第五章 二話


 所謂痴情の縺れというやつだ。グレイという傀儡師は女好きで有名で、ハロを密かに狙っていたが、何処の馬の骨かもわからない道化師に唐突に奪われてしまい、意気消沈としていた。ところが試験の日が偶然にも被ってしまい、契約を済ませすっかり得意になったマリクはグレイを煽り人前で色恋沙汰を暴露する。ハロの目があるからと耐えていたグレイだったが、試験が始まった直後もこれまでの鬱憤を晴らすかのように毒を吐かれ、ついに限界を越え、殴り合いの喧嘩を始めた。

 一部始終を見ていたディノは仲裁に入り、試験中は互いに干渉しないよう言ったものの、狩りを終えて戻るとグレイが例によって斧を振り回していたのである。

「そうか。君も肝心なところは見ていないんだね。これじゃあ暴行を受けるほどのことをマリクがしてしまったのかわからないな。確かに普段から傀儡師に当たりは強かったけれど、立ち回りが器用だから反感を買ったことはないんだ。俺としてはあの日に限ってそんなことがあったとはとても思えなくて」

「マリクにはまったく非はないと?」

 分野ごとに並べられた本棚の列に沿って二人は歩いていた。ディノは左右に設けられた階段の左側を登る。

「酷いことを言ってしまったのは事実でも、だからといって暴力でやり返すのはもっと良くないだろう。マリクが必要以上に絡んだのはきっとグレイが恨まれるようなことをしたからだ」

「それはどうだろうな」

 隙間なく並べられた背表紙を端から端まで確認し、次の棚に移る。

「お前はやたらとマリクを庇おうとしているが、そいつはそんなに良い奴なのか?」

「ああ。高等部に上がった頃からよくしてくれた友人なんだ。田舎者だと揶揄われて落ち込んでいた俺を励ましてくれたし、試験の時もペアを組めそうな傀儡師を探してくれた。世話焼きな性格なんだ」

「師は身内には優しいものだ。高等部からということはまだ付き合いは浅いんだな。人となりを完全に把握もせずそんなやつじゃないと決めつけるには早いんじゃないか」

「でもマリクは」

「お前はどうしても傀儡師を悪者にしたいようだが、オレからしてみればそいつはなかなか強かだと思うぜ。これまで敵を作らないよう振舞っていたのを自分の味方が出来た途端に態度を変えたんだからな。パートナーを盾にして吠える奴がいい人なわけがない」

「よっぽどのことがあったかもしれないのに」

「あのなあ」

 まだるっこしくなり、ディノは振り向く。

「やったことの罪はグレイの方が重くても、きっかけを作ってしまったのは間違いなくマリクなんだ。お友達を信じてやりたいんだろうが、身内贔屓もほどほどにしておけよ」

「贔屓だなんて。だって傀儡師は」

「精神がイカれているから、か?」

 夕闇の瞳がじとりとメドを見下ろした。そうして切れ長の目を細めていると、夕日色の光が消えて帳が降りたかのような黒が際立った。背筋がひやりとするほどその視線は鋭い。

「田舎がどうのと言っていたな。お前は大陸から来たのか?」

「え……ああ、中等部の頃に」

 ディノは鼻で笑う。

「なるほどな。見事に染まったもんだ。外から来た奴らはみんなそうやって騙されるんだ」

 メドは試験時のパートナーにも似たようなことを言われたのを思い出した。

「何に騙されてるって?」

 彼はまた背中を向けて歩いた。

「傀儡師は悪で、道化師が正義という対立構造だよ。一部の傀儡師の悪行が目立つせいでオレたちは基本的に嫌われる立場にあるが、道化師が常に被害者であるというのは完全な思い込みだ。中には傀儡師と同じくらいえげつないことをする道化師だっているんだぜ」

「聞いたことがない。そんな話は一度も」

「そこがあいつらの狡いところだ」

 テーブルの上で恥じらいもなく言葉や態度で力を誇示するのが傀儡師であれば、クロスの下で如何にして足を踏みつけるか熟慮するのが道化師のやり方だった。

  不思議なことに双方は憎しみだけは平等に秤にかけていた。精神と肉体という不均衡な魂魄を持ち合わせながらも、そのアンバランスを補うようにして不安定な部分を刺激し、互いを天秤の受け皿から突き落とさんと奮闘している。繋がりを持てば安定するとわかっていながら、人としての感情が邪魔をして反発してしまうのだ。

