第四章 一話


 「なあゲイツ、この任務先代わりに行ってくんね?」

「はあ?何言ってんだよ駄目に決まってるだろ」

「頼むよぉ、今夜予定入ってんだよ。家帰んなくちゃいけねーの。うち面倒くさくってさあ。お前ならわかってくれるだろ?」

 元より戦いに真面目に向き合う師は少数派だった。少なくともゲイツの周りでは何かと理由をつけて講義や訓練はもちろん、任務までもを放棄して義務を怠る輩が多かった。そのほとんどが貴族のボンボンで、パーティだの会食だのデートだのと家や人間関係にかこつけて師の役目を蔑ろにしていた。ゲイツもまた貴族の端くれだったが、彼らが大変なんだ、助けてくれと頼る顔が信じられないほど軽薄であるせいで一欠片の同情心も彼らに向けることはなかった。

 自分よりも地位の高い者の言うことなら聞いてくれるだろうと彼らはことある事にゲイツに仕事を押し付けた。それがただの演練であれば無視を決めこめたが、任務であれば話は別だった。

 事務局から送られる手紙によって一人一人派遣先や任務内容は決められている。如何なる理由があろうともそれを拒否することはできない。独断で任務を放置してしまうと巨額の罰金と階級二位降格を受ける。だが貴族にとってその額はまったく脅しにもならず、坊ちゃんたちは姑息にも仲間に懐中時計を渡して信号を送ってもらい、あたかも本人がそこにいるかのような偽装を施した。

「ほら、これ。よろしくな」

 しっかりと懐中時計を握らされ、ゲイツは突き返そうとしたが、相手はさっと手を後ろに隠し、にやにやと笑いながら階段の下へ消えて行く。

 こうなってしまえば言う通りにするしかなかった。

 もしこの卑しい工作に協力しなければやつから相応の罰を与えられるだろう。確実に誰がやったかわかってしまうため権力を盾に報復を受けるのだ。ゲイツは罪に加担するよりも貴族の敵を作ることの方が何倍も恐ろしかった。特にオルヴェーニュ派の連中というのは、仲間内で手綱を握り合いながら表では温厚に振る舞うくせに、誰かが振り切ろうとすると一斉に首を絞めにかかる。そんなやつがそこら中にいるというのに、軽率に格上を陥れるようなことをすれば、ティオルドの家門は一夜にして潰されてしまうだろう。苦労して派閥の懐に潜り込んだのだから、家に迷惑をかけるわけにはいかない。

 派遣先を聞き出して自分の任務へ向かう前に、同じ場所へ行く者に頼み込み、懐中時計の信号を送ってもらうよう頭を下げた。

「お願いだ。何かあったら俺のせいにしていいから、頼むよ」

 誰のために腰を低くしてやっているのだろう。

 こんなことをするためにバカ真面目に戦っているわけではない。


「じゃああなたはどうしてそこまでして強くなろうとする?」

 ルースと再び言葉を交わしたのは彼が高等部に進学した年の冬のことだった。少し背が伸びたものの相変わらず華奢な彼は、チャペルの最前列の椅子に座り祈りを捧げていた。

 いつものように懐中時計を託され、担当が回る度に報告書を作成しつつ、己の任務を全うするだけでも精一杯な中で、それでも学業を疎かにするわけにはいかず、満遍なく身の回りのものに気を配って過ごしていたゲイツは、寝不足でついに任務もままならなくなり、辟易としていた。彼は特別器用でもなく、多くのことを一度にこなすのを得意としなかった。

 そんな中、式典でおろしたての戦闘着を身につけて中央を闊歩するルースを見かけた途端、忘れかけていた己が目的を思い出した。他のことに気を取られている場合ではないと彼は気づいた。周りに振り回されていては強くなれないというのに、自分は今まで何をしていたのだろう。

「この世の中で自由に生きるのに必要なのは力だ。権力もそうだけど、それに負けないほどの戦力を身につけないといざと言う時に抗えないだろ。俺は上のやつらに打ち勝つために強くなりたいんだ。あんな堕落した師が将来指揮官にでもなった日には、戦争や妖魔討伐作戦で多くの犠牲者が出るだろうな。そうなる前にあいつらを全員淘汰すべきだ。……その話で言うと、指揮官はやっぱりルースみたいなやつがぴったりだろうな」

