Tale.19『リザレクト』

「アイシャ!」


 村の中心部をめざして走っていると、アイシャとすれ違いかけて足を止める。


「うにゃ、ヒスイ!? どうしてここにいるにゃあ!? 外はゴブリンがいて危ないにゃあ!」


「俺も戦う」


「にゃあ……!? ホンキかにゃ!?」


「本気だ」


「大丈夫です。私も付いていますから」


 隣のルチアが口添えする。修道服を身に纏う彼女の手には愛用の杖が握られていた。 


「〜〜っ、わ、わかったにゃ……」


 アイシャは湧き上がる感情をむりやり飲み込むようにしながらも頷く。


「アイシャは何をしにこっちへ? この先には俺の家しかないけど……」

「にゃっ!? そ、それについてはもういいにゃ! 解決済みだにゃ!」

「……?」

「私はただ、ゴブリン共を殲滅して回ってるだけだにゃあ。獣人はゴブリンなんかには負けないにゃん」


 獣人は人間に比べれば基本的に戦闘能力が高い。アイシャの言う通り、素早いフットワークと鋭い爪でゴブリンなどものともしないだろう。


 ソクボ村にとっては、まともに戦える貴重な戦力のひとりである。


 おそらく、率先して各所を回ってくれているのだろう。


「村の中心部はもう大丈夫にゃあ。あと回ってないところは……」


「……空き地には行きましたか?」


「空き地? どこにゃあそれ」


「……っ。私はそこへ向かいます」


 ルチアの表情が険しいものに変わる。


「よ、よくわからないけどわかったにゃ。私はまだ取りこぼしがあるかもしれにゃいから、とにかく村中回ってみるにゃあ」


「気を付けてな」


「言われるまでもないにゃあ。おまえこそ、いくらへっぽこヒスイでもゴブリンごときに殺されたら後味悪いにゃん。危なかったらすぐ逃げるにゃんよ」


「わかってるよ」


「じゃあ行くにゃ」


 アイシャは最後にルチアと視線を交わして頷くと、ヒスイたちと別れて駆け出した。


「私たちも急ぎましょう」


 ヒスイたちは空き地を目指して駆け出した。


 ◇


「お、おい、ライ、ジェムも、しっかりオレの後ろに隠れてるんだぞ……!」


 村の中心部から少し離れた、人気のない空き地は彼らにとって絶好の遊び場だった。


 大人たちには殆ど知られていない楽園。


 その場所にゴブリンは土足で脚を踏み入れる。


「こ、怖い……」

「レン、ダメだよ……! 子どものボクらに勝てるわけない……! 逃げよう……! 全力で走ればきっと……!」


 彼らの目前には1匹のゴブリンが下卑た笑みを浮かべながら迫っていた。


「び、ビビんなって2人とも! オレは勇者アランの後継者だぞ! ゴブリンなんかにぜってぇ負けねぇって!」


 レンは両手を広げて小さな身体を張り、ゴブリンの前に壁のように立ちはだかる。


 しかし、威勢がいいのは言葉だけだ。


 声はあからさまに震えて、顔は恐怖に染まっていた。


「そ、それ以上一歩でも近づいてみやがれ! ぶぶぶっ飛ばしてやるからな!」


「グギギッ」


「ひぃぃ!?」


 レンは必死に声を張り上げるが、それをモノともせずにゴブリンは距離を詰めてくる。


「くっ……」


 ひとりでに足が動いて半歩後退してしまうが、己を鼓舞して踏み留まった。


 子どもには子どもなりの矜持がある。

 普段からあれだけ威張り散らしてライとジェムを従えている自分がここで引いてしまうようなことがあれば、もう2度と勇気ある者の後継を名乗ることなどできないだろう。


「く、来るな。こっち来んな! どっか行けぇ!」


 レンは心を振り絞って、友だちを守るために叫んだ。


 ◇


「やっぱりいた! レンたちだ!」


 その声を聞きつけて、ヒスイは前方を指差す。


「レン……! ライ! ジェム!」


 あらかじめ感じていた嫌な予感がそのまま現実になってしまい、ルチアは冷や汗を浮かべて顔を歪めた。

 

