第三章 四話



 メドは時々彼のスピードに追いつけなくなる時があった。

 戦闘ではもう彼に合わせることにも慣れていたメドだったが、日常生活においては何の前触れもなく行動に走る彼に慌てて着いて行くこともままあった。

 傍から見れば何も考えていないようにも見えるが、ディノの場合はその頭の回転の良さもあって、最短の方法でパズルのピースを集めて完成図を予測するのが非常に上手かった。加えてこの行動力であるから、まっすぐ歩いていたはずの道を急に曲がり始めることもありメドはその度に見失わぬよう必死に追いかけた。

 事実その背中に追いつけたことはなかった。

 彼の見る景色に憧れて隣に立つことを決意したのに、これでは追いつくどころの話ではない。肩越しに見る世界はいつも小さく、届かないところにあった。

「ディノ……」

 俺はいつ君の隣に。

「こうしようオルヴィス、お前たちにも病の調査に協力してもらう。おれは見ての通り学院の保健医としてここにい続けなくちゃならんからお前らが足代わりとして各地から情報を集めるんだ。そうすれば薬の提供や治療も優遇してやる」

「いいぜ。交渉成立だな。メドは、それでいいか」

「……構わないよ」

 追いつかなければ。……早く、もっと早く。

「……今、何時だ」

 隣のベッドで寝ていたゲイツが目を覚ました。掠れたその声に注目が集まる。

 五時を過ぎたところだとディノが答えると、ゲイツは脇腹の痛みに耐えながら体を起こそうと身をよじった。

「水でも飲むか?」

「いや……いい」

 起きて早々、どこか思い詰めた様子でベッドを降りようとする。

「おいおいまだ寝ていろ。だいぶ出血した後だ、無理をするな」

 パウロ師が止めるも、ゲイツは耳を貸さずに立てかけていた槍を手にする。

「どこに行くつもりだ?」

 回り込んだディノがその手を掴んだ。

「ルースが……あそこにいるんだ。俺が助けてやらなきゃいけなかったのに、また何もできなくて」

 苦しそうに声を震わせる。

「シュリイカが巻き込まれているのか」

「でも君は、彼に刺されたんじゃ……」

「なんだと?……そうなのか、ティオルド」

 ふらふらと寮を去ろうとした時にメドはその光景を視界の端で認めていた。あれが眩暈で見た幻でなければ、その脇腹の傷は確かにルースが刺したもののはずである。

 果たしてゲイツは重々しく頷いた。

「そうだ。俺が、あいつを追いつめちまってさぁ、これから取り戻して行こうと甘く考えていたから罰が当たったんだ。あいつのためにできたことなんて何もなかったのに。今更その気になったところで守れるわけがなかったんだ」

「……後悔してるのか」

 また、頷く。

 ディノは彼の心を鑑定するかのようにじっと見つめると、やがて手を離した。

「何か間違いを犯したならその責任を取るのも相方の役目だ。お前自身の間違いも、ちゃんと償おうとしているんだったら、オレもそれを手伝うよ」

「本気で行く気か。倒れてもおれは知らんぞ」

 パウロ師は教師として歯がゆい気持ちになっていたが、止める権利もないことを察してかやや投げやりな台詞を吐いた。

「メド、お前は行けるか」

 もちろん、とメドは結び直していた靴紐を固く絞った。

 どこまでも彼の背を追いかけていけるように。


♦♦♦


 東の男子寮へと戻った三人だったが、それまでの騒ぎは嘘のように静まっていた。

 しかし残念なことにそれは騒動が収まったという意味ではなかった。

 あんなに多くの師がどくろを巻いていたにもかかわらず寮の前は閑散としていて人の影すらなかった。

 最初こそようやく収束したのかと思っていたものの、寮内にいた師徒たちの話によると、講義を終えて戻ってきた師徒たちも乱闘に参加して激化した時、あるグループが指揮をとって、決着をつけるために簡単なルールを設け、学院の敷地内全体を使って演練を始めたのだという。

 その内容は早い話、どちらの兵師を多く潰すことが出来るかというものだった。

 今夜は寮に籠り続けるか、任務に出で一時的に逃げた方がいいと保守派の師徒たちは口々に言ったが、元々悪くしていた顔色をさらに蒼くしたゲイツは、いても立ってもいられず一目散に寮を飛び出した。

