第三章 二話



 そもそもなぜ道化師が暴走してしまうのか。ディノはそこに着目して打開策を練ることにした。

 騒動を止めることが先決だと最初こそ思っていたものの、どうやら冷静に騒動を止めようとしている者はあの乱闘の中に一人もいないのではないかという考えがじわじわと浮かぶようになった。そんな正当な考えがあればあそこまで規模が広がることはあるまい。きっとこの時を待っていたとばかりに好き放題攻撃する輩で溢れているのだ。今あの渦の中に入るのは火の中に飛び込むようなものである。

 騒動の様子が見える窓の傍に寄りかかったディノは、メドの聞き込み内容を思い返して例の事件を噛み砕いてみることにした。

 彼なりに解釈するとすれば、道化師の暴走は己の意思とは関係ない発作のようなもので引き起こされ、気を失うまでそれを止めることが難しい激しい暴れっぷりだったというもの。加えて本人は加害行為の自覚はなく、相方だけでなく無関係の師も巻き添えを食らって病院行きになってしまった。

 ディノはメドに話しそびれた、これらの条件に類似する記事を改めて記憶から掘り起こした。

 大陸の北東に位置するアディキオラ司令部に所属するとある部隊が、派遣先で行方不明になり、約三日後隊員全員が重傷状態で発見された事件だ。本人たちの証言によると、妖魔を討伐している最中に道化師の一人が体調不良を訴え、仲間が下がるように言うと突然荒れ狂って霊獣の姿のまま苦しそうに暴れ始めたのだ。妖魔がすぐそこに迫る中、まともに手出しができず隊列は乱れ、逃走と戦闘を繰り返しながら命からがら帰還したのだという。道化師には精神または肉体の異常は見られず至って健康で、任務中に体調を崩したのはこの時が初めてだったと書かれていた。

 ではこの暴走の原因は一体何なのか。深く追求されることのないまま、記事は謎を謎のままにして歯切れの悪い締め方をしていた気がする。

 ひとつの説として、オボのまだ解明されていない部分が道化師の肉体に影響を及ぼしているのではないかというものがある。

 魂魄にそれぞれ偏りを生じて産まれてくる我々は、胸に宿るオボから神秘のエネルギーを受け取ってその能力を発動させている。能力の使用中に異常が起こったとするならば、供給元となっているオボに何らかの疾患があると考えるのが自然だろう。

 しかし謎が明かされるに至らなかった理由は、オボの研究は非人道的なものとして禁止されているのが大きい。妖魔が持つオボや既に体内に吸収されたオボは研究対象として回収できるものの、それらはエネルギーの循環が破綻したか既に失われたものであるため研究者たちが必要とする研究は行われず、生きている人間を対象にできないため、現在になってもオボやその循環の法則はそれらしき説や論文でしか語られないないものとなっていた。

 だから結論を述べようにも全て推論の域で収まる程度にしかならなかったのである。

 とはいえこの記事と件の暴走が仮に同じ症状であるとするならば、噂を払拭しうる材料が手に入るのではないだろうか。誤解がひとつ減れば今後の争いに繋がる心配がひとつなくなるだろう。種になりそうなものは今のうちに取り除いておかなければならない。

 そのためには専門家に話を聞いてパズルのピースを増やそう。少しでも確実な情報が事件の詳細を鮮明にしてくれるはずだ。

 ディノは寮を出て裏を周り、別の道から学院を目指そうとした。

 すると鬱蒼と茂る雑草を掻き分けて建物の角に差し掛かったところで、思いがけない人物が倒れているのを発見した。

 ゲイツである。レンガ壁に背中を預けて首を前に垂れている。

「どうしたんだこんなところで」

 近づいたところでディノは気づいた。脇腹を押さえている手の間から血が溢れている。

「やられたのか」

 騒動の中で負ったものだと思ったディノだったが、ゲイツは肯定も否定もせず嫌な汗を垂らしながら宙を見つめていた。彼の腕を肩に回し、ディノは立ち上がらせようとする。

「歩けるか。医務室まで運んでやる」

 ここから学院までだいぶ距離があるが、この状態で放置していれば危険である。

 ふらふらと覚束無い足取りのゲイツを支えながら、ゆっくりと叢を歩いた。


♦♦♦


 酷い眩暈を覚えたメドは、それからすっかり具合を悪くして医務室を訪ねていた。ここまで来る間の記憶は朧気だったが、寮に戻るよりも、喧騒から離れた静かな場所で休まることを優先した。

