二
一階には新たにモールへやってきた四人目の僕が負傷しているにも関わらず、走り回っている。やれやれ、ご苦労様なことだ。雷のせいで、頭が痛むんだと勘違いしているのかもしれないな。呑気な奴だ。
一度整理してみる必要がある。
僕より前にモールに来て仮面の殺人鬼になった湊がA、僕がB、もう一人の湊がC、さらに新たにやってきた湊がD。湊Aを湊Bである僕が殺し、湊Cと敵対中。何も知らない湊Dは今のところ蚊帳の外だ。重症度はCが一番高いだろう。
最も警戒しなければならないことは、これまでにも増して交戦の激しさを増しているCの湊だ。このまま行けば、間違いなく僕は――。
三階に来た。北西のゲームセンターにはもう何度も目にした子供がいる。嘆息しかできない。
まさくんだ。ゲームセンターの電子音につられてやってくる。この流れは別に僕が誘き寄せる必要もなく起こることのようだ。
生きているまさくんと遭遇したのはこれで三回目になる。最初の湊Aに殺害されたまさくん、僕が殺したまさくん、今現れたまさくんの三人だ。三人目も寸分たがわず、まさくんだ。お前の顔は見飽きてるんだよ。
こいつも殺すしかないな。
すぐ近くにクレーンゲームを見つめる湊Dがいる。もうアニモンはいいって。てか、頭を殴っておいたのに、アニモンは気になるのか。僕もアニモンは好きだけどな。
僕は新幹線の乗り物に小銭を投入する。まさくんは突然動き出した新幹線の乗り物を不思議そうに眺めていたが、やがてクレーンゲームに夢中の湊Dに気づいて近づいていくだろう。湊Dもまさくんに気づいて追いかけるはず。
さて、仮面の殺人鬼を演じる僕は中央エスカレーターに陣取るか。
待てよ。僕はループに気づいて、一度中央エスカレーターにいる仮面の不審者を阻止している。ということは、もう一人の僕こと湊Cによって僕も同じように阻止されるかもしれない。
よし、ここはまさくんではなく湊Dを殺そう。湊Cのように僕に対して敵意が芽生える前に。さっき屋上でやっとけばよかったなとは思うが。僕だって自分の身はかわいい。
まるで生まれたての赤子のような新しい僕は、まさくんと出会えただけで無人のモールから解放されたとばかり飛びついている。その隙だらけの背中に包丁を刺すのは簡単だった。
どすと突き刺す。痩身な僕の分身は骨ばっていた。僕が刺されるときの手ごたえもきっとこうなのだろうと思うと、怖気を振るいそうになる。今さら怖がっても仕方がない。僕は殺す側であって、殺される側にならないようにするだけだ。
負傷している右手に固定した包丁を引き抜くのはなかなか大変で、左手でなんとか引き抜いた。湊Dの背中からどぴどぴと鮮血が噴き出た。肺腑から出血しているのか、血の色は明るい。誰に殺されたのかも分からなかっただろう。
そのまま床に投げ捨てると、僕とは同一人物とは思えないほど、青白くなって死んだ。
ついに、殺した。
小さくガッツポーズをする。達成感に酔いしれて足元がふらついた。それもそうだ。敵対しているもう一人の僕に対しての憂さ晴らしだ。
まさくんは悲鳴を上げて逃げていったが、かまいやしない。
ちゃんと息の根は止まったか? 背後から刺したのであばら骨に邪魔されて心臓を一突きとはならなかっただろう。四本ある包丁のうち、二本が刃こぼれしている。指の感覚がないから、力任せに刺してばかりいたからな。
ゲーセンに湊Dの遺体を放置したらどうなるか。増え続ける僕は僕の遺体に驚くだろう。精神を病むかもしれない。まぁいいだろう。この僕がループを終わらせるんだから。
ビールが飲みたい。自分を殺してもパラドックスで自分が消滅することがないと分かった。ループが明けるまで飲み明かすのもいいかもしれないな。もうこのモールに閉じ込められて五時間ぐらいは経つんじゃないだろうか? 二度目の成人式みたいだな。僕はひ弱、頼りないダメンズから脱皮したんだ。仮面を被ることで。
有頂天になっていた僕の目から火花が散る。あっと、後頭部を抑えた。モールの灯りが明滅したかに見え、視野狭窄に陥る。
頭皮が痺れたようになり、頭蓋が圧迫されるような激痛がある。
