第五章 一話

♦♦♦


 絶叫が雨音をつんざく。


「助けてくれぇ!やめろ、やめろぉ!腕がッ、ああ、ああああああぁぁぁああっ!!」

 メドの影から引きずり出されたカイレムは、散々剣を振り回して抵抗した後、速さで一枚上手だったルースにあっさりと一撃を食らわされ、泥の中をのたうち回っていた。

 立ち尽くしたままのメドはぼうっとその光景を眺める。

 カイレムを守る義理の欠片もなかったからか、無感動に見下ろすその様はどこか他人事のようだった。

「メド!」

 名を呼ばれてはっと現実へ意識が引き戻された。水溜まりを踏み抜き、泥で裾を汚しながらディノが薔薇の茂る隙間から駆け込んで来る。

「どうした、動けるかメド。いけるなら合わせてくれ」

 ざっと全身を見てどこも異常がないことを確認したディノは、違和感に気づきながらもカイレム救出のために迅速に動いた。

 赤い筋が剣身を走る。

 腕を狙って下から切り上げた。雨粒が弾かれて軌道を描く。ルースは飛び退いてカイレムから離れ、ぐっと縮こまると、バネのように足を伸ばして麒麟に変化する。

 メドは一拍遅れて援護に入った。

 例えばカイレムを断頭台に上げたとして、道化師の大多数が刑に処されることを望んだとしても、その中にそれが本当に正しいのかを公平に審判できる者はいないだろう。苦しみに苛まれて来た道化師たちは苦しみから解放されたいと願うばかり悪の象徴を必要としているのだから。だが悪を葬ったとしても真の解放へは届かない。

 ディノは言っていた。我々が救われるには根本を取り除くべきだと。根を抜かない限り負の連鎖は止まない。カイレムを見捨てたところで状況は好転しない。

 なんて浅はかだったのだろう。

 自分はディノの意向にすら背こうとしていたのだ。

「しっかりしろカイレム。立て!ここから出てバジリスクに乗って逃げろ。近くにいるはずだ」

 彼の襟首を引いてディノは後退するが、腕を抱えて悶えるカイレムは痛みで立ち上がることすら出来なくなっていた。骨が折れた程度で、とディノは罵ろうとしたが、言ったところで彼にとっては鼓舞にもならないだろうから代わりに舌打ちした。

「とにかく下がってろ。いいな?」

 ほんの数秒ほど後ろを向いているその時。

 鳥の鳴き声が頭上で響いた。

 ディノは空を見上げたがそれは一瞬のことで、激しい雨が顔面に降り注ぎ視界がぼやけた。

 直後に側頭部が硬いもので打ち付けられた。浅く宙へ浮かんだ体がアーチに叩きつけられる。

 海の上を揺蕩う感覚と激痛を走らせながら、ディノは歯を食いしばって泥水から半分顔を出した。

 鳥形の霊獣だった。

 それだけではなく、後方から何体もの霊獣が薔薇園を踏み荒らしこちらへ向かって来ていた。

 花が散り、棘が足を傷つけようとも構うことなく目に光を帯びてぬかるんだ土を蹴る。

 鳥がディノの元へ急降下する。

 白虎は身を翻して鳥の首に食らいついた。半回転しながら花壇へ突っ込む。広い翼が派手な音を立てて隣の木を倒した。ディノは剣を突き刺して立ち上がり、顔を拭った。

「気づかれたか」

 霊獣相手であれば手加減をせずに済む。いつでも波動を放てるよう剣先に神経を注いだ。

 手から血のように深い赤の煙が漂い、穂先に向かって螺旋を描く。

 しかし、到達する前にふっ……と途絶えた。

 じわりと汗が滲む。

 胸の真ん中を抑えて背中を丸めた。

 オボが、熱い。

 これまでの鈍痛とは違う。筋肉が収縮するようなはっきりとした痛みだった。

 同時に焦燥に似た危機感が襲った。この状態ではまともに太刀打ちできない。力の流れも途切れてしまった。

 白虎が吠える。

 メドは霊獣へ訴えかけた。ディノを攻撃してはならない。彼は自分のパートナーなのだと。

 それでも聞き入れてくれる者はいなかった。霊獣たちにとって彼らの関係性など取るに足らないもので、道化師を脅かす傀儡師は例外なく敵とみなしていた。切羽詰まった戦況に、手段を選んでいる暇はなかった。

