第2話 くさやを焼く
季節は五月雨。しかし、本日は白い雲が映える青空。
アパートの駐車場で俺は黙々と作業をしていた。
ぱたぱた。団扇をあおると火が揺らめき勢いが増す。熱する金属製の箱からは白い煙がわずかに漏れ出ていた。
何をしているかって?
決まっている。燻製を作っているのだ。
数日前に脂身たっぷりの肉を大量に手に入れたので、保存できるよう燻製にしているのである。
まぁいきなりの状況に戸惑いはしたが、数ヶ月前まで似たようなところで暮らしてたわけだし、一般人の権力を持たない俺に何かできるはずもなく。とりあえず普段通りの生活を続けることにしたのだ。
「ぽよ、ぽよよ」
「そこのボックスに入れておいてくれ」
「ぽよ~」
「ありがとう。スーさん」
青色の丸い物体が乾燥した肉の塊を吐き出す。
こいつは相棒の『スーさん』だ。
種族はスライム。ただしLv132のスライムである。テイムしたモンスターの中で最も付き合いが長く最も相性が良い唯一無二の相棒。
「ぽよぽよ。ぽよーん」
スーさんが体内からナイフとフォークを取り出し『食事は?』とせっつく。
頑丈さで有名な某ブランド腕時計で時間を確認した。
「もうそんな時間か。じゃあそろそろ始めるか。よっこらせっと」
「ぽよー!」
「楽しみにしてたもんな」
スエット姿のまま七輪を持ってきて火をおこし網をのせる。
ほどよく火力が上がると網の上に強烈な匂いを放つ魚の干物を置いた。
くさやなんて普段焼けないからなぁ。
人の目も鼻も気にしなくてもいいって最高だな。
遙か真上をワイバーンが飛翔していた。
あの日からこの世界は急速に異世界化が進んでいる。原因は不明。いたるところで既視感のある魔物が徘徊し、見たこともない植物がアスファルトを貫き芽を出している。インフラのほとんどは断絶。かろうじて水道は使用可能だがそれもいつまで保つのか怪しい状況だ。
街の住人がどうなったかなんて考えたくもない。
ちょっと外に出ればいくらでも骨が落ちているのだからまぁそういうことなんだろう。さすがに俺が最後の日本人とは思わないけど、こうも人と会わないと若干寂しく感じるのはしかたがない。
「ぽよぉ!? ぽよよ!」
「あ、やっぱ臭い? くさやっていうんだよ。臭いはあれだけど美味いんだぞ」
お、もういいかな。
火が通ったところで魚を皿に移し、薄切りの肉とソーセージを網の上に置いた。
そして、缶ビールの蓋をぷしゅっと開ける。
「くはぁぁ、昼間のビールは最高だな。スーさんにはこいつをやるよ」
「ぽぽぽぽよぉおおお!」
取り出したるは三つの矢のマークでおなじみの炭酸飲料である。
スーさんはなぜかこいつがお気に入りだ。たぶんだけど瓶ラムネも好きだと思う。
突起のような手でサイダーを受け取ったスーさんは、器用に蓋を開けてごくごくと飲み下しシュワシュワ感を堪能していた。さらにくさやを箸でつまみ上げスーさんへやる。
くさやを咥えたスーさんは味わうようにもぐもぐしていた。
「ぽよ!」
「お気に召したようで安心したよ」
七輪の上の肉をひっくり返しながらビールをあおる。
普通に生活しちゃってるけど、さすがにそろそろこの状況がなんなのか調べた方がいいのかもな。
TVやネットが使えないのは当然として。
どういうわけか電話もラジオすらも使用不能の状態だ。
最初は政府がなんとかしてくれるだろうって高をくくっていたわけだが、待てども待てども救助は来ず、数日を経てようやく俺は日本がヤバいってことに気がついたのである。
おそらく俺が直面している”これ”は日本中で発生している。
じゃなきゃ救援ヘリや報道ヘリが一切来ないなんてのはまずあり得ない。
下手をすれば世界中こうなんじゃ・・・・・・いや、落ち込むだけだから考えるのは止めよう。
焼けた肉をタレにつけて口に入れる。
「うみゃ~、たまんねぇ!」
「ぽよ!」
「スーさんも食えよ。飛ぶぞ」
「ぽよぽよ!」
スーさんが騒ぐのでアパート前の道に視線を向ける。
「はぁ、はぁ、しっかりしなさいよ! 私の妹でしょ!」
「もうだめかも・・・・・・」
「弱音なんて聞きたくない。あと少しなんだから頑張りなさいよ。こんなところで死ぬなんて絶対に許さないんだから」
そこには二人の少女がいた。
どちらも歳は十七、八ほど。一人は無傷のようだがもう一人は負傷しているのか腹部から血を流している。少女は負傷した少女を肩で支え懸命に前に進もうとしていた。
だが、限界だったのか出血が続く少女は、ずるりとその場で倒れてしまった。
「
「せめて姉さんだけでも逃げて」
「いやよ。あんたを置いていけるわけないでしょ。ふざけてないで早く立って。ねぇ、どうして返事をしないの。夕花」
「そこを退け」
「ちょ、あんた誰よ! 勝手に夕花に触らないで、聞いてるの!?」
俺は駆け寄って夕花と呼ばれる少女の状態を確認する。
血を流しすぎたのだろう。体力の消耗が著しく弱り切っている。今すぐ手当てをしなければ確実に死ぬ。
「とりあえずウチに来い」
「私のことはいいから夕花を、夕花に手当てをしてあげて」
「心配するな。まだ助けられるよ」
「本当!? 信じて良いのね!? 絶対よ、絶対夕花を救って!」
