第二章 四話



 当時の様子をよく知る道化師たちに事情を聞いたところ、訓練中だったとあるペアが乱闘を起こし、騒ぎを収めるために教師陣が現場に集まっていたそうだ。

「これも道化師の暴走とされていたようだけど、シュリイカが起こしたものとは少し様子が違ってね。変化へんげした姿のまま急に錯乱状態に入って、誰も制御出来ないほど暴れ回ったんだってさ」

 それだけを聞くと確かにディノたちが関わった事件と似通っている。

「それで訓練場にいた師が数人怪我をして病院に運ばれたわけだけど、暴走した道化師も気を失って搬送されていて、クラスメイトいわく本人もなぜ暴れたのかよくわかっていないらしい。意図的に行ったものではなかったそうだよ」

「知人まで特定して聞き込みをしたのか?お前の情報網も大したもんだな」

「傀儡師と違って道化師は身内に優しく社交的な人が多いからね」

 とりわけ外面がよく交友関係が広いメドは、友人やその知り合いと普段から積極的に交流するため、求めた情報を集めるのに事欠かなかった。端からは常に一緒に行動しているように見える二人だが、実際は受けている講義が重なることが少なく、学院ではそれぞれの時間を過ごすことがほとんどだった。

 ディノが一人で新聞や書物を読み漁っている時、メドは師と交流し人脈を広げているのである。

「それでもよく辿り着いたものだ……、道化師の異常性のある暴走か。そりゃ教師が駆けつけるわけだ」

「事情を知る師徒が少ないからか、シュリイカの件と同一視する噂が流れてしまっている。道化師の反逆が始まったんじゃないかって。これはあまり良い傾向だとは思えない」

「それはオレも聞いた。一部の傀儡師がきまりの悪い顔をしていたのは笑えたが、この噂がどう転がるかによってはしばらくオレたちも大人しくしておく必要がありそうだ」

「シュリイカとティオルドはどうする?」

「どうするって……オレたちにできることはもう何も無い。後は二人の問題だ。ティオルドには少し言ってやりたかったが、パートナー間のトラブルは結局本人たちが向き合おうとしなければ解決しない。まさかあいつらが仲良しこよしになるまで面倒を見てやろうとは言わないだろうな?」

 ふとメドは口に付けたコーヒーカップを下げた。どこか物悲しそうな目で取っ手をいじる。

「せめて俺は、ルースがまた悲しい目に合わないようにもう少しだけ見守っていたいよ」

 表面に波紋が広がる。

「ディノ。君は天秤にかけるようにして物事を均衡に見ているけれど、傀儡師と道化師はもうそんなバランスで測れるものじゃないと思うんだ」

 とうにそんなものはないのだと言うように。

「道化師は、どうしようもなく弱いんだ」

 同じ種族であるからこそ寄せられた、ルースへの純粋な同情だった。

 彼は別種だというだけで傀儡師に見下されたことがあった。田舎者であるから余計に蔑まされた。獣の力を借りただけの弱者だと侮られた。何もせずともそこにいるだけで後ろめたい思いをさせられた。

「君にはわからないかもしれないけどね」

 メドもまたディノという偉大な存在があったからこそ守られてきた。それが、一人で島にやって来た彼にとってどれだけ大きなことだったか。だからこそルースの孤独さを目の当たりにして胸を痛めた。救われて欲しいと願ったのだ。

「……そんな顔をするな」

 返って来た言葉はどこか苦しそうだった。

「傀儡師が命を預け合う関係に責任を持たないのはそうだ。同じ重みを感じているはずなのに軽んじて平気で均衡を崩している。お前たち道化師がオレたちを見限っているのは知っているさ。でもオレだけはお前の傀儡師として責任を果たしているつもりだ。なのにどうしてそう卑屈になるんだ。何が不満なんだ。オレは別に可哀想なやつらを切り捨てようとしているんじゃない」

「ああ、そうだね。わかっているよ、そんなつもりじゃないことくらい」

「ならどうして突き放すようなことを言う?」

 もどかしい思いだった。メドとの間にあるはずの繋がりが曖昧な線を描いて縺れていく。確かに隣にいるのに、まるでそんなことないかのような物言いがディノの想いを宙にぶら下げた。