一瞬視界が戻ったときには、ふらついた自身の足と迫りくる床が見えた。両手を突き出し、転倒をしのいだ。危なかった。チョコレートの仮面が割れたら、おしまいだ。これ以上続けられなくなるところだ。相手から顔を見られないことに僕は随分慣れてしまっている。まだまだ殺すつもりだ。ここから出られるまで皆殺しにしてやる。
振り向きながら起き上がる。頭上を鯛がかすめた。危ない、鯛だ! 馬鹿な。ふざけてるのか、また鯛だと。
氷で冷やされていた鯛の強度は折り紙つきだ。頭部が脈打つので触ってみたら手に温みを感じる。血が付着した。くそ、やってくれたな。
「とことん殺し合わないといけないようだな!」
「どうしてそんなに必死なんだよ。どうやったって出られないんだろ?」
湊Cこと、もう一人の僕の声の冷淡なことといったら泣けてくる。絶望したような顔しやがって。血路を切り開くためには、文字通り血の犠牲が必要だろう。
僕の突き出した右手は鯛で弾かれた。はっ。馬鹿にしやがって。
一階の生鮮食品市場もちゃんと調べておくくべきだった。きっと陳列された魚の中で鯛だけが減っている。くそが。最初は正当防衛のつもりで手にした鯛が、ここにきて僕に牙を剥くなんて冗談じゃない。そんな間抜けな殺され方をしてたまるか。
――僕は死ぬかもしれないぞ。
手足を冷たいものが走る。宇田川湊は僕しかいないはずなのに、どうしてほかの僕が僕を殺そうと躍起になるのか。
震えもきた。今になってこの場から逃げることを考えた。包丁を固定していたリボンが鯛との衝突で緩んでいて、三本取り落とした。かまうもんか、駐車場には山のように包丁がある。
包丁は本当に助かる。モールに包丁を持ち込んだであろう、一番最初の湊に感謝だ。最初の僕は仮面の殺人鬼に襲われる前から、包丁を所持してモールにやってきたということだろう? ほんとに狂っている。宇田川湊は狂っている。
背後でもう一人の僕が叫んでいる。
「逃げるのかよ! 待ちやがれ! お前は絶対許さない」
荒々しく猛っている。ほら、もう化け物の片鱗を見せはじめた。お前も僕なんだから仮面をつけることになるんだよ。
僕だってお前を許さないからな。最初から包丁を持ち込んだ僕も、仮面の不審者だった僕も、今それにならって行動している僕も、あとから来たくせに僕の行動を阻止せんと動く僕も、無知な僕も。
ここから出るという簡単な目的を、どうして目指せないのか。みんな矛盾している。許さない。こんなことをはじめた一番最初の湊を許さない。
背後から僕の足音を踏み抜くような力強い靴音が迫る。
足の速さで優劣は決められないはずだった。
汗ばんでチョコレートの仮面が額にはりつく感触と、チョコレートが溶けているのか、甘い香りがする。
僕はくらりとめまいを感じて足がもつれた。生暖かい血が首筋に伝って、まだ頭部から出血していたことに気づく。乱暴に足を突き出すような走り方ではあっという間に、もう一人の僕に距離を縮められてしまう。
このまま三階にいたら駄目だ。駐車場から突き落とされる。絶対にそんな終わり方は嫌だ。
僕は急に立ち止まり、面食らっているもう一人の僕の胸目がけて、たった一本になってしまった包丁を振り回す。が、もう一人の僕は臨機応変に、鯛で僕の脛を殴りつけた。
「ぐばかぅ」
皿がばっくり割れたような痛みだ。バランスを崩してしまった。
強烈な鯛の殴打がはじまった。前額部が割れる代わりにチョコレートの仮面が縦に真っ二つに割れた。ついに割れたか! だが、まだバンドはついているので被ることはできる。ひとまず捨て置く。瞼のすぐ上に鯛の背ビレが刺さった。
びぶちゅと、シュークリームが潰れたようなまぬけな音がして、皮膚が裂け出血する。痛みで自制のきかない涙が溢れた。視界が滲む。
顔を両手で覆う。指の間から右手の血とは別の血が流れてくる。瞼からは思った倍以上の血が出血しているようだ。汗と涙と血とチョコが混じった臭いで、吐きそうだ。
僕の顔はチョコレートと血で赤茶色になっているだろう。
鯛は僕の背中にも当たった。床に手を突く。このまま完全に転ぶ前に態勢を立てなおさなければ。苛立ちながら鯛に手を伸ばしてみたが、相手の攻撃を見極めて鯛を奪うことはなかなか難しい。僕の手をもう一人の僕は蹴り飛ばした。ついに最後の包丁も飛んで行く。
僕は床に転がったそれを腹這いになって確保しようとするが、あえなくそれも蹴り飛ばされる。
くそおおお!