 この再会を期に、ゲイツにとってルースは神聖な道標のような存在になっていた。迷いのない正しき道へと導いてくれる、凛とした花。風に吹かれても頑なに散らず、折れることもなく、手折るために伸ばした手すら棘で傷つける、たくましい花だ。そんな彼が現れただけで重くなっていたはずの体も軽くなり、頭が冴えた気分になった。これまで振り回されていたのは悪魔のせいだったのかと思うほどに、ゲイツの溜まっていた鬱憤は全て取り払われたのである。

「貴族の身内に仇をなすと?それは感心しないね。それこそ意味の無い戦争を起こして犠牲者を生むだけだ。とりわけオルヴェーニュというのは同じ派閥であろうとも厳しく取り締まる過激な連中ばかりだろう。争いで勝つ度に大きな顔をするやつらにこれ以上調子に乗ってもらっては困るよ」

 ゲイツは長椅子の隅に座るとはたと違和感を口にした。

「……俺、オルヴェーニュ派って言ったっけ」

「言わなくてもわかる。勢力図を把握しておくのはこの社会では基本だろ。どうも他と違って威張ったところがないから最初はわからなかったけれど、あなたもあの傀儡師至上主義とかいう馬鹿みたいな思想を掲げている派閥の一味だったとはね」

 驚いたよ、とルースは遠くにいる彼をまっすぐに見た。

「……いいや……、いいや違うんだ、俺は、俺だけは道化師を下に見たりなんかしていない。お前のことだって寧ろ尊敬して……」

 急に後ろめたい気持ちに襲われたゲイツは、しどろもどろになりながら否定しようとしたが、ルースの次の言葉で遮られた。

「僕はシュラト派でね。生憎あなたとは相容れない立場なんだ」

「……うそ、だろ」

 愕然とした。

 シュラト派はこれまでの歴史で散々叩きのめされてきた道化師たちが、集って平和を掲げ不平等をなくす活動をしている派閥だ。オルヴェーニュ派と長年対立しており、その溝は深淵よりも深く刻まれている。

「神はいつも我々を見ている。嘘などつかない」

 ルースの目が細くなる。棘をこちらに向けようとしている。まるで純潔な身を穢れから守るように。

「待ってくれ……。じゃあ俺と相棒になるのは無理なのか……?」

「難しいだろうね。派閥にとっても喜ばしいことではない。オルヴェーニュ派と関わるとろくな事がないんだ。万が一火の粉を被るようなことがあればたまったものではないよ」

「そんな……、そもそも天秤で釣り合っていたものを歪んだ見方で解釈するのが間違ってるんだ。オルヴェーニュが腐った派閥なのは認める。だけど俺は……」

「僕を馬鹿にしていたかどうかなんて見ればわかる。腹の黒さというのは滲み出るものだからね。他人に押し付けられたものを返せないくらいにはあなたはお人好しなんだから、誰かを欺けるほど強かではないんだろう。けどそれだけでは信頼できない不安定さを僕は危うく感じている」

「……どういうことだ?」

「何があっても僕を裏切らないと約束するなら、一時的に組んでやってもいい」

 棘をむき出しにた彼は荊の隙間から手を差し伸べた。

 これは彼なりの賭けでもあった。

 ルースはゲイツの内面を多少なりとも評価していた。今まで臨時で組んできた傀儡師の中でもゲイツは突出した人間性を持っていて、年下の道化師という格好の餌食を前に涎を啜ることなくただ握手を求めてくれたのは彼が初めてだった。まるで田舎の学校で身を寄せあって課題をこなす生徒のような独特な接し方に、種族の壁などまるでなかった。そして一度きりの関係で終わらせず、その後もゲイツは何度もルースに接触し、地道に距離を縮めていった。

 初めて出会った時に傀儡師に従うまいとわざと怒らせるような態度をとっていたルースは、口さがなく好き勝手に喋っていくうちにゲイツに段々と興味深そうな目を向けられるようになった。それを変に思っていたが、会話を重ねる毎に本当は何も考えていないだけの馬鹿だと知ると、呆れるとともに警戒すること自体が馬鹿らしいと思うようになった。

