三
東A立体駐車場には突風が吹き荒んでいた。積乱雲に覆われた空は夜のように暗い。
車一台もない立体駐車場で僕は、軽快な足取りでフェンスに向かう。道連れにするぐらいはしてやるつもりだ。そうしたらループしなくなるかもしれない。それでもいいかもしれないな。あとからモールに現れた湊Cも湊Dも僕であって、僕じゃない。
この僕だって二十番目の湊かもしれないのに。十九番、二十番、二十一番、二十二番でやり合っているようなものだろう? 馬鹿らしい。
自信を漲らせてもう一人の僕は僕ににじり寄っているつもりらしい。僕がびびっているとでも思っているのか。だが、仮面がないとどうも様にならないな。僕はにたりと笑ってしまう。とたんに批難される。
「お前は狂ってる!」
「湊C。お前もな」
「は? C?」
「僕はB。いやもしかしたら二十人ぐらい僕はいたから二十番の湊ぐらいかもな」
「何を言ってるんだよ」
「僕の人数の話さ。僕は僕以前の湊を目撃している。そいつがこんな馬鹿げた茶番をはじめたんだ。それで僕は真似した。お前も真似する。さっきお前も新しい湊を目撃したよな? 僕が目を離した隙にこっそり逃げてたけど、新しく現れた湊が倒れてただろ? みんな雷に打たれたんだよ。お前も僕も新しい奴もそうだし、おそらく僕より前にこのモールに来ていた湊も」
「僕が複数いるのか?」
もう一人の僕の火傷で真っ赤な顔から血の気が引いた。気づくのが遅すぎるぐらいだ。
「お前が複数いるんじゃない。僕だ。僕が本物の宇田川湊だ。お前らなんか死んだって大したことにはならないだろ。また増えるんだから」
「それはおかしい。僕とお前はどう見たって同じだ」
「笑わせてくれるよな。お前、鏡見てみたか? 頭ぶよぶよ、顔どろどろ、首べろんってなってんの気づいてるか?」
「さっきから、じんじん痛いけど。お前に殺されたまさくんたちはもっと痛かったんだろ」
「子供の心配してるのかよ」
「それが普通だ」
「その普通が嫌になったんだよ。お前も同じだろ」
「嫌って、少しぐらいはみんなそうじゃないのか」
「その少しが増幅していくんだ。どの道、道はない。このモールから出る唯一の方法をお前は選び取る必要があるんだ。何時間もこの場所にいて、誰かを思い浮かべなかったか? ここから出る理由があるだろう? モールから出たかったら、お前もこれから人殺しになるんだな。それが嫌なら――」
「お前を殺す」
え。
突き落とされる。
僕は咄嗟に、もう一人の僕の腕をつかんで共に駐車場のフェンスから落ちた。ところが、フェンスのすぐ下の
「なんだ。握ってくれるのかよ。くははは。もうどうにでもなれ。何度死んだって戻ってきてやる。ここはループしてるんだからな!」
もう一人の僕は聞きたくないらしい。顔を真っ赤にして足で雨樋を挟むのに必死だ。
ニット地の伸縮のせいで僕ら二人は揺れに揺れた。もう一人の僕は今にも泣き出しそうな顔をしている。火傷で垂れた皮膚がぶらぶらして、化け物の様相をしているのが、僕ではなくあっちなのが笑える。早く自分を取り戻せよ、そうすれば完璧に殺人鬼になれるぞと応援したくなってくる。まったく、哀れすぎる。モールに来た目的まで忘れてしまっているんだろう?
もう一人の僕は雨樋に足を固定し、安定した態勢になる。僕は遠慮なくもう一人の僕の手をよじ登ろうとつかみかかる。もう一人の僕は躊躇いもせず、僕の手を離した。
嘘だろおい。
大声で叫ぶ暇もなかった。足元から二月の冷気が吹き上がる。落下した。玉が縮む。
足元がみるみる闇に染まった。ずっと見ないようにしていた、闇に落ちた。だが、終わりはない。落ち続けている。何秒も何十秒も落下し続けている。
口から唾を吐き出し、僕は叫んだ。ジェットコースターでも終わりは来るが、ここには終わりはない。永遠に落下し続けていたら、気が狂ってしまう――。
からからからから。
金属の臼で人骨でも轢いているような不気味な回転音が近づいてきた。視界はすでになく、闇に包まれながら、なおも落ち続けている。さながら目隠しのバンジージャンプ。
呻き声や叫び声が聞こえる。本当の地獄に堕ちるのかもしれない。
遠くに人影が見えた。闇なのにその白塗りの顔が浮かんでいるからそれが人と分かった。
ピエロだ。ピエロが来やってくる。彩と行ったサーカスで転落死したあのピエロだ。僕らのことを覚えているんだろうか。近づくにつれ、ハムスターが入るような回転車の中に入って懸命に走っているのが見えた。長身痩躯から伸びるナナフシのような異様に長い手が、落下する僕に触れようと迫って来る。ピエロの白い顔は今や真っ赤に染まっている。顎は外れ、鼻の骨が砕けて凹み、目は弾け飛び血塗れの眼窩(がんか)を晒している。頭頂部は砕けて、剥き出しの前頭葉が震えている。
――ウンメイ ノ ワ カラ ノガレラレナイ ギャハハハハハハハッフゥー。
金属をやすりで磨いたような声だった。外れた顎が前後に揺れながら、唾液の混じった血液を飛ばしている。
「く、来るな来るな来るな!」
僕はピエロの冷たい手に抱えられた。クレーンゲームの景品のようにピエロの腕の中に収まる。冷気が脊椎を雷のように走った。死んだと思う間もなく、意識が闇の彼方に吸い上げられる。
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