Tale.15『笑顔』

「ね、ねぇ、ほんとにいいのかな……? ここ、悪い魔族が住んでるってうわさ聞いたことあるよ……?」


 店の出入り口付近から何やらコソコソと話し合う声が聞こえてくる。


「はっ、心配ないって! なんせ勇者アランの後継者であるこのオレ様が付いてるからな!」


「わぁ、頼もしい」


「ライのことはこのオレが絶対に守る! 行くぜ!」


 威勢のいい声を皮切りにして、荒っぽく扉が開かれた。


「いらっしゃいませ、お客様」


 準備を整えていたルチアが丁寧に出迎える。

 全てを包み込むような優しい微笑みが、初めての接客とは思えないほど様になっていた。


「お、おお。……ね、姉ちゃん遅いぞ。めちゃくちゃ待った」


 思わぬ歓待に先頭の少年、レンはすっかり気勢をそがれてしまい、頬をかきながらプイと視線を逸らした。


「あら、なに赤くなってるの?」


 レンの背中からぴょんと顔を出す少女。


「な、ななななってねぇよ!? オレはライ一筋だっつの!?」

「ほんとかなぁ。浮気者だなぁ」

「だからちげぇって!」

「うっわきもの。うっわきもの〜」

「〜〜っ、だから〜!」


 仲睦ましげに押し問答する2人をしばらく見つめたのち、ルチアは話に割って入る。


「ふふ、待たせてしまってごめんなさい。その分、美味しいご飯が待ってますからね」


 そう言って、2人をテーブルに案内する。

 

「ほら、ジェムも。こっちですよ」


 それから、未だに扉に隠れて恐る恐るこちらの様子を窺っていた少年にも、ルチアは分け隔てなく声をかけた。


「た、食べたりしない?」

「がおー、食べちゃうぞー?」

「……………っ」

「なーんて、冗談です」

「あっ……」


 ルチアが普段よりも幾分子どもっぽく笑んで見せると、ジェムは警戒心を解くようにホッとため息を吐いた。


「ほら、レンとライも待っていますよ」

「……う、うん」


 ルチアに手を引かれてジェムが入店する。これで3人。小さなお客がヒスイ亭に訪れた。


「どういうこと?」


 一部始終を見ていたヒスイは戻ってきたルチアに問いかける。


「村の空き地で遊んでいた子どもたちなんですが、どうにも夢中になりすぎてお昼ごはんを食べ損ねてしまったみたいで。お腹を空かせていたので、ここにお連れしたんです」


 彼らの無邪気さはすでに見た通りだ。

 ルチアの説明を聞くだけで、その光景が目に浮かぶようだった。


「ねぇねぇ、なにが出てくるかな?」

「さぁ。どうせたいしたもんじゃないだろ」

「そ、そうかなぁ。テーブルとか綺麗だし、なんだかワクワクするよ。ま、魔族がいるなんてのもウソだったんだね……!」

「けっ。本当ならオレが倒してやったのに! こう、ドカーンって!」


 テーブルについた3人の会話は途切れることがなく、仲の良さが窺えた。この村で育った、幼馴染のような関係なのだろう。少しだけ昔を思い出してしまう。


「ご迷惑……でしたか?」


 ふいに、ルチアは言いにくそうに上目遣いを寄せる。


「え? どうして?」

「だって、その、お金には……なりませんから」

「ああ……」


 ルチアの態度に得心が言って、ヒスイは頷く。たしかに、お腹を空かせた幼い子どもたちから料金をいただくことはできそうにない。

 