 なぜ自分はいつまでもこうなのか。

 どんな脅威から守ろうとも、時おり襲う不安から彼を逃すことができない。

 あと少しなのにこうも届かないものなのか。

「君が言った通り、最後まで責任を持ちたいだけだ」

 乱暴にパンケーキを口に含んで、メドは席を立った。振動でテーブルが揺れ、残りのコーヒーが何重にも重なって波紋を作った。後ろ姿すら追わずに、ディノはどこか遠い気持ちで波が静まるのを待った。

 同じ道を歩いていても、想いの行く先がまるで交わらない。



♦♦♦



 メドは一足先に寮へ帰ることにした。自身が可哀想な者たちの一人として哀れみを求めたのが恥ずかしくて仕方なかったのだ。それこそ道化師たちを侮辱する行為だろう。我々は決して惨めになることを望んではいないというのに。

 如何なる時も公平であろうとするディノに切り捨てるなどと言わせたことを心底後悔した。そうでないことは誰よりも自分がわかっていたはずが、あの瞬間淡々と事実を述べる彼がどこか残酷に見えて、過去に取り残した残影がそっと心を撫でたのだ。

 とっくの昔に救われていると思っていた自分は、やはりまだあの頃に囚われていて、今もなおあちら側に引きずり込まれようとしている。

 これは己の弱さなのだ。安全圏にいるせいで感覚が鈍り、まるで自分が強くなったかのように錯覚しているからいつまで経っても変われないでいる。

 相方は前へ進もうとしているのに、足枷になってどうするというのだ。

「あれえ?ディノの飼ってる子猫ちゃんじゃないか。ひとりぼっちでどうしたんだい?ついに捨てられたか?」

 下品な笑い声が響いた。階段の手すりの影でたむろっているカイレムとその仲間である。

 からかわれるのはいつものことだ。だがこの時のメドはほんの僅かに情緒が乱れていたために、彼らの顔を見たとたんあからさまに不快な感情を表に出してしまった。人を貶めることを娯楽としていたカイレムは目敏くその変化に気づくと、調子を良くしてさらに言った。

「おやおやどうやらご機嫌ななめのようだね。有言実行を体現したような計画的な傀儡師であるディノと、お前みたいな気分屋の猫ではやはり相性が悪かったようだ。あいつもようやくそれがわかったみたいだね」

「別に。君の望みは叶ってないよ」

 相手にするのも馬鹿馬鹿しい。メドは早く部屋に戻ってしまおうと思ったが、階段を登ろうとすると取り巻きに囲まれて道を阻まれた。

「あいつに気に入られているからって大きな態度を取るのはいただけないな」

 大衆の前で詭弁を宣うペテン師よろしく、後ろで手を組んでカイレムは階段を登った。

「拾われてからずっと可愛がられているから、普段から相当甘やかされているんだろうけど、いい加減お前も気を使ってやらなくちゃあ駄目じゃないか」

「何の話かな」

 前髪を流し、カイレムはにこりと笑う。

「言わないとわからないのか?早く身を引けと言っているんだ」

「ディノは俺と契約するつもりでいるけど?」

「だからお前から断ればいいんじゃないか。お前が自ら辞退すればあいつも納得するはずさ。まったくあいつも手がかかるなあ。いつまでもただの師徒として学院生活を楽しみたい気持ちはわかるけれど、僕たち貴族はそうはいかない。貴族には貴族の務めがあるんだから」

 カイレムが背を向けてさらに上がって行くと、取り巻きがメドの背中を突いて、追うように促す。

 拒もうとして振り返ると案の定両腕を捕まれ、無理やり連れて行かれる羽目になった。

 誰も使われていない、廊下の隅にある一室へと引きずられる。ご丁寧に鍵を閉めてから解放されると、カイレムは机に備え付けられた椅子を引いて腰掛けた。

「脅しでもするつもりなら意味はないと先に言っておこう。お互い同意の上での契約に君が関与できるところはない。そもそも他人の契約に君が口出しをする権利はないはず──」