「眩暈と頭痛、若干の吐き気もありと。他に悪いところはないか」

「……大丈夫です」

「……とりあえずこの薬を二錠飲んでおけ。まずはその顔をどうにかしよう」

 パウロ師は机に瓶とコップを置くと、救急箱を引き寄せてピンセットを取り出した。

「師徒の暴力沙汰は度々教授の間で問題視されているが、あまりにも件数が多くてとても処理が追いつかないと聞く。それに乗じてさらに問題を起こす師徒が増えて学院の治安は悪化する一方だ……。おれは学院に意見できるような立場ではないからこうして治療することしかできないが、ほんとどうにか出来ないものかね」

 特に返事を期待していなかったのかそう独りごちるように言うと、摘んだ綿に消毒液を湿らせる。

 本来師徒の間で起きたことは教師が対応する義務があるが、そこに種族問題が絡んで複雑化しているせいで、単純な制裁だけで解決できるものではなくなってしまっていた。これまで何度も会議が開かれパートナーたちが健全な関係を築けるよう対策がいくつか立てられていたが、そのどれもが上手く機能せず空振りを繰り返していた。そうしているうちに種族の間にあった溝はどんどん深まっていき、手がつけられないほどの膿ができることになったのだった。

「せっかく戦争を終えたというのに、これじゃあ歴史を繰り返すだけだ」

 頬に当てていた氷嚢を下ろすと、切れた口端にアルコールが染みた。

「傀儡師にやられたんだろう」

 メドは答えなかった。

「おれたち大人が何も出来なくてすまないな」

 誰かが介入したとしても、抉られた傷が治るわけではない。一度溝が深まればそれが修復されるには時間がかかる。

「もしや、オルヴィスじゃないだろうな」

 それまでぼうっとしていたメドは急に顔を上げて首を振った。

「違います。ディノはこんなことをしない」

 突然動いた彼に驚いたパウロ師だったが、見開かれたその瞳に一瞬訝しげに眉を顰めると、まるで窘めるかのような落ち着いた声で言った。

「それは悪かった。お前たちは仲がいい印象だったからまさかと思っただけだ。それよりカルメロイ、他に体に違和感を感じるところはないか」

「……?いえ、特には」

「無意識のうちに獣化したりすることは?例えば急激に気分が落ち込んだり、興奮したりした時に一部が変化してしまったとか」

 最初は何を言っているのかわからなかったメドだったが、その後に続いた言葉には心当たりがあった。寮での出来事が脳裏にフラッシュバックする。

「そういえば……殴られているうちに段々頭がぼんやりして、その時顔が変化して……」

 喉笛を噛みちぎってしまえばいいと。今考えればなんて恐ろしいことをしようとしていたのだろう。今更ながら血の気が引いた。一時の気の迷いで人を殺そうとするとはどうかしている。

「けどそれは“症状”に当たるものなんですか?」

 言われてみれば無意識だったような気もするが、あの状況だったのもあり自分でさえも意図したものだったのかよくわからないでいる。症状のひとつだとしてもこれが一体何の症例になるのだろうか。

「気づいていないだろうが、お前の目は獣のそれだぞ」

「え?」

 メドは思わず自分の目元に触れた。

「わかりにくいだろうが瞳孔がやや大きくなっている。人間のものじゃないのは確かだ。お前は今も無意識に獣化してしまっている」

 鏡を渡され、メドは自分の目を凝視した。ほんのわずかな違いであるが、虹彩が花のように普段より色濃く表れ、真っ黒な瞳孔が瞳のほとんどを占めていた。

「戻らない……どうして」

「単独で活動をして何年目だ?」

「……六年と少し、ですが」

「早いな。しかし単独の期間が長ければ長いほど、兆候が出るのは早い。……未だに契約という行為が貴族のものであるという風潮の弊害がやはりこの世代にも出ているということか。オルヴィスも立派な貴族だろうに何を躊躇ってるのか」

