Tale.8 『心の奥底』

「ほらほら、ヒスイさんも立ってください! お掃除しますよ!」


「ええ……」


 ヒスイは掃除が苦手だ。

 単純に面倒くさい。その上、一人暮らしが長くなり、村では半ば孤立状態。見かけを気にすることもなくなってしまっていた。


「いいから! 雑巾とバケツを用意してください!」


 気の進まないヒスイだったが、逆にルチアはイキイキとしている。


 そんなルチアの様子を見て悪い気がするはずもなく、ヒスイは掃除の準備を始める。


(まぁ、普通に考えて食堂が汚いってのは大問題だしなぁ)


 いい機会を与えてもらったと思うことにした。



「ふんふーん♪」


 ルチアは楽しそうに鼻歌を歌いながら、修道服が汚れるのも気にせず両膝をついて床を拭いていく。


 慣れた手つきは、ありし日の彼女が教会でもこうやって清掃していたことを想起させた。きっと誰よりも率先して、和かに笑いながら励んでいたに違いない。


 ルチアに負けないよう、ヒスイも集中して掃除に取り組んだ。

 ルチアは背が高くないため、高いところまでは手が届かない。そういった場面に颯爽と駆けつけて男としての甲斐性を見せることでなんとか、少しは役に立てたという実感を得ることができた。


「ふぅ」


 数時間かけて掃除を終える。


「やっと終わったぁ」


 普段ほとんど引き込もりのおじいちゃんみたいな生活をしているヒスイにはかなりの重労働で、一気に疲労が溜まるのを感じた。

 しかし同時に達成感もある。見渡した家の中は、見違えるほど綺麗になっていた。


「お疲れ様。ルチアのおかげでこんなに——」


「次はお外ですね」


「——え?」


 タオルで額の汗を拭き取ったルチアは、疲れを感じさせない気力に満ちた表情で外へと出て行ってしまう。


「マジで……?」


 どうやらつい数週前まで勇者パーティとして旅していた聖女様の体力を甘く見ていたらしい。


 ため息を漏らしながらも、後に続いた。


「うわぁ……」


 外装もまた、長年放っておかれて荒れ果てている。外壁に無数の蔓が茂っていた。


 今まで目を逸らし続けてきたが、改めてると酷い有り様である。


「私が魔法で蔓を切り落としますので、ヒスイさんは地面に落ちた蔓を一箇所に集めていただけますか?」


 ここからは協力して作業にあたるらしい。ヒスイは頷いて、ルチアの言葉に従った。


 それにしても、魔法というのは便利なものだ。ルチアの風魔法によって蔓がみるみるうちに刈られていく。

 

 この世界の人間には基本的に魔力が存在する。

 ニホン人であるアオイには魔力がなかったようだが、ハーフであるヒスイには母の魔力が受け継がれた。だが、ヒスイには魔法が使えない。悲しきかな、才能がなかったらしい。


 身近に勇者アランなどと言う人類でもトップクラスの才能マンがいたこともあり、ヒスイにとってはコンプレックスのひとつでもあった。


「……ごめんなさい、ヒスイさん」


 ルチアはヒスイの方を振り返って、申し訳なさそうに小さく頭を下げる。


 イキイキとしていたのが一転、雰囲気がガラッと変わってしまっていた。陽の光を失った花のように、しゅんと萎れている。


「え? いきなりどうしたの?」

「私では、時間がかかってしまいますので……」

「……? 充分早いよ? もし俺がやってたら数日はかかるだろうし」


 作業はもう3分の2ほどが進み、あと少しといった具合だ。この調子なら日が落ちる前に済ませることができるだろう。


「でも、勇者様ならきっと一瞬です」

「それは……」

「エステルさんは誰よりも魔法の扱いに長けていて、もっと器用にできます。クロさんだったら、もしかしたらあの短剣でスパスパっと素早く済ませてしまうかもしれません」


 ルチアはかつての仲間たちに想いを馳せる。


「みなさんすごいんですよ。私なんかよりずっと、ずっと」

「……自慢の仲間たちなんだね」

「はい。そうなんです」


 そういって微笑むルチアは自嘲的で、力無く、弱々しかった。


(ああ……)


