第一章 四話


 


「雑魚が多すぎる……」

 三十分ほどかけて妖魔を片付け、二人は逃がした残りを追って森を駆けていた。他の取り逃した分は別方角にいたペアに任せ、一体一体を確実に仕留めに行く。

「ったく、記録書の数字が適当なんだよ。正確に書かないと次の繁殖期が把握できないだろうが!」

 町に近づかせないよう内側から回り込み、白虎の脚力で追いつく。二体のうち一体がこちらに飛びかかるが、ディノが足の付け根から胴体を切り裂き迎え打った。

 そして最後の一体を白虎が踏みつけて止める。ディノは首を落とし、動かなくなった体を裏返させて胸部を解体しようとした。

「待って」

 切っ先が刺さるほんの一瞬で変化へんげを解いたメドが、来た道を凝視する。

「妖魔があそこに」

「あいつら抑えきれなかったのか」

 仕方ない、とメドの肩を掴み、白虎になった彼に乗って急いで向かう。

 無事にそれを倒すと、念のため妖魔の死に損ないがいないか森を巡回して確認を行った。駆けつけてくれた師を定位置に帰し、警戒を続けてもらい、一時間後、最初の巣窟の穴へと戻った。

「綺麗に浄化したみたいだな。あとは見張っておけば今夜は大丈夫だろう。作業をして暇潰そうぜ」

 ディノは周辺に転がったいくつもの死体の中のひとつを、白虎に手伝ってもらい裏返した。

 剣で切込みを入れて胸部をえぐる。体内から黒い粘液がどろりと流れ出た。掘り返すようにして何度も剣を回し、引くと、粘液に混じって不規則な形の固形物が落ちる。

 指先で持ち上げ、懐中時計のライトで照らす。艶のある不透明な結晶だ。ところどころに紫色の筋が通り、結晶を立体的にさせている。透き通った清浄なオボとは正反対だ。

 これが妖魔の核となるもの。命を狩る欲望の根源。

「今日は大収穫だな。ラボに提出すればいくらか謝礼がもらえそうだ」

「どれだけ持って帰る気?バックに詰めようにも限界がある」

 結晶を回収するのもまた師に与えられた任務である。その多くは研究に使われるが、また新たな妖魔を呼び寄せないための対策としても大事な作業だった。夜だけではなく、昼も派遣された部隊がこの作業を担い、徹底した浄化のもと二次災害を防いでいる。

「それに、素手で触るのはよくないぞ」

 メドは取り出した黒手袋をはめて、ナイフで解体を始める。

「妖魔に対して潔癖だよな。白虎になると平気で噛み付くくせに」

「あれは俺じゃなく幽膜が喰らいついてるだけだ。やつの味なんて知らないよ」

 ボストンバッグには次々と結晶が詰められて行く。胸を裂いて取り出しては黒血を振り落とすのを繰り返し、刃物が擦れる音以外は全てが静かで、作業中彼らは、特別何かを話すことはなかった。

「ディノ、俺はあっちに行くから……」

 どのくらい経ったのか、メドはいったん腰を上げて、穴の傍に折り重なっている妖魔の方へ移動した。

「落ちるなよー」

 そんなヘマはしないよ、という返事を聞いて、ディノはその場にしゃがみこんだ。

 オボの表面を指で擦ると、黒い粘液から黒光りの石が顕になる。じっと握っていると、脈を打つような振動を僅かに感じた。

 ぞわりと鳥肌が立つ。ディノは投げるようにして袋に入れた。妖魔の存在に恐ろしさを感じたことはなくとも、黒血の生暖かさやオボそのものの生命を感じると、どうしても嫌悪感を覚えてしまう。本当に潔癖なのは、実は自分なのではないだうか。