包丁だけは手放せない――あの包丁はこれから使うんだ。思い出した。包丁は僕らがこうして互いに斬り合うために持ってきたんじゃない。ここでの目的は子供だ。子供を殺すのに包丁はやり過ぎだが、思ったより手こずっている。本来の標的はここにはいない。
行かないと。モールから脱出することですべてが終わると思っていたが、そうじゃない。
駐車場に行けば僕は突き落とされるかもしれないが、それでもあそこに行くしかなかった。包丁さえあれば何とかなる。増殖しているのは人だけではなく、物体もそうだがその中で最も重要なものが包丁だったとは。
僕はまだ膝立ちの状態だったが、いきなりレインコートの襟首をもう一人の僕につかまれた。なんだ、努力しなくてもこのまま退路を断たれてあの立体駐車場送りになるのか。
へらっと力なく笑った。抵抗するでもなくもう一人の僕に押される。
何とか時計店と楽器店の通路で踏み留まる。すると一発頬を殴られた。痛いが、別にそれはどうだっていい。急に調子に乗り出したもう一人の僕が憎らしい。向こうも痛がっているが。
「右手、痛むんだろ? 右手が包丁三昧になるのは、その傷のせいだ。宇田川湊から宇田川湊へ受け継がれていたんだ」
もう一人の僕は持ち前のつり目を怒らして聞いてくる。
「これが? だとしても、僕には関係ない」
「お前にも殺しの素質みたいなのがある。それがその右手の」
「黙れよ。僕はお前じゃない。お前は無抵抗な子供を殺した。猟奇殺人鬼だ」
「そのうち、お前も包丁が欲しくなったりするかも?」
「どうして。お前はまだ殺し足りないのか? シリアルキラーめ。地獄に堕ちろ! 堕ちて二度と輪廻転生で戻ってくるな!」
もう一人の僕は僕より鋭利な言葉を選ぶんだな。僕はにやにや笑ってしまう。少し低姿勢になった方がいいだろうか? これから僕は僕に殺されるわけだし。いや、笑ってしまう。こんな間抜けなことがあるだろうか? 自分のことを客観視すると、なんだかおかしくておかしくて。
「あそこにチョコレートの仮面が転がってるだろ?」
もう一人の僕は訝しそうに目だけ動かし、二つに砕けたチョコレートの仮面を見やる。
「この期に及んでまだあれを被りたいのか?」
虫唾が走るような言い方だ。仮面があれば怒りも上手くごまかせたかもしれないが、今は血とチョコまみれのまま目を怒らせたまま、口をへらへらさせるしかない。
「お前がこれから僕をどうしたいかは、分かってるんだよ。僕を殺すときには、あれもいっしょに捨てて欲しいんだ」
もう一人の僕は息を呑んだ。捨てるという表現に驚いている。
あの仮面も一緒に落としてくれれば、仮面のバンド部分が屋上の雨樋に引っかかって、ループする。増えるのは僕らの所持品と僕らだけだしな。ペットボトルが増えていたのだって、スーパーからゴミ箱に移動しているだけのことだ。チョコレートの仮面はこのモールにたった一つしかない。次のループのときにはこれを被っても、顔を半分出したままになるのだろうが。少なくともその回で殺人をこなすのは、僕じゃない。
頑張れ湊C。仕事は山積みだ。火傷で顔がぐしゃぐしゃな上、仮面は半分割れている。見た目の迫力が増したCをほかの湊は僕自身だと認識できるだろうか? 湊Dが死んだから、次にもし来るとしたら湊Eだが、そいつがどんな僕でどういう行動するのか予想が立たないだろう。
敵の心配はよそう。僕はおそらくループ脱出を失敗するだろう。だが、仮面さえ残しておけばいつかの僕が脱出するかもしれない。僕は手掛かりを残してやる。親切だな。こんなに酷い扱いを受けているのに、僕は我慢しているだけじゃなく後輩たる僕らに道しるべを残す。なんて優しいんだろうか。我ながら泣けてくる。
怒りで上気したもう一人の僕が問う。
「どうすれば、ここから出られる?」
「出られる? 出られるって信じたいからそんなことを聞くんだ。それに、もうその答えは教えたはずだ。『子供を殺さないとモールから出られない』、これはループに取り込まれた僕自身からの遺言だ。これを聞きたかったんだろ? これがこのゲームのルールだよ」
「これはゲームじゃないだろ!」
僕は囚人よろしく引き立てられた。
ゲームだったらどれだけいいか。皮肉ったんだけどな。お前も僕を追うことを楽しんでいただろうに。自覚がないから、悠長なことが言っていられる。
――……出たい。
そう言っていた最初の仮面の不審者だった僕を、今さらのように気の毒に思う。
ひと悶着あってから立体駐車場に追い立てられるはずだが、無抵抗のまま連れていかれることにする。確かあのとき、仮面の不審者だった僕の右手小指が引きちぎれたんだ。無理に抵抗して痛い思いをするのは、馬鹿らしい。やったのは僕だが。
僕は口元を緩めて笑う。もう一人の僕はクズの僕を殺したって構わないと内心では決めているんだ。同じクズなのにな。お前ももうすぐ僕になるんだよ。次はお前の番だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます