第三章 一話


「やっと見つけたぁ。お祈りの時間でもないのにチャペルにいるなんて普通気づかないよ。だってお前は信心深い“使徒”でもなんでもないのに。珍しいこともあるもんだ。でもひねくれたお前ならここに来てもおかしくないだろうとも思ってね。足を運んでみたってわけだよ。やはり幼なじみだと痛感するね」

「うるさい。静かにしろ」

 それまで目を瞑っていたディノは、やたらと饒舌なカイレムの介入により心を乱され大きくため息をついた。なんだってこんな時にやつに会わなくてはならないのか。ああ神よ、こいつとの悪縁を断ち切るために我を導きたまえ。

「おや?まさか本当に祈りでも捧げていたのかい?初等部の入学式で大聖堂で洗礼を受けた時に、神なんているわけがないとそう言って十字架を投げ捨てていたじゃないか。あれは見事なカーブを描いて海に落ちていったんだっけ。今頃巡り巡ってどこかの浜に打ち上げられていることだろうな」

 こつこつと靴の音をチャペルに響かせながら、カイレムは減らず口をたたく。

「堂々と美しい記憶に変換するとは恥知らずなやつだな。あれはお前と喧嘩して投げつけたのがうっかり海に落ちただけだ。お前の道化師が奴隷呼ばわりされてるのが気に食わなかった。けどお前はどうしてオレが機嫌を損ねているのかわかりもせずにずっと笑ってやがった。その瞬間思ったんだ。こいつとは価値が合わないって。だからお前とは早々に縁を切った。そんなやつに幼なじみなんて言われると怖気がするぜ」

「相変わらず冷たいなあ。昔からずっとそうだ。どうしてだろう。お前は長男の生まれのくせにまったく貴族らしさがなく自分を取り巻くもの、支配しようとするものを全て拒絶して己の道を歩もうとしてきた。そんなことをしても何も変わらないのに」

 ディノは太陽に身を焼く主の像を眺めた。霊長二種が崇める唯一神は罪深き人類のためにその身を捧げ、太陽に焼き尽くされた後その聖なる魂を持って神となった。故に象徴として太陽がその背後に輝く。大陸の一部では主を太陽神として称える宗派も存在するが、肉体の犠牲により神となった主にとってその名称は酷だろうとディノは思っていた。

「どうして誰かが作った轍を辿らなきゃいけない。一歩歩くために誰かの指示がいるならこの脳味噌はなんのために神経を伝ってオレに伝達してくれているんだ。意志があれば自分で道を作り進むことができる。周りで文句を言うやつはたいてい自分が正しいと思っているんだ。お前はまだ未熟だ出来るはずがないと悪魔のように囁いて幼いオレを惑わしコントロールしようとする。それがわかっていたからこそオレは自分の足で立って歩けるように真実を追求して、オレという存在をの在り方を定めたんだ。何も不都合なことはないだろう」

 ディノが座る椅子のすぐ後ろまで近づくと、背もたれに手をかけてカイレムは首を傾ける。

「ずいぶんと邪険にするじゃないか。お前のためにあらゆる手を尽くしてくれただろうに、その努力も虚しくこんなわがままに育ってしまってご両親もさぞかし残念がったことだろう。この間の会食もどんなに連絡しても返事一つ寄越さず、なのに急に帰って来たと思ったら相手の家のご子息をぞんざいに扱って帰ってしまったそうじゃないか。契約者候補を選ぶだけでこんなに苦労しているんだから、そろそろ公爵や夫人にも報われて欲しいところだよ」

 最も触れてほしくない話題に直に触れられ、ディノは不愉快そうに眉間に皺を寄せた。こいつはやはり性根が腐っているから、笑いながら平気で人の腹の上で踊るのだ。

「貴族の道化師はそろって従順で媚びてやがるから気味が悪くて仕方ない。道化師というのはもっと自由で何者にも縛られない存在であるべきなんだ。王政初期にあったカマリラのようにある時は助言しある時は力を貸し合う。その役割こそが道化師の能力を惜しみなく引き出せるというのに。今の忌まわしき風習のせいで道化師の才能は潰され劣等種の烙印を押され傀儡師の憂さ晴らしやご機嫌取りのための人形にされている。こんなに嘆かわしいことはないさ」

「でもそれが現状だ。どうして頑なに現実を受け入れようとしないんだ?お前が嘆こうともこの時代は天秤でわざわざ量るまでもなく傀儡師が優勢なんだ。道化師は戦争で圧倒されて落ちぶれてしまった、ただそれだけのことなのさ」

「落ちぶれているから、醜い敗者だから、お前は道化師を虐めるのか」

「僕は虐めてなんかないよ。周りがそうしたいと望むから見守ってあげてるだけ」

 ディノは無意識に視線を下げて指を絡める。

「同じだよ……手を出したかどうかが問題じゃない。止めもせず笑いながら見ているのはそれを許してしまっているということだ。お前の仲間がやってるのはそうだろうが、その中心にお前がいるんだからカイレムにだって罪はある」

 笑い混じりにカイレムは言う。

「僕に説教する気かい?」

「お前はその家柄による影響力を利用して人の悪心を増長させているんだ。意味無く道化師を嫌い、蔑み、侮ることで自分の価値を高めようとしている。次男である自分には何もないから、そうすることで何かを得た気になりたかったんだろうが、」

「──なんだと」

 カイレムは襟首を掴み上げたが、ディノは眉ひとつも動かさずまっすぐ彼を見据える。

「毎度そうやって僕を刺激しようとするんだからむかつくよ……意趣返しのつもりかい?」

「そうだ。お互い様だろ。オレをずいぶん時代遅れのような言い方をするが、そろそろお前も成長したらどうなんだ。と気づけ。人を見下げることに一生懸命になったところで、己を高めることなんてできるものか。素直に能力を磨いて学問を極めろ。オルヴェーニュのためならその方がずっと価値のあるものになるだろうよ」

「言ってくれるじゃないか……僕と絶交したくせにわかったような口を聞くな!」

 突き放すと、拳を震わせながらカイレムは一歩下がる。鼻息を荒くして暴言を吐き出そうともう一度開かれた口は、急に弛緩して余裕の笑みを浮かべた。

「ふん。お前がオルヴェーニュの未来について語ってくれるとはね。ではこちらも少々助言を呈してやろうか……。カルメロイがパートナー候補から辞退した。これでお前は正式な候補者から相手を選ぶ義務が生まれたんだ。そろそろオルヴィス家から手紙が届くことだろう。今度こそ帰らなければならなくなるだろうね」

「嘘だな」

 間髪入れずディノは否定した。そしてここで彼が自分に会いに来た理由に大方検討がついた。

「メドが意味なくオレとの約束を破るわけがない。例えお前に拷問されたって素直に諦めることはないだろうな。あいつは一度決めたことは簡単に変えようとしない頑固者だ。そんなあからさまな嘘で騙されると思うなよ」

 カイレムは心の中で地団駄を踏んだ。なぜこの男は何を言っても悠々と構えて動揺すら見せないのか。自分の言葉がまるで宙を舞っているようで腹が立った。なんとしてでもその乾いた無表情を情けないほどに歪めてやりたかった。

「は。お前の言う通りさ。あいつはなかなかうんとは言わなかった。まったく根性だけは一人前だよ」

「やっぱりメドに何かしたんだな?」

 ディノは席を立つとゆっくりと歩み寄った。

「どうであれ手紙が来ることは事実だ。今度は僕が直々に選んだお相手だからね。きっと最高のバランスでお前の能力をサポートしてくれると思うよ。公爵の許可のもと僕も同伴してあげるから、一緒に実家へ帰ろうじゃないか!」

「全てお前の思い通りになると思うな」

 肩を押しのけ、ディノはチャペルを出ようとした。勝手に話を進めるあいつもあいつだが、親もよほど一人息子の将来を案じているらしい。まともに生きろ正しくあれとあれほど教えていたくせにこれでは向こうが狂っているようではないか。

 いいだろう。本当に正しいものが何かはいずれわかることだ。それを証明するために動き出そうとしているのだから、妨げるものがあれば潰して行くまでだ。

「そこまでして我を通すって言うんなら、お前が何か企んでいることを父さんに告げてもいいのかい?」

 苛立ちを隠そうともせずカイレムは大きく振り返った。これ以上ディノが道を外すのは見ていられないとでも言うように。落ちぶれていく彼を止められるのは自分だけであると謎の確信があった。コンプレックスに塗れたカイレムが唯一対等に競い合える相手が彼であったから、同じ土俵から戦いもせず降りようとするのが許せなかった。

 隣に立つのは彼こそが相応しかったから。

「何の話だ」

「拾った猫をいつまでも大事にするのは親に逆らうための言い訳なんだろう?貴族でもない半端な道化師と組んで何かしでかそうとしているのはわかっているんだ。煩わしいオルヴェーニュを凌駕する策でも練っているんだろう。昔からうちを嫌っているんだ。大胆なお前はそんなことを考えてもおかしくはない。さあ吐きたまえよ。何を企んでいるのかをさ!」

 カイレムが迫ると、やはり感情をおくびにも出さずディノは静かに見返した。先程からまるで風に語りかけたような手応えのなさにカイレムは一周まわって気味が悪く感じた。なぜ何も響かない。どうして彼の心に触れることが出来ない?

「さあな。お前には関係のないことだ。メドのことも、家のことも、オレの将来も、何もかもお前にどうこう言われる筋合いはない。もう二度と関わらないでくれ。告げ口なんていくらでもすればいい」

 カイレムはようやく気づいた。

 こちらを見ているようで実は、彼は自分のことなど歯牙にもかけていなかったのだ。

 ディノがチャペルから消えると、くそ、と堪らず椅子を蹴りつけた。



 寮に戻ったディノはしかしてその騒動を目の当たりにすることになる。

 武器を持った傀儡師と変化した道化師が寮の周辺を占領し激しくぶつかり合っている。もはや小規模な戦争状態だった。

 もはや止めることもままならない。手ぶらで突っ込めばかすり傷では済まされないであろうことはわかり切っていたが、自分の身を守るためにも装備を固めなければ、この調子だと次第に規模はもっと広がり、巻き込まれる可能性も高くなるだろう。

 しばし立ち尽くしていたディノは状況をあらかた把握すると、大きく外側に回って寮の裏口から中へ入ることを試みた。

 忍び足で滑り込むと、止まれという声と同時に穂先がこちらへ向けられディノは反射的に手を挙げた。

「おっと……オレは傀儡師だ。お前たちを襲う気はない」

 冷静になった相手は攻撃の意思がないのを認めると、渋々武器を下げてその場にしゃがみ込んだ。隣には相方らしき道化師も構えている。

 寮内では争いに参加せず内側で守りを固めている師徒たちが待機していた。一から四学年の師徒たちが暮らすこの高等部の男子寮は、当然この騒動とは無関係のものたちも大勢いる。避難するために寮に立てこもって暴走した奴らが入って来ないようにこうして見張っているのだろう。そう考えながらディノは階段を上がってメドの部屋へ武器を取りに行った。寝て起きては学校へ行き、すぐ任務へ赴く生活を繰り返すうちに部屋に入り浸るようになると、生活必需品も段々とメドの部屋へと流れ込んで今やシャツの一枚すら同じタンスにしまわれている。

 ポケットから懐中時計のついたチェーンを引っ張り、手前についていた鍵を刺して中へはいると、ベッドの下に置かれていた剣を取って、ひとまずホールへ降りた。

 メドは今どこにいるのだろうか、と懐中時計で彼宛てに信号を送り、とりあえず安易に争いに参加せず学院とコンタクトを取る事にした。

 何をしてる、と近くにいた寮生に聞かれる。

「学校に連絡して状況を知らせるんだよ。もしかしてもう済ませてあるのか?」

 先程までここを陣取るために慌ただしくしていたため、仮に誰かがしたとしても不明なのだそうだ。そうだろうとも、とディノは返して、とりあえず師徒の統制を担っている事務局に電話を繋ぐ。騒ぎは聞きつけておりこちらの組員を直ちに送るとのことで簡潔なやり取りを終えて受話器を置いた。異常を知らせるために懐中時計で信号を送る良心的な師徒が数名いたのだろう。

 それからディノは詳しく事情を知るために師徒たちに経緯を聞き回った。しかしほとんどが当事者ではなく運悪く寮に籠る羽目になったものたちばかりだったためか、これと言って確かな情報は得られず、それとなく知っている者でも曖昧な物言いでどうも怪しくはっきりとした図が描けなかった。

 これではどちらに味方をしたらいいものかわかったものではなかったが、ディノの中ではあの乱闘がなぜ起こったのかそれなりの予想は立てられていた。きっかけはやはり道化師なのだろう。そして元凶は傀儡師で、互いが互いを憎しみ合った結果があの争いなのだ。それをなくして一体どうして我々が刃と牙を向け合うことになるというのか。

 “シュリイカの件と別件の道化師の暴走が同一視される噂が流れている”。

 数時間前にしたメドとの会話を思い出した。

 そういえば外で様子を見ている時に大きな霊獣と思しき個体が倒れていなかったか。ざっと眺めただけであったから特に気に止めなかったものの、よくよく考えればおかしな状況である。

 変化した姿の道化師が倒れるなど、よっぽどのことがなければありえない。例えば一般的な武器でどんなに傷つけられようとも人は幽膜に致命傷を与えることはできない。これは魂の存在である霊獣に死の概念がないことに由来する。そして傀儡師の扱う武器には聖性に準じて浄化の力を有するため聖なる獣である霊獣を倒すことなど不可能に等しい。

 例外を除けばだが、地面に伏しているあの霊獣は何かしら暴走を起こしたのではないだろうか。教師陣が集ってもなかなか止められなかった暴走が師徒だけがいる場所で起こってしまえば、無理やりにでも止めざるを得なくなる。最終的にああなったのはきっと穏やかなやり方ではなかったのだろう。だとすれば騒ぎがここまで大きくなったのにも納得がいく。

 外の喧騒から遠ざかるようにして、ディノの思考は段々と深いところへ潜って行った。

 

 その間、懐中時計から返信が返って来ることはなかった。

 

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