 道化師は決して弱者ではない。歴史に不名誉に刻まれた敗北の種族であろうとも、霊獣の幽膜を被り命をかけて戦ったことを誇りとし、不撓不屈を貫いていた。心に灯った闘志の炎は燃え尽きることなく後世に継承されている。

 先達の意志を受け継いだ貴族の道化師は同族が不当な扱いを受けるのを黙って見過ごしはしなかった。

 学院には規則や風紀を取り締まる権限を与えられた七組の監督生がいる。道化師側は横行する差別をなくすため、罪を働いた傀儡師を徹底的に糾弾した。

 神聖なる霊獣に通じ幽膜を賜る道化師を侮辱するのは、神への冒涜だとして教会の一室に連れ込み、鞭を打って悔い改めさせた。罪の重さによっては吊るし上げて見せしめにすることもあった。それらは公にされず少人数の集会の中で密かに行われ、罰せられた傀儡師は戒めとして体に治らない傷を負った。

 相手と同じ苦しみ、同じ痛みを味あわせて罪を洗い流す。さすれば神はあなたをお許しになるだろうと。

 学院に知られずとも私刑は傀儡師の間で噂として広がり、一部に対して抑止力として機能したものの、貴族だけは我関せずといった具合で道化師の不当な扱いは続いた。しかしその程度で監督生らは諦めなかった。折れてしまえば従属を認めるのと同じこと。一人の悲しみは我々の悲しみである。いつまでも尊厳を踏みにじられみくびられては力を分け与えてくれた霊獣や、祈りを捧げてきた主に顔向けできなくなってしまう。

「次に打たれた策は悪行を逆手にとった情報操作だ。ありもしない事件を捏造して傀儡師に批判を集め、自分たちはあくまで被害者であると主張し、演じて同情を煽ったんだ。そうすると善良な傀儡師が釣られて寄って来て、味方が増えた。そいつらに協力してもらって私刑は貴族に対しても行なわれるようになった。それでもオルヴェーニュ派の中心にまで手は届かなかったようだけどな」

 ──卑屈なのに殊勝で、怯えるくせに負けん気が強くて……

「お前の周りにいた奴らは、何も知らないお前に後ろ暗いところを隠して表向きの事情をだけを話したんだろう。現実を見極める隙を奪われたお前は全部を真に受けて傀儡師に批判的な感情を抱くようになった。お前にとってオレたちは悪者でしかないからだ。違うか?」

 敗戦種族は心底に刻まれた敗北の烙印をいつまでも修復できずにいた。

 元より我々は主から均等に力を与えられた特殊な霊長二種のはずだった。その恩恵がありながら、不義理なことに傀儡師に何度も敗れて来た道化師は、神に対し執着に近い恭敬の念を抱いていた。誰よりも信仰深く生きていた。だから主は師の片方を見捨てることなどしないはずだと、そう信じて己の心を慰めていた。

 それでも無念は拭いきれなかった。もし次があるのなら、何としてでも証明しなければと静かに炎をゆらめかせた。それは勝利を手に入れるまで決して消えない永遠の悲願として灯った炎だった。

 学院の道化師はその意志を尊重し、逆境に抗おうと勇敢に立ち上がった。貴族を中心に団結し、完膚なきまでに打ち負かそうと奮闘した。

 二度と矜恃を失わないように。

「……それが本性だって……?みんなが俺に好意的に振舞っていた裏で傀儡師を懲らしめて、パートナーを見つけて嬉しそうにしていたマリクも実は性悪だなんて……嘘だ。どうしてそんなことまでわかるんだ。まさか全て見てきたわけじゃないだろう?」

「見たこともあるし、聞いたこともあるし、調べたこともある。その気になれば物事の本質なんてものはすぐに明らかにできるんだ。それをせずに現象に飲まれるのはただの怠慢だ。固定観念や主観での判断でわかった気になっているから本質から遠のいて、騙されてしまう。マリクが実際どんな人間かはオレの知るところではないが、これで少しは見えてきただろ。疑う余地というものが」

 摯実で落ち着いた声色には偽りの余韻すらなく、嘘は確信へと変わり果てた。

 メドは突きつけられた現実に困惑する。

 背表紙に手を伸ばしかけたディノは口端を歪めた。

「わかりやすいんだな、お前って。一度助けただけのオレに気を許してるくらいだ。そうやって目の前に出されたものを素直に受け取って、流れに逆らわず愚直に過ごして来たんだろ。あいつらの気持ちもこんな感じだったのかなー……見ているとだんだん腹が立って虐めたくなる」