「待てティオルド!どれだけの規模があると思ってる。闇雲に探したところで見つからねえぞ」

 それに現状敵側となった道化師を探すとなると、歩いているだけで関係のない者とかち合って戦う羽目になることだろう。たった一人を探すために背負うリスクがあまりにも大きい。出会い頭追い払うのを繰り返せば消耗戦にもなりかねない。既に怪我を負っているゲイツには不利である。

 時期に日は沈み夜がやってくる。霊獣はそのほとんどが夜目が効くものであるから、傀儡師はもっと動きづらくなるだろう。その代わり道化師は完全な変化へんげであれば巨体が目立つし、肢体変化だとしてもどちらにせよ幽膜特有の霧で判別がしやすくなる。純粋な力量差では五分五分だが、目的を達成するには双方がどう動くかによって自分たちも先を見定めなければならない。

「人を一人探すためだけに勝負に加担するのは癪だ。……ティオルド、お前なら麒麟の気配が辿れるんじゃないか」

 風が、静まった。

 気が動転しているのか、ゲイツはいかにも狼狽していますといった風に目を白黒させた。

「なん、で。俺、契約は……」

 否定しようとしても、ゲイツは上手く口が回らなかった。

「できるんだろ。仮契約なんて言っていたが、オレは見たんだ。お前の手からくさりが出ていたのをな」

 刃物を手に暴れていたルースを止めるきっかけとなったのは確実にあの絆だった。一瞬のことだったがそれをディノは見逃さなかった。

 ──契約によって師の命を繋ぐくさりについてはオボよりも情報が少なくその力は未知数であるが、確認されている機能の一つに聖性を犯す者への抑止力というのがあった。

 観測された例が少ないせいではっきりとした定義はないが、条件が揃うと発動し、能力に必要不可欠な聖性を欠く行為を制止する働きをする。

 言わずもがなこれは契約をしていなければ現れるはずのない力である。

 メドはますます彼らの関係がわからなくなった。対立した派閥。パートナーとは思えないほどの不仲さ。そして仮契約という嘘。複雑な様相を呈していたものがさらに鎖で巻かれ拗れていく。

「この際事情なんてどうでもいい。それを上手く使えばシュリイカを簡単に見つけられるかもしれないんだ。一度絆くさりを出して具合を確かめてくれないか」

 バツが悪そうにしていたゲイツは、槍を握っていない方の手のひらに目を落としたが、ゆるゆると首を振って、

「いや……、無理だ。あんなのたまたまだ。自分でもどうやって出したかわからないものを出せと言われたって無理に決まってる」

 嫌な汗ばかりを流すゲイツを見兼ねて、メドは落ち着いてと背中を支えた。

「気配を辿れないならまずは懐中時計で信号を送っておこう。それなら難しくないだろう?場所を知らせるサインを送れば向こうから来てくれることもあるはずだ」

「そう素直にのこのこやって来るか?シュリイカはこいつを刺したんだろ」

「仕留め損ねたとわかってまた殺しに来るかもしれないじゃないか。それを止めるのが君の役割だ。責任を取ると決めたんだろう?」

 この道化師もおっかないことを言う。ディノは首を竦めた。

 ゲイツはポケットから懐中時計を取り出すと、久しく見ていなかった六桁の数字に針を合わせ、横に着いているボタンを四度押して信号を送った。たったそれだけのことで心拍数が跳ね上がり、妙に胸の奥が熱くなる。

 メドは細くなった瞳孔でぐるりと周囲を見渡した。

「この辺りには少なくとも道化師はいないみたいだ。なるべくみんなで固まって行動しよう。どちらの種族に襲われても俺なら牽制ができる。気配に注意しながらとりあえずその辺を巡回してみよう」

