第三章 五話



 太陽を閉ざした空は地平線の先までを濃紺に染め上げると、晴れ晴れとした様子で雲ひとつない天幕に星の穴を開けた。学院へ続く道に一定の感覚で設置されている街灯がやがて火を灯す。点滅しながら地面にその灯りが伸びると、そこにてらりと反射する金属が円を描き、激しくぶつかり合った。

 ゲイツは思わぬ苦戦を強いられていた。傀儡師を落せばそれで終わりのはずだったが、その読みは虚しくも外れることになった。二角獣に乗った傀儡師は巧みに獣を操縦しゲイツの攻撃を尽くかわしていった。霊獣を文字通り盾として動かし、自分へ攻撃が当たらないよう狡い立ち回りをしたのである。

 道化師の幽膜を刃で切り刻んでしまいそうになる度にゲイツは怯えた。己のパートナーを守ると決めた矢先に他の道化師を傷つけるなどとんだお笑い種だと、脳に巣食う悪魔が嗤っているような気がした。

 刃先がぶれる。

 またとんでもない過ちを犯してしまうのではないかと思うと怖かった。

 償いすらまだままならないというのに。自分はこんなに弱かっただろうか?

 脇腹の痛みのせいか、混乱の混じった焦燥感のせいか、これまでの戦いで染み付いたはずの勘がどうしてかうまく働かなかった。手に馴染んでいたはずの槍はまるで筒状の冷たい棒のよう。初陣のように自らの動きに覚束なさを感じながら敵から目を離せずにいる。

 どうすれば傀儡師だけを打てるというのか。

 妖魔ばかりを追いかけて大陸へ飛んでいた彼には目の前にいる敵をなぎ倒す以外の戦法などなかった。守るべき仲間などおらず、己を顧みることなく、ただ人間を喰らった罪深き妖魔を倒し、浄化するために武器を振るっていたのだから、内紛など到底向いていなかった。

 人間を裁くなど以ての外だ。

「あいつの仲間ならお前もルースを虐めていたんだろ」

「何だ藪から棒に。休憩が必要か?」

 少なくとも大義がなければ。

「いいや……今あいつはどこにいるんだ。また手を出したんじゃないだろうな」

「は?知らねえよ。いちいち把握してるわけねえだろ」

「ルースをいたぶっていたのは認めるんだな?そうだな?なあ、そうだろ?」

 ゲイツの異様な様に相手は頬を引き攣らせる。

「何言ってんだお前。今は謹慎食らってるんだろ。だいたいその件に関して僕は関係ない」

「それ以前の話だよ。一度でも手を出したらお前は同罪だよなぁ。俺も似たようなもんだからよ……お願いだから罰を受けてくれ」

 槍を握り直し、泥に埋められた仄暗い瞳がじっとりと相手を捉えた。

 こいつは正気じゃないと気づいた傀儡師は手綱を引いて二角獣を正面に向けた。ゲイツが道化師に当たらないよう些細な慈悲を芽生えさせていたのはなんとなく察していた。盾にしておけば傀儡師一人を相手にするなど造作もないことだった。逃げ回っていれば良いだけなのだから、攻撃が届きさえしなければ負けるわけが無いのだと。

