第一章 三話




 赤煉瓦の寮へと戻った。吹き抜けになった四階建ての上階から、寮生たちの声が時たま聞こえてくる。夕方から任務に出る者が多いため、人はあまりいないようだ。半円のフロントから臙脂色の絨毯が伸び、二階へと続いている。まっすぐ進んでいると、右手にある共有スペースの入り口で数人が立ち話をしているのが見えた。その中に見覚えのある顔があったが、無視して階段へ足をかける。すると彼らのうち一人がディノに気づき、呼び止めた。

「よおディノ。調子はどうだ?」

 狐を連想させるつり上がった細い目と、前髪を重たくカットした深い藍の髪。三大派閥のひとつ、その名を冠するオルヴェーニュ家の次男、カイレムである。同じ派閥で同級生でもある彼とはもちろん顔なじみではあったが、ディノにとっては一番関わりたくない部類の相手だった。

「そこそこだよ」

 一言返して二段ほど上がる。

「おいおいどこ行くんだよ。せっかく会ったんだし話をしようじゃないか。あれから契約はできたのか?いい相手がいないなら俺から何人か紹介してやってもいいんだぜ」

 カイレムは手すりに腕をかけ寄りかかる。オルヴェーニュであれば既に昨晩の会食は耳に入っているはずだが、あえて遠回しな言い方をしているのか、こちらの反応を伺っているようだ。

「遠慮しておく。会食はあまり好きじゃないんだ。息が詰まるからな」

「じゃあどうするつもりだ?まさかそこの道化師と組むって言うんじゃないだろうな?」

 と、後ろに立つメドを指した。鼻につく言い方にディノは片眉を上げる。

「だったら何だ」

「大問題だね。名のある家でもないド田舎の道化師と組んで誰が得するんだ?オルヴィス家に泥を塗るつもりか」

「お前には関係ない話だ。オレの事情に首を突っ込まないでもらえるか」

 小さな舌打ちが聞こえた。せっかくこの俺が、という傲慢な気持ちとともに、カイレムの表情は歪んだ笑みから苛立ちに移り変わる。

「気にかけてやってんだろディノ?将来的にはお前と手を組んで獅子團で活動したいと思っているんだ。そのためにもお前にしっかりと地位を築いてもらう必要がある。反抗期もほどほどにして、よ〜く考えてくれよ」

 念を押すように言うと、金魚の糞のような仲間を連れて悠々と寮を出て行く。いけ好かないやつだ。家でも寮でも貴族の務め云々と語られてしまえば頭が痛くなってしまう。消えたはずの鬱陶しい感情がまた底から湧き上がった。

「どいつもこいつも……」

 メドに宥められながら彼の部屋へ帰る。

 机に本を置くと、ポストを開けてディノは中を確認した。

「はあ。今日は何処へ派遣されるかな」

 任務は毎度、各部屋のポストに手紙で届けられる。黒い封筒に銀の封蝋が押されたそれは、任務を割り当てられた本人のみ開示する権利があり、手紙一枚につき、パートナーやペア同士で情報を共有することが可能だ。

 個人の部屋を持っていながらメドの部屋に入り浸っているディノは、こうしてメドの方へ届けられる手紙で内容を把握している。

「……なんだ。また同じところだ。ただの警備だぞ。どうなっているんだ」

 内容は師の階級によって難易度が割り振られている。町を囲う四方の壁を警護するのは基本的な任務のひとつで、どの階級でも担当する可能性は高いが、ほとんどは第四階級以下であるのが通常だった。

「たぶん俺が、昇級していないせいじゃないか。君はもっと上だから別の任務も請け負えるだろうけど、俺の方が低いからそれに合わせられているんだ」

「にしてもだ。どうせ人手不足だから都合よく仕事を押し付けてるに違いない。ここまで連続するとさすがに飽きてくるな。オレの名前を使えばこっちから任務先を申し込むこともできたはず……いや、あくまで申請するだけだったか」

「そうだね。好きに任務地へ行けるのはそれこそ獅子團のような階級じゃないと」

 獅子團とは、皇室や政府からも独立した少数精鋭部隊である。昔は王室に仕えていた正式な組織だったが、時代が進むにつれて王の権威が脅かされると、早々に独立して活動するようになり、現在では政府と協力関係を結んで安定した地位を築いている。

 皇室付きの近衛師団とほぼ同格でありながら、様々な特権を持つ獅子團に憧れを持つ師も少なくない。カイレムもその一人で、オルヴィス家の長男であるディノと入れば、あらゆる恩恵が得られると算段しているためあのような勧誘を受けてしまっている。わかりやすく単純な彼の人生設計に巻き込まれたくなかったが、やはり自由に活動することを望むならば目指すべき道でもあった。

「君は獅子團に入る気はないの?」

「カイレムが入る気満々だってのに、オレがそこに喜んで混ざると思うか?正直、入団したとしても上手くやって行ける気がしないね」

 ともあれ今回の任務も大した刺激もなく進行しそうだ。活動を始めた当初から繰り返された欠伸が出るほど退屈な任務。不謹慎ながらどうか妖魔の一体や二体は出て欲しいとディノは望んだ。

 いいや、それならいっそこっちから攻めた方が存分に剣が震える。だとすればまずは巣窟を調べるのがいいだろう。

 彼は作戦を考え出した。



♦♦♦



 日はとうに沈み薄らと星の光が見え始めた。携帯していた懐中時計の時刻は八時二十分を指している。レストランでの食事を終えて大陸へと渡った彼らは、装備を整えて任務地に向かっていた。

