第二章 一話


「計画を話すより前に、まずは貴族社会について把握してもらわないといけないな」

 紙を用意したディノはペンを執って図を描いた。

「もう島に来て随分経つし、それなりに知ってはいるんだけどね」

「なら復習がてらに聞いてくれ」

 図には三つの派閥が記された。

「まずは貴族社会を牛耳る三大派閥だな。オルヴェーニュ派、メレ派、シュラト派に分かれている。それぞれどういう傾向を持っているかはお前もわかるよな?」

「ああ。オルヴェーニュは傀儡師至上主義、メレ派は三位一体の法則に基づいて中立で、シュラト派は平等を掲げる道化師の派閥だ」

「そう。主にオルヴェーニュが勢力を張ってはいるが、貴族の家は基本的にこの三つのどれかに所属して、派閥の長は政治的な実権を握るために常に対立している状態だ」

 ディノの生家であるオルヴィス家もまた、親戚であるオルヴェーニュの派閥である。代替わりの時期が近づき、ここのところ人脈を広げるために会食が頻繁に行われるようになっていたが、貴族の生活に辟易していたディノはそのどれにも参加することはなかった。

 絆の鎖を引くのは傀儡師の役目。そんな主従関係の概念が流布したのはこの派閥の影響だと考えていいだろう。霊長二種が対立していた時代に多くの勝利を収め、天秤の上で平等であるという師の基本的観念を覆したのは、他でもないオルヴェーニュ家が築いた歴史だった。

 メレ派は言うまでもなく、聖典に従い基本的観念を見失わずに全うした者たちと、派閥の対立にすら興味のない家系の集まりだった。争い事にはまったく関与せず、それゆえに双方の派閥はメレ派を相手にしていない。

 厄介なのはシュラト派だった。平和主義的なのは表向きで、その実長年の支配に苦しめられた道化師の一族が反旗を翻そうと虎視眈々と機会を狙っているのだ。それを察していたオルヴェーニュはより力をつけるために拡大計画を立てているという。

「それって何?」

「噂に聞いただけだから詳細はわからない。家に帰れば何かしらの情報が流れてくるだろうが、今はまだ戻る気にはなれないからな」

 ともあれ師の対立は若い世代にも波紋を呼び、学院で起こる数々の問題に発展しているのである。

「シュラト派の人間はかなり鬱憤が溜まってるところだろうな。元々不利な立場である上に政治での発言権はほぼない。学院でもそういった圧力に負けて道化師は抵抗できずにいる」

 メドはそれを聞いて、これまで自分が見てきたものがどれだけ表面的だったのかを痛感した。やはり外側よりも内側から見えるものがはるかに現実味を帯びている。

「元々貴族社会にあった風潮が流れ込んできたせいだったのか。ただ歴史の延長線にあるんじゃなくて、派閥の対立が俺たちの世代に影響していると」

「そうだ。学院で三大派閥のご子息ご令嬢たちが幅を利かせているから、師徒は余計に意識が高くて困る。オレが対立するのを避けていたせいでわからないだろうが、師徒の貴族はほとんどカイレムみたいなやつらの取り巻きだ。ここは自然と社会の縮図となっているんだよ」

 ディノはさらに紙に描き込む。そこには筆記体で三人の師徒の名が綴られた。

 カイレム・サム・オルヴェーニュ

 ヘリオス・ロー・シュラト

 リアン・イュース・メレ

「こいつ以外は嫡子だから正式な後継者としてかなり注目されているな。カイレムの兄はとうに卒業しているが、何せオルヴェーニュだから本人の能力に限らず、傀儡師の中で持ち上げられて調子に乗っている」

「度々問題を起こしているのを耳にするけど、カイレムは本当に優秀な傀儡師なのか?」

「そんなわけがない。あれは階級が高いだけのぼんくらだ。向上心を失ったバカだよ。そのくせプライドだけは一丁前だ」

 それでも彼の周りに人が集まるのは、権力にあやかり道化師を支配しようとする輩が多いためだ。

 メドは昨夜の出来事を思い出す。

「なら……道化師が被害にあっているのはカイレム

たちのせいじゃないか?」

「首謀者であるかはともかく、関与しているのは明らかだな。ああいった行為を許しているから他の傀儡師も触発されたとも考えられる。カイレムが己の影響力を知らないわけがない」

「じゃあカイレムを裁けば問題は解決する……? いや、そんな単純な話じゃない、か」

 残り二つの名前が書かれたのには意味がある。ディノは手癖でペンを回すとトンと紙を突いた。

「学院の問題は片付くだろうが、それで全員が認識を改めるには至らないだろう。オレが目指しているのはその先だ」

 ふてぶてしい笑みがメドに向けられる。悪戯を秘めた瞳が僅かに輝いて見えた。

「もしかして、派閥そのものを変える気か?」

「ああそうだ」

 陽の光に当てられた彼の表情は、心做しか憂いが晴れたかのように清々しい。

「だが俺は変革を求めているんじゃない。まるで自身が神であるかのようにのさばっている貴族そのものの地位を崩壊させるんだ。階級制度をなくし、天秤にかかった真の平等を実現させる」