 ほくそ笑む彼をよそに、なんとゲイツは真正面から仕掛けた。

 無策ゆえの無鉄砲な攻撃かと思われたが、その予想はすぐに裏切られた。

 傀儡師は気づいた。自分ではなく道化師に狙いを定めていることを。ついに吹っ切れてしまったのか。それでもこちらの動きが変わることは無い……と弓矢を引き絞る。

 しかしさらに彼は意表を突かれた。

 二角獣が恐怖に慄き前足を大きく上げる。

 高く鳴き声が響き渡り、傀儡師は地面に落下した。

 眼前へと迫った穂先にじっとしていられるほど幽膜を被った道化師は無敵ではない。盾の代わりにされてただでさえ苦痛だった二角獣は、ついに耐えきれなくなって逃げた。

 ゲイツは直線だった軌道をすぐさま切り替えて手首を捻り、相手の首筋へと切っ先をあてがった。

「クソ!何やってるんだお前!」

 今にも切られそうだというのに傀儡師はゲイツではなく道化師に怒りを向けた。蹄をばたつかせぎょろりと大きな目玉を見開いた二角獣は、飛ぶようにこちらへ突進する。

 まずい、とゲイツが離れた直後、柔軟な胴体をぐにゃりと半回転させ、獣は後ろ足で勢いよく、傀儡師の体を蹴り挙げた。

「ぐあっ!?」

 ゲイツはぎょっとした。事故ではなく、霊獣が意図的にそうしたように見えたから余計驚いた。

 地面に転がった傀儡師は喘ぎながら痛みに悶える。二角獣は鼻息を荒くして硬い蹄で獣より遥かに脆弱な人間の体を踏みつけた。何度も、何度も。

「ああっ、やめ、やめろぉ!あああ!」

 唖然としてゲイツは土にまみれ、血で汚れていく傀儡師を眺めた。

 恐ろしくて、一、二歩後ずさった。

 脇腹がどくどくと脈を打つ。

 傀儡師への恨み、妬み、憎悪、復讐心がありありとその屈強な脚に込められている。

 自分を刺したルースを思い出す。彼も、こんな気持ちだったのだろうか。

 殺してしまいたくなるほどに自分を恨んでいたのだろうか。

 目の前が暗くなる。ゲイツの視界にはもうやつらは映っていなかった。学院に向かって走り出す。

 ルースはどこだ。どこにいるのだ。

 彼の元へ行かなければ。

 ひんやりとした風が緩やかに頬を撫でた。無我夢中で駆けていると不思議と傷の痛みを忘れられた。

 きっとこの傷を受けたところでルースの心を理解することはできないだろう。

 こんなにも遠く離れているのだから。


♦♦♦


「お前が今日の相棒か。よろしくな」

 ゲイツとルースが出会ったのは昇格試験を受けた三年前の春のことだった。

 高等部に上がると、一年以内に試験を受けて第五階級以上の位を取る決まりがあった。それは春の終わりごろから始まる実戦訓練やその経験値に沿って与えられる任務などを行う際に必須の階級だった。

 しかしそれまで単独で活動していたゲイツには当然パートナーはおらず、試験を受ける条件はペアで申請することであったため、ゲイツは事前に試験官にかけ合って臨時の道化師を呼んでもらうことにした。

 そこでやって来たのがルースだった。

 薄らと月の浮かぶ明けたばかりの淡い空色の髪に職人が施したような金細工の瞳。色白で平均よりやや背が低く華奢な体は、傍目には可憐な女の子に見えたが、尊大で気高い振る舞いはそのイメージを打ち破るのに十分だった。

「ふん。普段は道化師を避けておいてこういう時だけ都合よく呼びつけるなんて、傀儡師サマというのはいいご身分だな」

 どうやらルースはゲイツのことを単独で活動している道化師嫌いの師だと思っていたらしい。初対面でつんけんな態度を取られ無事に試験を突破できるか一抹の不安を抱えたゲイツだったが、二つ下の学年である彼が既に第五階級を取得している秀才であることを知ると、なかなか侮れないものであるとすぐに認識を改めた。

 実際にルースは見事な先導でゲイツの試験合格に貢献した。上手く霊獣を乗りこなせない彼に適切なアドバイスをし、通常速度で走りながら見事に模擬戦を突破させた。幸いゲイツは槍の腕は確かであったから、不慣れな戦法でもどうにか及第点を得るくらいに戦うことはできた。その日をきっかけに二人は度々交流するようになった。

 中等部に通っていたルースは同じ校舎では会わずとも、合同軍事演習や共有施設、カフェテリアなどでお互いを見つけると、それとなく話しかけて当たり障りない会話をした。ルースは変わらずゲイツに冷たく何かにつけて傀儡師のくせにと罵っていたが、言い方に棘があっても彼はゲイツの戦い方の欠点と改善すべきところを丁寧に述べてくれていたから、ゲイツは特別不快だと思うことなく素直に彼の話を聞いていた。寧ろ年下であるのにここまで師の戦術を語れる彼の知識量に感心するばかりだった。

