第三章 三話




「慢性的……ということは、俺のこの目は治らないかもしれないんですか」

「わからない、としか言えないな。オボの研究が進まない限り薬でどうにか誤魔化して行く以外の方法はない」

 持ってきていたメドのカルテを膝に乗せる。

「これは単独の傀儡師、道化師によくある病気でな、発症する条件は同じだが症状は種族で異なる。道化師の場合は獣化や意識混濁、そのせいで攻撃的になったりコミュニケーションが困難になることもある。お前のそれは初期症状だ。薬を処方せず契約もせず放っておくといずれ幽膜から逃れられなくなり完全に獣と化してしまう」

 メドはぞってして袖を握った。軽い症状だと油断していたものの、実はとんでもない病だったことがショックだった。

 己が宿した獣に飲まれてしまうというのか。それじゃあまるで──。

「そんな恐ろしい病気があるなんて聞いたことがない。一般的であるならもっと広まっていいはずじゃないですか。当事者である俺たちが知らないなんておかしい」

「言っただろ。結局これも虚構でしかない。各地で観測されている症例だから医療従事者の間では有名だが、未だ完全な解明には至らず治療法も生み出されていない。元々頻繁に発症するものではなく年を重ね徐々に現れるものであるから早期発見も難しくてな。薬も症状を抑える特別なものなんかじゃなく、精神安定剤や痛み止めなどのその場しのぎの処方ばっかりだ。その病気は確かにそこにあっても、治せないことを恥じた黒十字医師団のお偉いさんは、病を無闇に公にすることなく医師たちを各地に転移させ病や治療法の研究を託したんだ」

「……名のある団体から抜けてわざわざ学院の教師になったのは、それが理由だったんですか」

 モノクルから下がるチェーンが揺れる。

「ああ、そうだとも」


 どん、とドア付近で大きな音が鳴り、二人は一斉に入口を振り返った。

 立て続けにもう一度鳴り、パウロ師は何事だとドアを慎重に開けると、雪崩込むようにして人が倒れて来た。

「先生!こいつが脇腹を刺された、どうにかしてくれ」

 メドはあっと起き上がった。ディノが血で汚れたゲイツを背負って来たのもそうだが、どちらも武器を抱えて仰々しく、それでいて満身創痍な様子だったのに驚いた。

 血相を変えてパウロ師はそこに寝かせておけと指示すると、すぐさま道具を取りに走った。

 大粒の汗を流したディノはそのようにしてから、自らの上着で止血したところをまた押さえてゲイツに呼びかける。

「着いたぞティオルド。もう大丈夫だ。あと少しの辛抱だからな」

 ゲイツの顔は明らかに血色が悪くなっていたが、震える手で同じように傷口を押さえ、必死に歯を食いしばって耐えていた。

 それを遠巻きに見る形となったメドは、その光景にふと既知感覚を持ち、数十分前の霧がかかった記憶を遡った。

「何があった?任務にはまだ少し早い時間だろう」

「寮の前で乱闘が起きてる。たぶんこいつはそれに巻き込まれたんだ」

 そうだ。あの時確か彼が中央にいて──。

「何だと?そりゃあ穏やかじゃないな。また長時間労働を強いられそうだ。オルヴィス、保健医を全員ここに呼べ。これから忙しくなると伝えろ」

「ああ」

 ゲイツをパウロ師にまかせ、ディノは閉じかけたドアに手を伸ばしたが、振り向き際にふと視界に入ったベッドの方に思わず目が止まった。

 視線がぶつかったメドは時が止まったかのような感覚に襲われた。

 しかしディノは刹那に逡巡するような素振りを見せたかと思うと、保健医を呼ぶためにすぐに廊下へ飛び出して行った。三秒にも満たない出来事だったが、メドはそれがやけに長く感じた。