 目の前の敵を倒す。その使命感に駆られていた。

 鶏冠を踏みつけ、白虎は霊獣へ咆哮を放とうとする。二体の霊獣が阻止しようと立ちはだかり、メドは肢体変化で脇をくぐり抜けて、手を伸ばす。

「ディノ!」

 くさりを繋いでさえいればと、意味の無い後悔が冷たくなった指先を震わせる。

 迫り来る大きな影を見据えたディノは、自嘲気味に口端を上げて、

「お前の予感は、当たったよ」

 獣の波に飲まれて行った。

 大きな足が彼の右腕を踏みつける。

 声は雨に解けたのか、そもそも声にすらならなかったのか。メドの耳が拾ったのは、骨が折れる軽い音だけだった。


♦♦♦


 その性格を病気に例えるのは言い得て妙だとディノは思った。

 学院には悪い細菌が蔓延している。さしずめここは業という名の病気を感染させるための隔離病棟だ。きっと長きに渡る戦いにより悪い分子が精神に蓄積し、それが傀儡師を犯して人格を歪めてしまったのだろう。そうでなければ戦争に出たこともないまだ未熟な道化師が屈辱を受ける謂れはない。

 師徒である傀儡師もまた同様に未熟だ。環境云々に関わらず誰もが簡単に思想に染まり、過去の栄光を背負い優越感に溺れてしまうのだから、見解を広げる前に相手に攻撃的になるのはあまりにも愚かだった。道化だなんだと馬鹿にするのも恥ずかしい。

 せめて自分だけは正しくありたかった。

「ってぇ……!」

 残り時間後わずかのところで、一心不乱に斧を振り落とす男の背中に蹴りを食らわせた。

「せっかく見逃してやったのにまだ揉めてるのか。いい加減諦めろ。未練がましい」

「オルヴィスてめぇ……」

 叩かれていた白虎、その中で倒れている師のペア、そして為す術なく傍観する傀儡師と道化師が一人ずつ。どうやら数刻前より状況がややこしくなっているようだ。彼は他人のいざこざに口を挟んだことを今になって後悔した。

 ディノはつい先刻喧嘩を止めに入ったばかりだった。狩りを終え次第互いに干渉することなく帰るよう言ったはずが、少し目を離した隙にこの有り様である。子どもではあるまいし、なぜどちらも鬱憤を晴らさないと気が済まないのだろうかと、ほとほと呆れ果てた。

 おかげで面倒事が増えてしまったではないか。

「テム。上にいる試験官を呼んでくれ」

 低空飛行で飛んでいた鷲に似た頭を持つ白い鳥が、空に向かって鳴いた。

「グレイ。他の奴らの邪魔にならないようにさっきは止めてやったが、二度も手間を取らせるとなるともう目を瞑ってやれないぞ」

「こいつがッ……こいつが悪いんだよ、こいつが!」

「オレは全部見ていたからわかるが、その言い訳ももう通らなくなったな。虎の傷もそうだが、このペアも……絆が切れている。お前は一線を越えたんだよ」

 ディノは白虎の背中を優しく撫でる。

「七班の奴じゃないな。残念だが棄権しろ。肉体に相当負担がかかってる。ここはいいからお前はもう行け」

「あーあ。だから言ったのに」

 白虎の傀儡師らしき人が寄りかかっていた木から背を離す。

「パートナーのくせにどうして助けてやらない」

「契約してるわけでもないのに危険を冒してまで助けたくはないね。ただ試験をやれたらそれでよかったのに、こんなことに首を突っ込んでいい迷惑だ」

 傍観者は徹底した姿勢で首を竦めた。そう軽率に責任を放棄する者が横行するせいで、傀儡師の評判は下がる一方なのだ。

「まあ、もういいか。僕は先に行くよカルメロイ」

 ついには道化師を放って去ってしまう。

「……おい、平気か」

「ああ。大丈夫だ。ありがとう」

 メドは人の身に戻った。そこに血はおろか傷一つついていなかったが、まだ背中を強く打ち付けられる感覚が残り、心做しか吐き気を感じながら彼は森を出た。


 試験官に回収されたマリクとハロは、病院に運ばれるとすぐにオボを中心とした精密な検査が行われた。後日二人は無事に目覚めたものの、それぞれの腕には絆によるものとされる痕が残り、麻痺した状態が続いているという。

 ディノは絆についての文献を集めるために図書館へ向かっていた。

 如何せんオボや三位一体の法則、その他神秘にまつわる未知の領域は研究が進んでおらず、中でも絆に関しては資料すら入手困難なほど希少な部類だった。

 行ったところで求めている本は何冊も手に入らないだろうが、研究しているラボの名前さえわかれば後々論文が出た時に追うことが出来る。

 図書館へ通じる外廊下を歩いていると、途中の人集りに足を止められた。

 どうせまた喧嘩だろうと隙間から中を覗くと、案の定仁王立ちする傀儡師と床に手をついた道化師が対立して険悪な空気を漂わせていた。この光景を見るのは今月でもう五度目だった。