 思いながら、震えを感じる前に手放して袋に詰めてしまう。それを繰り返していると、ふと胸部に違和感を覚えて手を当てた。ただ一点を見つめて、動きを止める。

 慌てることはなかった。じわりと締め付けられるような鈍痛を癒すために、ゆっくりと呼吸をする。下手に動かなければすぐ治まるものだ。問題はない。問題は……。

「.......よし」

 バックを肩にかけ、ディノは先に警護場所へと戻った。

 しかし、それからメドが戻って来ることはなかった。



 あまりにも遅いから、ディノは三十分を過ぎたあたりから懐中時計にサインを送って返答を待った。待ちながらもじっとしていられず、結局穴の方へと急ぐ。

「まさか本当に落ちたんじゃないだろうな」

 そんなヘマをするような人ではないというのは本人の言葉だが、実際彼はディノが感心するほど注意深くそつがない人だ。唯一隙ができるとしたら予想外の事態に巻き込まれた時くらいで、道化師らしく感情論で生きる傾向にあっても理性を忘れることはない。もう一度時計を見て、反応がないことを確認するとすぐにポケットにしまった。気づいていないだけなのか、それとも。

 穴の周辺には昇華し始めた妖魔の肉塊が転がっていたが、その全てが丁寧に胸を割かれ、オボが取り除かれた後となっていた。処理をきちんと終えた上で移動している。妖魔などの奇襲を受けたわけではないようだ。

 契約をしていれば、こういう時に霊獣の気配を辿って探せるのだが、今考えても仕方の無いことだ。

 南へぐるりと回り、とうとう担当場所から大きく外れたところまで来ると、ディノは目を見張って駆け出した。

「おい!お前ら何やってるんだ」

 見覚えのある蒼白い霧が揺らめいていた。その近くには人影と別の霧が二つ漂っている。闇の中からは怒声が響き、僅かな月光が反射して刃がてらりと光る。

 弧を描く筋が蒼白い獣に届く前に、ディノは剣を差し込んで止めた。

「どういうつもりだ」

「おぉ待て待て、もしかしてこの虎のパートナーか?やめてくれよ、邪魔して来たのはそっちだぜ?」

 軽薄に言ってのけた男の後ろには可笑しそうに笑う女の姿もあった。どちらも傀儡師なのだろう。離れたところでは右往左往している二匹の霊獣がいる。

「だからといって道化師を攻撃していい理由にはならない」

「はっ、どうせってのに本気になりやがって」

 男が武器をしまうのを見て、ディノもひとまず剣を下ろした。

「メド、こんなところで何をしてた」

 変化を解いたメドは言う。

「こいつら、道化師を使って私闘をしていたんだ。危険なことだから止めろと注意したんだけれど、聞いてくれなくてね」

 呆れたものだ、とため息をつく。いくら暇な任務だとしても、監視の役目も果たさず道化師をいじめているとはよほど暇なようだ。メドが干渉しなくとも、これは上に報告しなければいけない案件となるだろう。

「道化師を戦わせたかったら積極的に捜索して妖魔を潰すことだな。これ以上のことは任務放棄として報告書に書かせてもらう。嫌だったらさっさと形だけでも偵察しておけ」

 傀儡師たちは不満そうに文句を垂れるだけだったが、ディノはさして気にすることなくメドを連れてその場を去ろうとした。

 しかし、メドは風に乗って運ばれてきた気配を察知し、瞳孔を鋭く尖らせた。

「ディノ、あれ」

 そう指を刺された方向に、彼も目をやる。

 緩く下った丘のさらに向こう側。小指の爪ほどの大きさのぼんやりとした光が、夜空を渡る星のように流れていた。

「……なんだ?」

 目を凝らすも、はっきりとは見えない。

 だが、だんだんとこちらへ近づいて来るのがわかる。

 煩わしそうにしていた傀儡師たちは、それを知る由もなく道化師を引き連れて移動し始めた。

 淡く光る星の正体はすぐに知るところとなった。

「麒麟か」

 何よりそれは尋常ではない速さで地面を駆けていた。ほんの数秒の間でもう姿がはっきり見えるほどにこちらへ接近している。黄金に輝く毛並みと漆黒の翼を生やした一角獣。勢いよく駆けているわりに足音が一切ないのは、翼で僅かに浮いているからだと思われた。