♦♦♦


 ゲイツの処置を追えると、パウロ師はやって来た医師たちに今後怪我人が増えることを予想して、いつ来ても速やかに対応できるよう準備をさせた。

 隣接する部屋はベッドがいくつも並んでおり、そこでは道具を揃えたり点滴を備えたりと手際よく保健医たちが働いていた。

 ゲイツはメドの隣のベッドで眠っている。

 一通り落ち着きを取り戻したところでようやく薬が効いてきたのか、頭痛が和らいだメドは上半身を起こしたままディノと向かい合った。

「お前、その顔カイレムたちにやられたんだろ」

 水を飲んで一息ついたディノは腫れた彼の頬を一目見てずばり言い当てた。

「ここで寝ているということは具合が悪いのか。それもあいつらのせいか」

「いいや……そうじゃないけれど」

 メドはあの時の情けない感情を思い出し、口ごもりながら醜い顔をできるだけ見られないよう少しだけ伏せた。

 そこへ病院への連絡を済ませたパウロ師が医務室に戻った。

「おいオルヴィス。おれにも説明してくれないか。武器なんぞ持ち出して只事じゃねえのはわかるが、寮の方では何が起きているんだ」

「説明もなにもさっき言った通りだぜ。おそらくだがパートナー間で起こったトラブルがまずい方向に転がって波紋が広がったんだ」

 メドはそれに補足を加えた。

「間違ってはいないけど、例の暴走を起こした道化師を傀儡師たちが過剰に暴力をふるって止めたのが本当の原因だ」

「……なるほど。また暴走か……」

 床に散らばった包帯やらタオルやらを回収しながらパウロ師が言う。

「おいおい知っていたなら教えてくれてもよかっただろうカルメロイ」

「すみません。どうも頭がぼやけてて、まともな思考ができてなかったみたいです」

「そんなに具合が悪かったのか?やっぱり変なところを殴られたんじゃねえのか?」

 顔を覗き込もうとするディノだったが、メドはなぜか頑なにこちらを見ようとはしない。

「……?」

 単に不細工な顔を見られたくないのか先程のことを気まずく思っているのか、はたまた別の理由があるのかディノには判断しかねた。

「そいつは道化師によくある疾患の兆候が見られた。体調を崩したのはそのせいだ」

「疾患……メドにか?」

 ディノは意味深長に呟くと、そういえばと医師の方へ体を傾けた。

「ちょうど先生に聞きたいことがあったんだ」

「何だ」

「専門家として意見を聞かせて欲しい。今回やその前に起こった暴走に、道化師の疾患は関係してるのか」

 ゴミ箱に適当にタオルを投げ込んだ医師は、神経質そうなその目元に皺を作ると、息を吐いた。

「ああ。その説が有力だ」

 やはりそうかと確信を得たディノの隣で、メドもまた納得した。病で道化師の変化へんげの能力に異常が表れ、獣に心を捕らわれてしまうのならば、それが暴走を引き起こす要因で、加害意識はなかったのである。

「先生のおかげで思い出せたが、師にありがちな持病をすっかり失念してたぜ。道化師のパターンを見たことがなかったからかまったく別の病だと思い込んじまってた。ということは病院に運ばれたあの道化師は契約済みじゃなかったというわけだな。長い間オボと魄を行き来させるとエネルギーを流す管が鬱血を起こしてオボに誤作動が起きる。それが暴走の引き金だったんだ。あれはかなり症状が進行していたとみた」

「相変わらず理解が早いな」

「先生に少し教わった後もオボについては個人的に調べ続けていたんでね」

 メドは先程からの発言の違和感に恐る恐る顔を上げた。

「どうして病気のことを知っているんだ……?」

 彼こそついさっき病の存在を知らされたばかりだというのに、ディノは当たり前のようにそれを知った上で、さらには仕組みの一部にも言及してしまうほどに詳しいときた。彼はいつその知識をその宇宙のように広い脳味噌に取り込んだのだろうか。

「やっとこっちを向いたな、メド」

 窓から差し込んだ夕暮れの光と相まって、夕闇の瞳はいつになく爛々と輝いて見えた。

 眩しくてまた俯いてしまいそうだった。

 やはり彼と自分とでは天と地ほどの差がある。種族の違いだけではなく、能力も、知能も、才能も、彼は全てを持ってしまっているのだ。その上己の力の扱い方をよく知っているから、持て余すことなく才を発揮できる。ディノは神に愛されて生まれた傀儡師なのだ。