「すぐ、助けます——、!?」


 その時、ヒスイとルチアは同時に気づいた。


 空き地の端にもう一つの危機的状況が生まれていたのだ。


 10代後半ほどの若い男女が2匹のゴブリンに襲われている。


「ど、どうすれば……!?」


 ヒスイたちには2つの状況を同時に処理するようなチカラはない。一体ずつで精一杯だ。

 

「レンたちを先に助けます!」


「わ、わかった……!」


 ヒスイはわずかに冷静さを取り戻し、モップを振り上げて突っ込んだ。


「うぁ゛ぁぁああ!!」

「ギギィ!?」


 直前で気づいたゴブリンの石の刃と重なり、鍔迫り合いになる。

 体格と勢いで勝るヒスイが打ち勝って、ゴブリンは大勢を崩しながら後退した。


「——今です。”ウィンドカッター”」


 子どもたちからゴブリンが離れてしまえば、あとは狙いを澄まして魔法を当てるのみ。


 杖の効力で先ほどよりも幾分か威力の増した風の刃がゴブリンの身体を切り裂いた。


「やった……」


 一度の闘いを経てヒスイとルチアはお互いの役割を理解し、連携が上手く噛み合っていた。


 ヒスイに前衛をやらせることにはとても歯がゆい思いがある。しかしルチアには、人間には、出来ることと出来ないことがあり、正しい役割があることを受け入れる必要があった。


