったのでしょうか。


 私は心のどこかで、ずっとそれを探していたのだと思います……。



 ◇◆◇



「それからことは、知っての通りです。魔王に敗北し、今に至ります」


 それは壮絶にして凄惨なルチアの半生だった。


 ヒスイには何も言えない。

 彼女もまた、懺悔と言いながらそれを求めていない。


「ヒスイさん」


 ルチアは小さな手のひらをヒスイの大きな手のひらに重ねると、一本一本を丁寧に絡めていく。


「今日、助けに来てもらえて嬉しかったです。本当に本当に、嬉しかったんです」


「ルチア……」


「そして、あなたを守れてよかった。あなたと戦えてよかった。本当に本当に、よかった…………」


 ルチアの過去を知ってヒスイはようやく本当の意味で彼女の言葉を推し量ることができる。


 自信がなかった彼女。劣等感を募らせていた彼女。自らを勇者パーティの足手纏いと卑下した彼女。すべてに合点がいった。


「ぜんぶぜんぶ、ヒスイさんのおかげです」


 ソクボ村はゴブリンに襲われた。ルチアの村と同じだ。

 しかし、誰一人の被害を出すこともなく、生きている。聖女ではなく、ルチアとして戦った彼女がここにいる。


「私を必要としてくれて、ありがとう、ございます……」


 ああ、そうだ。

 ルチアはただ、大切な人のチカラになりたかった。大切な人のために全力で、戦いたかったのだ。守りたかったのだ。


(もしもそれが出来たのなら、私は……やっと……)


 ずっと求めてやまなかった救いは、誰かではない、ただひとりの青年のために戦った、今、ここに。


 ルチアはボロボロと涙を溢しながら、ずっとずっと、温かなその手を握っていた。

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