 ルースは俊足を持つ霊獣の中でも、特に秀でた麒麟の幽膜を降ろしたことに絶対的な誇りを持っていた。彼は道化師ではあまり見られない堂々とした性格と強い自尊心を持ち、年上であるゲイツにも気後れすることなく積極的に意見を述べていた。

 あまり道化師と関わったことがないゲイツだったが、これほど利発な師は他にいないだろうと思い、念の為パートナーの有無を聞いた。するとそれまで饒舌だったルースは鼻白んだ様子でいないと答えた。

「君が道化師を嫌っているように僕も傀儡師なんて大っ嫌いなんだ。それに僕の速さについていけるやつなんてよっぽど階級が高くないと無理だろうね。実戦がない中等部で僕と相性のいいやつなんて現れるわけがないし、今後も一生ないだろうさ」

「勘違いしてもらっちゃ困るが俺は別に道化師を嫌ってるんじゃないぜ」

「じゃあどうして単独で活動しているのかな。まだパートナーを探す時間はいくらでもあるのにあなたはこんな早い時期に単独で傀儡師をやっていくことを決めてるじゃないか」

 それが、とゲイツは眉を寄せる。

「最初はそれでいいと思っていたんだ。槍を教わった師匠に見込みがあると言われてひたすら訓練して技術も磨いて、授業でも唯一評価されるのが戦う時だけだったからこの道でやっていこうと決め込んでいた。けど最近になって伸び悩むようになっちまって、試験をするにも戦績を上げるにもパートナーが重要だって知ってさ、契約も視野に入れようかと思うようになったんだ」

「ふん。そもそも単独というのは第二階級以上の師が独立して初めて得られる特権のようなものだ。戦争にすら出たことのないあなたが目指すにはまだ早かったというわけだよ。ましてや道化師の戦い方も知らずに戦場へ出てしまえば足を引っ張ることになる。ここは軍隊なのだから味方のことはよく学んだ方がいい」

「その通りだな。俺もそろそろ苦手なことに向き合わないとここでやっていけなくなるかもしれない。それこそルースから道化師のことを教えてくれれば学べることは多そうだよな」

 訝しげにルースはゲイツを見上げた。

「何が言いたいのかな」

「俺と組んで欲しいんだ。パートナーにならなくてもいい。お前と一緒に戦ってみたい」

 話を重ねる度にルースの戦闘に興味が湧いてきたゲイツは、将来有望な道化師とともに妖魔に挑めば新しい戦法を編み出せるのではないかと踏んだ。

「あなたは本当に何も考えていないんだね。僕はまだ実戦に参加はできない。そもそも傀儡師なんかと組んでたまるものか。これまでは学習能力の低いあなたを哀れんでアドバイスをしてやっただけのこと。勘違いされては困る」

「でもお前も単独を目指すわけじゃないんだろう?結局は傀儡師と道化師は契約を結ばなきゃならない。一度俺と相性を計ってみるのもいいじゃないか。お前が高等部に上がるのを待ってるからさ、俺ももっと本気で頑張ってみる。だからその時になったら一緒に妖魔を倒しに行こうぜ」

 ゲイツは拳を差し出したが、ルースは組んでいた腕を解こうとはしなかった。

 所詮口約束であるのはお互いが思っていたことだった。ルースが高等部に進学するまで二年近く待たなければならなったのだから、その間にどちらかが忘れ、どちらかが約束を破ることがあってもおかしくはなかった。だが少なくともルースとともに戦いたいというゲイツの思いがその胸に宿り続けていたのは事実だった。

 それから着々と能力を伸ばし、それに比例して任務の依頼の数が多くなってくると、ゲイツはルースと顔を合わせる機会が少なくなっていった。派遣先で出会う傀儡師や道化師と関わり合いながら経験値を積んでいき、時には臨時のペアを組むこともあったが、それでもルースとともに試験を突破した時の特別な感覚を上回る出会いはなかった。

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