三
彩との最初のデートは真夏だった。美大のオープンキャンパスで会ってから、一週間後だった。彩が大阪までやってきた。
彩は太陽光さえ吸い込むような黒のタンクトップと同色のタイトスカートを身に着け、厚底のウェッジサンダルを履いていた。つけ爪もペディキュアも白だ。
大阪市にある僕の家の最寄り駅まで来てもらったが、僕の家の近くには大した商業施設はない。駅直結のホテルが入った商業施設も兼ねる超高層ビルがあるが、あれは僕が産まれる前からあって古臭い。五年前に再開発のために名称変更をした。それでも賑わいはなく三年前に一階にあったボーリング場はなくなった。
遊びに行くには梅田に行くしかない。彩はいきなりUSJに行きたいと言い出した。地元からはJRを乗り継げば十五分前後で到着できるが、遊園地にはあまり行かないので年間パスは持っていない。
当日券が値上がりした時期だったので、当日になって行きたいと言われて困ったのを覚えている。
僕らは大阪駅行きのJR環状線に乗る。混雑しているので座席には座らずドア付近に立った。
「彩さん。僕、そんなにお金ありませんし」
まだこのときは彩のことを彩さんと呼んでいた。もっとましな断り方ができないだろうかと、発声してから思い悩んだ。
「いいのよ。ウダガワくんの分も出すつもりだから」
「え、ええー」
口をぱくぱくさせていると、彩が僕の大き目な唇にそっと指で触れた。
「黙って。二人で楽しみたいの。まさかジェットコースター乗れないの?」
「ど、どうだろう。中学のとき以来だから三年ぶりで」
「泣かないでよ? あ、泣いても大丈夫。そんなウダガワくんも見てみたいもの」
「ちょっと彩さん」
「本気にしちゃって。なんか見かけによらず、かわいい」
声を弾ませる彩に、かわいいの意味を聞き損ねた。
「ウダガワくん。若手俳優の悪役をよくやるあの人に似てるって言われない?」
「あの人? 今のところ芸能人に似てるって言われたことはないです。でも、顔のジャンルとしては冷たい顔の系統ですよね」
「ジャンルって言うの? ちょと面白いわ。にしても、自覚はあるんだ? 別に冷たくなんかないわよ。ちょっと待って調べてあげる」
彩がスマホで調べる。
「ああいう感じのつり目さんは、爬虫類顔って言うみたいね。そうね。ウダガワくん、カメレオンそっくり」
「カメレオン? 舌が長いから?」
「長いの? そういう意味じゃなくて、どこを見てるのか分からないから」
「はぁ」
「見せて?」
「何を?」
「舌よ」
「今ですか?」
車内は混雑しているのに、ここでやったら僕が変人になる不安があった。
「今に決まってるでしょ」
車両のドア付近には僕ら以外に男子学生三人と、スーツケースを持った壮年の女性、若い母親とその娘が手を繋いでいる。窓ガラスに向かってやればいいかと、軽く舌を出す。誰も気づかない。
「ちょっと、それじゃあ見えないでしょ。あたしの方を見てできないの?」
彩には僕の羞恥心が理解できないらしい。それとも、僕を試している? 笑わせて欲しいのか。それとも僕を嘲笑いたいのか。
僕はそのときから彩に逆らえなくなった。彩が僕の顎の突端まで伸びる舌に驚いて笑い転げたのだ。上品な装いなのに、膝を今にも叩きだすんじゃないかと思った。彩は息が詰まったように嬌声を上げる。僕もそれが可笑しくて笑う。
駅に着く寸前で助かった。男子学生たちは僕を軽く指差すし、壮年の女性はまるで自分が辱められたかのようにあからさまに俯くし、若い母子は僕から逃げるようにホームに降りるため、僕を押しのける。
ホームで僕らも降りると、彩はいかにも火照ったと手で顔を扇ぐ仕草をした。
「ギネスに認定されるわよ」
「申請するつもりはないんだけどな。彩さんの舌は長いですか?」
「やめてよ。でも、あたしなら申請するかな。だって、こんなに笑えるんだもの。そもそも何の話だった?」
「カメレオンです」