「オレももう長くやっているからな。とっくに患ってるんだよ」

 メドは唖然とした。

 そんな彼ですら欠陥を持ってしまう世の中が、あまりに理不尽に思えた。

「どうして、言ってくれなかったんだ。症状が出てるところなんて見たことがない。いつからなんだ?」

「高等部に進学して少しの頃だったかな」

 三年も隠し続けていたのに、どうして自分は気づけなかったのか。メドは落胆した。対してディノはそんな些細なことを気にもせず窓越しの夕暮れを眺める。

「傀儡師の場合は目立った症状が出ないから周りが気づかないのも当然だ。体に現れるのはオボが埋まっている胸辺りの痛みと、神経鈍麻、頭痛や吐き気、眩暈とかで、薬を飲めばある程度抑えられるから生活に支障はなかった。言わなかったのはこれを理由に契約をしたくなかったからだ。あくまでもオレはお前の意思でくさりを繋ぎたいんだよ」

 山の端を赤くして日が沈んでいく。乱闘騒ぎはいつ収まるだろうか。今夜までに収束がつかなければ、いよいよ残りの師が集まって終戦のために争いに参加せざるを得なくなる。もうずっと遠い話のことのようにも思えたが、負傷者が出ている時点で他人事で済まされることではないのはここにいる皆が感じていることだった。

 元より予兆が出ているのを察していたメドはなおさら現状に胸を痛めた。

「ごめん、ディノ」

 劣等感の波に飲まれている場合ではない。

「俺たち、契約しないか。どうしても君に追いつきたいんだ……」

 ただただ傀儡師として誠実でいてくれたディノの気持ちに答えるためにも。

「もっと強くなりたい」

「……メド。オレは別にお前が親友だからって理由で契約を望んでるんじゃないんだぜ」

 どこか寂しそうに声を落としたディノだったが、何かに気づいたのかふと体を前に傾けて相方の顔をまじまじと見た。

「何か目がおかしくないか……?」

「ああ、これも症状らしいんだ。道化師は無意識に変化へんげの力が発現してしまうみたいで、まだ治ってなかったみたいだね」

「そういうものなのか……?症状が明確に出たのは今日が初めてだよな。オレですら体調を崩したことがないのに……いやそもそも種族で違うなら比べようがないのか?なあ、先生」

「うん?」

 単眼鏡で遠方の様子を見ていたパウロ師はこちらをちらとも見ずに返事をする。

「オレたちの持病についてもっと詳しく教えてくれないか。症状の現れ方に個人差はあるのか、進行に遅い早いがあるのか……、というか、根本的な解決法として契約を推奨するためにも、先生から師特有の病気のことを公表して、パートナー制度を強化してもらうよう学院に言ってもらうことはできないか。これが広まれば今までのような無駄な小競り合いも争いも減らすことができる」

「それは無理な話だ。まだ十分な解明が施されていないってのに、公表しておいて治療は不可能ですとか馬鹿みたいなことが言えるわけがないだろう。サンプルもまばらで死にたくないからとさっさと契約をしてしまうやつばかりだから協力してくれる被検体もいやしない。それにどの道オボの研究が進まないと意味がないんだ。せめてお前らが病の一例として長期に渡る観察記録を許可してくれればいいんだがな……」

「それなら交換条件といこうじゃないか」

 ディノは悪戯を思いついた子どものようににやりと笑い、悠々と足を組んで手を広げた。

「ここにちょうど傀儡師と道化師の被検体がいる。オレたちを使って是非研究を進めてくれよ。その代わりその内容をこっちに流してくれ。師徒にパートナー制度を促す材料にする」

 単眼鏡を畳むとパウロ師は難しい顔で首を振った。

「それじゃあ釣り合いが取れないだろ。それに研究が進もうが進むまいが曖昧な情報を真実であるかのように流すのは危険だ」

「オレだってすぐに広めようとは考えていない。研究というのは長期的なものだろ。一年でも二年でもいい。病に惑わされる人をこれ以上増やさないためにも先生だって医師として役目を果たしたいんじゃないか」

「もしかして、階級制度を取り壊した後に形骸化しているパートナー制度を確立させるつもりか?」

「さすがメド。わかってるじゃないか」

 ただでさえ壮大な計画を立てていたところに、さらに大きな目標が追加されてしまい、メドは開いた口が塞がらなかった。

 

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