第一章 二話


 三限目の授業を終える鐘が鳴った。教室から一斉に師徒が出て行き、廊下が人で溢れかえる。

 講義中の緊張や沈黙が解け、解放感からくる穏やかな空気が飽和していた。一日の時間割は五限まであるが、ほとんどが選択科目であるため日によって講義数は異なる。そして空いた時間を自由に過ごすか、あるいは妖魔を討伐する任務にあてがうのだ。

 人類の脅威である妖魔は王政全盛期に現れたとされる、神話の時代に封印された悪魔の眷属である。呼び方は様々だが師の界隈では妖魔に統一され、見た目は闇のように黒いが、姿はどれも異種の部位が混ざりあったキメラであった。個体によって大きさも性質も違い、繁殖地は誰にも近づけない深い地の底と言われている。

 席を立ちつつも、その場から動かずに窓際で彼らは話し続けた。

「それで、今日はどこで食事をして行く?」

 夜間は長時間の任務となるため、毎度早めの夕食をとることにしている。学院の施設にもいくつかレストランやカフェが存在するが、島でもあらゆる店が充実しており、師徒たちが利用することもよくあった。

「そうだな……今日はカルパッチョの気分だ」

「じゃあそこのレストランで決まりだね」


 にわかに、教室の空気が変わった。

 廊下が騒がしくなり、どんどん師徒たちが出入り口に群がり始める。二人も様子を見に下へ下りた。

 広い廊下にはとっくに人集りができて、奥の方で何かが起こっているようだったが、とてもディノたちがいる場所からは覗けそうになかった。しかし騒ぎの内容がどんなものなのか、ディノはあらかた想像がついていた。

 短い悲鳴の後、人集りに穴が空き、転がり込むようにして人が飛び出してきた。そのまま廊下を駆け抜けディノたちのクラスを通り過ぎる。すぐ後ろからは怒り狂った顔の男が追いかけて行き、彼を止める声が上がるも誰も場をおさめようとはしなかった。

「メド、待て」

 教室から一歩外へ出たところをディノは止めた。

「関わるな。いつものことだろ、行こうぜ」

「止めるだけだよ。あのままじゃまずい」

 ディノに手を引かれ中に戻されるも、振り払って彼の背中に投げかける。けれどそのまま自分の席へ戻っていく姿にメドは口を結んだ。

「仲間が三人くらいいた。庇ってもいじめられっ子ともども殴られて終わりだ。俺はそんなお前を回収するためにやつらと喧嘩したくないからな」

「やられるわけが」

「そうだな。だがお前が相手を殴り返したらその時点で負けだ」

「……傀儡師のご機嫌取りになれって?」

 いいや、と首を振る。

「傲慢だから支配できると勘違いする。ああいうやつらはよくそうするんだ」

 メドの肩を軽く叩き、ディノは反対側の出口から教室を出た。数秒遅れてメドは着いていき、ただ黙って彼の言葉を噛み締める。

 学院では傀儡師による道化師への虐めが横行していた。それは種族的な差別意識からくるものもあれば、要因としては貴族階級の者たちによる横暴な振る舞いから発生するのがほとんどだった。そのため事を起こすのは大抵が権力を持つ者であり、主犯は我が種族が優位であるという思想を掲げた傀儡師だった。

 何千人もいる師徒の中でも、ひと握りの師がやっていることとはいえ、こうして目にすると同じ種族というだけで反吐が出る気分だった。


「"天秤の上で我々は平等である"っていう言葉を聞いたことがあるだろ?」

 人気のない、木造りの細長い扉が並ぶ廊下があった。そのうちのひとつに手をかけ、ディノは中に積まれている教科書の上にまたひとつ書物を重ねた。

「若者に向けてよく唱えられるようになったそうなんだが、言葉にしたところで何かが変わるわけがないんだ。一時的に誰かを助けるのもそう。どうせまた同じことが起こるに決まってるからな。本当に解決したいと思うなら根元を断ち切ることを考えなきゃいけない」

 少し遠いところから見ていたメドは、何事もなかったかのように静まり返った空間に、虚しさを覚えた。

「傀儡師を取り締まれるわけでもないのに」

「あいつらがどうしてあんな風に振る舞うと思う?」

「貴族だから……」

「そこだ。権力があるからこそ横暴になってしまう。傀儡師というだけで特権を持っていると勘違いする。だから階級という明確な格差がなくなれば師の社会も変わるはずなんだ」

 扉を閉めてディノはゆったりと歩く。

「一時の救いよりも現実的だろ」

「ああ、そうだね」

 それは力のない人間にとって酷なことではないだろうか。

 戸棚に教科書をしまいながらメドは己の立場を省みる。やはり道化師という生まれはそれだけで矮小なものであると自他ともに錯覚してしまう。これまでの歴史を振り返っても戦争で勝ち上がって来たのは傀儡師で、絆という鎖を握っているのは常にそちら側だ。

 根本を断ち切らねばならないのはそうだろう。だがその間にどれだけの師の尊厳が打ち砕かれるのか、メドは想像するだけでも耐えがたかった。

 戸棚を見つめたまま動かない彼に、ディノは調子を切り替えて言った。

「ぜんぶ学院に置いておく必要はないだろ。いくつか持ち帰ればいい」

 中は教科書だけでなく参考書や辞書などが所狭しと並んでいて、手にしていた薄い冊子すら入らない状態だった。

「それでもふと読みたくなる時があるかもしれないだろ。だから困っているんだ」

 後ろから中を覗くと、ディノは大袈裟にため息をつく。

「はぁー几帳面だなぁお前は。オレの教科書は角が曲がったり折れたりしてるのに、持ち主の扱いがいいとこんなに違うのな」

「君の参考書のタワーがいつ崩れるか楽しみだね」

 取り出したいくつかの書物を抱え、中身をパラパラと眺めながら優先順位を決めていく。

「早く終わらせようぜ。任務前に食わなきゃ腹が減っちまう」

「まだ時間はあるだろ。講義中に食べたくせにもう消化したのか」

「たった一つのパンで満たされるわけがないだろ」

 メドの手元を見つつ、数冊の背表紙に目をつけると、ディノは腕を伸ばし一冊ずつロッカーから引き抜いていった。

「何してるんだよ」

「これはもう何ヶ月も出してないやつ。これはもう終わった講義の参考書。これは学校に全く関係ない趣味の本。そしてよく使ってるけどあまり役立たない教授の書いた論文。聖書。これだけなくせば新しい本も入るだろ」

「これから使うかもわからないのに……」

「一秒でも使う時は来ねえよ。オレはもう捨てたりしてるし。部屋に置いておけば十分だろ」

 一人で納得したディノは本を持ったままその場を離れていく。

「君は何事も突然すぎるんだ」

 動く前に言ってくれたらわかるのに、と彼の背を追いかけて行く。

 しかし、ディノはメドのことをよく見ていた。本をどんな頻度で使っていたかは本人ですら曖昧だったというのに、大雑把な性格でありながら人一倍、彼は視野が広い。一限目の講義もそうだった。俯瞰した視点で物事を捉え、誰よりも積極的に世の中の情報を取り込んでいる。ディノは契約を求める度にメドの能力に感心していたが、よっぽど彼の方が優秀であると、メドは常々思っていた。

 だからこそ、ディノは足元を見つめて歩くことなどないのだろう。

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