 すると、ひゅうっと風を切り、麒麟の手前で矢が地面に突き刺さった。何度も背後から矢が降り注ぎ、その度に麒麟が体を捻って避けていく。

 どこから攻撃を受けているのか、メドは放物線を辿ると数メートル後ろに別の獣の姿が見えた。背中に乗っている傀儡師が弓を構えて笑っている。

「次から次へと……何なんだよ」

 ディノは苛苛と剣を振った。

「止まれ!ここはオレたちの監視下だぞ、今すぐ霊獣から降りろ!」

 警告も虚しく、放たれた矢がついに麒麟の背中に刺さった。絹を裂いたような悲鳴が轟き、麒麟は地面に打ち付けられ転がる。

 獣に乗った傀儡師は後ろを向いて喜び合った。

「いやあ、やっと当たったね!まったく兎以上にすばしっこいやつだ。君も腕があがったねぇ」

 後方に乗っていた者の姿に、ディノは目を見開く。

「てめぇ、何ふざけたことをしてやがる」

「あれ、ディノじゃないか。またまた偶然だねぇ。お邪魔して申し訳ないよ」

 巨大な兎の背から降りたカイレムは、まったく悪気のない爽やかな笑みで両手を広げた。

「ちょうど僕たちも任務をしていたところだったんだけど、あまりにも妖魔の数が少ないものだから時間が空いてしまってね。暇を潰そうと遊んでいたんだが、少し熱が入りすぎたようだ。いや本当にすまないね」

 メドは迷いなく麒麟に駆け寄り、深く刺さった弓を抜こうとしていた。

「こっちは大量だったがな。代わってやればよかったぜ。そうすりゃお前みたいな問題児と何人も関わらずに済んだ」

「何を言ってるんだい。そんなに任務を邪魔されたことが気に食わなかったのか。まったく、まともなパートナーも見つけられないくせに妙なところで真面目だね」

 彼らはゆっくりと歩み寄る。

「お前の道化師はよっぽど優れてるようだな。矢を浴びせながら走らせるなんてとんだ戯れだ。狂ってるのか?」

「失礼な。あいつは僕の道化師じゃあない。僕のパートナーは任務地に留まってもらってる。あの麒麟はここ最近のあいつのお気に入りなのさ」

 大きな兎の獣……アルミラージに乗った男はディノを認めるとにやりと得意げに笑った。剣を握った拳に力が入る。

「まさかお前たちは……契約もしていない道化師に矢を向けて遊んでいたのか」

「なんでも麒麟は珍しい上にアルミラージより速いと言われているからね。それを聞いたらつい見たくなってしまって」

 ディノは噛み付くように怒鳴った。

「だからと言って本当に矢を刺すことがあるか!お前たちの行為は度を超している。傀儡師と道化師の刃傷沙汰は御法度だ。切っ先一筋で重い罪を科せられることもあるんだぞ。……まさかお前、日頃からこんなことをしているんじゃないだろうな」

「おお怖い、まるで獣だね」

 カイレムは罪という言葉にまったく動じず、相手を落ち着かせようと手の平を向けた。事細かに定められた師の法律は、これまでの戦争で得た教訓を元に作られ、改定を繰り返しているものだったが、主に平等を謳う内容が第一条に記されているのは有名である。

 武器を持つことが常である師は当然ながらそれを使用した私闘や喧嘩を禁止されており、つけた傷の大きさによって罰金が課せられるシステムとなっている。それをカイレムが知らないはずはなかったが、当の本人は意に介す様子もないのがまるで不思議だった。