「そうそれ。忘れるところだったわ。本当に言いたかったのはね。ウダガワくんって、カメレオン俳優だなって」
「なんですかそれ。余計に分かりませんよ」
「演技が上手そうって思ったのよ。それに、本心を隠すのもね」
なんだか、納得いかないまま電車を乗り換えた。
USJでは僕が彼女で彼女が彼氏のように立場が逆転した。
僕の家は大阪市港区にある。USJの隣の区であっても、乗りたいアトラクションがどこにあるのか分かるわけじゃない。
彩は見慣れた街のように迷うことなくアトラクションに僕を案内し、乗りたいアトラクションでは待ち時間が二時間でも平気で待った。
僕もただ黙って待つだけなら得意な方だったが、彩は僕に色々尋ねて沈黙を与えてくれない。それが、新鮮で僕は普段なら誰にも話したことがないような、普段どこで服を買っているかとか、どこのスーパーでバイトしているかとか話した。彩にも何か聞いてやるべきだったが、彩のことを聞き出すのが下手で、結局無口気味な僕が話すことになった。自分の通っている府立高校の偏差値は六十だとか、余計なことを言ってしまう。入試で苦戦してギリギリ入れたので、胸を張って言うべきじゃなかった。
デートの翌日、彩と喋りすぎたせいで頬が筋肉痛になったのをよく覚えている。
それから彩とはしょっちゅう連絡し、ランチやディナーも共にした。それで、一ヵ月もすると僕は彩の呼び出しに応じる隷属的な彼氏になってしまう。彩に京都に呼ばれることが増えて僕は交通費やデート代で金欠になり、大阪の北の方までなら行けると彩に告げた。京都まで行く交通費を節約したかった。
彩は大阪と京都の中間の辺りを探してくれた。彩は買い物が好きだったので、ハーフェンモール角間(かどま)にデートスポットの白羽の矢が立った。
僕らがモールで買い物をしたときには、中のコーヒーショップで三時間以上も語り合った。彩が恋人になってからというもの、もっぱら僕は聞き役になった。初デートのときどうして僕ばかり話すことになったのか、不思議でならない。
彩は就職活動をしていた。空間デザインを勉強しているから、デパートの店内装飾とかをしたいと話していたが、エントリーシートの一次選考で不採用となっていた。ほかにも大手アパレル販売店の接客販売スタッフ、ジュエリー販売員も目指しているが、面接まで行ったものの不採用となった。現在、書類選考を通過して面接待ちのところは、メンズ下着に定評のある海外ブランドのアパレルショップらしい。デザインでの募集はされておらず、販売店員でのエントリーになったようだ。
彩はモールに来て、販売店員の対応をときどきまじまじと見ている。本当にやりたいことは、お店のディスプレイを考案することなのだろうとは思ったが、僕は彩に助言を与える立場になかった。
出会ってまだ一か月ごろ、彩は言った。やりたいことは二つ以上あってもいいわよね? と。それから、彩は僕に再び京都に来るように言った。交通費は全額出してあげるからと。
僕は彩の一人暮らしのアパートで脱ぐように言われた。彩は困惑する僕を押し倒して、それははじまった。僕は筆おろしをされてしまった。
僕の人生は彩にめちゃくちゃにされているのかもしれない。僕から望んでベッドに入ることはなかった。彩はいつも僕に強要する。
それでも、彩が必要としているのなら、僕は彩のためになんでもしてやりたかった。彩のスマホはときどき僕たちの営みの最中にも通知が入ってうるさかった。
きっと彩の浮気相手の呼び出しだろう。彩を失いたくない一心で通知は無視した。彩自身も無視していた。
彩の浮気相手がどんな奴なのかは知らない。興味はあったが、僕から尋ねることはしなかった。彩は陶芸しか芸のない僕を受け入れてくれた唯一の人だ。僕は彩を必要としているし、彩もほかの男がいるにも関わらず、僕のことをいつも待っていてくれた。
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