「に、兄ちゃん!? 姉ちゃんまで!?」


「レン! 話は後です!」


 ルチアはレンの肩を抱いてしゃがみ込み、目線を合わせる。


「もう少しだけ、ライとジェムを守れますね?」


「……っ、お、おう! ぜったい守る!」


「いい子です」


 にっこりと微笑んでレンの頭を撫でると、立ち上がってもう一つの戦闘へと視線を向けた——その時だった。


「ギギャア!」


 体勢を崩した青年に猛然と斬りかかるゴブリン。どう見ても、避ける余力はなかった。


「だめぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」


 瞬間、背後に匿われていた少女が絹を裂くような叫び声をあげながら青年とゴブリンの間に割って入った。


 ドッ、と嫌な音が聞こえる。

 少女が鮮血を散らしながら崩れ落ちた。


「あ、あぁ……なんで、ステラ、ステラぁ…………ぁぁっ」


 青年はボロボロの涙を流しながら少女——ステラを抱え上げるが、返事はない。


「ギャ、ギャ♪ ギャ、ギャ♪」


 その悲劇を見て、2匹のゴブリンは愉しそうに踊り狂っていた。


「そんな……」


 誰もが言葉を失い、悲嘆に暮れる。

 現場から目を離せず、体は恐怖で硬直してしまっていた。


「——ヒスイさん!!」


 そんな状況でただひとり、ルチアはピシャリと鋭い大声を張り上げる。


「戦ってください! まだ、何も終わってません!」

「で、でも……」


 守れなかった。

 目の前で人が、殺された。


「大丈夫! 私がいます! 私が……!」

「……っ」

「だから、もう少しだけ力を貸してください!」


 ルチアにも余裕などなかった。

 それでもヒスイに向かって力強く、心のままに訴える。


 戦場において迷っている暇など一瞬たりともありはしない。立ち止まってしまったら、次に命を落とすのは自分たちだ。


「”ウィンドカッター”」


「ギャア!?」


 勝ち誇って油断しているゴブリンへの先制攻撃。それは腕をかするだけに留まった。


「さぁ!」


「あ、ああ……!」


 弾かれるようにヒスイは駆け出す。


「”ウィンドカッター”」


 ルチアは続けて放った刃によって、2匹のゴブリンを上手く分断させる。


「1匹ずつ対処します!」

「了解!」


 ルチアの後方指示に従いながら、着実に確実に、ゴブリンを追い詰める。


 そして——


「はぁ……はぁ…………」


 何度魔法を放ち、何度モップを振り回した後か——2匹のゴブリンの討伐に成功した。


「今度こそ、終わった……っ」


 疲れ果てたヒスイはその場に座りこんで息を整える。


「くそっ……」


 ようやく倒したというのに気持ちは晴れやかなわけがない、真っ暗闇に堕ちていた。


 ヒスイにできる最善は尽くしたはずだった。それでも弱いヒスイには守れないものがある。それを痛感させられた。己の無力に打ちひしがれる。


「神よ……彼女に今一度生きるチカラをお与えください————」


「え………………?」



 ゴブリンに斬殺された女の前で両手を合わせて祈りを捧げるルチアの周囲が淡く輝きだす。



「”リザレクトヒール”」



 その輝きが徐々に増していき、少女までをも優しく、柔らかく包み込んだ。


「え、あれ……私……」


 光が収束して消えた後、なんと少女の瞼がゆっくりと開く。


「あ、あぁ……生きてる。生きてるよぉ……」


「ステラ、ステラぁ……!!」


「キール……わたし、生きてるぅ……」


 涙を流して喜び抱き合う2人をヒスイは遠目に見ながら、安堵のため息を漏らした。


(よかった……)


 まさに奇跡のような出来事が起こっていた。


 思わず脚を踏ん張って立ち上がり、ルチアの元へ駆け寄る。


「ルチア、今のって……」


 死者の蘇生。

 そんな魔法があるなんて聞いたことがない。


「さすがに死んでしまった人を生き返らせるなんてことは出来ませんよ」

「え……」

「彼女が必死に生きようとしていたから、私もチカラになることができました」


 ルチアもまた、ようやく肩の荷が降りたとでも言うようにホッと胸を撫で下ろす。

 ルチアにとっても、これは一種の賭けだった。彼女がもしも完全に息を引き取ってしまっていたら、もうどうすることもできない。だからこそ、いち早くゴブリンを倒す必要があった。


(まったく、何が勇者パーティの足手纏いだよ……)


 死ぬ寸前の人間でさえもあっというまに息を吹き返すほど強力な回復魔法。これはルチアだけがたどり着いた、回復魔法の境地だ。

 回復に関して彼女の右に出る者はいない。その道のスペシャリストである。


 しかし逆に言えばそれだけしか能がなく、近接戦闘でも攻撃魔法でもまるで役に立たない。誰かが怪我をすることでしか役割を与えられない。死ぬほどの怪我でなければ他の神官でも十分に代用がきく。だからこそ自分を卑下し、過小評価していた。


「私のチカラは、誰かを守ることのできるチカラです」

「そうだね。すごいチカラだ」

「はい……っ!」

 

 ルチアはやっと今、自分を認めることができた。

 全部ができなくたっていい。

 ルチアは万能ではない。


 それでも、守りたい人を守るための力を身につけた自身の努力を誇りたい。


「ねぇ、あなた……」


 ステラがルチアに声をかける。


「あなた、もしかして……聖女——」

「このことはどうか、ご内密に」


 ルチアは少女の口に手を当てて微笑む。

 それから周囲のキースやレンたちにも向けて告げた。


「みなさんも、どうかご内密に。私は、ただのルチアです」


 その親しみ溢れる笑顔こそ、彼女の本質だった。

 

 その後はアイシャのように村を回ったが、それ以上ゴブリンと遭遇することはなかった。


 結局、村を襲ったゴブリンは10匹ほどしかいなかったらしい。

 危惧していた上位種が現れることもなかった。


 しかしこれで村のハズレから始まる森にゴブリンの巣穴があることは確定したと言っていい。それについては近く対処する必要があるかもしれないが、現時点で村の中にゴブリンはいない。


 無事、死傷者は出なかった。

 ルチアにとっては最上の結果だ。

 

 だからこそ、思う。

 こんなに上手くいっていいのだろうか。

 かつてのトラウマを思い返せば、この結末には疑問符ばかりが浮かぶ。


 まるで意図的に手心を加えられているような、釈然としない感覚だけが残った。

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