「だから俺は参加しないと言ってるじゃないか」

「このおれがパートナーになってやるって言ってんだよ。断る理由があるか?ちょっとくらいいいじゃねえか」

「東洋の霊獣なんて滅多に見られないんだぜ?拝ませてくれたっていいだろ」

「道化師はよく出し惜しみするよな。獣のプライドってやつか?」

 くせのある白い髪の男は、傀儡師の手を叩いた。

「しつこい。死んでもお前らなんかと組んでやるものか」

「……言う事を聞け」

 さっと表情を無くした傀儡師が白い男の胸ぐらを掴む。道化師の端正な顔に皺がより、負けじと相手の腕を掴んだ。まるで蛇と虎の睨み合いだった。

 これではどちらが獣かわかったものではない。

「おーい、そこのお前」

 拳が上がったところで、ディノは前へ進み出た。

「お前だよお前。ちょっと来てくれ。話がある」

 思わぬ助け舟に、道化師はあっと口を開けた。アイスブルーの透明な瞳が二度瞬く。

「何だ?こっちは取り込み中だ、見てわかんねえのか」

「おお怖い怖い。いちいちどすを利かせないと物も頼めないのか?」

「うるせえなお前に関係ねぇだろ……、!?」

 ディノは彼の腕を取ってひねり揚げた。激痛が襲いかかり傀儡師は悲鳴を上げる。

「対等な交渉もせずに相手が引き受けてくれると思うなよ」

「痛い痛い痛い!離せ!もげる!」

 突き飛ばされた傀儡師は人集りに頭を突っ込んで転んだ。

「お前たちにもやってやろうか?」

 苦笑いを浮かべ三人は後退り、そそくさと廊下の向こうへ消えた。

 野次馬は解散し、やっと狭い廊下が開けて図書館の入口が見えた。道を塞ぐのは通行人の迷惑だから、校舎で騒ぎを起こすのは止めてもらいたいものだ。

「ありがとうオルヴィス君」

 膝についた誇りを払い、道化師は立ち上がる。

「また助けてくれるなんてね」

 ディノはじっと彼を見つめて顎に手を添えた。

「あー……、誰だったっけ。どことなく見覚えがあるんだが……」

「ええ?メドリュクス・カルメロイだ。白虎と言えばわかるかな。試験の時森で会っただろう?」

「ああそうだ。あの霊獣だ」

 既視感の正体はこれだったのだとディノは納得した。人の姿が獣の特徴と相似していたのだ。

「また会えてよかった。君にお礼が言いたくて探していたところだったから。図書館にいると聞いて来たから入れ違いにならなくて済んだよ」

「絡まれていたくせに図太いやつだな。あいつらがムキになる理由もわかる」

「あんなやつらに負けたくないからね。周りは見守るばかりで誰も止めようとはしなかったのに、君は他と違って優しいんだね」

「オレは気にしないけど、傀儡師の前では口に気をつけた方がいいぜ?そういう態度だからちょっかいかけられるんだよ」

 図太いだけならまだしも、学院の治安では言葉一つ一つに気をつけなければならない相手も多くいる。安全だと認識してもらう分には構わなかったが、このような気の抜けようではまた何かの拍子に絡まれてしまいそうだ。

「ここに通ってるならわかるだろ、傀儡師はあの通り王様気分で道化師をピエロか召使いみたく扱うおかしな連中なんだ。隙を作れば玩具にされるだけだ。気持ちはわかるが言動にはくれぐれも注意しろ。いいな?」

「……わ、わかったよ」

 きりりとした目元に凄みを感じたのか、メドはやや縮こまって頷く。

「恨みを買って絆を断たれてしまうこともあるからな」

「そうだ、それについて教えて欲しいことがあったんだ」

 絆という言葉にメドは彼に会いに来た目的を思い出した。

「あの日何があったのか詳しく知りたいんだ。よければ話してもらえないかな」

 ディノは面倒くさそうに口をへの字に曲げた。一度片付いた面倒事を掘り返すのは彼の嫌いとするところだった。

「……何のためだ。傀儡師に復讐するつもりか」

「まさか。確かに恨みはあるけど、それより絆を切られてしまうほどのことをマリクはしてしまったのか気になって」

「本人に聞けばいいだろ」

「話してくれなかったんだ。だからせめて君の視点でわかることを聞ければと」

 他人事になぜこれほど真剣になれるのか、ディノは不思議だった。

「事情なんて大それたものでもないぞ」

 真意を探るため、本を読むついでに話してやることにした。



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