「黙れ田舎ネズミのクソ道化が」

 師の中で最高位にあたるオルヴェーニュ家のご子息は、優雅に足を組んで罵倒した。

「本当に、何もわかっていないんだから困るよ。お前は僕が単に道化師を嫌っているから引き離そうとしていると思っているんだろうけれど、もはやそんなレベルの話をしているんじゃないのさ。僕らにとっての契約というのは同盟に等しい行為だ。それはつまりオルヴェーニュに貢献することを意味する。個人の契約ではなく全体のための盟約だ。お前はディノとくさりを繋げばそれで満足だろうが、一体お前みたいな一介の道化師が、オルヴェーニュにどれだけ尽くしてくれると言うんだろうね?」

「俺は……」

 ああ言わなくていい、と大袈裟にカイレムは手のひらを突き出す。

「能力を買われて奇跡的に入学できたお前に金や地位など期待できるものか。霊長二種の未来を託されている僕らには届きもしない自由を持っている。なんて素晴らしいことだろう。それに比べ師の運命を託された僕らは、これからを背負って歩いていくために揺らがない土台を作り、それを支えてくれる仲間を集めなくてはならない。貴族の後ろ盾となるのはやはり相応の地位を持った者でないと務まらない。そうだろう?何の力もない道化師がどう役に立つって言うんだ」

 獅子團というどこにも依存しない独立した特殊部隊に入団することを目指しているカイレムは、その隣に立つのはディノであるべきだという理想を描いていた。オルヴィス家の長男であるディノがいれば、ともに権力を掌握して派閥や政治に大いに影響を与えることができるだろう。それが自分にできるオルヴェーニュへの最大の貢献だと考えていた。

 ただのぽっと出の道化師にそんな大層な役目が果たせるわけがない。

 メドは悔しさに固く拳を握りしめた。爵位も何もない自分では言い返したところで負け犬の遠吠えになるだけ。どんなに強がろうとずっとここより高いところにいる彼に反論できる言葉など見つかりやしないのだ。

「それでもディノは俺を選んだんだ……道化師としての覚悟はできている。あいつの盾になるために能力を磨いて、強くなろうと」

 強く?

「……」

 結局、ディノに縋ってばかりではないか。

 自分の心を満たしてくれているのは、彼に選ばれたというだけの自惚れた自尊心だ。

 メドは階級も未だ彼に追いつかず、勉学もまちまちで、戦績も平均的な数字を維持しているだけの平凡な道化師だ。

 それでも評価を得られるのは、ディノという優秀な傀儡師がいるからこそではないか。そんな疑念が唐突に頭に浮かんだ。道化師はあくまでも、穢れたオボを浄化する傀儡師を補佐する立場だ。だとしたら自身の能力だけを抜き出して残る数字はどれほどだろうか。

 自分はなぜ彼の隣に立てている?

「そんなの、誰だってできることじゃあないか」

 カイレムは鼻で笑って一蹴した。軽い絶望がじわりと胸に広がる。

 握られた拳の力が弱まった。

「お前も本当は気づいていたんだろう?分不相応にディノの傍にいることがどんなに恐れ多いことか、知りながらも離れられなかった。確かにお前たちはいい友人だったんだろう。だがもう、ここで終わりだ。パートナー候補から外れてもらおうか、カルメロイ」

 おもむろに立ち上がったカイレムはメドの胸ぐらを掴み、ベッドの方へ突き放す。

「じゃ、同意してくれたってことで、ディノに話してくるから後はよろしく」

「待てよ、そんなつもりは」

 起き上がろうとしたところで肩に強い衝撃が走り、メドは呻いた。

「こいつを押さえろ」

 そう周囲に命じたのは、謹慎中のはずのあの弓矢の男だった。人相の悪い顔をさらに醜悪に歪め、メドを蹴り上げた足をベッドに乗せる。

 メドは自分の方へ伸びる手から逃れて下りようとしたが、ベルトを掴まれ強く引きずられる。巻き込まれたシーツが酷く乱れた。

「何でお前が!大人しく部屋に引っ込んでおけ!」

「言うじゃねえか。こっちは報告書に上げられたおかげで期間が延長してんだよ。暇すぎてやることがねえんだ。カイレムも困ってたぜ?学院に近いところでしか任務できなくなっちまってさぁ」

 腕を押さえつけられ足で男の顔を狙うも、避けられてしまう。

「いい気味だよ、君はもっと重い罰でもよかったと思うけどね」

 目尻をひくりと痙攣し、男は躊躇なくメドの頬を殴った。

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