「でもねディノ、怒る相手を間違ってはいけないよ。矢を射たのはあいつ。僕じゃない」

「は。だから何も悪くないとでも言うのか。任務を投げ出してこんなところまで来たんだ。どちらにせよお前らはペナルティを食らうぞ」

「そんなことしても意味は無い。虚偽の申告だと告げれば一瞬さ。自慢ではないけれどこれでも傀儡師としての評価は高いんだよ?」

「……オルヴェーニュを笠に着ただけのやつが」

「なんだって?」

 余裕だったカイレムの表情に険が浮かんだところで、後方から聞こえたメドの大きな声に二人は振り返った。

「やめろ、近づくな」

 アルミラージに乗っていた男が、いつの間にか麒麟の転がる場所へ降り、彼らを見下ろしていた。メドは変化の予兆を青く漂わせながら睨みつける。

「どきな。こいつは俺が回収する。どうせ変化を解けば傷は残らないんだから問題ねぇよ」

「問題ないだって?馬鹿を言うな。お前がやったことは殺人行為に等しいぞ。訴えたらどうなるかわかっているんだろうな?」

 男は突然吹き出して笑った。

 心底おかしそうに、けらけらと笑った。

 メドは呆気に取られ、凝視する。

「大丈夫だ。いつものことだからな」

 男にとってその言葉は空洞をつつくようなものだったのだろう。

 本気で彼は、戯れだと思っているのだ。

 道化師の特性として、変化する時に纏う幽膜はその神聖により肉体を保護する役割を持つ。よって如何なる場合にも道化師本体を傷つけることはできない。確かにひとたび変化を解けば綺麗な姿に戻るだろう。

 だが、それが何だというのだ?

 受けた傷には必ず痛みを伴うというのに。

 拳が、震えた。

「そんな半端な理由で傷つけられる道理なんてないぞ……たまのイカれた傀儡師が!」

 罵倒の言葉を受けた男は、暗い目を細めた。寂しさを覚えるほどその闇は深く、誰かが蝋燭を灯したとしても、それすらも飲み込んでしまうほど愚かに冷たい瞳だった。

 その目に、どこか見覚えがあった。

 弓を引く鈍い音が鳴る。

 右手に力を込め、メドは青い霧をゆらめかせた。

 放たれた、かと思ったが。

 下から上へと閃いた一筋が、矢の先端を断った。

 手首を捻り、そのまま首筋へと刃を添える。

「今すぐここを去れ。麒麟のことは忘れろ」

「……」

 男は表情を変えることなく、しかし殺意を漂わせたまま弓矢を下ろした。彼の目にはもう麒麟など写っていない。傀儡師に楯突こうとする生意気な道化師をどうしてやろうかという怒りの感情を巡らせていた。

 だがディノがそうさせなかった。

 一歩後ろへ下がった男は、そのままアルミラージの元へ戻り、去って行った。

「カイレム!お前には話がある」

「説教なんてごめんだね。報告したきゃ好きにすればいいさ」

 去り際にカイレムはそう言い捨てて大きな兎の背に飛び乗ったのだった。

「……君、大丈夫?俺の声が聞こえる?」

 メドは麒麟を優しく揺すった。時おり疼いて身をよじらせているが、起き上がる気配もなく地面に伏している。

「もうあいつらはいなくなった。変化を解いてくれ。お前を救護班の所まで連れて行く」

 ディノは剣を鞘におさめるも、反応が返ってこないことに眉をひそめた。

「……気絶しているのか?」

「いいや、意識はあるけど疲労で動けないみたいだ」

 しばらく休ませてあげよう、と傷口を抑えていた手をゆっくりと離す。

「可哀想に。俊足と謳われた霊獣がこんな扱いをされるなんて」

 すると、麒麟はふいに足をばたつかせ体を起こしたかと思うと、地面を蹴って土煙を上げた。驚いてメドは距離を取る。

 風を起こし、大気と一体になった麒麟は尋常ではない速さで駆け出し、あっという間に闇に溶け、消えてしまった。

「そんな。あの状態で走ったら……」

「オレたちの助けなんかいらないってことだろ。……戻ろうぜ」

 星の煌めきに似た黄金の光は、もう既に見えなくなっていた。





 



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