「わかるように、説明していただけますか」

 さてどう言ったものか、とパウロ師は道具をしまいながら唸った。長く骨ばった指を顎に添えて宙を睨む。

「不調な時に長話は酷だろう。とりあえずそこに寝ろ」

 言われた通りメドは部屋の隅に備えられたベッドに横になった。医務室の白い空間は刺激が少なく、シーツの上は冷たくて心地いい。頭を枕に乗せると、自分の体が如何に重くなっていたかがわかった。

 丸椅子を引き寄せてパウロ師は脇に座った。

「いいか、カルメロイ。今から話すことはおれの推論とあらゆる仮説を織り交ぜた虚構だと思って聞いてくれればいい。なにせ霊長二種というのは現在の科学では証明できない神秘に包まれた生き物として扱われているからな。研究対象から外れた未知の生物をそれっぽく語るには事象をかき集めて観察して仮説を述べるしか今は方法がないんだ」

 こめかみに鈍い痛みを感じつつも、メドは頷いた。

「おれたちは容易に自分たちを結論付けることを許されていないんだよ」

 パウロ師は教会で説教をする神父のように滑らかに人差し指から順に立てていった。

「三位一体の法則は習っているだろ?“我々は天秤に例えられる”、に始まる文句だ。右に精神、左に肉体、そして軸を魂とする。均衡によっておれたちの存在を構成する三要素だ。聖典の三位一体にかけて当てはめられたものだが、ここで言う均衡がどういうものであるかお前はわかるか?」

 医師による特別講義が始まった感覚で、メドは手を胸の前に組んで質問に答える。

「精神を司る傀儡師と、肉体を司る傀儡師が繋がることにより発生する循環で、それぞれの不足した魂魄のバランスを補い合うことですね」

「そうだ。おれたちは生まれながらにして欠損を抱え、互いに支えることを前提とした運命を定められている。政府はその性質により師は二十歳になるまでには必ず契約を完了するよう義務付けた。なぜなら常に偏った均衡のまま一方通行の供給に頼るとオボに負担をかけることになるからだ」

 パウロ師は棚に並べてある本の中から一冊を引き抜き、表紙に描かれている三位一体の図を見せた。

 逆三角形の下の角にはovo、右上にはseele、左上にはkorperの文字が記され、それぞれが線で繋がりひとつの円環を作っていた。

「師の能力はこのオボによって排出され、血液のように精神または肉体を通って力を外に顕現させている。そして自然から発生するマナか、霊長二種が持つ独自の聖性から生み出されるオドのどちらかでエネルギーは補給され、また外に放出しそれを繰り返しているが、ここの精神と肉体の繋がりがなければ流れは一方通行になりエネルギーが過剰に排出されてしまう。そのうち供給が補給を上回るとエネルギーが枯渇し、ただでさえ一方通行の流れがついには停滞する。すると負担をかけられたオボは次第に活動を低下させていくんだ」

 忌々しげにパウロ師はオボの文字を指先で叩く。

「オボが第二の心臓と言われる所以はこれだ。まるで血液の循環を担う心臓のようだろう?だから傀儡師と道化師はくさりを結び、正しい循環を作り上げ、その命を繋がなければならない。だが悲しいことにな、政府から命令が出ているにもかかわらず島だけでなく大陸でも契約が一般化されていない。どうせ仮説だ憶測だと軽視してパートナーを選ぶだけで皆満足してやがるんだ。おかげで新たな病気が生まれ医師や研究者の課題が山のように溢れた」

 無理やり押し込む形で本を戻すと、師は足を組み直した。

「それが今や慢性的な病としてカテゴリーされている、師のみが抱える疾患だ」

 前提として補っておくべき知識を語り終えると、話はやっと本題に戻ることになった。

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