第四章 五話



 高等部へ上がった直後の鮮やかだった紅葉は、二ヶ月も経つとすっかり枝を寂しくさせて枯葉の莚を広げていた。

 最初の階級取得試験が間近に迫っている。メドは鬱々とした気分で申請書に必要事項を記入していた。

 学院生活の最初で最後の難関だった。試験を受けるには試験官に相手を推薦してもらうか、自ら指名してペアを組まなければならなかった。組織に所属している以上、師は任務を請け負う義務があり、階級はそのために必要な称号だった。これさえ乗り越えてしまえばパートナーがいなくとも単独で活動はできるが、メドはこの時期になっても傀儡師の氏名欄を埋められずにいた。

「ハロの知り合いにも尋ねてみたけどみんな契約済みか既に申請書を出してしまってる。どうする?この際試験官にまかせるか?」

「それは一番避けたいところだけど……」

 試験官に選ばせてしまうと質の悪い傀儡師に当たった時が厄介である。試験を妨害したり全く協力しなかったりと被害に見舞われた話をメドは先達から聞いたことがあった。運任せにしてしまうのも心もとない。

「確か試験は三期まであっただろ。まだ時間はあるしとりあえず一期は見送ろうかな」

「そうか。ハロに頼めたらよかったが階級が高いと二回目以降は参加禁止だからな」

「探してくれただけでも有難いよ。まあ、どうにかなる。君は一期を受けるんだろ?上手く行くことを祈ってるよ」

「そりゃあ頑張るけど……」

 マリクはそれからも気にかけてくれていたが、とうとうメドは三期が訪れるまでに手頃な相手を見つけることは出来なかった。渋々試験官にパートナーがいない旨を伝えて挑むことになる。

「……え。何でやめたんだ?」

「やっぱ心配だから一緒に三期を受けるぜ。そうすれば何かあっても助けられるだろ」

「君はたまにお人好し過ぎるんだよ」

 もはやどうにでもなれと思っていたメドだったが、友人の思わぬ気遣いにいくばくか心が軽くなった。

 当日顔を合わせた傀儡師は明らかに意欲の欠片もない軽薄そうな男で、対面したメドには攻撃的になることもなく寧ろ無関心そうな態度だった。果たして合格のために協力してしてくれるか不安は残ったものの、細かいルール説明を受けてから試験は幕を開けた。

 学院の管轄区域にある試験場には野生のパペットが繁殖している。妖魔が地上に現れた際、最初に切られた尾から生まれたとされるパペットは、所謂使い魔のような存在で、人間を食らうほどの力はなくとも自然の生き物よりも凶暴で掌に収まるほどの大きさのオボを所有している。

 制限時間内にオボを五つ集めることが合格の条件である。

 田舎で妖魔を倒した経験のあるメドには容易だったが、これまで学んできた戦闘の基礎と戦略を試されるのがこの試験の趣旨だ。妖魔を倒すのとは勝手が違ってくる。だからこそパートナーと如何に息を合わせて戦えるかが重要になるのだ。しかし作戦を立てようとした所で、メドの臨時の傀儡師はそれを丸投げした。

「何ふざけたことを言ってるんだ。受からなくてもいいというのか」

「君は何か勘違いしいてるみたいだけれど、僕は単に人手不足だと聞いて来てやっただけなんだ。なのに親の仇のように僕を見て生意気にも仕切ろうとしてくるじゃないか。こっちはまだ何もしていないというのに、逆毛を立てて威嚇されても困るんだよね」

「だから協力しないって?君が力を貸してくれないと評価が下がってしまうんだ。道化師のことが気に食わないのはわかっているから、今日だけはどうか知恵を分けてくれ。頼むよ」

「……妖魔を討伐した経験があると言っていたね。君は大陸出身だったのか」

 メドは顎を引いておずおずと答えた。

「それがどうしたんだ」

「その様子じゃ田舎者だと散々揶揄われて来たんだろうけど、すっかり染まってしまったようだね。卑屈なのに殊勝で、怯えるくせに負けん気が強くて、虎の威を借りることで傀儡師より優れていると自負している。ふてぶてしいことだよ」