 乗ってくれとメドは言うと、脳天に意識を集中させ蒼白いもやを体にまとった。

 風となって全体が覆われるとそれは渦を巻いて肥大化する。水が弾けるようにして光が晴れると、青年は真っ白な長い毛と鋭い牙を持つ白虎へと変化へんげした。

「仕方ないな。できるだけ戦闘は避ける方向で行こう。ティオルドも後ろに乗れ」

 大きな背中を一撫でしてディノは慣れた動作で飛び乗る。

 どこか不安げに見上げたゲイツだったが、懐中時計をしまい、一歩踏み出した。

 ぐらり。

 背中が揺れ、ディノは慌てて首元にしがみついた。

「な、」

 どうした、と問う暇もなく。

 直後に地面に矢がどっと突き刺さった。

 ディノとゲイツはほとんどタイミングを同じくして武器を構える。

「ははっ、やっと来やがったか」

 寮の裏側からのっそりと出てきたのは、弓矢の男だった。

 その後ろから霊獣に乗った三組の師がぞろぞろと姿を現す。

「カイレムの言う通りだったぜ。まったくお前の正義感とやらも腐らないな」

 アルミラージの上からきりりと弓が引き絞られる。

 道化師に変化させず待機させていたのだろうか。自分がもっと遅く変化していれば矢すら避けられなかっただろう、と白虎は唸った。

「やめておけ。オレたちは争いに参加する気はない」

 こっそりと、ディノはゲイツにこちらへ来るよう手で指示をした。

 どうやらカイレムに入れ知恵されてディノらがここへやって来るのを待ち構えていたようだ。いくら命じられたからと言ってわざわざ動向を妨げる理由などないように思われたが、ディノもメドも、彼らとはかなり歪な因縁ができてしまっており、対立するための動機は十分にあった。

 双方が警戒しながら距離を取っていく。付かず離れず地面を擦って白虎は足の向きを絶妙に変えた。

 男は嘲笑する。

「馬鹿言え。知らないのか?兵師を多く討ち取ったもんが勝ちなんだよッ!」

「ゲイツ!」

 白虎が踵を返し、手を引き上げられたゲイツは槍を突いて勢いよく騎乗した。

 放たれた矢をかわして寮の反対側へと駆けて行く。

 まっすぐ進んだ先には西の女子寮がある。左は学院やその他施設が立ち並ぶ複雑な道なり、右は正門へ続く道で数多の種類の植物が生えた下り坂である。メドは迷った末校舎の裏庭へと方向転換した。建物による死角が多くなれば逃げるのに容易い。相手はあのアルミラージに乗っているのだ。戦争で重宝されるほどの足を持つ最速の霊獣に純粋な脚力で勝てるほど虎の足は速くない。それでも白虎は風を切るように全速力で闇をくぐり抜けた。

「駄目だ、俺……」

「しっかり掴まれ、落ちるぞ!」

 強い向かい風に片目をつむりながらディノは彼の腕を引き寄せていたが、ゲイツの体は段々とずり落ちていつ振り落とされてもおかしくなかった。

 それもそのはずで、長い間単独任務を請け負っていたゲイツは移動手段として馬に乗ったことはあるものの、実戦で霊獣に乗るために必要な騎乗技術は一切持ち合わせてなかった。霊獣の特性によって乗りこなし方が異なるため、専用の実技科目はなく故に学院で教わることはほぼない。個人で組んだペアで試験や実戦を重ね経験を積んでいくものであるから、それがなかったゲイツは激しく動く獣の背中に安定して乗りこなすことができなかったのである。

 もっとも虎と言えど霊獣の常識を超えた走力に加え、傷を抱えていたゲイツには激しい揺れは耐えがたかったのだろう。下手に転がり落ちてしまう前に意を決して手を離す。槍を軸にしてぐるりと半回転して彼は地面に着地した。

 白虎は僅かに速度を落とした。

「止まるな、行け!」

 遠心力を使い槍は大きく真一文字に空を切った。

 その筋に沿って紫煙が熱く立ち上る。男たちは道を塞がれ立ち往生したが、アルミラージだけは止まらずゲイツを越して行く。

 それに続いて二組が無視して通り過ぎるが、構わずゲイツは一組に狙いを定めて三度突きをかました。このままディノとメドの足を引っ張るわけにはいかない。せめて足止めをしなければ。

 アルミラージが迫り、やむを得ず白虎は再び加速した。

 ここから長い長い逃走劇が始まる。

 男の狙いは明らかに白虎であったが、矢は対象を絞ることなく降り注いだ。その度に跳躍して道を反復するように避けるも、この調子では体力を浪費してしまう。並ぶ木々の外側へ出て障害物を利用した。

 そうすると飛んでくる矢の数が格段に減った。さらに建物の裏に入り込み、角を曲がりながらS字を描くようにして通り抜ける。

「いいぞメド。だいぶ距離を稼いでる」

 しかしその方法も長くは持たなかった。

 突如上から矢が降ってきた。すんでのところでディノが剣で弾いたのも束の間、見上げると建物の上には星々が瞬く空を背にして大きな影が佇んでいた。

「あんなところまで飛ぶのか!」

 目の前にアルミラージが重々しく降り立つ。後ろの二組にもすぐに追いつかれ、ディノと白虎は挟み撃ちになったのだった。


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