 良心的な人間は周囲が感化されることもあれば、悪心を擽られることもある。

 何色にも染められる彼は同族にとってさぞ都合がよかったことだろう。

「師は均衡の性質によってどちらかに偏りが生じると無意識にバランスを調整しようとするらしい。権力争いで傀儡師が優勢になっている今はその偏りを直そうとしている最中なのかもしれないな」

 ディノは表紙に天秤が描かれた本をぱらぱらと流し読みした。

 いつの間にか図書館の奥に二人は立っていた。棚には一般の師徒であれば寄り付かないであろう学術書などの専門的な分野の分厚い本が並んでいる。

 ディノが一つ一つ手に取っている最中に、メドはこれまでの自分の言動を振り返った。

 そしてマリクとの関わりも含めて考えると、どんどん不審な点が見えてくるような気がして、怖くなって思考を中断する。こうなると何もかもが疑わしくなってきりがなかった。不信感が背中をざらりと撫でて離れようとしない。本質を知ろうとしなかったツケが一気にのしかかる。

「悪かった。俺が無知なせいで君を困らせてしまって……」

 愚かさをひけらかした羞恥心にメドは顔を上げられなかった。

「別に悪いことはない。環境に順応しようとするのは自然なことだ。大陸出身なら尚更馴染むのに苦労するだろし、そうなるのも仕方ない。気づくきっかけがあっただけよかったんじゃないか」

「君は傀儡師なのに、どうしてそこまで話してくれるんだ」

 頁を捲るとかさりと紙が擦れた。

「お前が可哀想だったからだよ」

 憐れみで毒を抜けるなら、誰であろうとそうするべきだとディノは思っていた。

 自分を含めて師は皆病を患っているのだから。

 誰かが診て誰かが治療を施さなければ一生治ることはない。

 だから彼はメスを入れる立場になろうとした。外側から内側を解剖し、師の本質を明らかにしようとした。そうして自分の置かれている状況を少しでも納得させられるものにしたかったのだ。

 煩わしい世の中を少しでも生きやすくするために。


 数日後、昼に書物の内容を書き写していたディノはクラスメイトにあることを申し込まれた。

「ねえディノくん、私とパートナーになってくれないかな」

 それなりに交流のある相手だった。班で活動するには申し分ない戦力だったが、絆を繋いで戦うには戦闘スタイルが噛み合わない。そもそも契約をする予定がなかったディノは理由を添えて丁重に断った。道化師は食い下がったが、なぜ組みたいのか問うとこう答えた。

「あなたがサポートしてくれたおかげで昇級試験に受かれたの。あの時守ってくれなかったら学院で羽を伸ばすことなんて出来なかったし、師として成長できなかった。あなたにはたくさん感謝してるの。だからこれからもディノくんを支えられたらと思って」

「最近組んでたあいつはどうしたんだ」

「ああ……あの人は、ちょっと」

「聞いたぞ。また喧嘩したんだろう。オレと組んだとしても絶対守られる保証はないぞ。お前が強くならないと意味が無い」

「そんなつもりで言ったんじゃないよ。契約は一生に一度のものなんだよ。私なりに真剣に考えて決断したんだから」

「あまり期待するな。権力は盾にならない」

「……じゃあ、もう私を助けてはくれないの」

 手を止めて顔を上げると、頬にガーゼを貼った彼女が力なく笑った。

 貴族であるというのはそれだけで学院で有利になる特権である。

 派閥に所属しているからには衝突し合うこともあるが、実権を握っているわけでもない師徒たちは、せいぜい将来の政敵に牽制するのが関の山だった。それよりも種族の対立の方が顕著で、他族にいびられないようにするには地位が高い者の懐に入るのが手っ取り早く、人脈は最も重要な意味を果たした。

 ディノに友人と呼べる存在はいない。本人は分け隔てなく接するため知人はそれなりにいたが、踏み込まれるのを嫌い周りから一線を引いて必要以上に近づけさせなかった。ほとんどが社交目的であったり優遇されることを前提とした付き合いを求められたりと、色眼鏡でしか見られなかったからである。

 それでも高位な貴族でありながら種族的偏見を持たなかったディノは道化師から支持された。日頃から無慈悲な傀儡師から道化師を助けていた彼は時には救世主のように扱われ、高等部に上がってからもパートナー候補として引く手数多だった。

 しかし彼はそれらの申し出を尽く払い除けた。憐れみを乞い、縋り付こうとする者たちが求めているのは契約などではなく、辛い現実からの逃避だったのだから。


 

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