「虎の威って……俺は君の力だけに頼ろうとしているわけじゃない」

「違うさ。虎は君自身が持つ獣のことだよ。傀儡師と道化師はそれぞれの矜恃を持っているんだ。片方は主から賜りし浄化の力を、もう片方は主から授かりし神通力を。戦争はその始めどちらがより神に愛されているのかを示すため力比べとして行われたそうだけど、繰り返していくうちに目的がすり替わってしまってどちらがどちらを支配するかという領土争いに変化して行ったんだ。けど争いの根本には変わらず譲れない信仰心というのがあった。師は恐らく、特に島の住人は皆その心を植え付けられて生まれてくるんだ。僕はそういう意味では傀儡師も、道化師も、どちらも愚かで救いようがないと思っているよ」

「俺はそれほど太陽神を信仰していないよ」

「みんなそう言うんだ。十字架を与えられ、チャペルや大聖堂で祈る時間を設けられても、やれと言われたからやっているだけだと。それは元々生活の中にどれだけ信仰が染み付いているかを証明することになるというのに。食事の前に祈り、罪を働けば懺悔し、危機に陥れば主の名を叫び、そして僕らは儀式で誓いを立てる。神はいつも我々を見守ってくれていると。そう信じて生きているわけだよ。そうだろう?」

 月のない夜だった。待機する師徒たちの輪から抜けて木の幹に寄りかかっていた傀儡師は、メドに視線を向けることなく気だるげな声色で淡々と語った。

「ともかく、傀儡師を嫌うのは仕方ないとしても、一方的に被害者面する道化師はあまり好きではないのでね。君のやりたいようにやっていいから、僕は成り行きで戦わせてもらうよ」

「そんな適当なことで……」

「平気さ。君は根性はあるようだから、きっとどうにかなるよ」

 そう薄く微笑んだ彼に、メドは宙に放り出されたような気持ちで呆然と見つめ返した。


 第七班が戻る時間となり、いよいよメドがいる第八班の出発の時間となった。念入りに計画を練ったメドは集中するために軽くストレッチをして待機する。

「生真面目な道化師だね。他の奴らは暇を持て余して寛いでいるのに。見てるだけで窮屈なくらいだ」

「好きにしろと言ったのは君の方だろ」

 やれやれと傀儡師が肩を竦めた矢先、試験監督が列に並ぶよう指示を飛ばした。

「まだ七班三組戻っておりません」

「構わん。時間が来たら戻るよう信号を送っておけ」

 懐中時計をしばし睨んだ監督は、「始め」と合図を出し、八班は一斉に列から駆け出した。

「どうしたんだい、そっちは七班のエリアだよ」

 森の中へ入ったメドは、そのまま奥へ進まず急に道を逸れて走り始めた。

「友人がまだ戻って来ていないんだ」

「七班の?それは君が気にすることではないよ。試験官が何とかするだろう」

「何かあったかもしれないだろ」

「冗談はよしてくれないか。今は試験中だ。関係ない行動を取って減点されたらどうする。評価を気にしていたのは君だろう」

「試験は何が起こるかわからないものだ。マリクには借りがある。少し様子を見に行くだけだ」

「真面目なのは君だけでいいんだけどね。僕も受験者なのを忘れてもらっては困るよ」

 それでもメドは構わず肢体変化の姿で颯爽と木々の合間を駆けた。

 この日は風が少なく辺りが異様に静かだった。空は試験官である霊獣が空を巡回して我々を監視しているがそれ以外の気配はなく、月のない森はいっそう視界を暗くさせ、まるで同じ闇を延々と走っている感覚だった。

 触れる空気がひと月前よりも冷たくなっている。

 はは……

 ははは……

 笑い声だ。

 何本目かの木を通り抜けると、獣の目を通して複数人の人影が見えた。影絵のように暗闇の中を蠢いている。

 懐中時計の明かりを消してさらに近づくと、だんだんと声がはっきりと聞こえるようになった。息を潜めてメドは覗き込む。

「マリク」

 思わず声を上げてしまった。

 笑い声の主は硬い土の上に伏している彼を蹴りつけ、手にしていた長い柄のついた斧を肩に乗せた。

 そして前触れなく、ぎろりとこちらを睨む。

「誰だ」

 気取られた、と判断したメドは答えず叢から飛び出してマリクをかばうように地面に手をつく。

「お前、こいつの傀儡師じゃないな。何をしたんだ」

 男は必死な様子を嘲笑うかのように肩を揺らす。メドが現れたことなど大した問題ではなかったのか、目もくれずにふらふらと叢に倒れ込んでいた女の元へと歩いた。マリクの傀儡師である。彼女も一緒にやられたらしい。傍にはもう一人道化師らしき人が立っていた。