 おじぎをするように折れ曲がった木が一本、道の脇に取り残されている。周りには少しばかり緑が生えていたが、それ以外の場所では植物らしきものは見当たらない。大陸は冬がすぎても殺風景のままで、木々の代わりに分厚い壁が並んで立っていた。

 今夜の派遣先はヴェルリッヒ郊外。学院が守護する防衛登録地域の一つである。町の外にある森の奥深くには、巣窟が二つほど存在し、そこから湧いてくる妖魔を掃討することが今回の仕事だ。

 町はそれぞれ四方向に分かれて配属され、ディノたちはそこから最も巣窟に近い方角を担当することになった。

「まだ偵察を始めてないやつばかりだな」

「職務怠慢が横行してるからね。同じ学院の師徒として恥ずかしいよ」

 戦闘服に身を包んだ彼らは、二十時二十八分に現地に到着した。分厚い上着をはためかせ、指定された位置まで歩いて行くと、政府の紋章が刻まれた懐中時計を取り出す。蓋を開けて左右のスイッチを二度押すと、点滅して送信完了の記号が浮かんだ。

 師の任務状況を電波で管理するシステム。怠慢や不正を防ぐために局が開発チームと手を組み作り出した機械だ。開始と終了時に位置を確認するために信号を送ることが義務づけられているが、実際に抑制の効果がないことは彼らがよく知っていた。

「よし、やるか」

 ディノが視線を送ると、メドはほぼ同時に袖を捲りあげ、薄い霧をまとわせた。

 だんだんと濃くなるそれは彼の全身を覆い、獣を形作る。人間の二倍ほどに体が巨大化し、白銀の毛並みと黒い縞模様が走る。アイスブルーの瞳の瞳孔が細く尖り、彼は霊獣・白虎に変化した。

 霧が解けて身震いをすると、二歩ほど足を動かし目の前に広がる森へ意識を集中させた。ずっと先にある巣窟から妖魔が出た気配はない。まだ目覚めてはいないということだ。

「なら早いところ巣を潰しに行くのがよさそうだな」

 白虎の胴体を軽く叩くと、低くした背中に跨り森へ促す。自分たちだけで向かう気か、と白虎は彼を見つめた。

「大丈夫だ。もしものことがあれば応援を呼べばいい」

 街灯やランプのひとつもない森は、手元すら見えないほど暗く静かだった。しかし獣には暗闇など関係なく、目を仄かに光らせて茂った道のりへと踏み込んで行く。

 地中を巣食って生きている妖魔は、基本的に夜行性であり早くても日が沈む頃から活動を始める。師と似たエネルギーの結晶を持つ妖魔は力を補充するために結晶を持つ我々を襲うが、何も持たない人間を喰らい養分にするのもよくあることだった。

 妖魔は強くなるほど単体で活動し、繁殖する習性がある。仲間同士で結晶を奪い合い、時には共食いをして成長し、力を得るからだ。結晶をより多く取り込んだ個体は強大な敵となる。そういった妖魔を担当するのは政府直属の軍隊のみで、学院の師徒は討伐する資格を持っていない。

 学院そのものが政府直属といっても、師徒は戦力拡充のために集められた兵隊にすぎない。

 懐中時計のチェーンを引いて胸に掛けると、ライトをつけて視界を確保した。背中から滑り降りて辺りを見回す。

 茂みの中で木が、数本ほど倒され重なり合っていた。その近くには大きく地面が口を開き、深淵を覗かせている。これが妖魔が掘ったとされる巣穴だ。

「もう一つは確かこっちだったか。地図では近くに記されてたが、実際はどうかな……」

 メドに待機するよう言うと、ゆっくりと斜め左方向に進んだ。三分ほど歩いてようやく同じような穴を見つける。周りに新しい足跡はない。

 戻ってそのことを報告すると、再びディノは背中に乗った。

「穴は一定の範囲内にいくつかある場合、中で繋がってるのがほとんどだ。メド、そこに向かって吠えてみろ」

 白虎はそろりと穴に近寄った。

「そうしたらもう一つの穴に走れ」

 返事の代わりに喉を鳴らす。ざわりと毛を逆立てると、覇気を感じ取った周りの木々が震え出した。

 大気を吸い、咆哮が渦を巻いて穴へ吹き込まれる。

 爆速で通った空気が轟音を響かせた。白虎は走り出しもう一つの穴へ行くと、距離を取ってディノを下ろす。

 足から、微かな振動を感じる。咆哮で起こされた妖魔が驚いて蠢いているのだ。振動は徐々に強くなっていく。ディノは剣を抜いた。

「さあ、蹴散らすぞ」

 頭が見えたかと思うと、一気に数十体の妖魔が穴から溢れかえった。白虎よりも一回り小さいが、それでも人間を覆い尽くせるほどの巨体だ。虫のような口に鉤爪の脚が六本生え、毛深い胴体に先の尖ったしっぽが揺れている。灰色の煙をまとい、妖魔はそれぞれの方向に散るが、一体がディノを認めると連鎖して全体が彼に狙いを定めた。

「メド!」

 正面から襲いかかる妖魔に剣を振り下ろし、白虎は呼応して群れへ突進した。

 長い夜が、また始まる。



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