「……君は、あの時言ってたことを」

 くるりと回されたペン先が反射する。

「そのためには邪魔な輩を排除しつつ、同盟を結んでくれる仲間が必要だ。そこでこの二人だ」

 二重に円を描き、名前が囲まれた。

「実のところ、階級の近い貴族との交流を避けていたおかげで彼らのことはもちろん周りの人間関係もさっぱりなんだ。だからお前に、情報収集を手伝ってくれると助かる」

「なるほど。そこでこのリストが役に立つと」

 先程ディノから渡された用紙を広げる。個人情報から戦績などの能力まで、事細かに調べ尽くすことを望まれている。道化師としての社会性と情報網が試される時だ。

「早いうちに接触しておきたいが、何も知らないまま近づくと舐められるか、軽くあしらわれて終わる。ここはお前の人の見る目を信じようと思う」

 つまり、同盟を組むにふさわしい師を選別しろということだ。

 メドは気分を高揚させて紙を握りしめる。

「ああ。任せてくれ。君がここまで考えていたなんて正直驚いたよ。今までどうして話してくれなかったのか不思議なくらいだ。結論が出た時のみ言葉にするのはある意味悪癖ではあるけど、結論さえ出てしまえば君は一切迷うことなく進める人だ。俺は期待していたよ。君が野望を抱いた日からずっと……」

「本格的に動く前には、お前との契約も済ませておきたいんだがな」

 予鈴の鐘が鳴った。

 周囲にあった雑音がヴェールに覆われたかのように輪郭を失う。それでも師徒たちの会話や足音、木々のざわめきが止むことはなかったが、音が響く間、彼らだけは目と目を合わせて口を噤んだ。

「それだけは無理なんだ」

 やや雑音が控えめになった教室で、メドは少し声を抑えた。

「どうして躊躇う? 戦うのはそんなに嫌か。反逆や革命には争いがつきものだが、オレの言う計画だってそれが避けられるわけじゃないんだぜ」

「それはわかっているよ」

「オレたちは強くなるべきだ。そうだろ?」

 片眉を上げて同意を求めるも、それはメドの意向に沿わなかった。

「ディノ。くさりは一生に一度だけかけることの許される盟約だ。俺は君と繋がれるならそれで構わないと思っている。でも、こう考えたことはないか。争いの最中にそのくさりが断ち切られてしまえば、」

 風が、握った紙をはためかせた。

「二度と俺たちは繋がれなくなる」



 ディノはひたすらペンの頭を机に突いて、思考に耽っていた。

 まさかメドがそんなことを杞憂していたとは思わなかった。ディノはおおかた正式に契約することで、カイレムを初めとした傀儡師たちの風当たりが強くなることを恐れて拒否しているのだろうと想定していたが、メドの考えはそれを上回るものだった。

「道化師の蟠りが肥大化しているのは俺がよく知っていることだ。遅かれ早かれ師徒による種族間の争いが始まる。過去に似たような事例があったのを新聞で読んだことがあるんだ。四組で構成された班の中で、いじめが原因で種族で分裂して争った後、くさりが落とされる事故が起こったって」

 絆が絶たれた側は腕の神経が麻痺し、オボによる胸部の圧迫感を覚えたという。病院に運ばれ然るべき処置を受けるも、痙攣は治らず、二度と契約を結べない体になったという。

「もし仮に、争いで絆断ちが行われてしまったら、こんな恐ろしいことは想像したくもないけれど、下手をすれば二度と戦えない体になってしまうかもしれない」

 彼の言うことは理解できる。話に出てきた例の事故というのも、ディノの記憶の片隅にはあったものの、しかし取るに足らない内容であったがために隅に寄せられた記事だった。

 この世は神秘で満ちている。世界の始まりから生命の誕生まで、二十二の神秘がその創造を担い、神の手により宇宙の力が収められている。神秘とはつまり解明されることのない未知の美しさそのものであり、人間より浅い歴史を持つ我々は、妖魔どころか己さえも何者であるかを理解するに乏しかった。

 わかるのは、我々は神の分かたれた魂により生まれ落ちたということ。

 オボとは何か。それは神によって刻まれた霊長二種の原罪。

 契約とは何か。それは三位一体の循環を成すための聖なる儀式。

 ではくさりとは何か。

 それは、儚い命を繋ぎ止めるための楔。

 曖昧で信仰めいた定義で語られる御伽噺のような存在が我々なのだ。

 人間の体の仕組みよりも複雑な生命体を科学的に解明するのは困難の極みだ。未だに謎が多く、オボや魂魄に関する医学の進歩が途上にある中で、絆を断たれれば危機が訪れるという話がどれだけ迷信めいていることか。

 記事に書かれたことが事実であろうと、ひとつの出来事で確信を持つのは危ういとディノは感じていた。

「現代の医学や科学で証明できないことは何かと神秘に結び付けて片付けられる。新聞で報じられてたことも噂では復帰後にまた別の道化師と契約を結んだという話もあるんだ。何が原因でそんな症状が出たかなんてわかりやしない」

「わからないから怖いんだ。循環が途絶えればどうなってしまうのか。きっと死よりも恐ろしいことになるだろうね。それに……」

 ディノは不服だった。自分よりも目に見えない力を信じ、怯えていることが気に食わなかった。

「……お前は神秘に盲信しすぎている。お前が狙われようが絆が断たれようが、オレが傀儡師として守り抜いてやる。それじゃあ駄目なのか」

「君だって、己の力を信じているじゃないか」

「これは盲目なんかじゃない。とっくの昔から覚悟しているんだよ、オレは」

 にわかに教室がざわめいた。そういえば教授の姿がまだない。だが師徒はそのことに気を取られているわけではなかった。なんだかあの日の雰囲気と少しだけ似ていた。

 しかし、男の叫び声が廊下で響き渡り、空気はがらりと変わった。波打つように騒ぎが大きくなる。

 二人は様子を見に出口へと降りた。


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