 マリク本人には戦った形跡があったものの、目立った外傷はなかった。血も流れておらず、ただ苦悶の表情を浮かべて伏せっている。だが目覚める気配はない。

 何があったのかはわからないが、ただひとつだけ、あの傀儡師がマリクたちに何かしたのだという事実がメドの頭の中でこだましていた。奴が彼らに攻撃をした。そうに決まっている。それ以外に有り得ない。

「絆断ちだよ」

 遠巻きに見ていたメドの傀儡師は、組んでいた腕を解いて指さした。

「ほら、そこにもやが残っているだろう」

 見ると、マリクの手の延長線上にゆらりと揺らめく深緑の筋があった。それはぽつぽつと点のように地面に広がっていたが、よく目を凝らすともやが出ているのは、砕けて散らばった鎖の欠片からだった。

「これは……」

「契約の際に繋がれるくさりだよ。師の命を繋ぎ、能力を高めるものだ」

「そうじゃない。どうしてそれが壊されているんだ。こんなことが可能なのか?」

「さあ……絆は概念的なものだと思っていたけれどまさか触れられるものだとは。驚いたね」

 ハロを連れて行こうとする男たちにメドは噛み付いた。

「待て!彼女を置いて行け。その方はマリクの傀儡師だぞ」

「黙れ。こいつは俺のモンなんだよ……そいつがこれみよがしにハロとくっついて笑いやがったからちょっとわからせてやっただけだ」

 メドは彼とハロがどんな関係なのかは知る由もなかったが、何にせよ嫉妬や恨みなど感情的な理由で手を出したのだろうと察しはついた。

「だからといって絆を切っていいわけがないだろう!お前はとんでもないことをしてしまったんだぞ。今すぐ医務室で診てもらわないとまずい。とにかく彼女を下ろすんだ」

「うるせえよクソ道化が──」

 男が振り向くと、目の前には深緑の濃い霧が覆いかぶさっていた。

 わけも分からず一歩下がったが、もう一歩後退しようとしたところで腹部に衝撃が走る。

 男は崩れ落ちた。

 突如目覚めたマリクが肢体変化で力を振り絞ったのだ。

 おびただしい量の霧をその身から放ち、変形した顎からは涎が流れ、肌には鱗が浮き上がっていた。

 止める暇もなかった。

 傍に侍っていた男も対抗しようとするも、爪で腕を抉られ悲鳴を上げる。

「マリク……マリク!」

「穢れた魂め!呪われろ!呪われてしまえ!」

 そこにはかつての友人の姿などどこにもなかった。飢えた獣……キメラが傀儡師を食わんとばかりに体をうねらせ、人間の基準を超えた大きな口から何百本もある牙を覗かせていた。

 傀儡師は斧を振り上げる。

「駄目だ!」

 メドは柄を掴んで止める。

「邪魔なんだよ!」

 もみ合っていると、マリクは覚束無い足取りで右へ左へと傾き膝をついた。大きな手でハロを抱き寄せる。人間とは思えない嗚咽を漏らし、左手を酷く痙攣させ、喘ぎながら地面に倒れる。

「もういいだろ!マリクは戦えない。あいつは正気じゃなかったんだ、落ち着いてくれ!」

「どけっつってんだろ、ふざけるな!狂ってんのはあっちの方なんだよ!こっちは気を使ってやったってのにあいつ、虚仮にしやがって!!」

 メドは柄で顔を殴られた。

 まずい、と思い咄嗟に白虎へと完全に変化する。

 白い巨体に斧が打ち付けられた。反応が少しでも遅れていたら身が真っ二つに断たれていた強さだった。

 狂っているのは傀儡師の方だ。この傍若無人な斧で彼らの絆が切られてしまったなんて。清純な誓いの下で結ばれた彼らの繋がりが、無粋な感情によって砕かれるなどあってはならない。おかしいのはお前だ。精神が犯されているせいでその境界すら認識できないほど奴は歪んでいるのだ。

 打撃は止まらず、血が吹き出してもメドはその場から動こうとはしなかった。退けばマリクとハロが殺されてしまう。せめて怒りが収まるまでは動いてはならない。彼らを守れるのは自分だけなのだから。

 何度も言い聞かせて正気を保っていた。感情に飲まれてしまえばそれこそ獣のように怒り狂って暴れてしまいそうだった。

 どれだけの痛みが全身を駆け巡ろうとも、メドは耐え続けた。

 耐えて、耐えて、耐え続けて──……




 



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