二階の連絡口は暗くてよく見えなかった。闇だ。またピエロがやってきたら嫌なので、目に入れないようにして無視することにする。連絡口なら三階にもあるので三階から渡った。


「よっしゃー!」


 解放感で胸が弾む。駐車場に入れるだけで、大学の合格発表より嬉しい。


 ここから一階にまで降りれば外に出られる。


 数歩歩いて異変に気づく。駐車場に車はあっても人の姿はない。入庫や出庫の動きもない。


 車が通るであろうスロープの真ん中を早足に降りる。何の音もしないのが不自然だ。エンジン音の静かなハイブリットカーでも駆動音ぐらいするはずだが。それから、ここに来るまでに通った片側二車線の幹線道路を行き交う車の騒音も聞こえなかった。


 屋外だというのに、無音なのだ。


 僕はそら恐ろしくなりながらも、駐車場二階まで降りた。途端、立ち眩みに襲われた。二階から下は闇が広がっていた。さっきのバックヤードと同じ現象が起きている。駐車場そのものには入ることができるかもしれないが、駐車場を支える鉄筋の間から覗くモールの敷地外は闇で閉ざされている。


 あの闇は今の僕にはとても近づくことはできない。僕は死にたがりだが、あの闇の中で死ぬのは不可能だとすぐに悟った。


 心なしか金属の回転音が聞こえる気がする。地獄の番人が忙しなく走り回っているのだろうか。


 そうか、ここは地獄か。


 だが、僕が一体何をしたというのだろう。こんなのあんまりだ。


 僕は自身の腕を脇に挟んで、もう熱を帯びていない冷えた身体を少し温める。闇を見続けるのはやめた方が良さそうだ。吸い込まれてしまいそうだし、心なしか近づいてきている気がする。


 座り込みそうになる足を奮い立たせて、一目散に立体駐車場の三階に逃げ帰った。三階屋上では入道雲が覆いかぶさっていた。


 分厚い雲から雷を連想する。


 僕は雷に打たれて死んだのか? それならつじつまが合う。モールの外は人の世ではない。モール内は僕の見たことがある、または記憶にある場所にしか入ることができない。この立体駐車場にも僕は三階から入ってきた。途中、幹線道路を見ることはあっても、モールの周辺の景色を目を凝らして見たりはしなかった。だから、電動キックボードを駐車した三階しかほとんど記憶に残っていないので、そこから下の階は闇に包まれている――。


 あの闇はあの世に直結している。常世とこよかくりよ彼岸ひがん。なんと呼べば相応しいのかは分からないが。


 僕は死後の世界を信じない。だから、今まで死にたいと思うことができたんだ。死んでしまえばそれで宇田川湊は消える。


 なんとなく学校に馴染めなかった。進学するために強制される塾も友情を育む場所ではないにしてもライバルすらいない。僕が本当に通いたかったのは美大予備校だったから、誰とも話が合わなかった。予備校は金がかかるから、寝る間を惜しんでバイトに行った。彩がいなければ、僕は伯父さんに人生をめちゃくちゃにされていた。僕は親が引いたレールを走らされることになる。それでも僕は彩に美大に行きたいと、ときどき愚痴る。願書すら出させてもらえなかったんだ。僕は粘土をこねるしか芸のない人間なのに。粘土をこねる自分の細い指だけが僕の相棒のような生活をしてきた。だから、彩がオープンキャンパスで現れたときから、僕の日常は変わってしまった。一目惚れではなかったのに今では彩しか頼れる人はいない。


 生きていたって意味がないと思うことはたくさんある。朝食を摂らなくなり、やがて昼食の弁当も作らなくなり、コンビニ弁当で済ませ、晩飯も作らない。学校で勉強する意味を考えて、何もかもが無意味に感じたりもした。


 友達はいない。中学の時はいたが、高校になった途端連絡を取るのが面倒になった。高校ではみんな趣味や興味がばらばらになって個性的な人が多かったこともあり、僕は浮いてしまった。陶芸という一芸だけでクラスの中の自分の位置は決められない。どこにも属さず、かといって孤高の一匹狼にもなりきれず僕はクラスで孤立している。


 次第にクラスの誰からも話しかけられなくなり、仮に話してもお互いに必要最低限の受け答えだけになる。体育の授業のときには困った。バスケの試合では味方と連携がまったく取れない。サッカーのときは足が速いだけでドリブルはできても、シュートまで決めるコントロールはない。僕の俊足はクラスで目を引いたが本当にそれだけだ。足の速さだけでは体育の成績を維持できず、五段階評価の二がいいところだった。


 死にたいなとぼんやり思っていても、彩さえいればそれでいい。些細なことが僕を引き留める。例えば、彩の作るチャーハンの美味さとか。彩の気まぐれで中華はやめてステーキを食べに行くわよと急かされるのも悪くなかった。ときどき、無理やりキスされるのも僕はくすぐったいぐらいにしか感じない。でも、彩が喜ぶからそれでよかった。僕は彩の言いなりで生きるのが楽で仕方がない。


 このモールに閉じ込められたことに、何か意味はあるのか。だとしても今は彩との楽しい思い出を穢された気分だ。


 彩は二時間以上かけて二階のアパレルショップを回る。よく話す店員とよく話す彩の姿が眩しかった。ウダガワくん、このタンクトップさすがに露出が高いわよね? と彩が聞けば僕はたいてい頷いた。彩は露出の高い服を僕に否定させておいて、必ずシックに着こなすのだ。僕がフードコートでラーメンを食べたいというと、いつもそればっかりねと呆れられた。彩が帰り際に必ず寄って買っていく『ミスターダビデ』の二個のシュガードーナツ。自分のお土産だと言っていた。


 ここからもし出られたら僕もお土産に買っていこう。


 立体駐車場から脱出できないので、モールに引き返すしかないのだが。

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