「お腹いっぱい、食べさせてあげよう」

「……!」


 ルチアの瞳が輝く。


「ありがとうございます! ヒスイさん!」


 その笑顔が後押しして、ヒスイもより一層やる気が湧く。


 子どもたちの相手はルチアに任せて、厨房で調理を始めた。


 ——20分後。


「う、ウマ! なんだこれ! めっちゃウマイんだけど!」


 提供された見慣れない料理の数々に最初は警戒心を露わにした子どもたちも、すっかりその美味しさに魅了されていた。


「生の卵なんて初めて食べたわ。ライスにかけたらすっごく美味しい。お家のも生で食べられるのかな?」

「ら、ライちゃん、それはダメだよ……! たぶんここの卵が特別なんだ……! 新鮮なんだよ……!」

「なーんだ、残念。でもおいし」


 ライは卵かけごはんに舌鼓を打ち、幸せそうに頬を緩める。


「こ、これはなんの味なんだろう……? うーん、ぜんぜんわからないよ……」


 ジェムもまた、最初の緊張した様子がウソのように様々な料理に興味を示しながら口に運んでいた。


「そんなんどうだっていいだろ! 美味けりゃさ! うまうま!」


 対するレンは細かいことなどまったく考えることなく、とにかく腹を満たすこと最優先でガツガツと料理を胃に収め続けた。


「ほら、レン、ほっぺにお醤油が付いていますよ」


 給仕を担当するルチアが甲斐甲斐しくレンの頬を布で拭う。


「お、おう……ありがとな、姉ちゃん。あと、ごめん」

「え? どうして謝るのですか?」

「いや、その、魔族がどうとかって……」

「あ……そ、それは僕が言い出したことだから……だから、ボクが一番、ごめんなさい……」


 レンが頭を下げると、ジェムが一際申し訳なさそうにそれに続いた。


「おいバカ! そういうのはなぁ、勇者アランの後継者であり、偉大なるリーダーであるオレの役目なんだぞ! ジェムは謝らなくていいんだよ!」


「そんなのダメだよ……! ボクだって悪いと思ってるんだ……!」


「バカアホやめれ〜! アタマを上げろ〜!」


「いやだ〜!」


 レンがジェムの頭を引っ掴んで上げさせようとするが、ジェムは意地になって抵抗する。


「ワタシは謝らないよ? 付いてきただけだし。あ、これもおいし」


 ライだけがマイペースに食事を続けていた。


 その会話の行方を見守っているだけで、ルチアは心がスッと楽になっていくようだった。

 子どもたちの純粋さは時に残酷でもあるが、こうして誠実に向き合えばきちんと分かってくれる。愛おしい子どもたちのおかげでルチアもまた、救われるのだ。


「いいんですよ、2人とも。謝ったりなんかしなくて」


「いーやダメだ! ちゃんと謝れるヤツはカッコいいんだ! だから謝る!」


「……いいんです。もう十分、貰いましたよ」


 ルチアはレンとジェムの頭を優しく撫でる。


「うぅ、し、仕方ねぇな。ここは姉ちゃんに免じて、だな……」

「うん……そうだね……」


 2人はすっかり大人しくなって、その心地よい感触に甘えた。


「ルチアお姉ちゃん。ワタシもワタシも」

「はい。ライも、いい子ですね」

「えへへ〜」


 すっかり打ち解け、ルチアに懐いてしまった彼らは食事が終わっても帰ることなく、夕方を迎えるまで楽しいひとときを過ごした。


 

 帰り際、家の前で3人を見送る。


「それじゃあな、姉ちゃん! あ、兄ちゃんも! 料理美味かったぜ! ありがとう!」


「こ、今度は家族で来たいな……! お、お金もちゃんと払うし……!」


 ふと、ヒスイは昔の記憶を思い出した。


 ——お父さんは、なんで料理をするの?


 いつだったか、アオイにそんなことを聞いた覚えがある。


 ——そんなの決まってるよ。


 ——美味しい料理は人を笑顔にするからさ。


 ——そしてその笑顔が、俺を幸せにしてくれるからさ。

 

 その返答の意味を、今ようやく実感できている気がした。

 3人の満足そうな笑顔は沈みゆく夕日の何倍も美しく、宝石のように眩しいものだ。

 

「ワタシは、お兄さんともう少しお話してみたいな?」

「は、はぁ!? 何言ってんだよライ!? オレというものがありながら!?」

「だってレンはルチアお姉ちゃんにデレデレだし」

「ち、違うんだって〜! オレは〜〜!!」

「浮気者のことなんてしーらない」


 必死に説得しようとするレンだったが、ライはひらりと交わして逃げ回る。


「ふふっ」

 

 やがて、ルチアが3人の前に出る。


「みなさん、今日は本当にありがとうございました。ぜひ、またお越しくださいませ」


「「「うん!!!」」」


 3人は嬉しそうに顔を見合わせて、最高の笑顔を見せてくれた。

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