こいつ助けられる側なのにずいぶん態度がでかいな。
普通はもうちょい下に出るもんなんだが。
少女を抱きかかえ立ち上がる。
夕花と呼ばれる少女は、濡れ羽色の艶のあるショートヘアーに人形のように整った容姿であった。この辺りでよく見かける柳坂高校の制服を着ており、腹部は出血によって白いシャツが赤く染まっている。
一方の姉だろう少女は、夕花とそっくりな外見をしながら髪はロングで、やや大人っぽい雰囲気を放っている。服装は同じく制服。姉妹にしてはあまりにそっくりなのでたぶん双子なんだと思う。
どこからか唸り声が聞こえ元気な方の少女がびくっと身体を震わせた。
「どうしよう、アレが来る。早く逃げないと」
「アレってなんだよ。んん? この辺りでヤバそうな奴っていたかな?」
「何言ってるのよ。いくらでもいるでしょ。それより早くここを離れましょ。あいつが私達に追いつく前に――ひぃ!? 来た!」
僅かに地面が揺れる。
重い何かがこちらへと近づいていた。
「ヌガァァアアアアアアッ!!」
現れたのは五メートルを超える人型の怪物であった。
分厚いガサガサの皮膚に知性を感じられない醜く愚鈍な顔つき。常に半開きの口からは涎が垂れ、腰には所々黒く変色した汚い布が巻かれている。どこかで引き抜いたのだろう右手には枝葉が付いた樹が握られていた。
そいつはいわゆるトロールであった。
「あ、ああ・・・・・・もうだめ、私達殺されるんだわ・・・・・・」
少女は絶望と対面したかのごとく目から光を失う。
トロールは愉悦に染まった目でニヤニヤと俺達を見下ろしていた。
「なんだトロールかよ。あー、びびって損した。じゃあウチに向かうか。さっさと手当てしてビール片手に焼き肉の続きをしないと。そだ、お前も食うか?」
「ビ、ビール? お肉? そういえばなんか臭くない?」
正気を取り戻した少女が鼻を押さえて俺から距離を取る。
そういやくさやを焼いたんだっけ。
訪問客なんて予定になかったからなぁ。
「ヌガッ! ヌガァァアア!」
「きゃぁぁあああああ!?」
無視するなとばかりに吠えたトロールが、棍棒のごとく樹を振り下ろした。
「スーさん、頼む」
「ぽよん!」
素早く間に入ったスーさんが一撃で樹を粉々に砕いた。
武器を失ったトロールはさらに吠え、重く大きな手のひらで押しつぶそうとスーさんへ振り下ろす。
ばくん。
トロールの振り下ろしたはずの腕は一瞬にして半ばから消えた。
腕を失った奴は痛みと恐怖から悲鳴をあげる。
「なんなの、何が起きてるの?」
少女はぺたんと座り込み呆然と呟く。
勝てない相手だと認めたトロールは背を向けて逃げ出そうとした。
判断が遅い。やっておしまいなさいスーさん。
ばくん。
トロールの上半身が消え、残った下半身がアスファルトに倒れる。
ほらね。やっぱり雑魚だった。
この辺りじゃトロールなんてLv8前後の動くクソ袋だ。倒したところで肉質も堅く不味いし相手にするだけ時間の無駄。
「何座ってんだよ。行くぞ」
「ま、まって、腰が抜けて――手を貸して」
「もう塞がっているんだが。しょうがない、スーさん手伝ってやってくれ」
「ぽよ~」
「わ、何!? なんなの!? ひぃいいい!?」
腰が抜けた少女を頭に乗せたスーさんが俺を追いかける。
うるさいのが増えちゃったなぁ。
早く元気になって出て行ってもらいたい。
◇
無事に手当ては終わり夕花は俺のベッドで寝息を立てていた。
つっても異世界産の高級傷薬を塗り込んだだけなのだが。傷を塞ぐだけならこれで十分だし体力回復薬も飲ませたから治癒力も向上しているはずだ。あとはぐっすり休ませて血を取り戻すだけ。
小さなちゃぶ台を挟んで俺と少女(姉)はベッドを横目に対面する。
「礼を言うわ。貴方がいなかったら私もあの子も間違いなく死んでた」
「ウチの前で死なれちゃ寝覚めが悪かったからな。まぁこれでも飲んで落ち着け」
「ありがとう。何にも考えてなさそうな見た目だけど意外に気が利くのね」
「出て行ってくれ」
「じょ、冗談よ。いただきます」
出された麦茶を彼女は遠慮なく飲み干す。
見た目はまさしく美少女だが言動がなんとも残念。
態度もデカいしさっそく助けるんじゃなかったかもと後悔していた。
「自己紹介をしておくわ。私は『
「俺は佐藤浩平だ。あっちにいるのがスライムのスーさん」
「もう一度聞くけど、なんなのあれ。怪物の仲間なのに調理してるけど」
彼女の視線の先には台所で調理をするスーさんの姿があった。
小さな突起のような手で包丁を握りとんとんと小気味よく野菜を刻んでいる。
色々教えている内に作れるようになってしまったのだ。
今では俺よりもスーさんの作る味噌汁の方が数倍美味かったりする。
昔からだけどスーさんは凝り性なのだ。
「傷が癒えるまでは面倒見てやるよ。あとのことは知らん」
「それでいいわ。シャワー浴びたいからタオルと服を借りるわね」
「おい、何勝手に決めてんだよ」
日向は立ち上がりすたすた風呂場へと向かった。
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