 ——よく知っている顔だ。


「だから……私はパーティの足手纏いだったのでしょうね。呪いは勇者様にとって、私を追い出すのに丁度いい口実だったのかもしれません」

 

「…………っ!!」


「……私なんか、いらなかったんです」


「そんなこと——!!」


 ない、と安易に言うことはできない。

 脳裏に魔王から見せられた景色がチラつく。


『——あの役立たずめ!!』


 それはあまりにリアルで、不快で、鮮明すぎるもので、ヒスイに楽観的な言葉を許さない。


 こんなとき、なんと声をかけるべきなのだろう。


 ルチアはこの村にやってきてから、ネガティヴに陥っていた。


(だから、今は精神的に不安定になっているけど……腰を落ち着けて冷静に考えてみれば——いや、違う。違うはずだ)


 ルチアが吐露したのは、もっと根深く、彼女の心の奥底に巣食う劣等感。自信のなさの現れ。旅をしながらも、長い間、ずっと悩んでいたに違いない。


 幼少期をアランと過ごした、劣等生の代表であるヒスイにはそれがわかる。

 

 生優しいだけの言葉に意味はない。

 その場しのぎの答えに意味はない。

 だからと言って、明確な答えがあるわけでもない。


 それなら、彼女が今、最も必要としている言葉とは——。


(くっそ……)


 結論を言えば、きっとヒスイの言葉にチカラはない。


 ルチアを納得させることができる人がいるとすれば、それは彼女が信じる誠実なる勇者アランだけだ。


(それでも……)


 ヒスイは不安げに俯き、今にも涙を零してしまいそうなルチアに優しく笑いかける。


「俺には、キミが必要だよ」


 ルチアはヒスイに、弱さを晒した。

 どうしてこんな話を、出会って数週間の男にしてしまったのか、ルチアとて理解していないのかもしれない。


 だからこそ、その意味に賭けてみたかった。

 

 たとえ今はまだチカラを持たない言葉でも、いつかは、と——。



 ・


 ・


 ・



「さぁ、看板も綺麗になりましたよ」

「おぉー、すごい。新品みたいだ」


 これにて、外装の清掃が完了した。

 空はすでに茜色に輝き始めていた。


「——“ヒスイ亭”、ですか」


 初めてこの家に来た時は掠れてしまって読めなかった看板の文字を、ルチアは見つめる。


「愛されているんですね」

「ヒスイっていう宝石が好きなだけだと思うよ、うちの親父は」

「ふふ、そうでしょうか」


 鈴を鳴らすようにコロコロと笑うその姿は、もう普段通りの朗らかな彼女に戻っていた。

 

「改めてお疲れ様。今日は本当にありがとう。汚かった我が家が見違えるようだよ」

「いえ、とんでもないです。こちらこそ、ありがとう……ございます……。〜〜っ」


 なぜかお礼を口にしたルチアは、サッと赤い顔を隠して、ヒスイから逃げるように家の中へ走り去った。


「ん……俺、何かしたか?」


 やはり対応を間違ってしまったか。

 それはまだ、分からない。


 何はともあれ、こうしてヒスイの経営する食堂——ヒスイ亭は店としての体裁を取り戻すことができた。


 しかし当然のように、その後も客が来ることはなく……。


「なぜですか!?」

「そりゃあ、そもそも異世界料理を食べてみようとする人がいないって話だからね」


 店の衛生面がとかそんな問題ではないのだ。

 アプローチの方向性から間違っている。


「うぅ〜〜〜〜、ヒスイさん、わかってましたね!? わかってて何も言わなかったんですね!?」


「まぁ、うん」


 ヒスイにはこの店を繁盛させるなどという高尚な目的はない。ただ、掃除してもらえることに不都合はなかっというだけの話。


 つまるところ、働きたくないでござる。


「もぉ〜〜〜〜っ!!」


 泣きつくようにしてヒスイの胸をポカポカと叩くルチアは怒っていながらも、楽しそうだった。

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