 そんなゲイツの無頓着で素直で飾り気のない性格が、ルースは嫌いではなかった。

 だからもしかしたら、と淡い期待を抱いた。彼だけは他とは違う、悪性の思想に囚われない真っ当な師であれば、不均衡な世の中にも希望が持てるのではないかと。

 信じたかった。

「ああ。約束するよ」


 それから半年間の間、二人は同じ任務を請け負って何度も大陸を渡り夜の狩りへ挑んだ。つんと痺れる冷たい風がどこか清々しく、緩やかに彼らを開放感へと導いていった。

 一見すれば彼らは安定した、傀儡師と道化師が本来持つべき健全な関係を築いていた。互いの不足している部分を補い合い、能力を高め、等しく妖魔を討伐する。派閥の対立がなければとっくに契約は結ばれていただろうというほどに順調だった。だがこのままでも構わなかった。貴族同士で心を擦り減らし、猜疑心に囚われていた環境から夜の間だけ抜け出して、自由にありのままでいられるこの瞬間は彼らにとって非常に心地いいものだったのだから。一生に一度の絆は時間をかけゆっくりと育めばそれでよかった。

「遠征に?」

 そのうち大雪が島を雪景色に染めた。白い息が空気に溶けるのを目で追いながら、ゲイツはいつものようにチャペルの中へ入った。敬虔な信仰者であるルースが祈りのために訪れる神聖な教会は、いつからか彼らが密かに会うための場所になっていた。

 先日一通の手紙が届いたことを、規約に違反しない範囲でルースに話すと、彼は不意を突かれたような顔で聞き返してきた。

 大した反応は得られないだろうと踏んでいたゲイツはすっかり油断していた。

「……そうなんだ。第四階級から請けられるって聞いて、とりあえず申請しておいたのをすっかり忘れててさ。急だけど来週から行くことになったんだ」

 ルースはそこで初めて彼が一級昇進していたことを知った。

「……そう。で、いつ帰るの?」

「半月ほどだな。しばらく一緒に出られなくて悪い」

「別に構わないよ。けど、今後もそういった任務が増えるようならあなたはまた一人で活動することになるね」

「できればお前と行きたかったんだけどな。とっくに階級を越されてると思って昇進してたんだよ」

「そう……。なら僕の試験に付き合ってもらわないとね」

「ああ。帰って来たら申請しよう」

「あなたの気が変わらないといいけど」

「変わるもんか。もう単独でやるのはやめたんだ」

「本気で言ってるのか?」

「何を疑ってるんだよ。俺たちやっと慣れてきた頃じゃないか。そろそろ麒麟に乗って槍を扱えるようにならないとだろ?もっと練習させてくれよ」

「物珍しさに乗りこなしたいんじゃないだろうね」

「またそんな言い方。そんなんじゃないってわかってるだろ?」

 小憎らしい笑みがいつもルースを不機嫌にさせた。ゲイツの発言はどれも裏がなく善意に溢れていたが、同時に深慮を感じられずどことなく繊細さに欠けていた。故に全ての言葉を真に受けるには物足りない。ルースは彼の本心を聞きたかった。彼がどんな未来を描いているのか、どんな師になりたいのか、互いに自分の話をするのを疎かにして、何一つ内面を明らかにしなかった。

 確証を得るものがあればこうももどかしくはならなかっただろうに。

「だったらあなたの決意を見せてほしい」

 隣に座るゲイツに言う。

 彼は数秒子どものように口をぽかんと開けて、それから神妙な顔つきになると、前を向いた。

 そこには太陽に身を捧ぐ主の姿があった。

「お前が許してくれるなら、俺は今すぐ契約したい」

 呆気ない。だからこそ嘘がない。そこがとても憎らしい。

「神の御前で誓ったことは決して裏切れない。あなたが覚悟するというなら僕は拒まないよ」

 

 ただ、彼らは年相応に未熟なだけだった。

 外の世界を忘れ安泰でいられる絶対的な囲いの中で、二人は束の間の安息に浸っていたのである。


 

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